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【インタビュー】 感性と化学を行き来する:調香師 Laurence Fanuel

調香師として複数の世界的企業でキャリアを積み、現在はグラースを拠点にフリーランスとして活躍するローランス。調香は人々の感性に直接訴えかける芸術的な仕事である一方、高度な化学的知識も要求される。ルームフレグランスや洗剤の調香を例に、彼女に創作のインスピレーションや、どのように感性と化学の間を行き来するのかを語ってもらった。



絵を描くことと自然を愛するローランス

Laurence Fanuel(ローランス・ファニュエル)はベルギーの自然に囲まれた環境で育った。絵が好きで「子供の頃は画家になりたかったの」とにこやかに語り始めた。しかし多くの家庭がそうであるように、両親は堅実な道を望み、自身も動物や自然が好きで「将来は農夫や農場主になってもいいな」と考えていたことから、生化学の道に進んだ。幼いの頃から草花のラテン名を覚え、草や根の香りをかぐなど、植物にも親しんだ。香水も好きだったが、「私は69年生まれで、当時は調香師という職業を知りませんでした。ベルギーでは今日のようにメディアに取り上げられることもなかったですから」と回想する。

大学で博士号を取得後、大手家庭用品メーカーに研究員として採用され、フレグランス部門に配属された。「配属が決まった時、うれしくてみんなに触れてまわりました。植物の細胞から香料を得るためのリアクター(反応物質)に興味があったので、新しい香料を開発できるかもしれないと、ワクワクしていました」
ここからローランスの調香師としてのキャリアがスタートする。ではいよいよ彼女の仕事について聞いていこう。


調香は感性?それとも化学?

-香りを調香する時、何からヒントを得ていますか?

私の場合は例えばまず、音楽からイメージを受けて、香りのデッサンを行います。幾何学だったり、線だったり、色だったり。言葉もあります。そこで描かれた感情をもとに、香りの材料を選んで行きます。


-アーティストの創作プロセスと似ていますね。そこにはあまり化学の知識が必要ないように思いますが。

いい質問ですね。調香では常にアートと科学を結びつける努力をします。そもそも、調香における化学の必要性は工業化と関係しています。調香の学校ができ、科学的に教えるようになったのは1970年代に入ってからです。それまでの調香師というのは、教室の隅っこにいるようなタイプが就く職業でした。数学の授業は上の空。知覚が発達し、違った見方で世界を捉えていたのです。そういう意味では、香りの「創造」に化学は不要です。

ただ、今日はアルコールに材料を混ぜて終わりではありません。製品として工業化されているからです。私にはアーティスティックな面もありますが、フレグランス産業で働き、合理化すべきところを合理化することにも面白みを見出しています。



筆者補足:化学物質である香料を扱うには、分子の働きや特性の理解が必要なほか、有害物質やアレルゲン等のリスク回避などが求められる。また市場に出すにあたりクリアすべき安全上の義務や法令も多くあり、専門的な化学知識が求められる。


調香のプロセスは「創造」「共感」「メッセージ」

-では、香りが「製品化」されるまでのプロセスを教えてください。

大きく分けて三つの段階があります。一つは先ほど述べた、「香りの創造」です。これには知覚が発達していることが最も重要です。


二つ目が「共感」です。
香りの製造には多くの制約、条件があります。第一は顧客の要望です。例えば、私はこれまで多くのオフィス向けのルームフレグランスを調香してきました。依頼主からヒアリングを行い、企業の価値観などを考慮にいれ、自分がここで働いていたとしたら、と想像を働かせ、建物の外観や周辺環境も含め調査します。また一言に「甘い香り」といっても、捉え方は人それぞれです。様々な人が集まるオフィスで甘すぎたり、強すぎたりしてはいけません。それらの指標をもとに、我々は一日過ごしても邪魔にならない、かつアイデンティティーのある香り作っていきます。その過程で、価格や技術的な課題も解決していきます。


調香は翻訳でもあり作画でもある

調香師には知覚で調合した香りを分子情報に置き換え、客観化する役割もあります。フレグランス製造者は翻訳者であると言えます。官能と言葉、言葉と分子の間でよいバランスを探しに出かけるのです。こうして、最初のレシピを作りますが、なかなかハードです。

例えば原料の分量を調節する際、分量を変えても素材の特性は残すように、または他の分子に影響をあたえないようにしないといけません。試験管の中で行うので、何かを加えれば何かを削る。絵の仕上げのように、足して、引いてのバランスを合理的に判断していきます。何かを減らすことで、メッセージが引き立つという点は、まさに絵画と共通しています。


香りは精緻なメッセージ

さて、三番目の要素「メッセージ」についてです。
香りは何を語るのか。言うなれば、私はラジオのパーソナリティーです。私が丹精を込めてつくり、発信したメッセージを誰かが受け取ります。その人が香りをかいだとき、香りは何かを語りかけます。それはひとつの言語なのです。そしてその言語はとても精緻なのです。

例えば、私は学校で教えてもいますが、授業では市販されている洗剤を取り上げます。学生は処方を読み解くことで、それが一つの情報システムであり、なぜその製品が長年市場で支持されているのかを理解します。例えばアルデヒドと流動性の関係、アルデヒドと緑色の分子の関係など、全てにおいて正確無比に設計されています。こうしてはじめてメッセージが正確に伝わります。つまり多くの人に支持されている、ということになります。演者、装置、演出など、総合的に考え抜かれた演劇のように、全てに意味があるのです。全ての要素が研究し尽くされ、作用しあっているのです。

