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【現地レポート③】 香りの都 グラース: Aromatic FABLAB

「香りを巡る旅」は香りの文化にまつわる人や場所を訪れる、旅とテキストによるプロジェクトです。

2023年5月にスタートし、同年9月にフランスへの取材旅行を実施。香りの街と知られる南仏のグラースでは、調香師のほか、香水の原料になる花を栽培する農家やその関係者の方々との出会いがありました。

18世紀以来、良質な花の産地として知られてきた同地ですが、2000年代初頭には農家数がわずか数軒にまで減少し、存続が危ぶまれました。

現在は再び農地や生産者を増やしながら再興の途上にあり、その過程や取り組みをシリーズでお伝えします。

今回の記事では、香料植物の生産者を支援する組織Aromatic FABLABの訪問レポートです。

グラースの自然に囲まれて

丘の中腹にあるグラースの旧市街から、バスでぐるぐると山道を下り、麓にある村の一つMouans-Sartoux(ムーラン・サルトー)に Aromatic FABLAB (アロマティック・ファブラボ、以下ラボ)がある。

朝8時半、ラボの前で待っていると早くも干し草のハーブのような香りが漂ってくる。間もなく以前からメールでやりとりしていたラボの事務方を担当するレティシアが現れた。

門をくぐると、低い山並みに囲まれた、開けた大地が広がっている。山から顔を出した朝日が辺りを黄金に照らしている。遠くではレティシアの同僚達がジャスミンの花を摘んでいる。ラボは前回紹介した、香料植物の栽培者でつくる協会 Les Fleurs d'Exception du Pays de Grasse (グラース地域の特別な花々)の内部組織で、2ヘクタールの敷地での農業試験や新規就農者への技術支援を行い、自身も生産者として栽培を行なっている。

ラボの全景 photo by Engram Media


敷地内の様子


ラボに着いた時、山の端から顔を出し始めていた太陽は、少しずつ登りながら、辺りの色を刻々と変えていく。野原のような大地に、苗を育てる温室や試験用の畑があり、各畑を回りながらレティシアが色々な説明をしてくれる。しゃがんで植物に触れながら話す彼女の横顔が黄金に照らされている。

訪れた9月初旬はジャスミンの収穫にいそがしい時期だ。
グラースで栽培されているのはグランディフローラムという種で、大振りの花を咲かせる。
見学場所に近いジャスミン畑はその日の収穫を終えていたが、遠くではまだ朝摘みが続いている。
籐のカゴに入った積み終えたジャスミンを見せてもらった。リネンのカバーをとって現れた花々はしっとりとしていて、一つ手にとって鼻へ近づけてみると、爽やかな朝のような瑞々しい香りがする。


ジャスミンのつぼみ。赤くなったつぼみはまもなく開花する証


夜中に花開くジャスミンは朝の早い時間がもっとも香り高いため、夜明けとともに収穫が開始される。花は摘んでも摘んでも次々に開花し、7月~10月までの4ヶ月間毎日収穫が続く。

自然相手で肉体作業でもある農作業は決して楽ではないが、「ここで働いている私たちはみんな幸せです。太陽を浴びてセロトニン(幸せホルモン)を浴びてるかしら」と落ち着いた口調のレティシアはにこやかに言う。


市場の変化と自然のリズム

世界的な拡大傾向にある香水と天然香料の市場

現在、世界的に香水の市場が拡大し、その中でも精油など、天然原料の配合をうたった香水が増えている。

世界の香水市場は2017年から22年まで年6パーセントで成長し、さらに2023年の594億ドルから2033年には1013億ドルに達すと見込まれている。(1)
あわせて香料市場も拡大しており(2)、香水を含めたナチュラル、オーガニックコスメの増加により(3)、天然原料の取引が増加している(4)

日本に目をやると、ここ数年デパートの化粧品売り場や商業施設で香水売り場が拡大したり、香水を販売する路面店や専門店が増えたりしていると感じている人は多いのでなないか。

グラース産の植物は多くが有機栽培されている。その価格は他の産地と比べると20~25倍の高値だが(5)、希少性とブランド力によりラグジュアリーブランドからも支持されてきた歴史がある。それが近年の健康や環境意識の高まりをうけ、さらに需要が高まっている。

そんな訳でグラース全体で約100ヘクタール栽培されている花々(6)は「すでに需要が供給を上回っている」とレティシアは言う。

チュベローズの畑にて


コピー&ペーストが通じない自然相手の仕事

しかし需要が増えたからと言って、工場のようにすぐに増産体制に切り替えられるわけでなない。レティシアがセントフォリアローズの畑で、接木で苗を増やす様子を見せてくれた。

接木とは、根の部分となる「台木」の枝や幹の部分と、花や実を付ける「穂木」の枝や芽の部分を接着させてひとつに繋ぎ合わせる栽培技術で、センティフォリアやジャスミンの接木はグラースが培ってきた技術の一つだ。

インディカメジャー種の茎に切り込みをいれて台木にし、そこにセントフォリアを差し込み、紐でしばって固定する。「接木することで寒さに強く、花付きのいい苗が見込める」とレティシアは説明する。この方法で苗を育て、花の収穫まで三年かかる。

ラボで育てている台木

そこから香料を得るには途方もない量の花が必要となる。例えばローズの場合、1キロのアブソリュート(溶剤抽出による香料)には約800キロ、1キロのエッセンシャルオイルには約4トンの花びらを要する。また繊細な花びらは人の手で摘まれるため、一人あたりの収穫量は1日1キロほどだ。

