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【インタビュー】 感性と化学を行き来する:調香師 Laurence Fanuel

調香は香料のブレンドにより様々な香りを生み出す芸術的な仕事である一方、匂いの元である分子を扱うため、高度な化学知識が要求される職でもある。調香師として複数のグローバル企業でキャリアを積み、現在はグラースを拠点にフリーランスとして活躍するローランスに、ルームフレグランスの調香を例に、感性と化学を行き来する調香の世界を語ってもらった。


Laurence Fanuel(ローランス・ファニュエル)とは知人を通じて知り合い、数通のメールのあと、Zoomでの本インタビューを快諾してくれた。
主に調香に対する理解を深めるためのインタビューだったが、オープンでエネルギッシュな彼女の言葉からは仕事への情熱、愛が溢れており、彼女が垣間見せてくれた調香師の世界を、ここに共有する。

▷Laurence Fanuel アートと自然、化学を愛する調香師

ローランスははベルギーの自然に囲まれた環境で育った。絵が好きで「子供の頃は画家になりたかったの」と語る彼女はとてもにこやかだった。しかし多くの家庭がそうであるように、両親は堅実な道を望み、自身も動物や自然が好きで「将来は農夫や農場主になってもいいな」と考えていたことから、生化学の道に進んだ。

幼いの頃から草花のラテン名を覚え、草や根の香りをかぐなど、植物にも親しんだ。香水も好きだったが、「私は69年生まれで、当時は調香師という職業を知りませんでした。ベルギーでは今日のようにメディアに取り上げられることもなかったですから」と回想する。

大学で博士号を取得後、大手家庭用品メーカーに研究員として採用され、フレグランス部門に配属された。

調香の世界では、香水など身に纏う香り「ファインフレグランス(Fine perfumery)」と、洗剤やシャンプーなどの製品に香りを与える「機能性フレグランス(Functional perfumery)」の調香があり、彼女は機能性フレグランスの調香師として複数の大手企業でキャリアを積んだ。

現在は独立し自身のアトリエを持ち、香水の調香、舞台芸術等アートとのコラボレーションのほか、教育機関やラグジュアリーメゾンでの講師も務めるている。


▷調香師の嗅覚

-フランスでは調香師の別名を「ネ」(nez=鼻)ともいいます。 一般的に1000~2000の香りを識別すると言われており、文字通り、嗅覚が要となる職業ですが、調香師になるために嗅覚のテストを受けましたか。
「はい、勤務先では調香師になるための研修を始める前に嗅覚の試験がありました。香りに対する記憶力とブレンドの識別能力をテストします。受験者全員と比較され、平均以上の成績を収めなければなりません。しかし嗅覚が全てではありません。情熱と創造性も求められます。また、調香する製品の化学的な課題も理解している必要があります。

-キャリアの形成途上や昇進にも嗅覚テストはありますか?
「研修中は香料の識別や課題に基づく調香などのテストがあります。その後は、製品化にこぎつけることができるか、日々の成果がもっともよい試験となります。製品の使用が楽しくなるような、笑顔のこぼれる香り。これはどこまでも続くチャレンジですが、人々を笑顔にするのが好きならば、挑戦したくなるものです。

▷調香は感性?それとも化学?

-調香における感性と化学の関係について伺います。香りを調香する時、何からヒントを得ていますか?
「創作の自由が許されている場合、私の場合は例えばまず、音楽からイメージを受けて香りのデッサンを行います。幾何学だったり、線だったり、色だったり。言葉もあります。そこで描かれた感情をもとに、香りの材料を選んで行きます」

-アーティストの創作プロセスと似ていますね。そこにはあまり化学の知識が必要ないように思いますが。
「いい質問ですね。調香では常にアートと科学を結びつける努力をします。そもそも、調香における化学の必要性は工業化と関係しています。調香の学校ができ、科学的に教えるようになったのは1970年代に入ってからです。

それまでの調香師というのは、教室の隅っこにいるようなタイプが就く職業でした。数学の授業は上の空。嗅覚などの知覚が発達し、違った見方で世界を捉えていたのです。そういう意味では、香りの「創造」に化学は不要です。

ただ、今日はアルコールに材料を混ぜて終わりではありません。製品として工業化されているからです。私にはアーティスティックな面もありますが、フレグランス産業で長く働き、合理化すべきところを合理化することにも面白みを見出しています」

>>>次の章では、香りが製品化されるプロセスについてもう少し詳しく聞いていく。


筆者補足:化学物質である香料を扱うには、分子の働きや特性の理解が必要なほか、有害物質やアレルゲン等のリスク回避などが求められる。また市場に出すにあたりクリアすべき安全上の義務や法令も多くあり、専門的な化学知識が求められる。


