猫は目的を持たず海を渡る
どれだけ頑張っても、同じことを悩み進める今の働き方から、つかの間の幽体離脱をした。
好きでやっている生き方の中にも、何かしらの障害物は散らばっているもので、それらすべてを整備してクリーンネスに務めようとするのは、なかなかのパッションが必要だ。
もしかしたら、そうして生きている間に作り上げた世界の延長が、いつか訪れる極楽浄土になるのかもしれない。
汚れていても気にならないくらいの鈍感さがあれば、現世はもう少し意気揚々と物語を描いてしまえるのかもしれない。けれど、塵埃や重い障害物でさえ、気になってしまうのだから仕方がない。
仕方がない、という言葉は大嫌いだけど、そういうものだ。
持って生まれた美的感性とでも変換して言っておこう。
私を含め、そういう美的感性の持ち主は、いわゆる頑張り屋さんだ。
とてもいいことでもあるけれど、方向性を間違えていたら誰のための頑張りか、ということもある。
頑張るって、ベクトルの方向を捻じ曲げる生き方なんじゃないか。導かれる方に漂う方が、色んな種類の感動を体験できるんじゃないか。
幽体離脱の間にそんなことを考えた。
感動の種類は、言葉の表現が追いつかないほどのものがある。
身震いしたり、息をするのも忘れたり、気づいたら涙が出ていたり、時が止まるようにドキッとしたり、言葉を失ったり。生々しいリアルな体験は、後の人生に奥深さを匂わせる。
そんな感動は、見知らぬ街では感じやすいものだ。
それが“旅”だ。
計画を立てるのが苦手なのに、目的や方向が決まっていないのも怖い。そんな私はひょっとしたら、意味を求めない“旅”をしてみるのは向いているかもしれない。
極端に苦手なことは、実はものすごく向いている可能性があるものだ。
まだ、たった9だか10だかの国にしか行ったことがない。どれもそれなりに目的があって心構えをもって海を渡った。それだけでも、十分にその場その時の美しさを知った。
猫が近所に散歩へ行くような、かなりフラットな心持ちで旅をしてみたい。
だって散歩は、思考の消化にも吸収にもとてもいい。
感動を体験したり情緒に思いを馳せられるのは、きっと人間に生まれた特権。
だから、できるだけ想像の付かない国に漂ってみるのもアリなんじゃないかと思う。
ただ、ずっと広がる海にうっとりしたり、建物の精巧さに胸が高鳴ったり、移ろいゆく天気の音を聴いたり。自分の目でしか見れない世界、持ち帰れない感覚に身を委ねるのは、目的ばかりを探している時には見つけられない素晴らしさがある。
「ライフイズワンダホー」ばりに如何にもな言葉を、小さな声で、ぐっと放つ感覚だ。
ヨーロッパの教会の威厳の中に、何世紀も前の祈りのかけらを見たり。川辺でコーヒーをする人の生活を想像したりするのも良い。
うん、目的を持たない旅に出てみるのも、大アリなんじゃないか。
どうしてか直感的に、肌に合うような、未来の自分の暮らしが見えるんだ。
片田舎の地元や、忙しなさとエッジの効いたセンスが交錯する東京では、あまり自分が暮らすイメージが湧かないんだ。
そんな脳内世界旅行を愉しんだ、つかの間の幽体離脱。
とりあえず今日のところは、日常の世界にカムバック。
まずはグーグル先生に問う。
「クロアチアまでの旅費は?」
うん、、、行ける。旅費をつくろう。
私はフリーランスだ、半休業だってできるんだ。
迷い猫のように、いくらでも漂えるのだ。
想像だけでワクワクするんだから、とてつもなく素晴らしい旅になるのは間違いない。
意味を求めない旅は、後で多くの意味を見つけられるのかもしれない。
Live, Love, Laugh, and Be...HAPPY.
2019.06.07
Mineko Koyama
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