みねりん

花が好き ガーデニングが好き 旅行が好き 映画が好き お芝居が好き 料理が好…

みねりん

花が好き ガーデニングが好き 旅行が好き 映画が好き お芝居が好き 料理が好き バイク好き 阪神タイガースが好き 争い事が苦手 人を憎めない 恨まない  まぁいいっかぁ 七転び八起き バツ4

最近の記事

再び独身生活

3人目の妻と別れ、再び独身生活 そのときmixiが流行った(´・_・`) バツイチの会(バツイチではないが)や38うさぎの会などに所属した。 バツイチの会では3ヶ月に一度のオフ会がありよく参加した。 そこで何人かと付き合ったが長くは続かなかった。 多分、もっといい人が現れるのではないかという妄想が産まれるのであろう いつもふられてた ふられるのは慣れてるので、去るものは追わず、来るもの拒まずで楽しんだ。 うさぎの会は同級生ばかりで、同世代で盛り上がった。 そ

    • 3回目の離婚

      3人目の妻とは12年寄り添った 楽しかった想い出が多かった♥ しかし、出会いがあれば別れがある うちのおふくろが引退するのも近づき、おふくろが念願となった若女将が誕生した。 おふくろ「もうあんたの好きなようにしたらいいからね」 「口出しは一切しないから」 3妻は生き生きしだした 支店とはいえ旅館の女将 そのときまだ30代後半 私は旅館のことには一切関わらなかった しかし、おふくろは色々口出した おふくろの気性は荒い おふくろ自身はそんなつもりはないのだが

      • 3番目の妻

        初舞台に立ったコンサートの本番前の準備しているときに折り鶴をひとりで黙々と折ってる若い女性がいた 私は殆どの人が初めての人ばかりの中、その人に惹かれた そして、彼女は合唱団でもあり、エイサー隊でもあることに気づいた。 コンサートが終わり二次会で少しお話も出来た。 「エイサーに興味あります。一緒にやりたいな」 て言ったら年明けにエイサー練習がある日程を教えて貰った そしてエイサー練習に参加しエイサー隊にも入ることになった。 それから徐々に近づいていき、一緒に車で帰る

        • 月桃の花歌舞団との出会い

          離婚も調停で成立し、しばらくして娘に会うために連絡を取ったが、繋がらず音信不通になったおれは気持ちを切り替えた 先生は「いつかまた会えるよ」と言ってはくれた。 そのときから私はひょんなことから「メンズリブ」の活動や交流会に参加するようになった 「男らしさ」からの解放的な活動ですね そのときのとある集まりで大阪の女性センターでとあるチラシを目にした もともと沖縄に興味のあったので、とある自主上映会のチラシだった 映画名は「GAMA月桃の花」だった そして、1996年11

        再び独身生活

          生まれ変わる

          魂が抜けたみねりんの肉体は、精気がなく急に変な行動をしていた。 これは魂の記憶で、魂の抜けたおれを見守ってるおれがいた。 その間私の家族や親友、そして、昔からよく行っていた地元のパプのマスター(この人は私に生まれ変わるきっかけであるとある人物を紹介してくれた)によって、24時間当番制で私を監視(見守り)していた。 あるとき父が当番のとき、父の目を盗んで家を飛び出し走り出した。 何処へ行くんだ その当時住んでたところから徒歩3分くらいのところにバス通りがある。 そして、そこ

          生まれ変わる

          新しい家に引越ししたのだが・・・

          娘が授かった頃に家を買い換える話が進んで行った。 そのとき住み出した家は1人目の妻と住んでたうちの母名義の家だった。 あまり日当たりもよくなく、妻も私も湿気が多いことにストレスになっていた。 そして、うちの母親と相談して、この家を売却して、新しい家を買うことにした。 毎週土日はモデルハウスを見に行く日が続いた。 そして、母親の知り合いの不動産屋さんの物件でまだ山の状態だったが、場所や日当たりとか考えたらベストなとこだと思い、開発される前に契約した。 それからは山を

          新しい家に引越ししたのだが・・・

          娘が産まれて2年間は

          1994年の6月娘が産まれてからいろんな夢が膨らみました。 ミルクをあげたりおむつを換えたり、さんぽに行ったり、お話したり、毎日が夢のような時を過ごしました。 娘の成長が私の楽しみになってました。 最初は、ベビーベッドで寝たきりでしたが、表情の変化を楽しみ仕事から帰るのがワクワクしてました。6ヶ月くらいになったらうつ伏せに寝かして、寝返りするのが新発見。 ちょんと座って、離乳食やるのも楽しかったなぁ♥ それからハイハイさしたりつかまり立ちしたり、1歳の頃からよちよち歩き(

          娘が産まれて2年間は

          念願の娘が誕生(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ❤︎

          2番目の妻との新婚生活も楽しい日々が続きました。 お互い旅行が好きで、九州1周ツアーや北海道スキーツアーに初の海外旅行はハワイ7日間 飛行機はビジネスクラスで快適でした。 そして、ボチボチ子どもが欲しいなと言ってたのですが、なかなか授からずに産婦人科に不妊治療に通うことになりました。 もちろん診察は毎回一緒に行って、先生の話は2人で聞きました。 「治療が6ヶ月経っても授からなかったら私も調べることになります。」と言われ、どんな検査されるのかドキドキしてましたが、6ヶ月に念

