Y=Mが分かると世界の真実が分かる
アルフレッド・マーシャル(新古典派経済学の完成者で代表。1924年7月死去。ジョン・メイナード・ケインズの先生)という,ケンブリッジ大学で教授を務めたイギリスの経済学者がいた。
彼がM=kpY(Y=M)という数式を作った。
このY=Mは何なのかという事を解説する。
なぜなら,このY=Mが何なのか理解できれば,世界を動かすアメリカ経済学の欺しと,ソコから連なる今の日本の政治(政策)の間違いだけでなく,我々,人間の間違いも分かる(見える)からだ。
【賃労働と資本の非和解的対立】
中国がアメリカから世界覇権を譲り受けた後の重大な問題は何か。
社会主義思想を大成したカール・マルクスが1844年(25歳の時)に大発見した,賃労働と資本の人類にとっての非和解的な永遠の対立の原理がある。
コレを部分的にでいいから解明しない事には,中国を筆頭に人類は先へ進めないという問題だ。
この問題が中国にも日本にも出現している。
中国の最高指導者層と知識人たちが部分的でも,この賃労働と資本の相剋に解明を見つけ出さなければ済まないのだ。
なぜなら中国は世界覇権国となるため,その時,労働者階級(殆どの人間がココに入る)と資本家(経営者と富裕階級層)との間の対立を,どうしても部分的にでも乗り越える必要があるからだ。
コレが,これからの人類(人間)にとっての最も大きな問題である。
では自分,峯岸は,貴方に質問する。
「貴方は自身が所属する組織(会社)の中で,経営者である資本側か,それとも雇われている従業員の労働者側か,どちらですか?」と。
この事を貴方は自身に問いかけねばならない。
自営業の人は労働者側に入る。
社会主義体制だったソ連と中国は,会社に労働組合が無い事になっている。
なぜなら社会主義革命が勝利した国では労働者階級が資本家による抑圧から解放されたため,労働組合は存在しない。
無くてもよい,不要という事になっているからだ。
対してG7(日本も入っている)は,中国とロシアを「労働組合もないような後進国」と見下している。
この事は一応は真実である。
だが日本は大企業に労働組合は有るが,実際は何の役割も果たせず,ほんの僅か年に数百円の賃上げ(基本給アップ)と待遇改善を経営側(資本家)に要望するだけである。
だから労働組合など形式上で実際は有って無い。
日本が産業構造改革できないのは,この労働組合(立憲民主党の支持母体である連合が代表。統一教会に乗っ奪られている)がある事も大きな要因の一つなのだ。
なぜなら労働組合こそが既得権益そのものだからだ。
この事を日本国民が全く理解できていない。
日本人は自身が自由主義世界に属し,デモクラシ
ー(代議制民主政治体制)国家である日本の方が中国とロシアより進んだ国だと履き違えている。
現実の日本は30年以上も不況(デフレ)が続き賃金は下がり続けている。
雇用が有っても賃金が下がり続けている。
だから自分,峯岸が,アベノミクスが始まって直ぐに予言したとおり,スタグフレーション(デフレ下の中で物価に対し賃金が追いつかない。デフレとインフレが共存する歪な状態)が出現した。
前回も解説したとおり,労働賃金こそ物価の重要な指標である。
日本は,この”労賃という物価“が低いままで,最低賃金が時給1000円(地方都市は更に低い)のまま30年以上も変わらない恐るべき国である。
だから日本の凋落ぶりを隣りで見てきた中国の最高指導部は「賃労働と資本の永遠の非和解的対立」という問題を考えこんでいる。
この問題が部分的にでも解けなければ人類は今よりは先へは進めない。
日本人もココに追いついていかなければならないのだ。
コレが昨年末の投稿で解説したクローサーの国家の発展段階説の最終段階,債権取り崩し国家である日本の現状である。
よく「日本は30年以上も経済成長が止まったまま」と言われるが,日本は債権取り崩し国家なのだから経済成長が止まって当たり前なのだ。
GDPが4位に後退し,2030年代から更に後退する事が確定し,人口が1年で70万人減少している日本だが(2023年は83万人),騒いでいる少子化は全く問題ではない。
人口が1億人(公式では1億2000万人となっているが嘘。1990年から,ずっと1億2000万人のままで発表し続けている)も居る国で少子化と騒いでる者は頭の悪いバカだ。
日本よりGDPが低くて人口が少ない国は何ヶ国ありますか?
180ヶ国以上ある。
更に,この中で国民一人当たりGDPが日本より高い国は30ヶ国ある。
コレが,どういう意味か分かりますか?
日本は2023年の出生数が758000人で過去最少と報道されているが,自分,峯岸に言わせたら,758000人も産まれている事が異常事態な狂気の沙汰である。
国民負担率が六公四民の国で子供を産もうと考える事が異常である。
まともで正常な頭をした者なら,今の日本で子供など産まない。
己の欲望のまま子供を作り,最大の犠牲者が,その子供となる事を全く分かっていない。
こういう欲望だけで生きているバカ親の元に産まれた子供が一番の被害者である。
日本の最大の問題は,国家が国民から収入の半分以上を税金として奪う事である。
自分,峯岸は,税金を悪と糾弾してはいない。
もちろん税金はゼロなら良いのだが,自分,峯岸が指摘しているのは,この日本人が納めた税金が日本(日本人)の為に使われていないから徹底抗戦しているのだ。
これまでに解説したとおり,税収70兆円の使途は,公務員の給料,防衛費,そしてアメリカ様への貢ぎである。
社会保障費の財源にはなっていない。
その他で政党助成金(2023年は総額315億円)もあるが,コレは3つに較べれば小銭だ。
この防衛費はアメリカにボッタくられて買わされる戦闘機や武器や弾薬などで,すなわちアメリカの軍需産業界(民主党ネオコン派の支持母体)へ流れている。
だから日本国民の為には1円も使われていない。
だから自分,峯岸は,日本に1円たりとも税金を払いたくないのだ。
だから日本に税金を払わない生き方(外国に資本拠点を置く)をしているのだ。
自分,峯岸は,国民が払う税金が日本の為,日本人の為に使われるようになるのであれば,日本へ帰って生活と仕事の拠点とする。
カール・マルクスが『資本論』(1867年刊)を書く23年前に発見した,wage labour(賃労働者)とcapitalist(資本家)の闘いがある。
賃労働と資本の永遠の対立,非和解的対立と言われている。
コレが今も絶対的に存在する。
前述したとおり,貴方は賃労働者の側,資本家の側,どちらかだ。
経営側の者と労働者で終わる者の原理を無視して新しい世界を創る事は出来ない。
この問題を見て見ぬフリして,小島よしお宜しく「そんなの関係ねえ」と言う者の末路は知れている。
中国とロシアが労働組合を創れないという問題もココに関わっている。
商品の生産過程のところでしか労働者は取り分を要求できない。
労働者への配分(取り分,分け前)は商品が作られるまでの費用の中にしかない。
次に商品の流通過程がある。
商品は売れなければゴミ(無価値)になり,あとは最終利益の資本の分配過程がある。
分配過程は資本処分の問題だ。
コレをマルクスは「上部構造,下部構造」という言葉でも表した。
資本は,この3要素に分かれる。
この資本の処分過程は,土地から生まれる地代,労働から生まれる賃金,資本から生まれる利潤,この3つの要素から成る。
資本の分配過程,すなわち利益の処分段階は,資本家(経営者)と地主と銀行の3者で行う。
ココに労働者は関与できない。
労働分配率は商品の製造段階(費用)の中でしか主張できない。
土地,建て物から地代と家賃が生まれる。
コレが今も大きく,家賃収入を握っている地主,または物件の所有者が強い。
貧しい労働者(勤め人=サラリーマン)は月給の4割ぐらいを家賃に払っている。
もう1つ,利益処分のところに銀行(金融資本)が関わる。
資本家に貸し付けている。
貸したら毎月,利息を取る。
この銀行業が他の多くの産業資本家を支配する。
だから,この資本主義の大きな骨格を抜きにして,通信から物流までを握ったGAMA(Google,Apple,Meta,Amazon)+Microsoftが株式時価総額で頂点に居ても大した事はない。
重厚長大のモノ作り(製造業)の資本家たちが頑強に存在し,彼らの方が大切で重要なのだ。
この大きな見方が出来て初めて次の新しい人類の思想が産まれる。
マックス・ヴェーバーが使ったherrschaft(ヘルシャフト)というドイツ語がある。
支配(従属関係)という意味だ。
あとmacht(マハト)という力,権力を意味する言葉がある。
対して同じ力でもgewalt(ゲバルト)は暴力や強制力の物理的な力だ。
支配と権力はヴェーバーが使ったが,コレをマルクスの思想では上部構造と下部構造とした。
上部構造は宗教や国で,下部構造は人間の生の生活だ。
上部構造は幻想の共同体で,国家は何処にも無いと言えば無い。
有るのは国境線や国会(議会)や政府の建て物が有るとか言っているだけの事で,役所が存在するも含めて統治権力が存在するだけだ。
下部構造に民衆(国民=労働者)の生活がある。
カール・マルクスは1844年(25歳の時)に「経済学・哲学草稿」という論文を書いた。
この論文が1962年からマルクス主義の出発点であると考えられている。
この論文の冒頭にマルクスの思想が書かれているので転載する。
このようにマルクスは今の我々が読んでも十分に分かる事を書いている。
雇われて賃労働者(勤め人=サラリーマン)となるか,自身の才覚(能力)で資本家(企業経営者)になるか,親の財産を引き継いで地主(土地および賃貸し建て物の所有者)になるか,人間は,この3者の何れかの人生を営む。
この3者以外に現代社会では多くの職種の自営業者がいるが,彼らは殆どが賃労働者に入る。
マルクスは若い時にイギリスの初期の近代経済学者であるアダム・スミスとデヴィッド・リカードの著作から多くを学んだ。
「経済学・哲学草稿」で彼らを多く引用している事からも分かる。
今の中国人の秀才たちは中学生の頃から,このマルクス(中国語で「馬克思」)の思想を学校で叩き込まれている。
マルクスは1848年2月のパリでの民衆蜂起である2月革命が敗北した後(この時30歳)ケルンに戻り,新ライン新聞の編集長(主筆)として「Lohnarbeit und Kapital」(賃労働と資本)という論文を書いた。
この年マルクスはロンドンに亡命し,亡くなる1883年までイギリスに居た。
The International Workingmen’s Association(国際労働者協会)を創って活動した。
この後1871年(53歳)にフランスのパリで普仏(プロシア・フランス)戦争でフランス軍(ナポレオン3世)が敗れたため,パリで下層市民と労働者が武装蜂起(パリ・コミューン)した。
民衆は4ヶ月で鎮圧され,他のプルードン派,バクーニン派,ブランキー派と共に,マルクス派の労働者と活動家たちも600人ぐらいが殺された。
この影響でマルクスは廃人となり思考力を失いロンドンにて63歳で死んだ。
自分,峯岸は,賃労働と資本の非和解的な対立を,キレイゴトの夢見心地の,自身に都合の良い解釈の宗教ではなく,部分的に解決する思想が中国で産まれるよう中国の地で後押しする。
だから先日4年ぶりに中国(深圳)へ戻った(引っ越した)。
もう1ヶ所「経済学・哲学草稿」から転載する。
このように元々,労働は資本と一体であった。
そして人類の歴史の中で分離して対立するようになった。
労働(力)は商品の一種として市場で売り買い(求人,求職)されるようになり,資本家たちに買われる。
同時に労働は資本の一形態であり,マルクスが『資本論』で描いたのは資本が「労働→商品→貨幣→商品⋯」と,次々と変態する,その全体像である。
変態は,昆虫の蝶々が卵から芋虫になり,蛹(さなぎ)になり,羽化して蝶々に変身する事を表している。
【ルソーの平等主義が敷衍されて誤った近代世界】
日本人が夢見て恋焦がれて羨望するシリコンバレーの,たかが通信屋(パソコン屋,スマートフォン屋)が世界一の株式時価総額で偉そうにしている。
こんなモノは,ただの技術進歩,文明の利器が進むだけの事だ。
中国が空飛ぶクルマの技術で世界を席巻し出している。
日本のトヨタは化石燃料に頼らない,水と空気からエネルギーを産み出す技術を開発した。
世界が脱炭素という方向へ舵を切っている。
だがコレらの技術進歩より最も重要な事が,賃労働と資本の対立を部分的に解決する事である。
コレは法定通貨がデジタルになっても,GPTが更に進化しても,同じだ。