ただし昨今では、調香師に創造のための時間はほとんど与えられていません。まっさらなページを開き「さあ、何を作ろうか」と直感的に取り掛かれることは稀です。今日では、調香師はAIのように分子を調合する職のように扱われています。確かに数千もの香料からAIが選定することは可能です。ただしそれは、調香の仕事のほんの一部に過ぎないのです。



筆者補足:今日、企業における調香の方向性はマーケティングによって決定されることが多い。またチーム内にはエバリュエーター(Evaluator)というポジションがあり、香りのディレクションを行う。例えばOEMを行う香料会社では、エバリュエーターが顧客の要望を聞き、調香師に対して香りの方向づけを行う。今日の調香師達は思い思いに創作を行う芸術家というより、顧客の要望にクリエイティブで応えるデザイナー的性格が強いと見ることができる。


調香師の嗅覚

-フランスでは調香師の別名を「ネ」(nez=鼻)ともいいます。文字通り、嗅覚が要となる職業ですが、香水部門に配属される前、嗅覚のテストを受けましたか。

はい、調香師になるための研修を始める前に嗅覚の試験がありました。香りに対する記憶力とブレンドの識別能力をテストします。受験者全員と比較され、平均以上の成績を収めなければなりません。しかし嗅覚が全てではありません。情熱と創造性も求められます。また、調香する製品の化学的な課題も理解している必要があります。


- 一般的に調香師は1000~2000の香りを識別すると言われています。キャリアの形成途上においても嗅覚の評価(テスト)はありますか。

研修中は香料の識別や課題に基づく調香などのテストがあります。その後は、製品化にこぎつけることができるか、日々の成果がもっともよい試験となります。製品の使用が楽しくなるような、笑顔のこぼれる香り。これはどこまでも続くチャレンジですが、人々を笑顔にするのが好きならば、挑戦したくなるものです。



何度も微細な作業を繰り返す、非常に骨の折れる仕事

-香りの「製品化」についてもう少し伺います。先ほど話にあった、オフィス用のフレグランスは完成までにどのくらいかかりますか?

現在進行中のプロジェクトでは、評価前にサンプルを1~2週間ほど寝かせて、ならします。それから面白いと思った香りを選び、短い説明文を添えて顧客に送ります。現在、最初のフィードバックを受け、2巡目に入ったところです。20ほどサンプルを作成し、中心となるテーマに基づいて2~3の面白い方向性を見出しているところで、それぞれのノート(香調)を改良しています。最終的なフレグランスが決まったら、ディフューザーでシュミレーションを行います。


-最終的には何種類ほどのサンプルを作るのですか?

目的にそった香りができるまでの試作品数に決まりはありません。テーマを素早くつかめることもあれば、もう少し粘ることもあります。決定権を持つ人数にもよりますし、選ぶ側がどれだけ明確に香りに対するイメージをもっているかにもよります。

この仕事は繊細で豊かな感性を必要とし、とても人間的。だからこそ学べることがたくさんあります。私たちはそういうところに惹かれています。そうでなければ想像を絶する作業量、試作、何度もチャレンジする精神力が求められるという点で、なかなか報われることがない職業でもあるからです。


***
今回実施したZoomインタビューは、プロジェクト開始にあたり、調香や調香師の仕事について理解を深めるためのプレインタビューの形をとり、記事も調香の仕事の概要を紹介するものとなった。

なおフランスでは調香の種類が、香水など身に着ける香りの「ファインフレグランス(Fine perfumery)」と洗剤やシャンプーなどの製品に香りを与える「機能性フレグランス(Functional perfumery)」に二分されており、今回のインタビューでは主に「機能性フレグランス」が事例としてとりあげられている。一方で彼女は芸術や医療など様々な分野と交流し、幅広く香りを創造しているクリエーターでもある。

ローランスがどのような感性を持つ人で、どのような香りを作るのか。そこを掘り下げ、浮かび上がらせていくのは、これからになる。9月にはフランスを訪れ、実際に会うことになっている。香りを巡る旅の今後を、ぜひお楽しみに!


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Laurence Fanuel 
ベルギーのリエージュ大学(FNRS)で生化学の博士号を取得。
ベルギーのプロクター・アンド・ギャンブル社で10年間、機能性フレグランスの研究開発およびトレーニングに従事。高砂香料(パリ)、Robertet(グラース)、Kelkar/Keva(オランダ、インド)にてファインフレグランス・機能性フレグランスのシニアパフューマーを務める。
UCA、ISIPCA、IFF、ESPなどの国際的な調香学校で講師を務める。
2006年よりフリーランスの調香師、造形アーティスト。アート活動、ショーや空間のための香りの演出を手がける。

以上ウェブサイトより抜粋:https://atelierrosarose.com


この記事は「Le Voyage Olfactif / 香りを巡る旅」のウェブサイトより引用しています。これは日仏を舞台に、香りの持つポエジー(詩性)を巡る旅とテキストによるプロジェクトで、水上あおいが執筆、運営しています。 2023年にスタートした第一期では、調香師へのインタビュー、記憶と官能に関するエッセイなどを公開します。 Website:Le Voyage Olfactif / 香りを巡る旅 水上あおい SNS: note, Website, Instagram


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