記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

自分の道は自分で切り開くー映画『あのこは貴族』

映画「あのこは貴族」を鑑賞した。

東京松濤で暮らすお嬢様華子と、上京し苦労しながら生きる美紀。
「あのこは貴族」は、この二人の人生を軸に展開する静かな物語だ。


1. 華子 ー 求めていたのは壁の内側で生きることではなかった

箱入り娘の華子は東京で生まれ育ちながら、ある意味東京を知らない。
なぜなら彼女の生きている世界はとても狭く、まさに箱の中だから。
華子は親や家族の言いつけを守り、良き伴侶を見つけ結婚することこそが人生の幸せだと信じている。周りの友人も同じような価値観の人ばかり。

ある日、華子は婚約者(のちの夫)幸一郎が自分以外の女と付き合っていることを知る。結婚を目前に心ざわつきながらも、彼女はその女、美紀に会うことを決意する。

「美紀という女がどんな人物なのか知りたい」という思い、そして「彼女が幸一郎との関係を清算する意思があるか」を確認するために自ら女に会いに行く華子の行為は、好奇心と行動力そして度胸が座っていなければできはしない。
彼女は親や家に守られているだけの従順なお嬢様のように見え、自分の意思で行動を起こせる女でもあることがここで表現されている。


何はともあれ、家族や友人から祝福され、晴れて妻となった華子。
彼女は上流階級という壁の内側で生きている。

しかし、その壁の内側で彼女は別の壁にぶち当たることになる。
自身の実家より階層が上の名家に嫁いだ彼女は、今まで感じたことのない疎外感を覚え、自分選んだ道に疑問を覚える。

「果たして、わたしは自分の人生を生きているのだろうか?」

やがて、その想いは華子の中で肥大していく。


頼りのはずの夫、幸一郎は、弁護士を辞め代々の地盤を継ぐために政治家に転身し多忙を極める。夫と心通わせる時間を持つこともできず、一方では夫の実家から後継を急かされる。華子は自分が幸一郎一家の駒であるかのような気がしてきて、息苦しさを感じていた。



そしてついに、華子は今まで慣れ親しんだ世界から一歩外に踏み出すことを決意する。

保守的な価値観を持つ人間からすれば、結婚によって確固たる地位を築いた華子はいわば人生の勝ち組だ。女としての幸せとステータス共に手に入れたなら「それを捨てるなど以ての外」というのがその世界の常識だろう。

しかし、華子は保守的なだけの女ではなかった。

彼女は、壁の内側から出る決意をした。
慣れ親しんだその場所から一歩踏み出して。


求めていたのは壁の内側で生きることではなかったということに気付いた華子。
彼女が自身の心の揺れや変化に蓋をせず、自分の気持ちに誠実に生きる姿が美しい。また、他者に流されることなく自分の意思を貫き、人生を真剣に生きる彼女の「人間としての強さ」のようなものに心惹かれた。


2. 美紀 ー 居場所も人生も、自分で獲得していくしかない

富山で生まれ育った美紀の人生は華子とは対照的だ。
努力の末に慶応義塾大学合格を勝ち取ったにもかかわらず、家庭の事情で学費が払えず中退を余儀なくされる。
頼れる人もいない彼女は、夜の仕事で食いつなぎ、なんとか自力で生き延びてきた。


さて、美紀は帰省した折、同窓会に参加する。
そこで見たのは、親の仕事を継いだり、あるいは地元で親と同じような人生を歩んでいる同級生たちの姿。

彼らを遠目に眺めながら美紀は思う。
「地元で生涯を終えるであろう彼らと、華子のような東京の上流階級に生きる人たちは生き方が似ている」と。

慣れ親しんだ場所で、慣れ親しんだ人に囲まれて暮らすという保守的な生き方には確かに共通点がある。「親の人生をトレースする」と言う意味で、彼らが同類であるという視点はとても興味深い。


いずれにしても、美紀はそこから抜け出したかったのだと思う。
だからこそ、大学を中退しても地元に戻らず自力で生きてきた。



そんな東京での生活の中で、美紀は自分とは別の階層で生きている人たちがいることを知る。それが前述の上流階級の人々だ。

劇中、美紀たち地方出身者と、東京の上流階級の友人たちとでアフタヌーンティーを楽しむ場面がある。美紀たちはアフタヌーンティーの値段の高さに驚き、東京の上流階級の友人たちの会話に違和感を覚える。
そして、彼女らは別の世界の人間だと思い知るのだ。

関係を続けてきた幸一郎もまたその世界の住人。
美紀は自分が絶対にその世界には受け入れられないことを知っている。
美紀自身がその世界の住人になりたいと思っているわけではないけれど、彼らとの間には壁あることを身を以て感じている。
その見えない壁は、美紀の中で確固たる疎外感として刻まれる。


東京で必死に生きる美紀は、夜の仕事から自分が望む仕事へと少しづつ軸をシフトしつつあるが、「東京」という場所で輝やいて生きているかといえばそうではない。
自由で、保守的な価値観とは無縁のように思える大都会東京。
しかしその実そうではないし、生きやすい場所とは言い難い。

それでも、彼女は自分の足で立ち、道を切り開くべく前を向いて生きていく。
東京での自分の居場所を確固たるものとするために。


親の生き方や価値観から自分を解放し、自分の思い描く人生を模索する美紀の姿には共感するところが多い。
10年後、「あの頃は大変だったけど、楽しかったよね」と、お酒を片手に仲間と語っている美紀の姿が見えるような気がする。


3. 二人の女 ー それぞれの人生について

さて、この物語の良いところは、「女のバトル」的な展開とは無縁なところだ。
幸一郎を巡って女同士の戦いが起きてもおかしくないシチュエーションだが、焦点が当てられているのは男女関係ではなく、二人の女の生き方。
階層間の対立という話でないところも更に良い。


ともあれ、二人の生き方には希望を感じる。

華子は、今まで培ってきた価値観から抜け出し、見えていなかった世界を知ろうとしている。
美紀は、苦労を重ねた「東京」を自分が生きる場所とすべく、新しいチャレンジをしようとしている。

二人の求めていることは別のことのように見えるが、前を向き、自分で自分の道を切り開こうとしているという意味では同じだ。

また、それぞれの人生が東京という場所で共存していることに温かみのようなものを感じる。
別の階層の二人の出会いは、異世界との出会いではなく、同じ思いを抱えた同じ場所で生きる同世代の女同士の出会いなのだ。


最後に、華子や美紀とは対照的な生き方を貫く幸一郎について触れておきたい。

幸一郎は政治家になることを既定路線として人生を送ってきた。
生まれた時から決まっていた道をただひたすら進む彼は、東京の上流階級に生きる人間としての自分の役目を深く理解している。それが彼の望むことなのか否かは、その役目を演じるという重責の前では意味をなさない。
そして幸一郎自身も慣れ親しんだ階層を離れて生きていくことは出来ないと感じている。

この物語の中で「壁の内側の世界で生きる」とはどういうことなのかを体現しているのが幸一郎。自分を解放していく女たちとは対照的に、自分を解き放つことができない男の生きづらさみたいなものを感じる。


物語終盤、幸一郎が前向きに自分の進むべき道を歩んでいるように描かれているのが、せめてもの救いだ。


***


映画「あのこは貴族」は、華子と美紀、二人がそれぞれの階層ならではの悩みと葛藤をかかえながらも、自分の足で前に進む様子が丁寧に描いている作品。

とてもすがすがしい観了感だった。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,333件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?