          念願の娘が誕生(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ❤︎

          2番目の妻

          この写真は2番目の妻と付き合ってる時のです。 大阪の法善寺横丁に行った時のです。 出会ったのは91年の年末でした。 1人目と別れたのが91年の6月で、半年後のクリスマス辺りに労働組合の青年部の役員をしていたので、隣の市のクリスマスパーティに招待されました。 そのときにそこの市の女性部の役員している人ど私のことを話したら彼女が、「私の学生時代の友達が彼氏探しているから紹介してあげるわ」ということになり、年末に3人で食事することになりました。 そして、話も合い結婚を前提

          2番目の妻

          1人の目の妻と別れ

          1人の目の妻と別れたのは27歳 まだまだ若いおれ この写真は楽しみを見つけるためジムの会員になった。そのときのエアロビクスを踊ってる写真です。 ほぼ仕事終わりに毎日 風呂に入りに行くように行ってました。 インストラクターとも友達になり 「みねりさんリズミカルだね。私の代わりに前で踊って」とか 「そんなTシャツ短パンやなくエアロスーツで踊ったら」と言われ、ジムで購入し、ビキニタイプのスーツで踊ってました。 ときにはインストラクターと並んで反対向いて踊らされることもしばし

          1人の目の妻と別れ

          1人目離婚後におふくろが

          この右側はおふくろさんです。 地元の盆踊り 私は小学校の1年からおふくろに連れられて、盆踊りを踊ってた。3年前のコロナ禍の前まで50年、毎年踊ってた。 踊りは河内音頭に江州音頭でした。 正月みんなが集まったら旅館の宴会場で、「河内おとこ節」の曲でうちの家族はお膳の周りを河内音頭を踊ってました。 私の妻や甥っ子、姪っ子の連れ合いさん達はア然としてましたわ(笑) もちろんおふくろがの合図で始まります。 うちの皇后さまとも言われ、実権を握ってました。 そのおふくろが、1

          1人目離婚後におふくろが

          1人目はいきなり家族4人

          1人目の妻との生活が始まるとともに私はいきなり2歳と4歳の娘のお父さんに 23歳の私は保育園の送り迎えが楽しい同棲生活の始まりだった。 帰ってきたら2人のこどもをお風呂に入れて、お風呂遊びも楽しかったなぁ 旅行もあちこち行ったなぁ🤔 もう最高の同棲生活❤ そして、おじいちゃんの遺言の「みねりんを認めてあげて」が現実になろうとしていた。 私が25歳になった。その年の11月22日(いい夫婦の日)に入籍し、12月1日に身内だけで、披露宴をし、家族4人で箱根に新婚旅行に行った(同

          1人目はいきなり家族4人

          1人目の妻とは・・・

          1人目の妻とつきあって1年くらいたった頃彼女は元旦那と別れることになった。👩💔👨 そのとき彼女は「あなたとは私とは一緒にはなれないよね?親も認めてくれんやろしね」 と言われた(´;ω;`) もちろんおれは、別れたんなら一緒になりたかったので、「おれはお前と一緒になりたい。親がなんといようと親の承諾は要らない年齢。親に紹介する」と言った。 彼女と彼女の娘二人を家族のみんなに紹介した。 いわゆる家族会議みたいな状況になった。 親父は、「一緒になるんやったら出ていけ。もう親

          1人目の妻とは・・・

          大変お待たせしました(笑)

          さて、そろそろ1人目の妻との出会いを書こうかな(՞˶・֊・˶՞)🤍 出会ったのは私が22歳のときでした。 彼女は2つ年上の24歳 子どもが1歳と3歳でした。 きっかけはパーソナル無線でした。 その当時はまだ携帯電話もなく、コミユニケーションツールとして、無線がありました。 5桁のチャンネルの周波数で2人であったり、複数であったりでしゃべってました。 その中でCQチャンネル(フリー)があり、そこで、「だれかお話できる人いませんか?」て感じでコンタクトを取る感じでした。

          大変お待たせしました(笑)

          人生最初で最後の・・・

          前回の予告では、1人目の妻をと思いましたが、その前に別のエピソードを・・・ 写真はおふくろです。 うちの家(旅館)での家族の宴会の一コマです。 誰かがカラオケで歌ってるときにおふくろから「踊ろう」と言われてチークダンスしたんやないかな? 子どもの頃は怖かったおふくろも私が成人してからは穏やかになってました。 しかし、エゴの塊は変わりませんがね(笑) このチークダンスが題名の「最初で最後の・・・」ではないのです。 私が21歳のときのこと おふくろから「お見合いをしないか

          人生最初で最後の・・・

          二十歳の恋愛Part2

          この彼女は3歳年下で、これまた高校生でした。 なぜか、知り合ったきっかけは覚えてないんです。 覚えているのは、この当時の愛車(写真の車)であちこちドライブに行ったことですね。 当時はパーソナル無線が流行って、家と車で遊んでました。 昔は携帯もなく、コミユニケーションツールのひとつでしたが、グループも作って、ツーリング行ったり、バーベキューしたりもしてましたね。 彼女とのエピソードはあまり覚えてないのですが、一番印象やったのは10人兄弟姉妹だったことでした。 お兄さ

          二十歳の恋愛Part2