▷香りが製品化されるまで

調香のプロセスは「創造」「共感」「メッセージ」

-香りはどのように「製品化」されるのでしょうか。
「香りの創造には大きくわけて三つの要素『香りの創造』『共感』『メッセージ』があります。

私はこれまで企業からの依頼で自社オフィス向けのルームフレグランスを多く手掛けてきましたが、それを例に見ていきしょう。

一つ目が『香りの創造』です。これは先ほども述べた通り、知覚が発達していることが最も重要です。
ただし昨今では、調香師に創造のための時間はほとんど与えられていません。まっさらなページを開き「さあ、何を作ろうか」と直感的に取り掛かれることは稀です。

香りの製品化には多くの制約、条件があります。第一に顧客の要望です。オフィス用フレグランスの場合、依頼主から要望をヒアリングし、企業の価値観などを考慮にいれます。そして自分がここで働いていたとしたら、と想像を働かせ、建物の外観や周辺環境も含め調査します。


二つ目が『共感』です。
一言に「甘い香り」といっても、捉え方は人それぞれです。様々な人が集まる職場で匂いが甘すぎたり、強すぎたりしては深いになります。
それらの指標をもとに、我々は一日過ごしても邪魔にならない、かつアイデンティティーのある香り作っていきます。その過程で、価格や技術的な課題も解決していきます。


そして三番目が『メッセージ』です。
香りは何を語るのか。言うなれば私はラジオのパーソナリティーです。私が丹精を込めてつくり、発信したメッセージを誰かが受け取ります。その人が香りをかいだとき、香りは何かを語りかけます。受取手が何かを感じたことが、答えの一つになります。
香りはひとつの言語なのです。そしてその言語はとても精緻なのです」


調香は翻訳でもあり絵画でもある

-香りが「言語」とはどういうことなのでしょうか?
 「調香師には知覚で調合した香りを分子情報に置き換え、客観化する役割もあります。フレグランス製造者は翻訳者であると言えます。官能と言葉、言葉と分子の間でよいバランスを探しに出かけるのです。こうして、最初のレシピを作りますが、なかなかハードです。

例えば原料の配合を調節する際、分量を変えても素材の特性は残すように、または他の分子に影響をあたえないようにしないといけません。
試験管の中で行うので、何かを加えれば何かを削る。絵の仕上げのように、足して、引いてのバランスを合理的に判断していきます。何かを減らすことで、メッセージが引き立つという点は、絵画と共通しています。

ただし今日では自由な創造の余地は少なく、調香師はAIのように分子を調合する職のように扱われています。確かに数千もの香料からAIが選定することは可能です。ただし分子の調合は調香の仕事のほんの一部に過ぎないのです。

何度も微細な作業を繰り返す、非常に骨の折れる仕事

-香りの「製品化」についてもう少し伺います。先ほど話にあった、オフィス用のフレグランスは顧客からの要望を聞いた後、完成までにどのような作業がありますか?
現在進行中のプロジェクトでは、評価前にサンプルを1~2週間ほど寝かせてならします。それから面白いと思った香りを選び、短い説明文を添えて顧客に送ります。現在、最初のフィードバックを受け、2巡目に入ったところです。20ほどサンプルを作成し、中心となるテーマに基づいて2~3の面白い方向性を見出しているところで、それぞれのノート(香調)を改良しています。最終的なフレグランスが決まったら、ディフューザーでシュミレーションを行います。

-完成までに何種類ほどのサンプルを作るのですか?
目的にそった香りができるまでの試作品数に決まりはありません。テーマを素早くつかめることもあれば、もう少し粘ることもあります。決定権を持つ人数にもよりますし、選ぶ側がどれだけ明確に香りに対するイメージをもっているかにもよります。

この仕事は繊細で豊かな感性を必要とし、とても人間的。だからこそ学べることがたくさんあります。私たちはそういうところに惹かれています。そうでなければ想像を絶する作業量、試作品の数、何度もチャレンジする精神力が求められるという点で、なかなか報われることがない職業でもあるからです。



Laurence Fanuel 
ベルギーのリエージュ大学(FNRS)で生化学の博士号を取得。
ベルギーのプロクター・アンド・ギャンブル社で10年間、機能性フレグランスの研究開発およびトレーニングに従事。高砂香料(パリ)、Robertet(グラース)、Kelkar/Keva(オランダ、インド)にてファインフレグランス・機能性フレグランスのシニアパフューマーを務める。
UCA、ISIPCA、IFF、ESPなどの国際的な調香学校で講師を務める。
2006年よりフリーランスの調香師、造形アーティスト。アート活動、ショーや空間のための香りの演出を手がける。

以上ウェブサイトより抜粋:https://atelierrosarose.com



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