市場の変化と自然のリズムは違う。
コピーアンドペーストが通用しない、自然のペースを今更ながら実感させられる。

ラボ内で栽培されている色々な苗


ラボでは苗の育成のほか、忙しい農家に変わって様々な農業試験や調査を行なっている。有機栽培のための、コンパニオンプランツ(虫除けや生長により栽培植物のそばに植える植物)の実験、研究のほか、気候変動による影響にも当然注視している。

特に水不足は深刻で、私が訪れた2023年9月は5月下旬以来降雨がなく、地下水も枯渇し、別日に会った生産者たちも気を揉んでいた。ただし、「これまでのところ水不足による開花や抽出される香料への影響はでていない」という。

新しい時代の農業へ

大切なのは農家が自立し、継続していくこと

各メーカーが良質なグラース産植物を求める中、最近では2022年に大手化粧品会社のランコムが4ヘクタールの自社農園をオープンさせた。自社製品に使用する植物を栽培するほか、農園内の生物多様性や環境保全をうたっている。

協会やラボでも行政と協力し香料植物の農地の確保や生産増をはかっているが、目指しているのはあくまで農民の経済的自立だ。
「企業はトレンドや方針が変わってこの土地が必要なくなればよそへ移ってしまう。でも土地が農民のものであればブームは去っても彼らの元に残り、この地で農業を続けていける」
そう話すレティシアの言葉からは強い意志を感じる。

現在40軒の農家が協会に参加し、うち二軒に一軒が新規就農者だ。ラボは彼らの農地取得のサポートやその後の技術支援を行う。ただし「ベテランから一方向的に教えるのでなく、我々も彼らから学ぶ姿勢を持ちたい。異業種から参入した彼らの視点も取り入れながら、一緒に発展させていきたい」という。

この言葉を聞いた時、以前の農業がどんなものだったのかは知らないが、閉鎖的だったのかしら、と思った。古い体制を打破して、風通しのよいオープンな農業をやっていきたい、そんなニュアンスが含まれているように思えた。

次世代へつないでいくため、地元園芸高校と協同で就業プログラムを作成や小中学生の見学を受け入れなど、教育普及にも力をいれている。
見学にきた子どもたちの反応をたずねると、ここでは多くの子どもの親や親戚が香料関連の工場につとめているが、グラース近郊で農業が行われているのを知らない子も多いのだという。

グラース地域は500 キロ平方弱に約10万人、4万3千世帯が暮らすが、花栽培以外も含めた農家の全体数は129軒。全世帯の1パーセントにもみたず、花の産地というイメージと実際の生産量にはまだまだ隔たりがある。

ジャスミン、ローズと共にグラースを代表するチュベローズの畑

若い世代に見られる意識の変化

2007年に公開された映画「パフューム ある人殺しの物語」を見た時、香水の都グラースへの憧れを高まらせたものだが、同じ頃、花の栽培が苦境に立たされているとは思ってもみなかった。

その後、色々な組織や人々の動きが同時期に作用して、2018年の世界遺産登録へとつながりった。そこへ行政の支援、世界的な香水のブーム、環境意識の高まり、自然派プロダクトの増加など、次々と追い風が吹き、グラースの花栽培の歴史は新しい章を描きつつある。

私が生産者の人と出会ったのは、そういうタイミングの良い時期だった。

ラボに滞在したのは1時間半ほどだったが、空気のきれいな大地に身を置くことは、とても気持ちのいい体験だった。

レティシアの言葉は、自然を相手に仕事をする人々の喜びと誇りを代弁しており、普段都会でデスクワークをする私のそれとは種類の違うものだった。


彼らの生き方に敬意を抱きつつ、外を流れる市場の素早い流れを思うとなんとなく恐ろしくなった。市場の需要を優先するあまり、自然にも無理な生産を課したりしなだろうか。もしくはこのブームがあっさり去ってしまわないだろうか。

私はこの不安を率直にレティシアにぶつけてみた。今の流れがしばらく続くのか、ブームは遠からず終わってしまうのか、彼女の見通しについてたずねた。

「確かにブームは加熱気味ですが、ブームが去ったからといって、私たちはもとの消費に戻れるわけがありません。今は企業も消費者も、将来について考え、選択する時期にさしかかっています。
例えば、最近パリにある農業のグランゼコール(大学に相当する、高等専門教育機関)の見学を受け入れました。担当教授は以前、パリにある有名企業へ学生を引率していましたが、ここ何年かで学生たちが大企業が持つ矛盾に対して、ストレートに質問をぶつけるようになったそうです。そこで教授は新たな見学先としてここへやってきました。訪れた学生のリアクションはよく、私たちの取り組みに興味を持っていました。彼らは、社会や環境に対してプラスになる仕事につきたいと思っているようでした。人々の意識が、特に若い人たちの間で変わりつつあるのを感じます」


そうだ我々は変わることができるんだ、彼女のこの言葉にはっとさせられた。私自身、自然が好きで植物のパワーを感じているから、この地までやってきたのだ。

変化を信じ、一歩一歩確実に歩んでいく。
大地と生きて、これまでの過程を一つずつ歩んできたひとたちの自信と強さを感じた。

5月のバラが咲く頃に、またこの地を訪れたい。


ありがとうレティシア!

次回からは、花の栽培農家のレポートです。
実際に農地を訪れ、生産者の方にお話を伺いました。
2023年12月中旬をめどにアップ予定です。どうぞお楽しみに。
(写真は次回以降の予告です)

2024年4月23日追記:
続編のアップが遅れていますが、お待ちいただけますと幸いです;^^


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