「だが、情熱はある」春日俊彰に学ぶ、人に”寄り添う”50センチの距離
「だが、情熱はある」5話もよかった。春日の「不幸じゃないと、努力ってできないんですかね」は名言でした。でも、この名言を凌ぐ春日の凄さは、若林に対する絶妙な「寄り添う距離」の作り方だと思うのです。
以下、5話の若林と春日のやりとりです。
若林がずっと感じていて、でも認めたくなかった気持ち。抱えて押し込んできたしんどさと「負け」を、初めて吐露できたシーン。
これ、若林にとっては苦しくもあるけれど、解放でもあったと思います。
一方、春日は若林が吐き出したドロドロを、どう受け止めたのか。
自分は「幸せ」
自分は「これからも頑張りたい」
「そんなこと言うなよ!」ではなく、「そうだよね、わかるわかる」でもない。若林の感情を否定しない、軽々しく共感もしない。
ただ、自分から見えている景色は「そんなに悪いもんじゃない」とだけ伝えた春日。
相方の苦しい気持ちは、ずっとわかっていたはず。
けど、あばくことはせず、知ったかぶらず、踏み荒らすこともない。
相手の秘めた領域をおびやかさないように、
50センチほどの距離でそっと寄り添う感じ。
春日の絶妙なこの50センチの距離。
面白い人投票に、こっそり若林の名前を書いたりしない(ツルゲーネフとは書くのに)。「コンビ組もう」に飛びつかない。否定しない、励まさない。
…お見事。
以前、誰かに「セントバーナード」と評されていた春日さん。
自分の出番が来る時まで、ラム酒の小樽を首に付けて、そっとそこにいてくれるような人なのかも(ステキすぎるな)。
何もかもうまくいかなくて、無様で、はずかしい時に、そばにいるのはこんな人がいい。
見てるような見てないような、フリをして。
「不幸じゃないと、努力ってできないんですかね」
同じものを見ていても、同じ状況にあっても、ちょっとだけ立つ位置を変えたら、「どう考えても幸せ」にもなれるのかも。
不幸に逃げて、精一杯なふりをしちゃいけないんじゃないか…。
自分、刺さりまくりました。
それにしても、若林が部屋を出て行った後の、春日のテレビをつけるスピードが彼らしいw
次回、若林は覚醒してくれるだろうか。
春日は…春日なんだろう。
髙橋海人の目の下のクマと、戸塚純貴の伸びた背筋の説得力も含め、青春以上成人未満の青くて甘くて生々しい物語は、今からでも一見の価値ありです。
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