繰り返すが,この問題を解決しない限り人間が前進する事はないのだ。
この事を今になって今さらGPT4(Chat GPT)やメタバースに熱狂している,自身が世界最先端を走っていると履き違えているバカどもが全く理解できていない。
このバカどもは自分,峯岸が,ディープラーニング(GPTの初期形態)が出現した時に解説して全く興味と理解を示さなかった者たちだ。
この賃労働と資本の問題は「人間は誰もが平等である」という概念とは違う。
確かに人間は憲法が保障する人権の取り扱いにおいては法的に平等である。
憲法14条で定められているように人間は法の下で平等である。
だが現実の世界で人間が平等という事は絶対にない。
なぜならオギャ〜と産まれた時に,親の収入と生活環境と能力(知能)と身体的特長(障害を持って産まれるとか)の差が必ずある。
成長するにあたり容姿(美人かブスか,イケメンかブサイクか)も加味される。
コレは人間が産まれながらの運命によって支配されているからである。
今風に言えば親ガチャというやつだ。
つまり人間の個々の能力は平等ではない。
この事をハッキリとさせなければいけない。
“人権は法律で個々に平等だが,個人の能力は平等ではない”。
日本では,この事(個人の能力差)を公で言う事が憚られている。
コレがダメなのだ。
1755年に啓蒙思想家のジャン・ジャック・ルソーが『人間不平等起源論』をリリースして「人間は皆,平等であるべきだ。王様も市民も農民も本来,産まれた時には平等だ」と主張して煽動した。
このルソーの思想と理論によって多数の死者を出した,血塗られたフランス革命(1789年7月4日)が起きたのだ。
それでも,このフランス革命は人類史の進歩の偉大な記念碑となり金字塔となった。
ルソーは『人間(は)不平等(にさせられた。その)起源(を解明する)論』で「人間の本性は善であるのにソレが過酷な歴史の中で権力者(力の強い者。富める者)を産み出し,他の多くの人間を虐げて支配するようになった」と書いた。
以下に転載する。
このルソーの思想(哲学)が当時のパリ(1780年代)という,世界で最も豊かな大都市である理想主義に狂った貴族,都市の市民たちから,圧倒的な支持と賛同を受けるようになった。
そして革命が起こった。
この著作の結論としてルソーは以下のように書いた。
このようなルソーの過激な平等主義(egalitarianism=エガリタリアニズム)の理念が,この直後のフランス革命を指導,煽動していった。
そして1844年のカール・マルクス(25歳)に伝わり,この73年後のロシア革命(ボリシェヴィキ革命。レーニンが指導),そして中国革命(国民党と共産党の国共内戦)へと繋がった。
そしてコレらの人類の大実験は大失敗した。
コレに対してヴォルテールという同じフランスの大思想家が「ルソー君の主張は危ない。あまりにも危険だ。もし彼の主張を真に受けて急激に実現しようとしたら,フランス社会は大変な事になる」と見抜いて批判した。
そして若いルソーを警戒した。
ヴォルテールはルソーの思想からフランスで革命が起きる事を予見していたのだ。
このフランス革命の13年前(1776年)にアメリカで独立革命(独立戦争)が起きたが,この2つは大きく繋がっており,アメリカ独立の指導者たちがフランスの貴族たちを焚き付けてアレコレ思想的にも煽動した。
つまりアメリカ独立革命がフランス革命を誘発したのだ。
【近代欧州500年の思想の源流であるユニテリアン】
アメリカ独立革命を主導した者の中で,トーマス・ジェファーソン(アメリカ合衆国 第3代 大統領)とベンジャミン・フランクリン(アメリカの物理学者で実業家)はフランスでも人気が高かった。
彼らが成し遂げた革命にフランス貴族たちが熱狂して共和制へ突き進んだ。
アメリカ独立革命の主導者メンバーであるジョージ・ワシントン(アメリカ合衆国 初代 大統領)含め,彼らはユニテリアン(キリスト教プロテスタントの一派。同じプロテスタントのカルヴァン派とは違う)である。
このユニテリアンが2024年の現代まで続いている,近代西洋(欧米)500年の思想の諸原理を創り上げた。
ユニテリアンの定義を簡潔に解説すると,イギリスのチャールズ1世(1600年〜1649年)という王がプロテスタント(新教徒)の活動を大きく妨害して迫害して殺した。
だからプロテスタントの一部がオランダに逃げた。
彼ら(ユニテリアン)は「もう絶対に国王とアングリカン・チャーチ(イギリス国教会)の言う事は聞かない」という者たちである。
彼らユニテリアンはキリスト教から外れていき,神の存在を疑うところまで到達した。
そして政治活動家となり社会改良運動を始め,イギリスでは王政廃止論を主張するようになった。
共和制(republic=リパブリック)とは,王の首を刎ねるという事だ。
この動きはイギリスでは清教徒革命(ピューリタン革命。1642年)となった。
このピューリタン革命を実行したのがユニテリアン(初期ユニテリアン)である。
この130年後にアメリカがイギリスから独立した。
前述したジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファーソンやベンジャミン・フランクリンらは第2期ユニテリアンである。
複雑なのは,アメリカ独立戦争を資金面で支えたのがカルヴァン派の商人たちである事だ。
彼らは大英帝国(イギリス)からの遠征軍にも資金を出していた。
ユニテリアンはキリスト教内の革新派であるが,イギリス国教会(アングリカン・チャーチ。王を神聖体と仰ぐ)の枠組から外れてソレを否定した。
このユニテリアンが北米大陸に上陸して出来あがった国(共和国=王が不在の国)がアメリカである。
アメリカ独立革命(1776年)の80年後に出てきた第3期ユニテリアンが,ラルフ・ワルド・エマーソンだ。
エマーソンが同時代のカール・マルクスやロシアの文豪レフ・トルストイに大きな影響を与えた。
エマーソンは社会主義,農地解放,ヒッピー運動,自己啓発,スピリチュアルの肯定,非暴力主義,社会改良運動などの,現代にも繋がる思想の走りである。
つまりユニテリアンが世界の様々な思想の源流という事である。
トマス・ホッブズやジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーの啓蒙思想もそうだ。
デカルトもニュートンもパスカルもガリレオもライプニッツもそうだ。
ミケランジェロやモーツァルトやニーチェたちもそうだ。
彼ら西洋最高峰の知識人であるユニテリアンは理神論(神を合理的に理解する)者として振る舞っていた。
だが本当は神の存在を疑う,これまでどおり信じる訳にはいかないと,真実は神など信用していなかった。
だから本当はatheist(エイシスト=無神論者)である。
彼ら西洋最高峰の知識人であるユニテリアンでも,16世紀までは公に無神論(atheism=神の否定)である事を公言できなかった。
だから神の否定の一歩手前のdeism(理神論)で留まっていた。
なぜならローマ・カトリック教会の政治(宗教)警察に捕まり異端審問で拷問に掛けられて殺されるからだ。
実際にガリレオが1633年に終身刑の判決を受けたが,直ぐにコジモ2世(メディチ家の第4代 大公)によって助けられた。
彼らユニテリアンから欧米の社会改革運動が産まれたのだ。
貧しい人を救い出すという社会福祉活動となり,社会主義者の革命家たちが産まれた。
彼らが当時の世界最高峰の知識人のユニテリアン=フリーメイソンである。
カール・マルクスたち思想家もユニテリアンから産まれて派生していったのだ。
因みに自分,峯岸は無神論者(私は神を信じません。私は宗教や信仰はありません)である。
補足として,キリスト教圏の人の前で「i’m an atheist」(私は無神論者です)と言うと,ギョっとした表情で驚かれるのでヤメましょう (笑)
彼らからしたら無神論者は宗教破壊活動家として映る。
こういう時は「non believer」(無信仰)という言葉を使えば大丈夫です。
ドイツのベルリン大学でヘーゲルの熱烈な授業を受けたフォイエルバッハも,1828年(24歳の時)に書いた論文が「atheism(無神論)である」と教授会で糾弾されて免職(クビ)になった。
そして苦労して名著『Das Wesen des Christentums』(キリスト教の本質。1841年)を書いた。
この著作を一行で説明すると「人間が住んでいる家を壮麗に壮大に建てたモノを神殿と言う。神が住む家の事だ」と書いた。
つまり「神が人間を創ったのではない,人間の幻想が神を創った」と,フォイエルバッハは言い放った。
この時,理神論を通り越して唯物論(精神までも物質に還元できる)が誕生した。
このフォイエルバッハの思想は若いマルクスやエンゲルスたちに強い影響を与えた。
この時ヘーゲル左派(青年ヘーゲル派)が勢力として欧州に誕生したのだ。
【三位一体を摺り替えて日本を取り込んだアングリカン・チャーチ】
日本人は79年前の敗戦まで,心底そして頭のテッペンから昭和天皇を崇高なる現人神(あらひとがみ)であると信じ込んでいた。
そして1946年に昭和天皇は「(私も)人間(です)宣言」をした。
だから人間など,こんな程度で,どんな思想でも一夜にして集団的に切り変わっていく愚かな生物なのだ。
コレが三島由紀夫が言った「空っぽの日本」である。
昨日まで天皇主義者だった者が翌日にデモクラシー(民主政治)信奉者に変わるのだ。
明治天皇絶対体制は神国(しんこく)日本の伝統から創られたのではなく,大英帝国(イギリス)が創ったのだ。
自身らの国王は神聖体であり霊的存在であるとして,アングリカン・チャーチ(イギリス国教会)を創ったヘンリー8世が1534年にローマ・カトリック教会から分裂した時に出来た思想である。
ヘンリー8世がローマ教会に「離婚を認めろ」と要求してモメたため破門され,アングリカン・チャーチはローマ教会と袂を分かった。
だがアングリカン・チャーチはローマ教会と同じく三位一体説を掲げている。
325年のニケア宗教会議で確立した三位一体(Trinity)は「父の子と聖霊の3つで神だ」としている。
自分,峯岸は,この三位一体を大きく断罪している。
父と子と聖霊の父(神)を天国に居る天帝で,子をイエス・キリストとしている。
だが問題は聖霊である。
“なぜならアングリカン・チャーチは日本で,この聖霊を天皇陛下に置き換えたのだ”。
そうして日本で信者を取り込んだのだ。
”だからイギリス本国では「父と子と女王陛下」となっている“。
だから第2次世界大戦中に日本キリスト教会が戦争に加担,翼賛した事の問題で敗戦後に内部で大激論になった。
だからアングリカン・チャーチは日本基督教団から出ていったのだ。
日本人はキリスト教信者以外でも,この三位一体説にドップリ浸かっている者が多数いる。
何が三位一体だバカどもが。
バカな日本人を欺せても,自分,峯岸祐一郎を欺く事は出来ない。
殆どの日本人は神(宗教)に縋って生きている。
スピリチュアルやヒーリングや占いなどに傾倒している者が貴方の周りにも溢れているだろう。
自身の実体験を元に他人に説くのなら分かるが,何の体験もしていない者や能力が無い者まで,訳の分からない連帯感や共感で寄り集まっている。
神(宗教)に願って諸問題が解決するなら人間は苦しまない。
戦争が起きて人間が死ぬ事などない。
カネに困って犯罪に走る者もいない。
そんな事より目の前の現実を見なさい。
目の前の現実から自身が採るべき行動を考えなさい。
神(宗教)に頼るのではなく自身を信じなさい。
神が何だの言っている者に人間としての成熟はない。
明治になって日本の皇室を創ったのは大英帝国である。
大英帝国が神格化された天皇陛下を創ったのだ。
明治維新は大英帝国の王政復古(1660年)のオマージュである。
イギリスに国教会(アングリカン・チャーチ)という宗教があるから,自身(大英帝国)と同じように「東アジアの日本の王も神聖体(生き神さま)にせよ」としたのだ。
現人神(あらひとがみ)の創作者は大英帝国である。
昭和天皇(裕仁=ひろひと)と今の上皇(死んだら明仁=あきひと=天皇になる)は,それぞれ皇太子時代にイギリス訪問,今上天皇(死んだら徳仁=なるひと=天皇になる)はオックスフォード大学に留学している。
宮内庁は今も天皇即位後,初めての外国公式訪問はイギリスという姿勢を崩していない。
雅子皇后がハーバード大学出身で,今上天皇が天皇即位後,初めて国賓として迎えて皇居内を特別に案内したのが大統領時代のドナルド・トランプ夫妻だった。
