月桃の花歌舞団との出会い
離婚も調停で成立し、しばらくして娘に会うために連絡を取ったが、繋がらず音信不通になったおれは気持ちを切り替えた
先生は「いつかまた会えるよ」と言ってはくれた。
そのときから私はひょんなことから「メンズリブ」の活動や交流会に参加するようになった
「男らしさ」からの解放的な活動ですね
そのときのとある集まりで大阪の女性センターでとあるチラシを目にした
もともと沖縄に興味のあったので、とある自主上映会のチラシだった
映画名は「GAMA月桃の花」だった
そして、1996年11月観に行った
いろんな意味感動し涙が止まらなかった
そのときの思いをアンケートに記入したらしばらくして連絡があった
「映画の音楽監督の海勢頭豊さんのコンサートが12月1日にありますが、参加しませんか?」でしたもちろん即答で参加しますと返事した
「参加する」とはコンサートを観に行くという意味だと勝手に思い込んでたら後日また電話があって、「舞台まで練習が3回しかないですが来れますか?」だった
一瞬なんか違うな?と思いながら
「はい。みんな練習行けます」とこたえてしまったのが発端で、その舞台に立つことになることになった。
課題曲は3曲
合唱ですが、なんかすごく気持ちよく歌えたのを覚えてます。
これが私の今の劇団音響のしているきっかけでした。
そして、3番目の妻との出会いでもあった。
その出会いから結婚までは次回に回します
つづく
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