「だが、情熱はある」 呪いの言葉と“禁止令” 若林編:死ぬぞ
若林の父は、幼少期の彼に言い続ける「死ぬぞ」
山里の母は、ことあるごとに彼に言う「すごいねー」
私たちが行動を起こそうとした時、どこからともなく聞こえる親の声。
無視したいのに、大事な選択を迫られるときこそ、引っ張られる。
「交流分析」では、そんな親からの言外の呪いを「禁止令」、理想化された願いを「ドライバー」といいます。
ここでは、「だが、情熱はある」を題材に、親からの呪いの言葉について考えます。
1.若林の呪縛「死ぬぞ」
「だが、情熱はある」第1話では、二人の生い立ちが語られます。
それによると、親の「呪いの言葉」が、彼らの行動原理に影響を与えているらしいのです。
なかでも、幼き日の若林正恭に向けられる、
父の言葉「死ぬぞ」は強烈です。
この「死ぬぞ」は、つまり「感情を出すな」を意味します。
生まれつき心臓に穴が空いている若林少年を前に、インチキドクターは言います。
「感情を出させないように」
これを間に受けたのは、父徳義。
結果、自意識過剰で人見知りの若林正恭が出来上がる。
もちろん、正恭の健康を心配した言葉だったかもしれない。
でも、そもそも若林家には、感情を出しにくい緊張感があるのです。
“徳義がすぐに会社を辞め、定職に就けない”ことが、経済的にだけでなく、精神的にも家族の余裕を削いでいる。
特に、同性の正恭は、より強く父の影響を受けている模様。
2話以降も、父の呪いはたびたび正恭を脅かします。
あらがおうとすればするほど、父に近づいていく正恭が、こっけいであり痛々しい。
2.交流分析の「禁止令」
親の無意識からのメッセージ「禁止令」
交流分析や脚本分析についての説明は、別に譲るとして。
その考えの中に、「禁止令」と呼ばれるものがあります。
「禁止令」とは、親から無意識のうちに発せられている、理不尽で否定的なメッセージのことを言います。
子どもは親からのネガティブなメッセージをなんとなく肌で感じ取り、知らず知らずのうちに、自分なりに解釈して取り込みます。
取り込まれたメッセージは、呪縛となってその人の行動選択に影響をもたらします。
代表的な「禁止令」
「〇〇するな」 危ないことはするな(挑戦を阻む呪い)
成長するな 溺愛していつまでも子ども扱いする(自立するのを阻む呪い)
成功するな 「あなたは必ず大事なところで失敗するね」(挫折・失敗させる呪い)
感じるな 「泣く子は嫌い」(感情表現を制限する呪い)
他にも、呪いの種類は様々です。
この呪いにかかると、それに導かれるような行動選択をしてしまう。
これは特別なことではなく、誰の心の中にも存在しています。
正恭にとっての「死ぬぞ」は、まさに禁止令。
もっとも徳義の場合、「無意識」にどころではなく、だいぶはっきりと言葉に出して言っちゃってるのですが。
禁止令の呪縛から逃れる方法
この無意識の「呪い」を、自分の人生に取り入れるかどうかを決めるのは、実は自分自身です。
取り入れない、という選択も可能です。
まずは、自分を縛り付けている呪いの言葉に気づくこと。
そして、それは呪いだということを自分自身に教えてあげること。
現状第3話でも、気を失った救急車の中で「おやじぃ、親父ぃ」と父を呼び続けている正恭は、果たしてこの呪いを自ら解くことができるのか否か。
ヒントは、番組HPの「イントロ」にある、言葉にあるかもしれません。
ネガティブをつぶすのはポジティブではない、没頭だ
呪いを解いた若林のお話はこちら
呪いの言葉:山里編はこちら
一方、呪いにかかりそうもない春日のお話はこちら
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