この事実からイギリスとアメリカの新旧帝国の間に位置する属国・日本(属国・日本の皇室)という姿がハッキリと見て取れる。
今もイギリスで労働党を中心に王政廃止論の火は消えずに内輪で議論されている。
「私たち(イギリス)は今も王と貴族を上に載せている古臭い体制で,これからの世界には合わない旧態依然だ」と言い合っている。
今のイギリスはココから早く抜け出さなければと焦っている。
前述した三位一体の「父と子と女王陛下」に摺り替えた事から繋がる。
コレがBrexit(EU離脱)の真実である。
【文化大革命から見えるマルクス資本論の間違い】
ヴォルテールもルソーも啓蒙思想家として,社会契約説の当時の欧州2大巨頭の大思想家と今でも論じられるが,あれから230年の年月を経て,やはりヴォルテールが正しかった。
人間の能力差をハッキリと認めた上で,生来の能力のある人間を人々(民衆)が尊敬し,上に押し上げ,資本家(企業経営者)としてだけでなく自身らの代表(国家指導者)にするという政治体制を本気で実現しなければいけない。
コレを本当のデモクラシー(代議制民主政治体制)という。
このデモクラシー制度を今の中国とロシアは実現しようと苦闘している。
だが日本人の99%は反共思想を持っているため,この事が分からない。
日本人は中国とロシアを見下すように「日本はデモクラシー国家だ」と誇らしげに言うが,日本は戦後ずっと自民党という一党独裁体制で支配されている。
だから中国人は「日本の何処がデモクラシーなんだ? 中国と同じじゃないか」と言っている。
日本もアメリカも国際社会へ向けて誇らしげにデモクラシーを謳っているが,その実デモクラシーのデの字も無い統制国家である。
共産体制を堂々と公言している中国の方が潔白だ。
日本人は「アメリカは自由の国だ!俺はアメリカン・ドリームを掴むんだ!」と夢を見ている。
アメリカに自由など無い。
だからアメリカ人は外国へ飛び出している。
今の中国の最高指導部と知識人にとって大事なのは,階級闘争というマルクス主義思想の大きな問題に関わる事である。
もうすぐ世界覇権国となる中国の最高指導者層と知識人たちにとっての最重要点は,過去の自身らの誤りをハッキリ認めるかどうかだ。
自身らの愚かさを自認し,その事を外側(世界)へ公言して大切開するか,この事が,これから問われる。
この事は毛 沢東(mao ze dong)時代の1958年から1962年の大躍進運動の4年間で2300万人が死んだ事実の指摘から始まる。
毛 沢東は1962年1月11日からの中共中央拡大工作会議で自身の大失政を認め,国家主席と党主席を辞任した。
毛 沢東はカール・マルクスの『資本論』(1867年刊)に従いマルクス主義経済学の理論どおりに実行する事で,国内で工業化すれば社会主義のまま中国は豊かな社会になると思い込んだ。
彭 徳懐(peng de huai)将軍が「このままでは,とんでもない事になる。大量に餓死者が出ている」と毛 沢東に直言した。
この後,毛 沢東が自身の非を認めて一旦は身を引き,この時に代わって出てきたのが劉 少奇(liu shao qi)である。
彭 徳懐に続き劉 少奇も酷い死に方をして誰も国を建て直す事が出来なくなり,1966年から再び毛 沢東が権力を握って文化大革命を始めた。
1976年までの10年間で1億人の農民が餓死して,500万人ぐらいの指導者層と知識人も死んだ。
中国人は,この悲惨きわまりない文革の悲劇を忘れない。
この文革の嵐の時(1968年)に15歳だった習 近平(xi jin ping)は下放され地方の農村地へ送られた。
この後,習 近平は文革第1世代の指導者(上海閥の太子党)の子供として19歳で清華大学に入学した。
父の習 仲勲(xi zhone xun)は太子党の優れた大幹部で,鄧 小平(deng xiao ping)の1978年からの改革開放政策を先取りしていた。
なぜ中国は,こんな事になったのかを考える事が重要である。
マルクスの『資本論』のとおりに従えば平等社会が出来て,且つ国家と国民が豊かになれると信じ込んでいた。
だが現実は地獄の世界になって動乱となった。
だから自分,峯岸が指摘したとおり,カール・マルクスが作った経済理論に大きな欠陥があったのだ。
日本人の誰もが,よく分からずに口にする「人間は誰もが平等」というのは,欧州近代社会が作った権利の平等の事である。
1人1票という選挙権,インフラでの公共サービスを受ける上での権利,個人が国家から平等な取り扱いを受ける事が人権である。
”だがマルクスは『資本論』で人間の個々の能力も平等としてしまった。
そして全ての労働者の労働が剰余価値(付加価値)を産むとしてしまった。
この大きな間違いを今でも日本では誰も指摘しない“。
日本(日本人)は,個々の人間の個人差と能力差を公然と認め合う事から再出発しないといけない。
日本は,この事を公言する事が憚れる,おかしな国,異常な国である。
そのくせ匿名のSNSやインターネット上では面識の無い者までディスって攻撃する。
自分,峯岸は日本に居て,この事が,とてつもなく気持ち悪かった。
中国は,このマルクスの資本論の重大な過ちに気づいて修正し,世界覇権国まで到達したのだ。
【Y=C+Iの真実に気づいた中国】
マルクス経済学の概念であるsurplus value(剰余価値)は,西洋の近代経済学で言うadded value(付加価値)と同じである。
価値の増殖という考え方だ。
人間は価値を増やす事で,より豊かに暮らせるという原理である。
“この価値の増殖が出来るのは能力のある人だけである”。
この事をカール・マルクスは意図的に無視した。
全ての人間の労働は剰余価値,付加価値を産むとした。
なぜなら,この真実を認めてしまうと,自身が大成した社会主義という思想が大きく崩れてしまうからだ。
”剰余価値は能力のある者だけしか産まない“。
コレがジョン・メイナード・ケインズが作った「Y=C+I」という有効需要(創造)の原理の数式である。
ケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1941年刊)という著作をリリースし,この著作で図式(Y=C+I)を示して人類は新しい時代へ入った。
経済学部出身の者なら世界で知らない者はいない数式である。
このケインズのY=C+Iへ向かって日本の経済学者の森嶋通夫(ex.LSE=ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。2004年7月死去)が,マルクスの資本論を剰余価値の原理として公式(X=C+N)を立てた。
森嶋道夫は剰余価値の原理の公式を自身の著作『マルクスの経済学』(東洋経済新報社,1974年刊,岩波書店,2004年刊)に載せ,アメリカ経済学の泰斗のポール・サミュエルソン(1970年,第2回ノーベル経済学賞受賞)と,この事で激突,論争した。
そんな中で森嶋道夫は弟子の小室直樹を日本最高頭脳としてサミュエルソンの元へ送った。
ココでは詳しくは述べないが,自分,峯岸は,小室直樹がサミュエルソンに師事した事は大きな間違いだったと判定している。
史上初めて経済学を数式化した(数式で表した)のはケインズの先生であるアルフレッド・マーシャルだ。
マーシャルは「Y=M」という式を作った。
Yはyieldで生産高,国家や企業の1年間の売り上げで,個人であれば年収である。
MはMoney(カネ)の総量である。
この「Y(売り上げ)=M(カネ)」の式をケインズが「Y=C+I」と書き換えた。
このY=C+IのCをConsumption(消費),IをInvestment(投資)と,世界中の経済学部で教えている。
東大の経済学部でも,そう教えている。
だがコレは間違いだ。
”Y=C+IのCはConsumption(消費)ではなくCost(費用)である“。
機械や設備などを動かす為の費用(光熱費)だ。
このCのCost(費用)には労働者も含まれる。
会社の社員や店舗などの施設で従業員として働いている者たちだ。
そして”IはInvestment(投資)ではなくIntellect(才能,知能)である。
この知能が高く能力のある社員と悪賢い経営者が価値を創造して増殖させる。
コレが剰余価値だ”。
中国より前に革命を起こしたロシアが,このマルクスの大きな間違い(意図的な間違い)を引きずった。
全ての人間が余剰(付加)価値を創出できると愚かにも信じ込んでしまった。
この思想の土台(始まり)がジャン・ジャック・ルソーが唱えた「人間の能力も全て平等だ」である。
だから,その後の啓蒙思想家たちが「人間の能力は平等ではない」と言いきる事が出来なかった。
この事がロシアと中国で後に大きな悲劇を生んだのだ。
ロシア革命と中国革命という2つの人類の大実験は大失敗に終わった。
だから森嶋通夫に倣い,1980年代からキッシンジャー・アソシエイツの紹介と資金で中国のエリートたちから順に合計で400万人ぐらいがアメリカの大学に留学した。
このうち300万人は中国に帰り「千人計画」
という名称の,アメリカから学問分野の先端知識を盗み出した。
この森嶋理論を当時の留学生だった王 滬寧(wang hu ning。中央政治局常務委員の序列4位。「現代の諸葛孔明」と呼ばれる天才)たち,今の中国の最高指導者層(チャイナ・セブン)が理解した。
「価値を産む能力のある若者たちを大事にして育てなければいけない」と,ハッと大きく気づいた。
誰よりも早く,この重要性に気づいたのが鄧 小平である。
彼が言った「不管黑猫白猫,能捉到老鼠就是好猫」(黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ)は有名だ。
そして「これから我々は豊かになる。同じ過ちは繰り返さない。能力のある者から先へ行き後続の手本となれ」と宣言した。
コレが先富論である。
この鄧 小平の先富論は,能力のある者を大切にしろという事だ。
この時(1978年)から今の巨大な中国の動きが始まった。
だから中国人は欧米による愚かな煽動に騙されない。
【中国が気づいた有能な資本家の大切さ】
ロシアでも1917年のボリシェヴィキ革命以来,同じ事が起きた。
貴族と富裕階級層が命からがら外国へ脱出した。
主に欧州へ逃げたが,一部はシベリア鉄道で旧満州の哈爾濱(ハルビン)まで逃げて日本に来た。
そして船でアメリカに渡った。
能力とは学校での勉強が出来る事ではない。
学校での勉強が出来る指標である偏差値は現実の社会では全く役に立たない。
この偏差値は公務員の世界でしか通用しない(評価されない)。
本当の能力とは,従業員と自身の家族を食べさせる経営の才能の事である。
利益を産み出す力がある者を大切に処遇する事で企業が成長し,従業員が豊かになる。
従業員を上手く使って利益を出し給料を払う。
こういう者を大切にしなくてはいけない事を今の中国人が分かったのだ。
中国は1978年12月18日の鄧 小平による改革開放の宣言で,今の超大国への道を歩み始めた。
鄧 小平たちは欧米の資本主義に屈服し,その真似をする者という事で「走資派」と呼ばれた。
文革後も古い毛 沢東思想に拘った者たちは鄧 小平派を嫌い続けた。
その最後の将軍が昨年(2023年),失脚した,劉 亜洲(liu ya zhou)上将だ。
劉 亜州は太子党(上海閥)で軍の中の軍制思想を担当していた。
改革開放宣言の11年後に天安門事件が起きた。
この抗議運動に参加して民主化を要求した学生たちは全て大学の寮に逃げ帰った後に捕まった。
そしてアメリカに出て行き,エリートなら国費留学生となった。
そして自身の思想(信念)を変えた。
思想転向した。
そして自身らの改革要求行動がアメリカ(CIA)に操られていた事を知った。
天安門広場の騒乱で死んだ200人ぐらいの死者は殆どが周囲から集まった青年たちである。
この時の衝突で人民解放軍の兵士も50人ぐらい死んでいる。
広場に居た学生たちは劉 暁波(liu xiao bo。この時は北京師範大学講師。後にノーベル平和賞受賞)を軍との交渉者にして,広場から全員で退避した。
民主化運動の主力だった学生たちの中から死者は一人も出ていない。
自分,峯岸は,自ら現地調査して証拠も集めた。
この時,前・首相で昨年(2023年)10月に死去した李 克強(li ke qiang)は,北京大学の同級生は広場に行ったのに独り教室に居てジッと耐えていた。
この時の李 克強の態度が今の優れた最高指導者層の姿として映し出されている。
