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おちゃ部

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2020年4月の記事一覧

手のひらを太陽に

手のひらを太陽に

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慈愛(じあい)
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慈しみ、思う事
「愛」とは、「想う」の意味を持つ

「愛する人」に会えない苦しさ・・・
という言葉をよく聞くが
これは、間違いだ

「愛」とは兼愛であり
自他・親疎の区別なく
人々を全く同じように愛することだ

つまり、特定の誰かに会えなくて苦しいというのは
これは「偏愛」であり
それを「恋」という

愛とは対象を特定しない
まるで太陽

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あゝ人生に涙あり

あゝ人生に涙あり

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一日作さざれば一日食らわず
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「働かざる者 食うべからず」と似ているけど
ちょっと違うニュアンスのこの言葉

「成すべきことを成せ」

「自分がやるべきことはやる」

という意味
労働の対価としての食事の扱いではない

人にはそれぞれ、職分がある
社会的にも、自分の人生においても

今、目の前にある環境における
自分の職分というものが
必ずあるのです

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ケ・セラ・セラ

ケ・セラ・セラ

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中道(ちゅうどう)
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「中道」とは
「偏らない道」「正しい道」という意味

両極端を離れて静かに坐り
自分の心を水鏡のように穏やかなものへと整える
それが、「禅」であり

整ったら、今度はそれを
日常の中でも整え続けることが大事

私たちの日常生活においては
「やりたい事」と「やりたくない事」の両極端がある

「やりたい事」は、自ら行うし
「やりたくない

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WOW WAR TONIGHT

WOW WAR TONIGHT

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冷暖自知(れいだんじち)
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そこにある水が
冷たいか温かいかは

飲めばおのずと分かる

くどくどと情報を聞くよりも
触ってみるのが早い

この世界は
自分で一歩踏み出した分しか
変わらないみたいだ

この情報社会の中で
色んなノウハウや、情報を知っても
結局のところ、自分で行動しなければ

何も変わらないのだ

変わらないどころか
苦しみが生まれる

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モーリー・モーリー

モーリー・モーリー

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百不知百不会(ひゃくふちひゃくふえ)
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宋の時代に生きた無文(むもん)という禅僧が
悟った後に「百不知百不会」という言葉を残した

私は何も知らない
何も理解していない

・・・と、言う意味のことば

悟って分かったのが
「ワタシハ ナニモ シラナイノダ」ということ

「悟り」とは
「差を取る」という事

何か「わからない事」があって
それについて考える

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ごらん、世界は美しい

ごらん、世界は美しい

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泥多ければ仏大なり
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仏像を造るための土が多ければ
それに比例して完成した仏像も
大きなものになる

煩悩の多さゆえに苦悩したものほど
煩悩が消えたときには
大きな悟りを開くことができる

仏教の象徴的な花「蓮」
ハスの花は泥の中からスッと伸びてきて
美しい花を咲かせる

悟りを得るというのは
聖人君子になる事ではない

魂が成長するとは
清く正しくある事

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サクラ散るよ サクラ散るよ サクラ

サクラ散るよ サクラ散るよ サクラ

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散る桜 残る桜も 散る桜
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桜は咲いた瞬間から
やがて散りゆく運命を背負う

まだ散らずに残っている桜も
いずれ、必ず散っていく

それと同じく
人も生まれた瞬間から
死ぬことは決まっている

ならば、「死」は定められた運命で
悲しむことでも、残念がる必要もない

悲しいのは、思うように生きられなかったから・・・
残念なのは、やり残したことがあると感じる

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今ここにある世界を信じてみろ

今ここにある世界を信じてみろ

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茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す
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相対的な物の見方(多色)から離れて
絶対の見地(一色)に立つ

お茶をが出てきたら、お茶をいただく
ご飯が出てきたら、ご飯を頂く

ジュースが良かった
パンが良かった

そういう事は考えない
あれが良かった、これが良かったなど
相対的な思考を持つと、目の前にあるモノのあ

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回る回るよ、時代は回る

回る回るよ、時代は回る

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威儀即仏法 作法是宗旨
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きちんとした儀式作法を行い
教えに則った生活をおくることが
道元禅師の開いた曹洞宗の教え

しかしながらこれは
何も禅の修行のみに言われることではない

書道、柔道、剣道、茶道・・・
全ての「道」には「型」がある

自分だけのオリジナルの世界観を作ろうとして
0から全部を自分でやろうとするよりも

まずは、完成された世界観を学び

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闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう

闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう

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担板漢(たんばんかん)
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物事を一面からしか見ていないにもかかわらず
その一面だけでもって
すべてを見たかのように知ったかぶり

真実であるところの全体像に眼を向けない愚かさを指す言葉

「一面にとらわれるな」という意味

一側面にとらわれる
一つの価値観の中で生きていくのは
とても楽な事だ

あまり考えなくて済む
「こういうものだ」と割り切れば
自分を

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およげ!たいやきくん

およげ!たいやきくん

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鶏寒くして樹に上り 鴨寒くして水に下る
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寒い冬に樹の上でじっとしている鳥がいれば
池に入ってすいすい泳ぐ鳥もいる

寒さ一つに対しても
いろいろな対応の仕方がある

それとおなじ
人間も同じ
人と同じ道を選ぶ必要はないし
同じ結果を出す必要もない

たまたま出た結果が同じならそれでいいが
同じ結果を出せないからと言って
落胆することはない

大事なこと

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前略、道の上より

前略、道の上より

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木鶏子夜に鳴く
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昔、中国に闘鶏を育てる名人がいた
名人の噂を聞きつけた闘鶏好きの皇帝が
名人に命令した

「私のために強い闘鶏を育ててほしい」

名人は早速闘鶏の訓練を開始した
皇帝は闘鶏が育つのを心待ちにしていたが
気が短い性格なのか

数日経ったころ我慢できずに名人に問いかけた
「もう闘わせてもよいのではないか?」

しかし名人は首を横にふる。

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振り向けば奴がいる

振り向けば奴がいる

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明歴々露堂々
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目の前に広がる景色の1つ1つが
それぞれの真理を余すところなくあらわしている
それをはっきりと見よ

あらゆるものが
真理を露堂々と世界に表出させているのである

しかしながら
目の前に広がる真理が
あまりにも堂々としているので

人はかえってその真理には目を向けず
見えないところにこそ
真理が潜んでいると考えてしまいがち

しかしな

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ああ、川の流れのように

ああ、川の流れのように

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行雲流水
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行ずるなどと言わんでも
空の雲は自然に動いておるし
川の水は自然に流れておるじゃないか

秋になると木の葉が落ちるし
春になれば花が咲いて
散っていく

木の葉は行ずると思って落ちやせん
行ずると思って花は散りはせん
すべて自然じゃないか

腹が減ったら飯を食い
眠うなったら寝る
それでいいじゃないか

雲も、風も、鳥も、植物も
そして私たち人間も

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