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ケ・セラ・セラ

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中道(ちゅうどう)
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「中道」とは
「偏らない道」「正しい道」という意味

両極端を離れて静かに坐り
自分の心を水鏡のように穏やかなものへと整える
それが、「禅」であり

整ったら、今度はそれを
日常の中でも整え続けることが大事

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私たちの日常生活においては
「やりたい事」と「やりたくない事」の両極端がある

「やりたい事」は、自ら行うし
「やりたくない事」は、意識的に避けている

しかし、このどちらでもない
「どうでもいい事」も存在する

「どうでもいい」ゆえに、意識に上がりもしないもの
これこそが、自分の人生にかけているモノかもしれない

「やりたい事」「やりたくない事」の二つは
自分の意識が向くものであり
良くも悪くも、自分にとっては
興味があるもの

言い換えれば、執着のあるモノである

「やりたい事」「やりたくない事」は
放っておいても自分の意識の中に
自分の視野の中に飛び込んでくるもの

「悟り」とは
自分の知らなかったことに気が付くこと

「愛される」とは
自分が気が付いていなかった「愛」に気が付くこと

「幸せ」とは
自分が感じていなかった温かい感覚に触れる事

これらは全て
これまでじぶんが求めてもいない
興味も示さなかったものの中にある

ならば、「悟り」も「愛」も「幸せ」も
自分の視野が、感覚が広がった時に
勝手に得られるものなのだと思う

ゆえに、どうでもいいものに目を向ける
どうでもいいことに気をむける
どうでもいいと思っていた時間を大切にしてみるといい

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これがあったら幸せになれる?
誰といたら幸せになれる?
何をしていたら幸せになれる?

そんな事は分からない
先の事なんて、もっとわからない

自分のこだわりを手放してみて
自分の好みで、損得で選ぶのではなくて

目の前にあるモノ
そんなに大切でもないと思っていた「何か」を大切にして
日々を送り続けていたら

気が付いたら勝手に幸せになっているのかもしれない

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