共産党が大きく転向した,この時に始めたのが,社会主義的な市場経済という国家体制である。
コレが前回も解説した特色ある社会主義(資本主義と社会主義が共存した国家体制)である。
1950年代,当時のアメリカ経済学の泰斗であるポール・サミュエルソンたちは「中国は成長できない」と言い切っていた。
「なぜなら価格を決められないからだ。価格は市場でしか決まらない。価格が決められなければ経済成長はない。社会の発展も進歩もない」と言い続けた。
物価を,どう決めるかを,サミュエルソンはバーコフ・モデルという物理学の理論で証明した。
カップの中のコーヒーに砂糖やミルクを溶かして匙で混ぜると,渦が中心で一点に収斂する。
この一つの渦で集約した地点を価格とした。
この数理経済学の理論でサミュエルソンは1970年にノーベル経済学賞を受賞した。
だが,この戦後世界をリードしてきたアメリカ理論経済学=計量経済学が2008年9月15日(リーマン・ショック)に破綻した。
【貴方を世界最高知能まで連れていきます】
では前述したY=Mを用いて,これから貴方を東大法学部より遥かに上の清華大学(中国最高峰の理系大学)を卒業したレベル,すなわち世界最高知能まで連れていきます。
今から説明する事は自分,峯岸が,2019年に清華大学での講演で話した内容です。
コレが理解できると日本人が誤認識しているカール・マルクスの資本論と,同じく日本人が理解できない,これからアメリカに取って代わり世界覇権国となる中国を正しく理解する事が出来ます。
そしてソコから世界政治(金融・経済と軍事・外交の動き)を大きく捉える事が出来ます。
という事は,この枠組の中に入れられている日本の立ち位置も理解できるという事です。
出来るだけ分かりやすく説明するので,何となくで構わないので頑張って理解を試みて下さい。
漠然とでも理解できれば,今後の貴方の人生で大きく役立ちます。
【経済学理論は一つの公式で説明できる】
日本人も複雑に考えている経済学という学問は,実はY(イールド)=M(マネー)という一つの公式で表す事が出来る。
以下に載せた6つの経済学の原理を示した表を見て頂きたい。
この表の⑥のピケティ以外の5つの方程式は,経済学部出身者なら,どれか一つは必ず目にしている数式である。
「知らない,覚えてない」と言う人は,親のスネを嚙って大学に行かせてもらったくせに,勉強しないで女のケツばかり追いかけていた罰当たりだ (笑)
この6つの方程式の④のY=I・S=L・Mは,現在の理論経済学(真実は2008年9月15日にニューヨークで崩壊した)の集大成のように扱われている。
③の方程式はケインズ経済学の粋を表したモノとされる。
I・S=L・Mで「ジョン・ヒックスによってケインズの一般理論が美しい一個の数式で見事に表現された」(1937年)とされる。
I・S=L・Mとは
I(投資)×S(貯蓄)=L(流動性選好)×M(通貨供給量)
である。
コレだけでは何のこっちゃ分からない。
経済学部を出て大企業へ入社した「エリート」と呼ばれている者でも理解している者はいない。
分かったフリだけで実際は理解していない。
世界で最も優秀な清華大学の学生でも,この数式だけでは理解できない。
では,この数式を自分,峯岸が大きく言い換えて解説する。
このI・Sは2つ合わせてY(イールド。人間の全ての生産活動)である。
L・Mは,ココでは一旦L(流動性選好=リクイディティ・プリファレンス)を無視してM(通貨供給量=マネー・サプライ)そのものである。
だから④のI・S=L・MもY=Mに置き換わる。
すなわち人間の全ての生産活動=カネ(マネー)である。
Y(イールド)は国の全ての生産活動=GDP(国内総生産。今の日本なら4.2兆ドル=630兆円)と置き換えられる。
企業が一年間に稼ぎ出す売り上げ,総収入も同じだ。
更に一人のサラリーマン=勤め人=給与所得者である貴方の年収(例えば500万円)もそうだ。
Yは,そういう抽象概念である。
このYはカメレオンのように色々と変化すると分かってほしい。
Yは人間という生物の動きの全体(量)である。
この抽象(頭でパッと大きく分かる事)が出来ないと,日本人(アジア人)が西洋の知識を身に付ける事は出来ない。
無理やりでもいいのでパッと飛び上がって閃いて下さい。
そうすれば貴方にもYが理解できる。
Y=MのMはマネー・サプライ(マネー・ストック)と言い,カネの量すべてという意味だ。
だからY(私の全ての生活活動)=M(500万円)となる。
このY=Mさえ漠然とでも大きく分かれば,実は簡単なのだ。
このYはフワフワとしており,膨らんだり縮んだりする。
人間活動が活発になると膨らむ。
30億円だった企業の年間売り上げが40億円へ上がる。
貴方の年収は減る事もある。
ある国が戦争や騒乱になるとYは減り,反対に高度成長経済で好景気が続く事(年率10%とか)もある。
この時Yは膨らむ。
すると同時に反対のMも同じだけ膨らむ。
Y=Mだからだ。
だから全てY=Mと分かれば,経済学という学問の理論は,その土台が同じだと分かる。
どんな複雑な数式も元に戻していけば簡単に表せる。
コレを
Y(実物経済。財物の市場)=M(紙幣経済。金融市場)
とも言い換えられる。
このY=Mという数式を作ったのは①の,冒頭で述べたアルフレッド・マーシャルだ。
マーシャルが『経済学の原理』(1890年刊)という著作で,この①の数式であるM=kpYを作った。
マーシャルは③を作ったジョン・メイナード・ケインズの先生である。
当時25歳のケインズはマーシャルの授業を受けている。
そして若くして後継者と周囲に,みなされた。
ケインズは先生のアルフレッド・マーシャルと同じく,自身が作った数式③のMをmoney supply(マネー・サプライ)と使う。
【フィッシャーの交換方程式がマネタリズムを産んだ】
続いて別の流派の経済学者に触れる。
②のMv=PQを作ったアーヴィング・フィッシャー(1947年4月死去。イェール大学で教授を務めた)である。
このアーヴィング・フィッシャーが,現在に至るもジョン・メイナード・ケインズの思想と激しく対立し,争い続けているマネタリズム(とにかく紙幣さえジャブジャブに供給すれば景気は良くなるという理論)の創始者である。
このマネタリズムが日本のアベノミクスの理論的支柱であり,浜田宏一(イェール大学名誉教授。88歳。まだ生きてる)と竹中平蔵と伊藤隆敏(現在は東工大特任教授)が日本での旗振り人だった。
今の世界中の全ての経済学者(ハーバード大学のニュー・ケインジアンたちが頭目)は,全て③の方程式のケインズ派か,②のアーヴィング・フィッシャーの交換方程式のマネタリスト(シカゴ学派)の,どちらかである。
すなわち世界の理論経済学を理解するという事は,この2つの流派の対立が分かるという事だ。
だから大きくはY=Mを認めた上での,経済学という西洋学問における学者たちの2大分類である。
そしてケインジアン(ケインズ学派)に属するくせに,実は②のアーヴィング・フィッシャーのマネタリズムに骨の髄から頭までヤラれているのが,ハーバード大学に巣喰う,ノーベル経済学賞を出来レースで総ナメにしているアメリカの経済学者どもだ。
コイツらが手下の浜田宏一や竹中平蔵や伊藤隆敏を使って日本の金融政策(アベノミクス)を上から大きく操り,今も岸田文雄政権に指令を出して動かしている。
ハッキリ言う,グレン・ハバード(コロンビア大学ビジネス・スクール院長。竹中平蔵と伊藤隆敏の親分)とロバート・ルーカス(1995年,ノーベル経済学賞受賞。アメリカ経済学界のドン。伊藤隆敏のハーバード大学留学時代の指導教授)たちだ。
グレン・ハバードはAEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)の客員研究員も兼務しており,このAEIはCSIS(戦略国際問題研究所)の経済部門として切り離されて独立している民主党ネオコン派の牙城である。
だからボス(姐御)はヒラリー・クリントンだ。
ココに今やマネタリストに屈服したラリー・サマーズ(ビル・クリントン政権の財務長官。2006年までハーバード大学学長。現在はOpenAIの役員)とポール・クルーグマン(ニューヨーク市立大学大学院センター教授。2008年,ノーベル経済学賞受賞。ニューヨーク・タイムズ紙で20年以上コラムを書いており,これまで日本を散々と批判してきたが,自身らの誤ちを認めた)がいる。
アメリカで湧き起こっている金融・経済の政策議論に今さらラリー・サマーズとポール・クルーグマンが偉そうに出てきて,若い急進リベラル派(貧しい国民を救え派)に向かって「オマエたちの考えは愚かだ」と叱りつけている。
コイツらは,どのツラ下げて,そんな事が言えるのか。
この2人こそリーマン・ショックの戦犯で,規制緩和の経済学理論の唱導者だ。
それが「私たちは経済学界の大家だ」と言わんばかりに出てくるのは笑止千万である。
本当は,この2人は打ち首モンなのだ。
リーマン・ショック後の7年間でQE(量的緩和=ジャブジャブ・マネー)を3回やり,ヤメると発表したQEを,その後も本当は続けている。
リーマン・ショックから16年が経ち,アメリカの病状は悪化の一途の末期症状で本当は破綻している。
自身らの金融理論が大破産し,その後に恥の上塗りで実施したQEの応急処置も効かず,どうしたらいいのか分からなくなっている。
コレが今のアメリカ理論経済学=計量経済学界の真の姿だ。
もう誰も偉そうな事を言う経済学者はいなくなった。
というより恥ずかしくて表に出てこれず学内に引き籠もっている。
ジョセフ・スティグリッツ(コロンビア大学教授。2001年ノーベル経済学賞受賞)とジェフリー・サックス(コロンビア大学 地球研究所長。雅子皇后のハーバード大学時代の指導教授)も表に出ない。
今や地に落ちたアメリカの真実が露わに見て取れる。
この国に戦後79年間むしゃぶりつかれ,自身らの巨額の国民資金を貢がされている日本の惨めさを噛みしめるがいい。
日本人の99%は脳をヤラれているため,この事の自覚さえない。
このハーバード大学を牙城とするニュー・ケインジアンたちはケインズ思想の裏切り者たちで,マネタリストへの屈服者,転落者たちだ。
リーマン・ショックからの10年でQEが経済政策として大失敗だった事がハッキリと露呈した。
つまりアーヴィング・フィッシャーのマネタリズム経済学の大敗北がハッキリしたという事だ。
すなわちコレを真似していただけの日本のアベノミクスも大間違い,大失敗だった事が立証された。
それなのに日本人は今でも天に向かって安倍晋三を神のように称えている。
①のアルフレッド・マーシャルのM=kpYと,②のアーヴィング・フィッシャーの交換方程式であるMv=PQは,どちらも大きくはM=Yである。
アメリカのイェール大学教授だったアーヴィング・フィッシャーは,イギリスのケンブリッジ大学教授だったアルフレッド・マーシャルより25歳下である。
マーシャルの名は新古典派経済学の泰斗,大家として,アメリカでも轟いていた。
フィッシャーが②の数式が載った『価値と価格の理論の数学的研究』(1892年刊)を書いたのは25歳の時である。
この著作で「神童現る」と周りから称讃,激賞され,この数年後にイェール大学の教授に就いた。
フィッシャーの②の数式は,先生であるマーシャルの①の数式の真似である。
①でマーシャルがM=kpYと初めて数式で表し,このpは価格(price)で,Y(人間の全ての生産活動。生産物)×p(価格)で,このpは無視してよくYだ。
ソレにkが付いている。
このkは後に「マーシャルのk」と呼ばれるようになった。
①の数式を移項して変換するとk=M/pYとなる。
このkは比例定数や媒介変数と呼ばれるモノで,YとMの両方を調整して一致させる為の係数(記号)だ。
年収と財産の関係がある。
例えば年収800万円の人は,この年収の5倍の資産があると見られる。
だから年収の5倍までは銀行が住宅ローンを融資する。
コレをマーシャルの数式①に当てハメると
M(資産4000万円)=kpY(800万円)
となる。
するとk=4000万円/800万円=5となる。
実は,コレはアーヴィング・フィッシャーの数式②のv(流通速度。貨幣の回転率)と同じ事である。
25歳のフィッシャーが先生のマーシャルからパクって作り変えたのだ。
西洋人が19世紀から作った高級な経済学という学問は,実はコレだけの事だ。
みんな難しく考えるから理解できないのだ。
どんなに難しい数式で表し,ソレを何百行もの難解な数式に展開(変形),演算しても,全てはY=Mなのだ。
