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花の香りは獣の香り?

フランスで何人かの調香師に会うにあたって、日本の線香を持参した。
香りものは人によって好みが分かれるので気を遣う。こちらが心地よく思っている香りを、相手も同じように感じているとは限らないし、ましてや鼻を職業にしている人たちだ。持っていくべきか直前まで迷ったが、まあ話のタネになればいいやと、軽い気持ちで慣れ親しんだ線香を一箱だけもっていくことにした。

今回は南仏のグラースとパリを訪れ、現地で遠慮がちに差し出してみると、みな知らない香りに興味しんしん。「家でお香を焚くのも大好き」という人も多かった。調香師が嗅ぎ分ける香りは千とも二千とも言われているが、その中には変な匂いのする化学物質や、決していい匂いといない物質も含まれる。鋭い知覚を持ちながらも神経質なのとは違う、好奇心旺盛な人たち、というのが今回出会った人々への全体的な印象だ。


線香は動物の匂い?
その場で焚くことはせず、線香の香りをかぐだけだったが、開口一番の感想は「いままでかいだことのない香り」「自分では思いつかない、出せない(調香できない)香り」など。線香の原料は沈香(ウード)や白檀(サンダルウッド)などの香木、丁子(グローブ)、桂皮(シナモン)、かっ香(パチュリ)、乳香(フランキンセンス)などのスパイスや樹脂が用いられ、香水の原料にも使われているが、出来上がる香りの違いが文化の違いなのだろうか。老舗メーカーの、一箱千五百円ほどの普段使いの品であったが「よい素材を使っている」という声もあった。そしてみな二言目には「獣の匂いがする」と口を揃えた。

私にとっての線香は仏事に用いるもので自然なものというイメージがあり、また商品に「水仙の香り」と記されていたので、「獣の香り」にはびっくりした。調香師たちとは個別に会っており、人によって感じ方が違うのかもと思ったが、二人目も三人目も「動物的」「獣のようだ」と同様だった。
どの人からも「何が配合されているの?」と聞かれ、みな成分を知りたがったが香水のノートのように細かく記載されていない。「ではここには何て書いてあるの?」と箱の中の説明文について矢継ぎ早に尋ねられた。
「幽玄な水仙の香りをメインに、背後に白檀の東洋的な香りが漂うと新しい香り」と簡単に訳し、伝統的な製法を用いた現代のライフスタイルに合わせた線香、という自分なりの解釈とともに伝えた。
「幽玄」や「東洋的」といった言葉選びからも、従来の和のイメージから大きく逸脱する意図はなさそうに思え、よけいに「獣的」という形容にギャップを感じた。


動物的な匂いを持つ花たち
ただ、調香師達の認識では水仙は「動物的な匂い」を持つ花なのだそう。水仙には多くの品種があるが、例えば日本水仙には「インドール」という成分が含まれている。「インドール」や「スカドール」は強い糞尿臭を持ち不快な悪臭を放つが、水仙、ジャスミン、オレンジなどにも含まれる。微量であれば人を酔わせるような甘い香りの役目を果たすのが、香りの不思議なところだ。香りを試した一人で、以前Zoomインタビューに協力もしてくれたローランスは「カスタリウムのような香りが大量に使われている」と言って、ラボにあるエッセンスを持ってきてくれた。カストリウムはビーバーの肛門近くからとれる分泌物で、海狸香(かいりこう)という和名でお香にも用いられている。実際に嗅いでみると動物園の匂いそのものだった。
動物的な匂いで水仙の香りを表現している、というのが彼女の見解で、その手法や解釈が斬新だったようだ。
(帰国後調べると、お香には海狸香や麝香(ムスク)など動物由来の香料が配合されているものが多くあることがわかったが、花 のイメージを位置して用いられるのかは定かではない)

またローランスと話しながら「動物的」というのは「有機的」でもある、ということに気づかされた。化学が発達した現代の調香では、理論だけで香りを組み立てる調香師もいるが、彼女にとってそういう香りはギチギチで窮屈、どこか物足りないという。彼女によれば「動物的」な要素により香りは深みを増して個性的を持ち、またそんな獣の「ワイルドさ」をセクシーに感じるようだった。これには個人の好みもあるし、文化の違いもあるかもしれない。



グラース名産のジャスミン グランディフローラムの香りは…

ジャスミン グランディフローラム

花の話に戻るが、動物的な匂いを放つ植物というのは色々あって、例えばグラース名産のジャスミンの品種で香料の原料になるグランディフローラムもその一つ。ローランスはこの花から「馬糞の匂いがする」と言い放ったが、これを聞いた時「あ!」と思い立った。
その日の午前中、香料の原料植物を集めた庭園 Les jardin du MIPを訪れていたのだが、ジャスミンの花畑には牧場のような匂いが立ち込めていた。てっきり堆肥の匂いだと思っていたのだが、花そのものの香りだったとは。

同じ日の早朝、見学先の農園で収穫したばかりのジャスミンを見せてもらった時は、軽やかで優しい香りがした。ジャスミンは夜中に開いて、朝の早い時間に一番瑞々しく香るので、夜明けとともに収穫を開始する。庭園を訪れたのは十一時近くだったから、気温もあがり、次第に強くなる太陽光に晒されるにつれ、獣的な匂いを強めていったのだろう。

朝摘みを終えたばかりのジャスミン 


日本とフランス 二つの香りの文化による交流
ところで持参した線香は、昔から親戚や祖母の家で慣れ親しんだ香りだった。香りは何種類かあったが他のものは匂いが独特で、幼い頃は特にきつく感じられた。(最近わかったのだが、その正体は桂皮(シナモン)だった。)

線香は箱に入っていたが、旅の間中トランクの中がほのかに香ってほっとさせられた。日本の線香らしい落ち着いた香りに加え、どこか粉っぽいような独特の香りを感じとっていたのだが、この言葉にならない不思議な感じを調香師達は「動物的」「獣のような」と表現したのだった。線香を禅的なイメージで捉え、天然の優しいものという先入観があった私にとって、はじめは強烈な語彙だったが、言われてみると確かに動物的な匂いが混じっている。彼らの言語を借りたことで、いままでおぼろげにしか感じることのできなかった香りが輪郭を持ち、よりはっきりと捉えられるようになった瞬間だった。

このプロジェクトをはじめたきっかけの一つに、調香師たちの持つ世界観に惹かれ、彼らの言語を学んでみたい、個々が持つ持つポエジー(詩)と自分の詩とを交流させてみたいというのがあったが、思わぬボキャブラリーの収穫があった。今回の旅でその仲立ちしてくれたのは、日仏二つの香りの文化と調香師たちの好奇心だ。彼らはプロだからこそ、未知の香りに対して単なる好き嫌いで断じたりせず、自由に感想をのべたり、こちらに質問したりして、どの人との会話も大いに盛り上がった。かつて南仏に住み、南仏の持つ香りの文化にひかれ、こうして戻ってきた私だが、彼らと話しながら日本の長い歴史を持つ香りの文化に多いに助けられているのを、ひしひしと感じた。

どちらの文化にも奥深いものがあり、自分はまだその表層をわずかに触れているに過ぎない。旅はまだはじまったばかり。


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