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リューちゃんとの出会い(カメバ―さんの恩人)最終回
カメバ―さんからミズガメバーさんになった経緯は、リューちゃんとの出会いでした。
女性は水にたとえることができます。水は器の形に素直に従っていきます。また、女性は矢のようなものです。矢は弓につがれて飛ぶのです。また、女性は船のようなものです。船は楫(かじ)の取り具合によって、どちらの方向にも進むのです。
このお手紙をカメバ―さんは見つけたのでした。そして水にたとえて捉えることを教わったのでした。
そして、また
比翼(ひよく)という鳥の話があります。二つの口から別々に入った食べ物が、同じ一つの身を養います。
これは仏法で説く「女人成仏」の話としてあげられています。これほど厳しいことを突きつけられては、恐ろしくなってしまうのが人間ではないでしょうか。
竜女は「女人成仏」のお手本を示していると、仏法では説かれています。竜女に成仏の方法を教えたのは、文殊しり菩薩といわれています。お尻を振って、リューちゃんを探すカメバ―さんの後をついていった自バッタさんのようですね。
自バッタさんは、カメバ―さんの家に呼ばれた時、そーーーーっと手紙を置いてきたのでした。その内容は
人間として生まれてくることは難しいことで、爪の上にのる土が少ないように、ごくまれなことなのです。たとえ人間として生まれたとしても、その生命をたもつことは難しく、太陽が昇れば、すぐ消えてしまう草の上のつゆのようにたよりないものなのです。
そして、追記には
ほめられればたとえ自分の身体をいためることもかえりみず、また非難されれば自分の破滅をも忘れて行動するのが凡人の常なのです。
追記の最後には
ですから昔(過去世)は一切の男が(自分の)父であり、女は母なのです。そういうわけで、生々世々に皆、恩のある衆生なのですから、皆が仏になれるようにと願うべきなのです。
カメバ―さんの意識が自然に向かい、生命に向かっていったのは、コロナ禍での様々な出来事でした。自分の力の限界を知ったのでした。その時に知ったのが、Hauserの音楽でした。
そして、今まで読んできた小説とHauserの音楽が合わさり、勇気づけてくれました。だから、Hauserの音楽への恩はつきません。カメバ―さんを勇気づけてくれたHauserの音楽が、多くの人に聴いてもらえるようになったことが、今は、なにより嬉しいです。
「その人がどれだけ深い哲学を持っているのかが、女性が人生の勝利者になるかどうかである」という意味の話をされ、「宿命の波、感情の嵐に左右されがちな女性こそ、その精神的支柱としての一書への内迫が必要なのではないのか」と、先輩の話もありました。
カメバ―さんは、子どもが生まれたことを、音信不通だった父に報告に行きました。カメバ―さんは、家庭も子どももかえりみない父親であっても、自分の父親に変わりはないと心のどこかで思っていたのかもしれませんが…コロナ禍で亡くなったことを聞いても、何の感情も沸いてきませんでした。
3年の月日が流れ…リューちゃんを見つけた時に、ようやく涙が流れてきました。ずーーーーっと泣くのを我慢していたことを、自分で気づいたのでした。
いえ、そうではありません。泣いても何も変わらないことを体験していたのです。それから、涙は瓶(かめ)の中にそっと流していただけなのでした。リューちゃんは、カメバ―さんをミズガメバーさんにしてくれた恩人なのです。「あ…ようやく帰ってきたね、パパ」と大喜びしたのでした。
(最終回)読んでくださり、ありがとうございました。