写真アルバムを見返して、思ったこと

両親とは7年会っていない。

けど仲が悪いわけではない。

たまに連絡を取る。


親は親で仕事や趣味に忙しいし、

二人の暮らしが確立している。

私は一人っ子だけど、両親と離れて暮らしていて、

それなりに自分で暮らしを立てて、

自分の食べるものは自分で稼ぎ、

自立して生活している。


そんな親子関係だけど、父親の方が、母親より16歳も年上で、今年で72歳だ。

まだまだ元気とはいえ、いつ死んでもおかしくはない。

病気になることだってこれまでにもあるし、これからもある。

病気じゃなくても事故や事件に巻き込まれる可能性だってある。

だから、両親は二人揃って終活をしている。


まず、母親の方がまだ長く人生があるから(と言っても可能性の話だけど。人生何が起こるかわからない)、

父親にはしっかり稼いでもらい、母の老後のための貯金をする。

もちろん母親も稼げるうちに稼ぎ、お金を貯めている。

一人っ子の娘の私におそらく心配させないために。

貯めつつも、きっとたまには美味しいもの食べたり、

温泉に行ったりして、二人で楽しい生活はしていると思う。

一緒に住んでいた頃から、そういう二人だった。


つい、毎日を忙しく生活していると、

心に淀みたいなものが出てきて、

思い出も薄れたり、ねじ曲がったりする。


明日仕事で使うために、幼少期の写真を準備する必要があった。

しばらく開けていなかったけど、母親から送られてきたダンボールがあったのとを思い出した。

その中にはたくさんの写真アルバムがあって、明日の仕事のために写真を探した。


必要な写真はスキャンしてデータ化し、明日仕事で使えるようにするための作業のつもりだった。

だけど、生まれたての頃から、大学に入るまでの23年余の写真たちを見返して見て、いろんな思い出がまざまざと蘇ってきた。

(24才以降は一人暮らしを始めたので、それほど写真が残っていない)


写真を見ることによって、

もちろん甘酸っぱい思い出とか、苦い思い出とか、暗い思い出も思い出したりすることはするけど、

今になってみると、みんないい思い出。


経験しなきゃよかった、って思うことはほとんどなくて。

楽しそうな私、楽しそうな友達、楽しそうな両親たちが写っていた。


特に生まれたての私を抱く母の顔。父の顔。

小さく眠っているふにゃふにゃした私のほっぺに、

チクチクしたヒゲがある顔を近づけて、

嬉しそうに目を閉じている父親の顔。

あんよで歩いている私を、後ろからしっかり支え、

温かく見守っている母親の顔。


改めてみると、

「私生まれてきて、よかったんだな。」

って思った。

生まれてきて、とりあえず二人の男女は、とても幸せそうに喜んでるみたい。

子どもっていう存在は、親と血が繋がっていながらも、

自動的に愛されるものじゃないらしい、

というのはだいぶ時間が経ってから認識した。


可愛がられること自体、こういう言い方をしてはなんだけど、

運がいいことだと思う。

私は運がいいことに、溺愛に近いくらい可愛がられて育った。


いわゆる正しい家庭、ではない部分もあったかもしれないし、

それは私の心にかなり根深い影響は残しているものの、

大まかに行って、かなり愛されて育ったし、

目に入れても痛くないくらい可愛がられて育てられたと思う。

そういうようなことが写真を見て、わかった。

自分からは見えない角度の親の嬉しそうな表情。


写真のアルバムを整理すると、こんなことが改めて見つけられたから、やってよかった。

もちろん嫌な思い出も出てくるとは思うけど、

そういう写真は焼いて捨てちゃえばいい。

もう見ないようにしたほうがいいから。


いい思い出はスキャンして、スマホでいつでも見れるようにしておこう。


ちなみに、元彼が撮影して、誕生日プレゼントにくれた私のアルバムがある。

今見ると、この元彼からも、愛されてたんだなぁ、とわかる。

私が元彼のことを、当時愛していたかどうかは、はっきりしない。

だけど、元彼の目から見たら、

可愛い彼女だったんだろうなぁと写真を見てるとわかる。

思いがけず、自分もまだまだ女としてやっていけそう、って思い直せた。








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