フィッシャーの②の数式のP(価格)×Q(生産量)はYと同じ事だ。
そしてマーシャルの①の数式のkがフィッシャーの②の数式のvと同じ事だと信じて信奉したのが,シカゴ学派の最大のワルであるミルトン・フリードマン(2006年,死去)だ。
フリードマンは「マーシャルの①の数式のkを年率2%の貨幣の増加率として法律で決定せよ」と言った。
そして「毎年,必ず紙幣(米ドル)の量を2%ずつ増やして市中へ流すべきだ。そうすれば必ず不況から脱出できる。不況なのは世の中に通貨が流れていないからだ。それだけだ」と断言した。
このミルトン・フリードマンがアーヴィング・フィッシャーのマネタリズム,シカゴ学派の後継ぎで2代目だ。
世界の先物市場の総本山であるCME(シカゴ・マーカンタイル取引所)のドン(名誉会長)のレオ・メラメド(92歳。もうすぐ死ぬ)は,ミルトン・フリードマンの弟子である。
フィッシャーとフリードマンが,日本がヤラされ続けてきたアベノミクスの「量的緩和(ジャブジャブ・マネー)で景気は回復する」の創作者(創始者)だ。
【ケインズの偉大さはsurplusの発見にある】
では「③のケインズの思想なら,今の世界の大不況を好景気にする手法(政策)はあるのか?」と問われれば,今の時代にケインズが生きていたとしても出来ない。
だがケインズの偉大さは,人間が生きる世界は不確実な事が多いから,皆で試行錯誤しながら社会を改善していくしかないと分かっていた点だ。
今の日本のバカな首相(岸田文雄)とバカな日銀総裁(植田和男)のように「紙幣を大量に刷って流せば好景気になる。そうしたら人々がカネを使って景気回復する」などとアホな事は言わなかった。
ケインズは1920年代から人類は生産過剰,設備過剰,商品の作り過ぎで売れない,そして最後に人間(労働者)の余剰で失業者が溢れる事を予見した。
コレがケインズの偉大さで,コレら余剰,過剰を,英語でsurplus(サープラス)と言う。
ケインズは「有効需要を生み出すしかない。その為には政府が大規模な公共事業を行い失業者に職を与えなければいけない」と政策提言した。
商品,サービスの供給側が過剰だから,ソレに見合っただけの受け手を作るべきだと論じた。
ではココで一つ,日本人には信じられない真実を記しておく。
ケインズが言ったsurplusの余剰,つまり余ってしまった人間を一国あたり数百万人単位で殺処分しなくてはいけないという冷酷な考えを持った者たちがいる。
この連中が,いつも自分,峯岸が言っている欧米グローバリスト(地球支配主義者)である。
この数百万人単位の殺処分が戦争である。
この戦争を自分,峯岸の言葉で「公共”破壊”事業」と言う。
つまり帝国(今ならアメリカ)にとって戦争は公共事業なのだ。
その為にアメリカには軍需産業界という,政府を背後から動かす巨大組織(支持母体)がある。
RTXコーポレーション,ロッキード・マーティン,ボーイングなどだ。
この軍需産業界がヒラリー・クリントンを総帥(女帝)とするグローバリストたちの民主党ネオコン派である。
コレらの事は前回の投稿で解説した。
これまでアメリカ帝国は10年に一度,世界の各地で戦争を仕掛けてきたが,激しく衰弱した今は5年に一度どころか2〜3年おきでないと保たない。
ボロボロで真っ赤っ赤な帳簿を戦争で吹き飛ばすしか手立てがない。
だが今のアメリカは,その戦争すら満足に出来ない程に衰退している。
肝心の米軍を動かす資金が無いからだ。
且つ軍人たちに,もう騙されて無意味な人殺し(戦争)などヤラないという固い決意があり求心力を失ったからだ。
実はアーヴィング・フィッシャーの②の数式,Mv=PQのv(velocity=貨幣の流通速度)が,一体どういうモノなのか経済学者が分かっていない。
このvはアルフレッド・マーシャルの①の数式のkと同じだ。
日本の経済学者たちも大学の授業でコレらの数式を教えるだけで,本当の意味を理解していて説明できる者がいない。
大学の教授が分からないのだから,メディア(テレビ,新聞,雑誌,ラジオ)に出ているバカ御用学者どもが分かる筈ない。
では自分,峯岸が,簡潔に分かりやすく説明する。
アルフレッド・マーシャルのM=kpYもアーヴィング・フィッシャーのMv=PQも,Y=Mを変形させただけである。
コレはアインシュタインの相対性理論,E(エネルギー)=mc(質量×光速度)の2乗の,2乗と同じ事だ。
だから今のマネタリストであるニュー・ケインジアンたちは,Y=MならM=Yだと掏り替えた。
「 Y(国民所得)が増えるとM(カネの量)が増えるなら,Mのカネを中央銀行(日本なら日銀)が刷り散らして放出(ジャブジャブ・マネー)すれば,株式と土地の価格が上がる。M(カネの総量)が大きくなるからYも大きくなる。だから景気が回復する」と,逆転の発想をした。
この金融政策を一心不乱にヤッたが案の定ダメだった,当たり前だ。
この金融政策の日本版がアベノミクスである。
だから自分,峯岸は「こんなシカゴ学派のマネタリスト政策(日本国民の資金をアメリカに流す政策=アベノミクス)は政策ではなく,ただ日本国民のカネをアメリカ様へ貢ぐだけだ」と,最初から糾弾した。
ノーベル経済学賞の学者どもが束になって行った人類の大実験は,このように大破産した。
推進した経済学者どもは大恥を掻いた。
だからマトモな経済学者は表には出てこれず学内に閉じ篭っている。
アメリカの理論経済学=計量経済学,つまり経済学という学問は2008年9月15日(リーマン・ショック)で完敗,死んだのだ。
【Y=C+Iという人類の大原理】
ケインズ経済学は③のY=C+Iという公式を持っている。
Y(国民所得)=C(消費)+I(投資)
だ。
世界中で経済学を学んだ者は,このように教えられている。
だが,この公式の本当の意味を理解している日本人はいない。
前述したとおり教えている大学教授が理解していないからだ。
このY=C+Iは,額面どおり見ると何が何だか分からない。
「国民所得は消費と投資を足したモノ? ん?」となる。
自分,峯岸は,これまで多数の経済学部出身者に「ケインズのY=C+Iって,どういう事?」と訊いてきたが,誰も正しく回答できない。
大企業に勤務している者でも「世の中は人々が消費して,投資などで経済を回して,我々の所得となって返ってくるんだよ」と答える (笑)
Y=C+Iの注目点はC(consumption)+I(investment)の部分だ。
このCは前述したとおり,consumption(消費)のCではなく,工場の生産設備やソレに付いて働いている者(従業員,労働者)の事である。
だからCは,本当はcost(コスト)のCで,経費の事で家賃や光熱費のような固定費の事である。
従業員の給料も含まれる。
そしてIはinvestment(投資)の Iではなくintellect(知力,能力)のIで,有能な従業員,例えば新商品を開発したりして会社の売り上げを伸ばす人の事である。
だからケインズの公式Y(国民所得)=C(消費)+I(投資)を,自分,峯岸が置き換えると次のようになる。
Y(会社の売り上げ)=C(会社の設備と,指示された事だけをヤル従業員)+I(会社に付加価値を齎す有能な従業員)
となる。
従業員10人の零細企業なら,経営者と一人の有能な従業員がIで,残りの8人がCとなる。
そしてC+IはY=MのM(カネの総量)なのだ。
Iが儲けを作り出すので,その分Yが膨らむ。
⑤の数式のカール・マルクスの剰余価値の原理である
X(商品の価値)=C(生産材。工場設備)+N(労働)
は,ケインズのY=C+Iと同じだ。
このマルクスの⑤の公式は,前述した森嶋通夫が,精密な近代経済学の数式に作り上げたモノである。
⑤の数式は,社会主義思想(貧乏人,労働者を救けだす思想)の大成者であるカール・マルクスの『資本論』(1864年刊)の粋を,①〜④の公式と同じ土俵に乗せる為に森嶋通夫が近代経済学の数式で表した。
今の巨大に成長した中国を創ったのは2人の日本人学者である。
この2人が今の大繁栄を遂げた中国に設計図,OS(オペレーティング・システム)を伝授した。
中国が貧しい共産主義国から脱出し,急激に豊かになっていく為のアメリカ理論経済学の真髄を,秀才の中国人留学生たちに教えたのが森嶋通夫である。
そしてスタンフォード大学教授だった青木昌彦(2015年,死去)だ。
この2人の日本人学者がマルクス経済学である『資本論』を,ケインズ経済学のマクロ計量モデルに,そのまま置き換える事が出来ると,計量経済学の高等数学の手法で中国人たちに教え込んだ。
この教えが1980年代からの中国の巨大な成長の原動力となった。
「マルクスが描いた資本家による労働者の搾取率は,そのまま近代経済学の利潤率(利益率)と全く同じである」と,森嶋通夫がカール・マルクスの資本論を近代経済学=アメリカ理論経済学の微分方程式に置き換えた。
そして,この方程式を青木昌彦が教えた。
ソレが今の大繁栄した中国を作った設計図,マニュアルになったのだ。
コレは,とてつもない人類の大業績である。
この事を森嶋通夫は自身の著作『マルクスの経済学』で書いた。
当然ノーベル経済学賞を受賞するに値するが,属国の学者に経済部門のノーベル賞を与える訳にはいかないため受賞できなかった。
全米の大学に留学していた秀才の中国人留学生たちは,この森嶋通夫が作った方程式で巨大な真実を知った。
自身らが腹の底から渇望していた大きな知識を手に入れた。
「私たちは,この森嶋本(『マルクスの経済学』)で欧米近代=近代資本主義とは何だったのか分かった。コレで中国は豊かさを手に入れる事が出来る」と理解した。
この時の留学生と共に,習 近平の助言者で前・国家副主席の王 岐山(wang qi shan),前・中国人民銀行総裁の周 小川(zhou xiao chuan),そしてチャイナ・セブン(中央政治局常務委員)で習 近平の側近中の側近である王 滬寧(wang hu ning)らがいる。
彼ら今の中国の最高指導者層(チャイナ・セブン)はズバ抜けた頭脳を持った超スーパーエリートである。
偏差値30前後で漢字も読めない麻生太郎や検討しか出来ない検討使の岸田文雄とは次元が違うのだ。
そもそも同じ土俵で較べる事が失礼だ。
今の中国の最高指導者層は,岸田文雄や大臣どもが対等に交渉できる相手ではないのだ。
この事を日本人は理解しないといけない。
カール・マルクスは,自分,峯岸が前述した労働者(従業員)を,指示された事だけをヤル労働者と,会社に付加価値を齎す有能な従業員に分けなかった。
自分,峯岸がケインズのY=C+Iを置き換えた
Y(会社の売り上げ)=C(会社の設備と,指示された事だけをヤル従業員)+I(会社に付加価値を齎す有能な従業員)
の公式のように分けなかった。
ココがマルクスの最大の過ちである。
マルクスはキレイゴトを言い過ぎた。
「労働者は全て,その労働によって余剰価値を産み出す。その余剰価値を資本家(経営者)が搾取する」とした。
悪賢く抜け目のない(能力のある)従業員は,やがて頭角を現し経営者として成り上がっていく。
いつまでも一つの会社に,しがみ付く事はしない。
現実社会で生き残る有能な経営者は皆こういう人々だ。
自分,峯岸は,プライベートで大好きなフットボール旅をしているのだが,W杯や五輪やアジア杯や南米選手権やアフリカ・ネーションズ杯や各国リーグ戦などで世界中を周り,現地で出会う人は経営者と個人事業主も多い。
彼らは企業でエンジニアやPM職などに就いていた者たちが多く,独立して経済面と時間面で自由を手に入れている。
会社員時代は会社に拘束されていたが,今は自由に時間も使えて収入も増大している。
会社で上司の言う事に従っているだけの者は,そのまま月給4〜50万円ほどの貧乏な会社員=労働者で人生を終えていく。
だから現実社会は,この事をケインズの公式で自分,峯岸が置き換えると
Y(現実社会)=C(上司が指示した事だけしかしない能力の無い従業員)+I(独立して収入を何倍にも増大させた有能な経営者)
となる。
コレが世の中の大きな真実だ。
日本では自分,峯岸のように,こういう事を誰もハッキリと言わない。
このように経済学という学問は,全てY=Mという公式に行き着く。
ココから色々と複雑難解そうに派生していくから,誰もが狼狽える。
だが自分,峯岸が,このように正体をバラしたから,こんなモノは恐くない。
今の世界中の経済学者たちは,アルフレッド・マーシャルが作ったY(イールド)=M(マネー)という公式から始まった者たちだ。
政府は難しそうな事を言って国民を脅しに掛かるが,このように正体が分かったら恐くはないでしょ?
