割烹着はコスプレじゃない 後編
こんにちは!
新しいポン酢を開けるのに栓抜きがなかったので、苦闘の末プルタブと割り箸で開けました。今日も大変気分が良いです。中窪です。
今回も、「割烹着はコスプレじゃない」後編となっていますので、前編と合わせて読んでいただければ。
では、本日もお付き合いください!
②どうして女将の顔を曇らせてしまったのか
前回の記事で書いたように、「割烹着の着用」に関して自分の考えをなんとかまとめたまでは良いものの、ここが、正直自分の頭で考えてもイマイチよくわからなかったんです。
とにかく、わたしの正直すぎる反応が女将のなにかを傷つけてしまったことだけはわかる。
だけど、その「なにか」が、今まで割烹着を着用してきた女将の自尊心なのか、もっと別のところにあるのか…。一件があった無言の空間では、その細かな部分までを推し量ることが出来ませんでした。
ただ今になって考えてみれば、『割烹着を変えようかな』と言ったときの女将の顔が迷っているように見えたことを、わたしは自分の感情を優先させてしまうあまりに無視していたのかもしれない、とも。
ともあれ、わたしの想像力、そして女将とのちゃんとしたコミュニケーションの欠如を突きつけられる一件になったことは間違い有りません。
③攻防戦の最終戦
このまま、この些細にして重要な問題を放置するわけにはいかない。
そんな決意を胸に、数日後、女将に『この前の割烹着の件なんですが…』と恐る恐る切り出し、設けてもらった対話の時間。
そこでわかったのは、
女将:わたしの反応が、割烹着そのものや割烹着を着てきた地域のおばあちゃん、ひいてはその文化そのものを否定しているように聞こえて、ショックを受けた。だから、顔を曇らせてしまった。
わたし:嫌だったのは、割烹着やましてやそれを着てきた方々ではなく、お店の営業のときに「割烹着を着ることで強調される、ある時代の女性像を投影される眼差し」。だから、割烹着を変えたいと聞いて喜んだ。
というお互いの認識の齟齬。
そして、割烹着というものへの思い入れのギャップ。
女将は女将の割烹着への思い入れがある(おそらくこれは次回女将のターンで書いてくれるはずなので割愛!)一方で、わたしは特に割烹着というものへの思い入れは殆どありません。
かといって、「嫌い」とか「否定」の感情も持っているわけでもありません。
自分の祖母達が割烹着を着ていたわけでもなければ、特に縁を持つ機会もなかったし、この世代にはあまり馴染みのあるものでもないから。
ただ、お店の仕事中、コスプレのように認識されるのであれば、叶うなら私は着たくない。
…そんな話を一通りすると、割と不穏だった空気がだんだんと穏やかに。
結局肝心だったのは「相手が大事にしたいこと」に100%共感できないとしても、理解した上で尊重することだったわけです。
(やばい、めっちゃ当たり前のこと書いてる)
そもそもが社長とインターン生という立場の違い、世代の違い、育ってきた背景の違い…と、数えればキリが無い「違い」の中で、無言で穏やかに分かり合える、のはどう考えても無理が過ぎますもんね。。
この一件を機に、少しずつ女将との「ほんとうの」コミュニケーションの取り方が分かるようになっていったので、割烹着様様、といったところでしょうか。
攻防戦の結末
・割烹着とそこにある背景を大事にしたい女将
・営業中になるべく心穏やかにお客さんとお話したい私
この両者の思いを共有し、じゃあどうしよっか?と話した末、
これが…
こう!!!なりました。
みにおかみ、笑顔です。
(なんだか某ブランドの店員さんみたい、という声が聞こえてきそうですが、わたしもそう思います。でもお気に入りです)
「ストレスフルな眼差しを受けない、お洒落な割烹着にする」。
これが、最終的な攻防戦の着地点に。
大変失礼な態度を取ったにも関わらず、真摯に向き合ってくださった女将、そしてこのニュー割烹着を作ってくださった(!)女将のお母様に心から感謝しています。
さらにはこの割烹着戦のおかげで、店舗で生まれるお客さんとのコミュニケーションのあり方を考える時、内装を始めとする「見た目」の影響力の強さを侮ってはならない、と改めて考える機会となり、改装やら定期便やらといった話にも繋がっていくのですが。。。
長くなってしまったので、この辺は女将に託して本日はここまでにさせて頂きたいと思います。
前・後編とお付き合いくださりありがとうございました。
ちなみに、リニューアル割烹着を見た一部のお客様からは『縄文時代のコスプレかい?』と言われました。こちらからは以上です。
【本日のいちまい】
だいぶ前につくった、「おかしなおかしな目玉焼き」。
カルピスをケチって原液ではなくペットボトルにしたら、微妙な味の薄さになりました。
浜通りの魚をいただきます