親孝行の直前

親孝行の直前

このnoteを書いているのが12月1日。
父か母のどちらかの誕生日。

両親それぞれの誕生日が12/1と12/8なので、
よくどっちがどっちか分からなくなる。

で、この後、両親まとめて誕生日祝いということで、
椿山荘でディナーを御馳走に行く。

普通だと「両親の誕生日を祝ってきました」という投稿を
SNSでするのだろうが、ふと定期的に書いているnoteに
「親孝行直前に自分は何を思うのか」吐き出してみようと書き始めた。
あまり感傷に浸ることが好きではないタイプだが。

自身が35歳。

両親が70歳手前。(もう具体的に何歳か忘れてしまった)

「人生100年時代」とか言われているが、
自分の親世代は、いつ”そういうとき”が来るかはわからない年齢。

同年代と話していても同じような感覚を持っている人は沢山いるし、
両親を亡くしている友人も少なからずいる。

こういうことは後何回できるんだろうか。

どんだけ親孝行しても”そういうとき”が来たときには
「もっとしておけばよかった」と思うのだろうか。

「親孝行の”完了基準”」みたいなものはあるんだろうか。

多分、親が求めているものってのは、物やお金ではなく、
ドラマや小説的に言うと「子供の元気の顔がみれればそれでよい」
だと思うし、それも理解できるし、自分が逆の立場だったらそう思うと
おもうが、それは”完了基準”を満たすものなのだろうか。

”完了基準”を言葉にするとしたらなんであろうか。

「ちゃんと一人前になったことを見ることができた」なのか、
「子供が自分が死ぬ瞬間に元気でよかった」なのか、
「『生んでくれてありがとう』といわれること」なのか。

というか、そもそも「親孝行」というものに対して
”完了”とか”基準”とか言っている自分が多分ズレているなw

でも一方で、面と向かって、
「ここまで育ててもらってありがとう」っていうのも、
別に結婚のタイミングでもなければ、まだ両親が死んだわけでもないから
何か変だし。そもそも中々恥ずかしくてこれは言えないな。

でも言わなかったら言わないで、
”そういうとき”が来てしまった時に後悔する気もする。

だから、あれか、この世の中には「手紙」というものがあるのかw
でも今から手紙書くのは時間ないな。字、汚いしなw

「孝行」を辞書で調べてみると

「子が親をうやまい、親につくすこと。親孝行。」

とあり、
「あ、”親”つけたら2重じゃん」
「馬から落馬、と一緒じゃん」
と思っただけで何も得られなかった。

さて、何も分からないまま、でかける時間がきてしまった。

とりあえず、自分の名前は「健人」だが、
日に15キロ走っていることを話そうと思う。

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