更に近年(10年前),大評判となった⑥のピケティのr>gの公式も自分,峯岸は解明している。
このピケティのr>gは
r(カネ持ち=資産家)>g(国民の成長率)
で,資産家たち富裕階級層の収益=儲けの方が,全ての国民の生活向上率より大きいという事を『21世紀の資本』(みすず書房,2014年刊)で書いた。
ピケティが書いた,この事は真実だ。
だが,この⑥の公式も
M(カネ持ち=資産家)>Y(全ての国民の生活向上率)
と置き換える事が出来る。
以上,駆け足で説明したが,どれだけの人が理解してくれるか。
この自分,峯岸の解説を読んでピンと来た人は,この世の大きな真実に気づいた人である。
且つ能力がある人=切り拓いていく力がある人(Y=C+IのIの人)なので,企業(組織)に雇われて経済的にも時間的にも自由を奪われる労働者という現代の奴隷としての生き方ではなく,自身で利益を産み出して資本を得る生き方へ転換する事を,自分,峯岸は提言します。
【外国人技能実習制度を改悪した育成就労制度】
3月15日,岸田文雄政権は既存の外国人技能実習制度を廃止し,育成就労制度を新設(看板の付け替え)する法案を閣議決定した。
〜転載貼り付け始め〜
〜転載貼り付け終わり〜
こういう売国政策だけは検討は一切せずに即決で動くのが検討使たる岸田文雄である。
今回もメディアども(テレビ,新聞,雑誌,ラジオ)が芸能人の,どうでもいい,くだらない情報を毎日,朝から晩まで流していた筈だ。
その裏で国民に気づかれないよう,こういう重要な事が水面下で進められるのだ。
自分,峯岸は,この外国人技能実習制度について1年前の投稿の【適切な進化圧を掛けられない日本】で触れた。
ココで解説したとおり,”この外国人の技能実習制度は現代の奴隷制度である“。
別の言い方をすれば“宣言なき移民政策”である。
つまり移民を「技能実習生」という言葉に代替して隠れ蓑にしている。
政府は絶対に「移民」という言葉を使いたくないのだ。
この奴隷制度(移民政策)を強化したのが閣議決定した育成就労制度である。
この外国人技能実習制度は安倍晋三政権の時に拡大して大量に受け入れ,この時に入って来た者たちが不法移民化している。
自分,峯岸は2022年の日本での講演で,この不法移民化した外国人技能実習生たちの事について話した。
犯罪で捕まり入国管理局へ移送される外国人は,刑事施設へ収監される事なく軽い取り調べだけで直ぐに解放される。
だから起訴されない。
この事を外国人犯罪組織が理解しているため,彼らは日本での犯罪を恐れていない。
犯罪で捕まっても本国へ送還どころか収容すらされないのだから,犯罪天国のユルユルな日本でヤリたい放題だ。
だから今の日本は地方都市を中心に外国人の犯罪が多発しているのだ。
地方の工場や酪農施設で鉄などの金属や家畜が盗まれている事件の犯行は殆どが外国人組織である。
元々は技能実習生で日本に来た,不法移民化した外国人たちだ。
彼ら現代の奴隷である技能実習生(低賃金労働者)を安易に受け入れた結果,賃金の未払いや環境に対応できず解雇が発生した際に,元々の制度上で受け皿が無いため彼らは行き場を失ってしまう。
そうなれば彼らは収入が失くなり仕事も見つからないまま放り出される事になる。
そういった者が集まって組織化され,犯罪グループとなっていく。
だから彼らを取り締まってしまうと,この低賃金労働者である外国人技能実習生が入ってこなくなるため日本政府としては困るのだ。
この事を取材して記事にしようとした,自分,峯岸の読者の記者が,会社の編集会議で上層部に記事を止められた。
つまり政府が箝口令を敷いているという事だ。
だから彼らから自分,峯岸に「記事にする事が出来ないので峯岸さんから外国の報道機関に伝えて下さい」と連絡が来た。
社名を言えば誰でも分かる大手メディア2社(新聞社と雑誌社)の記者2人だ。
岸田文雄は,この外国人技能実習制度について「発展的解消」という言葉を使い,従来の「外国人技能実習制度」から「育成就労制度」と名称を変更した。
外国人組織の犯罪が多発しているためイメージを払拭したいのだ。
だから実態は何も変わっていない。
岸田文雄政権が考えている事は,とにかく大量に外国人労働者を受け入れる事である。
その為に,この育成就労制度で制限,条件を,更に緩和したのだ。
だから日本語が全く話せない者でも制度を利用できるようにした。
つまり民度の低い者たちにも門戸を開いたという事である。
もっと分かりやすく言えば「外国人なら誰でもいいので日本に来て下さい」という事だ。
まさにサブプライムローンの日本版である。
2000年代初頭のアメリカで,収入の無いヒスパニックや移民にも住宅ローン(2000万円)を組まくった結果,案の定で債権が焦げ付いた。
コレが2007年8月のサブプライムローン危機の元凶で,翌年のリーマン・ショックに繋がった。
岸田文雄政権は日本人より,この育成就労制度(外国人労働者)を拡充しているので,これから予算を大きく入れ込んでいく。
もちろん財源は日本国民から奪う税金(血税)だ。
だから,こども家庭庁による子育て支援金という名の強奪金と同じように社会保険料として強制的に奪っていく。
岸田文雄が「外国人に選ばれる日本になる」と主張したとおり,自国民(日本国民)を無視している事がハッキリと分かる。
昨年(2023年)7月,岸田文雄はサウジアラビア,UAE(アラブ首長国連邦),カタールと,中東3国を訪問した。
そして帰国後の会見で「中東諸国は移民が多数います。ドバイもカタールも自国民は1〜2割で,あとは外国人です。日本も,こういう素晴らしい政策を取り入れなくてはなりません」と述べた。
だが岸田文雄は,この中東諸国の制度が,どういう仕組で,どういう目的で,どのような移民制度なのかを全く理解できていない。
岸田の思考は「自国民(日本国民)が1〜2割でも外国人で補えば国は上手く回っていく」という事である。
その手法が育成就労制度という名の,外国からの低賃金労働者を大量に受け入れ,各産業分野(製造業,漁業,農業など)へ投入していく事だ。
日本に来る外国人の技能実習生たちの成功例はインドネシアの海洋実習生で,文字どおり技能(養殖技術)を習得して自国へ還元(移転)している。
このような模範例は稀で,この技能実習とは表向きの建て前で現実(実態)は,外国からの移民は生活費を稼いだり母国へ仕送りする為に来日している。
この外国人技能実習制度=育成就労制度(奴隷制度)がある限り,日本国内の企業の競争が産み出される事は絶対にない。
なぜなら外国から彼ら低賃金労働者が流入してくれば,彼らと日本国内の日本人労働者が競い合う事となる。
つまり価格競争(いかに安く製造できるか)となる。
だから賃金はドンドン下がっていく。
だから日本は大不況(デフレ)となって可処分所得が減少して貧しい者が大量に溢れているのだ。
自分,峯岸が10年以上前(アベノミクスが始まった時)から予言した世界(スタグフレーション)が出現したではないか。
何が「日本はインフレで景気回復基調にある」だバカどもが。
こんな事を経済学者である日銀の総裁(植田和男。一応は東大を出ている)が真顔で主張している。
こんな無能なバカが日本の金融政策の舵取りをしている。
【日本と諸外国の移民政策の決定的相違点】
シンガポール建国の父で初代首相である賢人リー・クアンユー(2015年3月死去)が「移民は経済成長の調整弁」と言った。
シンガポールでインフラ開発の際,建設労働者が足りない時に,短期的(期間的)に外国から現場労働者を受け入れたが,建設が終わったら労働者との契約を打ち切った。
言わば計画的(臨時的)な移民である。
この移民たちはシンガポール人と同じ待遇で,公共インフラも利用でき人権も平等に与えられた。
外国人(移民)が流入して賃金が下がれば治安は悪化する。
だから今の日本は東南アジアより治安が悪くなったではないか。
では日本の移民政策(育成就労制度)と,香港やシンガポールやドバイの移民政策は何が違うのか。
決定的,致命的な違いは何なのか。
MNSI峯岸国家戦略研究所ではFreeport(自由貿易港)ツアーを開催しているのだが,コレらの地域はFTZ(Free Trade Zone=自由貿易地区)と言う,関税が掛からない無税地帯である。
サウジアラビアとカタールも経済特区構想でFTZを建設し,本格的に稼働し始めている。
FTZには大きな経常利益を出している企業や自国の税金監督庁(日本なら国税庁)に狙われている富裕階級層が集まる。
つまり経営者や資産家たちだ。
大きな利益を出す会社は当然,税金面での負担が大きくなる。
だから自国の悪辣な税金制度から逃れる為に会社の本社機能と従業員をFTZがある国や地域へ移す。
日本は世界一の税金大国(重税国)なため,稼げば稼ぐほど(働けば働くほど)損する国である。
だから自分,峯岸は,たかだか数万円の為に残業して自身の余暇の時間を無駄に潰している者をバカと言っているのだ。
日本の大企業に勤務する自分,峯岸の知人に,この残業好きなバカ(役職に就いている)がいて,たかが数万円の為に土日以外のプライベートな時間を潰している。
そのくせ「ヤリたい事あんのに時間なくて全然できないっす」と言うので,一度,目の前でハッキリと指摘したら,腑に落ちない表情を露わにした (笑)
日本には大学の法学部や経済学部を出て大企業に就職しても,目先の数万円の為に,その何倍も価値を産み出す事が出来る時間を無駄に使い悪循環に陥っている事を理解できないバカが溢れている。
今の日本は,住民税非課税世帯以外の者にとってはキツい国である。
この締め付けが,これから更に強化されていく。
中産階級は自身の稼ぎの半分以上を国家(税金官僚)に奪られるからだ。
そして納めた税金(給料から強制的に奪われる強奪金)は日本(日本人)の為に使われていない。
だから自分,峯岸は,世界で最も政治が腐敗している日本に辟易して外国へ拠点を移したのだ。
こんな国で仕事(経済活動)など本気で出来ない。
自分の能力をフルに発揮できない。
例えばMicrosoftやIBMやIntelなどのアメリカの企業がFTZへ進出していて,彼らが本国や世界各国から従業員を数百人ほど連れて来る。
こういうFTZへ入る企業という事は前述したとおり利益(売り上げ)が大きいため従業員の給料が高い。
国民負担率が6公4民で給料の6割が税金で国家に強制的に奪われている日本人,そして日本に入って来る外国人労働者(低賃金労働者)と違い,FTZに移転して来る外国人は高収入で購買力が高い。
自分,峯岸の知人でシンガポールの会社で働くシンガポール在住の22歳の中国人女性が居る。
普通の事務(総務)職の彼女の月収は130万円である。
22歳の事務職の若者が130万円の月給である。
特別な資格やスキルなどは無く,日本で言えば一般の派遣従業員と同じである。
”もちろん130万円の全額が手取りだ“。
だから余暇を過ごす交際費などで色々と使える。
こういうカネを落とす事が出来る外国人が次々と入って来る。
配偶者や子供も連れて来れば家族の居住スペース(不動産)を借りるなり購入したりして,学校や病院やスーパーマーケットなど,日常生活でも消費が産まれ更にカネを落とす。
コレら学校や病院やスーパーの運営会社である基幹産業や国営企業に投資して利益を得ているのが政府系ファンドである。
政府系ファンドは運営会社の株式を保有して配当金を得る。
香港なら香港金融管理局,シンガポールならテマセク・ホールディングス,ドバイならICD(ドバイ投資公社),サウジアラビアならPIF(Public Investment Fund),カタールならカタール投資庁などだ。
自分,峯岸は,2022年末のカタールW杯と昨年(2023年)11月のサウジアラビア視察と今年(2024年)1月〜2月のカタールでのアジア杯で,カタール投資庁とPIFの方々と面会して手厚い歓待を受けた。
この時の様子を微信(WeChat)とLINEに載せた。
中国の実業家たちだけでなく,近年は中東アラブ諸国が欧州のビッグクラブを買収して政府系ファンドが所有している。
世界王者マンチェスター・シティのオーナーはシェイク・マンスール(マンスール・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン。54歳)で,UAE(アラブ首長国連邦)最大の首長国であるアブダビの王族(ナヒヤーン家)である。
このナヒヤーン家が運営するアブダビ・ユナイテッド・グループという政府系ファンドがマンチェスター・シティを所有している。
そしてリーグ・アンの絶対王者であるパリSGのオーナーはカタールの政府系ファンドであるカタール投資庁で,元首(首長)のタミーム・ビン・ハマド・アール・サーニー(43歳)の友人でカタール・スポーツ・インヴェストメント(カタール投資庁の子会社)会長のナセル・アル・ケライフィー(50歳)がパリSGの会長にも就いている。
そしてマンチェスター・シティと同じプレミア・リーグのニューカッスルのオーナーはサウジアラビアの政府系ファンドPIF会長のムハンマド・ビン・サルマン王太子(38歳)である。
このように,あと3ヶ月弱で49歳になる自分,峯岸と同年代の国家指導者たちが,世界の金融と経済を動かして資金が国内だけでなく世界中で活発に流通している。
サウジアラビアの国家指導者であるサルマン王太子は38歳だ。
一方でG7(日本も入っている),アメリカは判断も行動も鈍い80歳前後の爺さん2人が国家経営のトップの座を未だに争っている。
日本も2世3世の80歳前後のジジイどもと70代60代が国会を占有している。
この場面からも時代おくれのG7(アメリカ,欧州,日本)の凋落がハッキリと見て取れる。
非G7諸国はコレら政府系ファンドがクラブ経営で得る大きな収入と運用益を自国民に年金として還元している。
リー・クアンユーは「シンガポール人は年金だけで生涯2回,家を建てられる」と言った。
だからシンガポール人は皆,持ち家がある。
このようにして無税国家が成立している。
一方で日本は,前述したとおり外国人技能実習生という現代の奴隷である低賃金労働者しか入って来ない。
そうなれば競合は更なる低賃金労働者を獲得する為に設備投資を控えて予算を削減する。
だから前述した価格競争が産まれる。
そうなれば当然,市場は縮小の一途を辿る。
日本にはGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)という世界最大の年金ファンドがあるが,このファンドの原資は日本国民4500万人が国家に強制的に奪われている厚生年金の掛け金(社会保険料)である。
“だから香港やシンガポールやドバイやサウジアラビアやカタールと違い政府資金ではなく国民資金である”。
