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亡くなってから感じた父との「ルーツ」

母とはコミュニケーションが多かったのですが
父とはそんなに多くはなかったんです
高校時代にすごく反発していたこともありましたし

大人になって父の見方も変わっていったけど
当時は「お父さんのお世話になんかなるもんか」なんて思っていたんです

しかし父は戦争を経験しているので
その話はとても重かったです

軍隊に入って前線で敵と撃ち合いした話
洞窟を掘ってそこから頭を出して敵と撃ち合ったそうなのですが
肩が触れ合うほどの距離にいた両隣の仲間が
右、左と撃たれて倒れていった
もし敵の手元が1ミリでもずれていたら自分に当たっていたと
そういう経験を自分は戦争中に7回経験したと
父は教えてくれました

そんなことも自分が年齢を重ねるにつれて
重みを増していきました

今から思えば、いろんなことを押しつけがましくなく父は話してくれました
そして父の言葉は少ない分、一言が重かった
私のことをよく理解してくれていたなぁと思う瞬間があります

父は車の運転が上手でした
私が運転免許をとった時、助手席に乗って
「練習するだろ?」と言って付き合ってくれました

父は普段からそんなにかまってくる人じゃなかったけど
必要なときに何も言わなくてもすっと来てくれるような感じでした

そうやって運転の練習をしていると
助手席の父がふと
「お前も私に似てるな」と言ったんです

「え?どういうところ?」ときくと
「前が空いたらアクセル踏んどる」と言うんです

そのときは単純に「せっかち」とか「早く走りたい」とか
そういう意味かと思ってました
でも父はそれは人生や生き方そのものに重ねて言っていたんです
それはあとからわかったこと
父が亡くなってからです

父が亡くなって病院に駆けつけたときに
もちろんいろいろな思いがあったのですが
私はなぜかそのとき父との間にすごく強い「ルーツ」を感じたんです

亡くなってちょっと経って思い出した父の
「お前も私に似てるな」という言葉と
その「父と私にはルーツがある」という感覚はリンクしていくんです

父が「お前も私に似てるな」と言ったのは
そうやってずっと目を離さずに私を見ていてくれたんだ、ということ
それがわかったときにほんとうに涙が溢れてきて

もし運転の練習につきあってくれるなんていう場面がなかったら
その言葉はもらえていなかったかもしれない
そうしたら私は父の愛をわからないままだったかもしれない

そう思うとほんとうに深く父の愛を感じることができたんです

親子という近い関係だから気づきにくいこともあったと思うし
反発もしていたから

でも大人になって、人間同士として接し合えるようになったら
やっとそういうことが理解できてくるんだなぁって思いました

また、父は私が娘を産んでからも
よく面倒を見にきてくれました
仕事をしている私の代わりによく子守りをしてくれたんです

そのときに娘たちに字を教えたりするような
学びの遊びをしてくれていたんですね

それで後でぽろっと言うんです
「上の子はまだあんまり字とかには興味ないね」と
つまり押し付けは絶対しなかったんですね

また、下の娘は長女を真似て書けなくても字を書こうとする
それが間違っていたら大抵の大人は直そうとするんですが
父はそれをしなかったんです

それを知ったときに「この人、えらい人やなぁ」って思ったんですよね

それで思い出したのが
私も「ああ、お前は興味ないんやな」と言われたことがあったこと
算数の公式を教えようとする父を煩わしく思い
軽くあしらったときに言われたことです
父は興味のないことを押し付けたりは絶対しなかったんですよね

ああ、これが父の教育方針なんだと後からわかる
ふとしたときに思い出すんです

覚えていようなんて思っていないのに
心から発した本当の言葉というのはちゃんと残るんですよね

母性と父性ってやっぱり違っていて
母性ってもっと直接的で盲目なところがあるけど
父性は「見守る愛情」という感じがします

おもしろいのは同世代の男性たち
同窓会だとかいろんなところで会って話すたびに
みんな同じことを言うんです

「こんなとき親父が生きててくれたらなぁ」って

自分が苦境に立たされたときや困ったとき
お父さんに相談したい
でももう親父はいないし、と
本当にみんなしみじみ口にするんです

あんなにお父さんと喧嘩してたじゃない、悪口言ってたじゃない
なんて言うんですけど、でも
「いや、喧嘩してたあのときが恋しいよ」と
お父さんに対する思いって強いんですよね

それを「親父」という言葉で表している

「あなたもお父さんと同じこと繰り返してるのかな」と言うと
「あ、そうやなぁ」ってみんなため息交じりにしみじみと……

私の父は亡くなって20年以上が経ちました

愛情表現は人によって違いますが
それでも自分に受け継がれる愛情は
言葉数が多くなくてもこんなに重みがあるものなのかと
最近になって強く感じているんです

2021.5.10
下向峰子


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