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誰もが映画の主人公になりうるなんてありきたりな言葉を言いたくなった。

 家族と囲む食卓。ご飯を食べる所の食卓。

 食卓を挟みながら会話されるこの映画は、決して物語ではない。誰もがこの映画に出てくる人たちになる可能性を持っており、これは切っても切っても切り離せないそんな映画になった。

 まずは、私がこの映画を観ようとしたきっかけでも話してみようか。時は遡ること…なんて遡るほどのことでもないが、5・13に鑑賞させていただいた、くれなずめにでていた、藤原季節君との出会いだ。

 この映画を観て藤原季節君の演技にドはまりしたわたくしみんみんぜみは、もっと季節君が秘めている演技を観たい、様々な季節君をスクリーンを通して観てみたい、これが発端だ。そしたらなんということだろう。

「明日の食卓」

これが近々公開、そしてなんと舞台挨拶もある。そんなことで観に行くことに決めた。もう一つは、尾野真千子さんが出演しているから。尾野真千子さんも「茜色に焼かれる」なども公開中で、演技派女優である。

 こちらの映画もなんとも言えない、noteに感想書かせてもらいます。この映画を観ていたこともあり、尾野真千子さんの演技に触れたいというのもあり、「明日の食卓」舞台挨拶付きを鑑賞。

さあここから本題の明日の食卓について書いていこう。

 正直に言う、これは簡単な気持ちで観てはいけないそう思う。どの映画もそうだが、とくにこれはそれなりの覚悟を持って映画館に足を運んでほしい。もし私が、藤原季節君好きだから∼だけの気持ちで観ていたらエンドロールが終わってもそこから動き出すことができなかっただろう。でも、好きな俳優さんが出ているから等のきっかけで観ることを否定しているわけではない。ただ、予告はみてほしい。これは皆さんのためでもある。予告を貼るので、少しでも鑑賞予定の人はぜひ一度拝見あれ。


 親になることが怖くなった。
 不覚にも私はそう感じてしまった。私は女性だ。将来は子どもも欲しいと考えている。しかしどうなるかわからない恐怖がこの映画には表現されていてとてもとても怖くなった。自分では気づかないうちに子供を傷つけ、周りの人の目が見れなくなってしまう。周りの声も聞こえなくなっていく。頑張ろう頑張ろうと追い込むあまり、気づいたら手遅れになってしまうということもある。そしてそんな親に気づいてくれるのが子どもだということも、気づけない時がある。

母のことを心配しているのに、それに気づくことができない。

子どものためと思っているのにそれが子どもにうまく伝わらない。

知らないうちに眼鏡越しの子どもしか見えておらず、理想と現実の区別がつけられなくなっていく。

 3つの家族から私はこのような印象を受け取った。そしてこの状況にはどの家庭でも当てはまる。決して他人ごとではないということも事実だ。

 昨今の主婦は子育てだけでなく、様々な社会問題も背負っている。働きたくても子育てのためにキャリアをあきらめなくてはいけない、ほぼワンオペ状態、親の介護問題、学校でのいじめ問題や障害を持つ児童との関わり方、ママ友との関り方、困窮するシングルマザー、職業に対する偏見など、出したらきりがないほどの社会問題が出されていた。主婦が抱える問題は、決して子育てだけではないということがわかるだろう。こんなご時世だからこそ感じ取ることができるものある。

 ここで私は素敵な教師をみつけた。高畑充希演じるお母さんの息子の先生だ。子供の気持ちとお母さんの大変な状況を鑑みながら寄り添っている素敵な先生だった。ほんのわずかなシーンだったが、とても印象に残っている。教師を目指している身としてこの先生の対応は非常に心に刺さった。他にも学校のシーンがあり様々な先生が出ていたが、これも教師の多様性を表現されていたのだろうと考える。

 温かいアットホームな家庭が描かれている前編とは裏腹に、急に場面がどんどん展開されていくこの映画は果たしてハッピーエンドなのだろうか、いろいろな推測をすることができる。将来のみんなの姿を想像したいと思う自分の気持ち
とこれから待ちわびている様々な不安にどう立ち向かうかの葛藤が私を襲った。他人事じゃないからこそこの感情が生まれたのかな。


誰もがこの映画の主人公になり得るだろう。


こんな簡単な言葉で表しきれないほどの内容が詰まった作品だが、あえてこの言葉を言わせてほしい。


皆さんの「ゆうくん」はどの家庭ですか。

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