貴方が国家に給料から強制的に奪われているカネだ。
日本国民は,この払いたくもない年金の掛け金を有無も言わさず強制的に奪われ,国家は責任を取りたくないため国民の自己責任にして勝手に運用している。
運用と言えば響きは良いが,日本国民の資金でアメリカの債券(米国債)や株式やファンド(投資信託)などの金融商品を買っている。
“だから投資ではなく貢ぎである”。
いいですか,”貴方が老後に貰えると勘違いしている年金は受給が約束されていない“。
自己責任だから受給できなくても誰にも訴える事は出来ないのだ。
「私たち(国家)は国民の年金の掛け金をGPIFに運用委託してる事をハッキリと公言しています。だから運用に失敗しても私たちに責任はありません」と居直っている。
だから受給できなくなって裁判しても国民は勝てないのだ。
だから運用に失敗したら(真実はアメリカに貢いでいるだけだから戻ってこない)国民が詰め腹を切る事になる。
そもそも現行の賦課式(現役世代が受給世代を支える制度)の年金制度は現時点で破綻が確定している。
それなのに博奕と変わらない不確実な日本の年金制度で,毎月,自己資金で払うなど愚の骨頂である。
日本人は競馬やパチンコやカジノなどギャンブル(実態は賭け麻雀と同じ賭博なのに公営ギャンブルという勝手な理屈で利権化している)に対して否定的なくせに,この競馬やパチンコやカジノ以上の,20歳以上の全ての日本国民が強制的に参加させられている日本最大のギャンブルである年金に対しては何の危機,不信を抱いていない。
自分,峯岸から言わせたら,この年金という国家振り込め詐欺に気づかず未だに欺されている国民がバカなのだ。
奴隷の勤め人は源泉徴収で強制的に奪われるため抵抗できないが,憲法の条文を読んで理解できる,まともな頭をした者なら年金の掛け金など払わない。
だから公的年金は毎年,受給額が減少し,受給開始年齢を引き上げ,納付期間を延ばそうとしているのだ。
“今の現役世代は公的年金は受給できない”。
日本国民は国家が日本最大の振り込め詐欺犯である事を理解できていない。
自身が欺され続けている事が理解できない。
だから本気で公的年金を受給できると思い込んでいる。
人間は自身が欺されている事を認めたくない生物である。
日本人が全く理解できていないので繰り返す。
香港やシンガポールやドバイやサウジアラビアやカタールなどは,政府系ファンドが国家資金で国内企業へ投資し,その運用利益=配当金を年金として国民へ還元している。
この原資は100%国家資金で国民資金ではない。
日本のように掛け金として国民の給料から強制的に社会保険料という名の税金を奪う事などしない。
これまでに何度も解説しているとおり,“社会保険料は保険税という税金である”。
世界基準では,自身の意思ではなく国家に強制的に奪われるカネは全て税金である。
貴方が夢見て憧れているアメリカ人に訊いてみなさい。
この事を,どうしても日本人が理解できない。
理解できない者はバカだ,このようにハッキリ言っておく。
そんなに税金が大好きなら給料の全額を納めればいい。
香港もシンガポールもドバイもサウジアラビアもカタールも,政府が入国してきた外国人と外国企業からカネを取って自国民へ還元する。
入国する外国人から低額のライセンス料を取り,この資金も政府系ファンドが運用して年金原資となる。
その代わり外国人は無税というバーター制度である。
国民は年金で普通に生活できる。
だが日本は政府が国民から掛け金を強制的に奪い,この国民資金を年金ファンド(GPIF)に運用させアメリカに投資しているという体(テイ)で,その実アメリカに貢いでいるだけである。
アメリカの株式は乱高下が激しくファンド(投資信託)は中途解約できず,米国債は市場で売却できない流動性の無い資産価値ゼロの債券だからだ。
日本が買わされている米国債には50年債,100年債まである。
今回の岸田文雄の訪米で更に米国債を買い増して10兆円を貢いだ。
実に分かりやすく,岸田がアメリカに行ったタイミングで為替相場がピタリと4円の円安へ動いた。
これまでに解説したとおり,5兆円の為替介入で為替は2円,動く。
債券市場にて円売り米ドル買いで決済するため円安へ振れる。
だから為替が150円から154円になったという事は,10兆円分の米国債を買ったという事だ。
日本からアメリカ様への「お納めください」の朝貢外交である。
そして,この投稿をしようとした今,4月27日の朝7:00に,158円まで進んだ。
つまり更に10兆円の円売り米ドル買いで米国債を買い増した(引き受けた)という事だ。
いつも財務省は「行き過ぎた変動に対しては,あらゆる手段を排除せずに適切な行動を取っていきたい」と発表するが,裏で円売り米ドル買いをして米国債を買い支えているくせに,何が「行き過ぎた変動に対して適切な行動を取っていきたい」だバカどもが。
自身で自身の体を刃物で切った者が「適切な治療をしたい」と言っているのと同じだ。
劇団霞が関と劇団永田町による,こんなヤラセ劇場を見せられているのが日本国民である。
このGPIFという年金ファンドは原資が国民の掛け金だから政府系ファンドではない。
政府にとっては政府資金ではないから吹き飛ばしても痛くも痒くもない。
国民の自己資金だから知った事ではない。
だから「政府が運用している訳ではないため補償しません」と居直っている。
だから今年(2024年)からNISA(少額投資非課税制度)を制度改正してiDeCo(確定拠出年金)との抱き合わせでゴリ押ししているのだ。
つまり「公的年金の賦課制度が破綻して政府は補償できないから国民ひとりひとりの自己責任でヤッてね」という事である。
コレらの事も自分,峯岸は,これまでに解説してきた。
新設した育成就労制度では,5年で82万人を移民労働力として受け入れる事となった。
〜転載貼り付け始め〜
〜転載貼り付け終わり〜
この新制度で82万人を受け入れるという事だが,10人まで家族を呼ぶ事が出来るため,最大で820万人となる。
社会保障費が更に喰い潰されていく事は明白だ。
だから日本国民は更に社会保険料として給料から奪われていく。
それよりも現在,日本国内で就労していない日本人の若者が100万人いる。
だから実習生を外国から82万人も入れるのではなく,この100万人の中で労働意欲がある者に職を与えてやらなくてはいけない。
だが岸田文雄政権は,この100万人の日本の若者を意図的に見ていない。
前述したとおり外国から更に低賃金労働者を82万人も入れてしまったら,この安い労働力と日本人が価格競争する事となる。
だから日本人の賃金は更に下がっていく。
この外国人労働者が来れば来るほど日本人の賃金は下がっていく。
だから育成就労制度(外国人技能実習制度)は日本人を今より更に貧しくさせる愚策である。
安い労働力を欲しがるばかりに悪循環に陥る事が理解できない経営者は,経営者としての能力は無い。
2022年末のカタールW杯で,スタジアムの建設に携わった移民労働者たちの労働待遇に関して人権問題にまで発展して大きな問題となった。
日本人は脳をヤラれてアメリカしか見えないため,この世界基準の問題を知らない。
自分,峯岸は,W杯期間(1ヶ月)だけでなく,その前の9月にロケハンで現地へ行き,スタジアム建設に携わった移民労働者たちの問題を調査して微信(WeChat)で報告した。
このカタールでのスタジアム建設に携わったのは東南アジアやアフリカからの移民たちで,低賃金で長時間労働を余儀なくされていた。
だがコレは前述したリー・クアンユーが言った「外国人労働者は経済成長の調整弁」で,期間限定の労働者である。
W杯のスタジアムを建設するまでの期間従業員である。
だから彼らは不法移民ではない。
ココが日本と決定的に異なる点である。
今の日本の問題は不法滞在する仕事の無い外国人,所得の無い外国人で,元々は労働ビザで来日したがビザが切れた者たちだ。
この受け皿が無く外へ弾かれた者たちが組織化し,地方都市を中心に犯罪に手を染めている。
だが前述したとおり,この者たちは強制送還されずに実質の無罪放免となっている。
この問題を抱えている中で更に82万人の外国人労働者(低賃金労働者)を招き入れる事を閣議決定し,法案を国会で通したのが岸田文雄政権である。
こういう重要な事を芸能人などの報道を連日,流し,国民の目を逸らした裏で素早く決めるのが日本という傀儡政権である。
日本国民の99%は脳をヤラれているため,無意識,無自覚のまま,このように呑み込まれていく。
岸田文雄政権が考えている事は,とにかく日本人の労働者を極限まで減らし,労働市場を外国人で占有したい。
最低でもカタールやドバイのように,自国民を1〜2割にして,8割9割を外国からの移民で構成したい。
大企業なら株主だけでなく経営者も全て外国人にしたい。
貴方は今「そんなバカな!」と思っただろう。
イイ歳して夢見る夢子ちゃんだから甘ちゃんの赤ん坊なのだ。
財務官僚と自民党(野党も)には政策など最初から無い。
財源は税金(血税)一択だ。
だから増税しか頭にない。
いかに国民から税金を奪えるかが,財務官僚どもの原動力である。
国家の本音は,国民の給料から食費と家賃と光熱費以外の稼ぎを奪いたい。
その全てをアメリカ様へ納めたい。
財務官僚は国民に「メシが食えるだけ有り難く思え」と思っている。
信じられないだろうが真実である。
イタリアがメローニ政権になってから一気にアフリカから移民が大量に入り込んできた。
日本人は「日本は島国だから大丈夫だよ」と楽観しているが,アフリカ人は船に乗ってイタリアまで入っている。
だから次は日本という事で,岸田文雄が閣議決定して法案を国会で通して忠実に台本を読み上げたのだ。
今アメリカが移民問題で国家を大きく揺るがしている。
欧州各国も同じである。
だから日本は,この流れに追随している。
【日本の移民政策から見えるマルクス資本論の過ち】
ココで注目すべきは,この日本の移民政策からもカール・マルクスの資本論の過ちが分かる事である。
この日本に入って来る低賃金労働者である移民は剰余価値を産まない。
日本に来る外国人技能実習生という名の移民は,自分,峯岸がケインズの有効需要(創造)の原理の公式であるY=C+Iを置き換えた
Y(会社の売り上げ)=C(会社の設備と,指示された事だけをヤル従業員)+I(会社に付加価値を齎す有能な従業員)
の,C(Cost)に入る。
だが日本(岸田文雄政権)は,この外国人技能実習生をI(intellect)に入れている。
本来Iに入れるべき,大きな経常利益を上げる企業の経営者や独立した有能な実業家ら日本人(自国民)に,税金という鋭利な法律の刃で襲い掛かる。
だから資産家も含む彼らは外国へ逃避する。
こんな国で商売していたらケツの毛まで抜かれて1代で滅んでしまう。
自国の経営者や有能な者や国民を冷遇し,外国を優遇する外ヅラだけ良い国家がスタグフレーションから脱却できる訳がない。
外国人技能実習生を受け入れれば受け入れる程,日本人労働者が労働市場で競合となりY=C+IのCのCostとなるため,賃金は更に下がって可処分所得が減少して更に貧しくなっていく。
コレが日本と諸外国(欧米以外)の移民政策の決定的な違いである。
一言で言えば,国家(政府)が国民を大切にしているか無視しているかだ。
まさにG7(日本も入っている)は不法移民によって自国民の生活が脅かされている。
とりわけアメリカが大きな問題となって国の解体(国家分裂)の危機に陥っているが,日本のメディアは全く報道しないため日本人は知らない。
このアメリカの姿は他人事ではなく,アメリカに追随して移民政策を強化した明日の日本なのだ。
【人をit(ソレ)ではなくyou(汝)とする,置き換え(入れ替え)不可能なホーム・フィールドを与えよ】
日本は1990年代から移民問題,テクノロジー問題,気候危機,地球環境問題などが出てきたが,今の日本の政治体制でコレらを解決する事は科学的に考えてもない。
日本の共産党は未だにレーニンをマルクス主義として数えている。
コレは戦間期からの欧州マルクス主義,そして以降のユーロ・コミュニズム(1970年代のイタリア,フランス,スペインなどの共産党が採った共産主義ソ連型と異なり,自由とデモクラシーの擁護を公言した)からの流れから言えば有り得ない事である。
イタリア共産党は名称を変更した。
だが名称を変えればいいという問題ではなく「従来の機関決定第一主義をヤメる事が重要で,これからの新しい本質を継続した運動は共同体自治主義(municipalism=ミュニシパリズム。その地域に住んでいる人が主導して行う政治的活動),それぞれの地域は,それぞれの事情を抱えていて,ソレを知っているのはソコに居住している者たちで,その人たちが知恵を集めて共同体自治を行う,この動きを機関決定で封じてはいけない。むしろ小さなユニットの民主制とコレを共和させる為の工夫で,民衆の為の政治をする」という事になった。
コレが従来の中央集権的な社会民主政治体制とは違う民主的社会主義である。
中央集権的から単なる分権という事ではなく,共同体自治的な,国民が参加する分権へ移行しないとユーロ・コミュニズムの流れから見ても完全に時代錯誤となる。
例えば国家(政権)が大学まで教育費を無償という政策を採れば,国民は不安が軽減する。
もし大学まで教育費が無償となれば,金銭的に進学を諦める事を余儀なくされる者がいなくなる。
女性なら学費の為に風俗で働いたりパパ活をする必要もなくなる。
日本は憲法26条で国民が教育を受ける権利を保障しているくせに,間に義務教育という境界線を咬ませた教育カースト制の国家である。
欧州諸国は大学の学費が無償のところでなくても年間300ユーロ(5万円)ぐらいで実質の無償である。
院まで行けば逆に給料が出る。
コレがWorld Values(ワールド・ヴァリューズ=世界普遍価値=世界基準)である。
日本人のように将来の教育費が不安だから蓄財しなければいけないとか,年金だけでは生活できないから投資しなきゃいけないとか(まさに今,日本人が国家に欺されてヤラされているNISAとiDeCo),こういう懸念が一切ない。
この場面でも幸福度という数字で目に見える形でハッキリと表れている。
だから日本はG20の中で最も幸福度が低いのだ。
国家(政府)が「将来の心配をしなくていいのでカネを使って下さい」と言える事,コレが統治戦略としては経済活性化と国民の幸福度上昇の基本的な方向線である。
れいわ新選組の山本太郎や彼に連なる愚かなMMT論者どもが「自国通貨建ての国債を発行できる国は財政破綻しない」と強く主張しているが,自分,峯岸から言わせれば「だから何?」だ。
財政破綻しなければ国民が幸せになるのか?
財政破綻しなければ国民の生活が豊かになるのか?
そもそも「自国通貨建ての国債を発行できる国は財政破綻しない」が嘘だ。
アメリカの現状がハッキリと証明している。
俗に言うB層と呼ばれる,自身の頭で考える事が出来ない者たちが,この貧困ビジネスを展開している,れいわ新選組と参政党,そしてMMT論者どもに欺されてしまう。
問題は国家(政府)がメディア(テレビ,新聞,雑誌,ラジオ)によって脳をヤラれた国民の将来不安を取り除き「給料や蓄えからドンドン使って下さい」と言えばいいだけである。
4万円の定額減税(所得税3万円,住民税1万円)という,こんな蚊の鳴いたような意味の無い事でヤッた感を押し付けて悦に入るのが日本政府だ。
財政破綻しないから今の日本の病巣である既得権益が猛威を振るうのだ。
だから財政破綻させて既得権益をブッ壊し,与党も野党も解体してリスタートした方が良いのだ。
この加速主義改革で1997年に韓国が見事に立ち直ったではないか。
隣国に手本があるのに日本人はアメリカしか見えないため,この事さえ分からない。
安倍晋三政権時代に雇用待遇が少し改善したが,コレは非正規雇用を増やしたのだから当然の事で,不全感を「コイツが敵だ!」という言説で絡め取られる形で投票行動を誘導され,結局は再び自民党を支持しているのが今の日本人である。
コレが以前に解説した,国民が自民党という既得権益に縋っている事だ。
国民も既得権益に浸かっているのに自覚が無い。
つまり民主制を支える民意の劣化が生じている。
この事は選挙の投票率が如実に表している。
日本人は国政選挙でも地方選挙でも知事選挙でも,どの党が,誰が,どのような政策,思想を持っているのかなどを,家族や友人や地域で井戸端会議的に議論を交わす事が全くない。
SNSなどで本名も経歴も姿(顔)も不明な,リアルで会った事のない何処の誰かも分からない者とネット上だけで傷を舐め合い繋がりを求め合っている。
こういう者が雨後の筍のように溢れている。
メチャクチャ気持ち悪い現象である。
だから,こういう秘匿性のコミュニティだけに民度が著しく低い。
60代70代の方は学生時代に皆で集まる文化的プラットフォームがあり議論し合っていた。
W杯を現地観戦した事がある方は分かるとおり,W杯は宗教,人種,言語の壁を越えて世界中から人が集まる。
FIFA(国際フットボール連盟)の加盟国数を見て分かるとおり,W杯は五輪以上の世界最大の祭典である。
日本人はアメリカしか見えないため,この世界基準すら理解できていない。
だからフットボールを野球と同じ,ただのスポーツとして捉えている。
W杯を現地にて生で体感すると分かる事だが,欧州や南米や中東や東南&中央アジアやアフリカでも,彼らは必ず自身の政治思想を持ち主張する。
逆に自身の言葉で述べる事が出来なければ「コイツは何も考えていない適当な奴だな」と判定され,大人として見られない。
家族や仲間や地域(コミュニティ)でスタジアムに結集し,チャントを歌いバンデラッソ(決起集会)する。
バンデラッソで自らの思想を投影して団結する。
W杯ともなれば仕事を辞めて財産を投げ打って参戦する者も多数いる。
人生を賭けているからだ。
だから本気度が違う。
コレは有識者の会話ではなく,この程度の議論は世界中で学生たちでさえ交わしている。
逆に「そんな事は普段からしてるよ」と言えるぐらいにならなければいけないのだ。
そうすれば,より先の事をコチラが話せる。
では,なぜ世界で日本人だけ政治的議論が出来ないのか。
家族や仲間や地域で集まり思想を交わし合う事が出来ないのか。
日本人は1996年以降,政治の話題を避けるようになった。
ソレは友だちの概念が変わったからである。
何でも話せるのが友だちなのだが,空気を読めない事を恐れてキャラを演じるだけになり,若者たちのコミュニケーションが急転した。
よって政治や性愛や趣味の話題が忌避されるようになった。
友だちのフリをした仲良しごっこにヒビが入るからだ。
コレがインターネットの台頭で加速した。
政治の話しは思想が表に出て,恋愛の話しは奥手が乗れず,趣味の話しは好き嫌いが分かれる。
よって空気を読んで盛り上がれる話ししかしないようになった。
2000年代からのネット化,2010年代からのスマートフォン化で,空気を読めない事を恐れてキャラを演じるようになり,当人が友だちと称する者は友だちどころか知り合いレベルにも満たない,友だちがいない若者だらけになった。
何処にも紐付かない若者が多数派になった。
コレが昨今の闇バイトに気軽に応募する背景でもある。
そして東京の歌舞伎町や大阪のミナミなどで路上に立って売春する素人の若者の出現もそうだ。
相談できる友だちがいれば止めてもらえる。
1996年,21歳の若者だった自分,峯岸だが,だから同年代(50歳)から下の世代は政治(政治思想)の話しが出来ない。
大企業の従業員でも50歳以下は政治や思想の話しが出来ない。
自分,峯岸と同年代の中にも「あなた本当に大企業の社員ですか?」という者が多数いる。
日本は形式上はデモクラシー(代議制民主政治体制)国家である。
だが,このデモクラシーには民度という前提がある。
民度は個人の事と捉えられているが,そうではなく,人々が普段から,どういうコミュニケーションをしているのかという事である。
人々の地場のコミュニケーションのモード,またはソレを支える生活形式次第では,民主制は非常に危ないモノとなる。
「日本はデモクラシー(民主政治)国家の良い国です」「日本はデモクラシーの価値観を守る国と連帯します」と,安倍晋三や岸田文雄も言ったが,民主制は民度を支える生活形式次第という事を国会議員は誰も言わない。
もちろん学校の教師と親も言わない,教える事が出来ない。
だから日本の学生は「日本は民主政治の国だから良い国だ」と履き違えてしまう。
デモクラシーは人間(国民)一人一人が,一定の生活形式,民度を持っていれば素晴らしいモノとなり,条件付きで良いモノにも悪いモノにもなる事を教えていないのだ。
まさに柳田國男(「日本民俗学の父」と称される学者。1962年死去)が言った「日本人には社会という概念が無い」に直結している。
1970年〜80年代は地域共同体があり,自身に何かあったら助けてもらうという界隈が親族も含めて数十人規模あったが,1990年代に入ると縮小していき2〜3人ほどとなり,1990年代後半から2000年ごろにゼロとなった。
地域社会,地域的な共同性があった時には,公共性と評価されるような無償の贈り物(贈与)を与える感覚が日本人にあった。
だが見知らぬ者に対して,どうするのかという枠組(マインドセット)が日本人には無い。
ソレは日本(日本人)には血縁主義の伝統が無いからだ。
血縁主義の伝統とは,国を越え,どんなに離れていても血縁上のネットワークにある事が判明すれば,顔と名前を知らない者でも助ける事である。
この血縁主義は必ず宗教が結び付き,世界で2つの大きな血縁種族があり,ソレはユダヤ人(ユダヤ教)と中国人(華僑)のネットワークである。
この強固なネットワークを目の当たりに出来るのが世界最大の祭典であるW杯だ。
ユダヤ人と中国人は本大会に出場しなくともスポンサーとして企業が参画しており,参加国より大きな存在感を発揮している。
だから中国は本大会に出場していないのに出場国のサポーターより多数の中国人(華僑)が現地に集まる。
ユダヤ教と華僑の人が資金的に現地で宿泊施設を確保する事で困っていれば,スポンサーやコミュニティ・サイトが連携して宿と食事を無料で提供する。
近年ではイスラム教のネットワークも強大になっており,2022年のカタールW杯ではカタール,イラン,サウジアラビアが連帯し,彼らを応援する為に東南アジアや中央アジアやアフリカから多数のイスラム教徒たちが駆けつけた。
日本人は脳をヤラれアメリカしか見えないため,この世界の血縁社会の動きを知らない。
宗教も血縁主義(血縁社会)も無い日本人は,地域で集まる事によって働く「助け合わなきゃ」という精神を守らないと,地方でも地域開発や郊外化が進む事で,途端にバトル・フィールドではないホーム・フィールドが一気に崩れる。
この場面から日本人の劣等性が見える。
この劣等性とは規範が無い事と同じである。
例えば社会心理学者だった山岸俊男(2018年 死去)が「日本人は空気を読もうとして周りの目を気にするが,コレが集団主義なのか?」と提起した。
彼は「コレは集団主義ではなく自身のポジションを保とうとする自己中心主義の表れだ」と断じた。
コレは三島由紀夫(1970年 死去)が言った「空っぽの日本」と同じである。
周囲の意見や空気が一変すると自身の発言を覆えし,昨日まで「私は天皇主義者です」と言ってた者が翌日に「私はデモクラシー(民主政治)信奉者です」と,たった一夜にしてコロっと変わる。
今で言うなら一夜にして持続可能性主義者,一夜にして多様性主義者,一夜にしてフェミニスト,一夜にしてLGBTQに変わる。
こうやって相手の顔色を窺いながらコロコロ変わる思想を価値観やイデオロギーとは言わない。
今の日本国内に居る日本人には仲間を守る,または仲間を守る為なら自身が犠牲になっても構わないというメンタルが無い。
だから日本人はW杯を現地で体感したら驚く。
仕事を捨ててでも祖国(母国)の為に世界中どこへでも駆けつけ,困っている同胞がいたら仲間や家族のように助ける。
自分,峯岸も全く同じなため,現地で困っている日本人を見つけたら積極的に声がけしている。
今年(2024年)になってマルティン・ブーバー(オーストリア出身のユダヤ人思想家。1965年 死去)の『我と汝』を読み返したのだが,ブーバーはユルゲン・ハーバマス(ドイツの哲学者。94歳)の十数年上の世代で,ハーバマスには生活世界(Lebenswelt)という概念があり,この生活世界をホーム・フィールドとした。
対してシステム世界をバトル・フィールドとした。
素晴らしい発想だが『我と汝』を読み返していたら,ブーバーの方が分かりやすく包括的に問題を述べている事に気づいた。
バトル・フィールドである行政や市場やインターネットで繋がるシステム世界は,人をit(ソレ)として扱う世界である。
対してホーム・フィールドである仲間や地域で繋がる生活世界は,人をyou(汝)で扱う世界である。
「我と汝」という関係と「我とソレ」という関係は全く違う。
我とソレの関係ではソレ(it)が置き換え(入れ替え)可能となる。
例えば自分,峯岸は,毎日食べれるぐらいカレーが大好きなのだが,カレーを作る時にニンジンとパプリカと鶏肉を使う。
この材料のニンジンとパプリカと鶏肉に名前を付ける者は誰もいない。
作る人にとっては材料が良ければ何を使っても構わない。
ニンジンとパプリカが嫌いなら玉ねぎとジャガイモにしてもいい。
つまりバトル・フィールド(行政や市場やインターネット空間)における,置き換え(入れ替え)可能な人間とソレ(it)の関係である。
だが人間はソレ(it)だと孤独になり,誰かに置き換え(入れ替え)不可能な汝(you)として眼差された時,初めて輪郭と重みが与えられる。
例えば今の現代社会において老若男女で友人がいない,都合が良いから付き合っているだけ,孤独の埋め合わせの為に人を使っているなど,この都合が良いから付き合ったり孤独の埋め合わせの為に人を使う事は人を道具としている。
感情的な安全が保障される場がないと,再びバトル・フィールドにリエントリーできないのだ。
日本は一つの会社で勤め上げる事が素晴らしいという伝統とも言える慣習が未だに残っている。
だから会社(職場)以外の人間関係が皆無という者が多数いる。
コレは非常に危険である。
会社(職場)で日本人特有の上辺だけの,なあなあな付き合いで,なんとなく接していた者を友だちと思い込んでいる者が多数いる。
だが定年などで退職した際,その友だちだと思っていた会社(職場)の者が,ただの会社(職場)だけの付き合いで友だちでも何でもなかったと,この時になって初めて知る。
だからココで皆バーンアウトするのだ。
人をyou(汝)とする置き換え(入れ替え)不可能なホーム・フィールドが無いからだ。
ホーム・フィールドを保ち,ソコに還元してリセットしてリエントリーできる場(生活世界),または互いをitではなくyouとして眼差し合う場がないと,人間関係は続かない。
絶大な血縁社会を持たない日本人がユダヤ人と中国人に対抗するには,この事を担保しなくては渡り合えないし呑み込まれてしまう。
貴方の親もそうだったように,数学の成績が良いから良い子,英語が出来るから良い子,野球が上手いから良い子など,親は条件付き承認で子供を褒める。
多数の子供は浮かれて喜ぶだけで終わるのだが,生来の頭のキレる優能な子供は「そうか,親ってのは成績さえ良ければ誰でもいいんだな」と感知する。
この条件付き承認は無条件的承認と違い,承認対象を置き換え(入れ替え)可能にする。
つまり我とit(ソレ)となる。
前述したとおり人間は自身が誰かに置き換え(入れ替え)可能だと感じると孤独になる。
だが無条件的承認は自身も社会もOKだという基礎的信頼を与える。
条件付き承認を求めて良い子を演じ続けてきた者は,他人を無条件で承認する力を失うのだ。
「オマエが何を出来ようが出来まいがオマエはオマエだから好きなんだ」と,我が子に言える親が皆無に近いほど日本には居ない。
持って産まれた能力がある子は除き,その他99%の普通の子は,このように子供に伝えられる親子関係の中でしか,自身の世界を持てる感覚は得られない。
だから俗に言う親ガチャは,親の経済力とは別に,この事を子供に,きちんと教え伝える事が出来るか出来ないかで決まるのだ。
コレが7年ごとに行われる青少年研究会の統計である,自身に価値があるかどうかを判断する基準となって表れる。
自身が条件付き承認で育てられてきた事を理解できないから,自身の価値を見いだせない。
だから親の責任なのは明白だが,学校(教師)と地域(周りの大人)の責任でもあるのだ。
この統計から見て分かるとおり,日本の社会は構造的に壊れていて,つまりホーム・フィールド(生活世界)を子供の頃から与えなくてはいけないのに与えられていない。
だからバトル・フィールド(学校や職場など)で世界と張り合える戦闘力の高い戦士(社会人)が育たないのだ。
分子遺伝学と進化生物学の発展で,自らを24時間,置き換え(入れ替え)可能なit(ソレ)だと意識する者が,①孤独に苛まれる事,②孤独が体の免疫力を弱める事,③孤独が心の鬱化と被害妄想化(外部帰属化)を齎す事,コレらの事が明らかになった。
コレが無差別殺傷などの事件だけでなく民主政治(デモクラシー)の危機の温床になってもいる。
世界的実例を挙げると,無差別殺傷を自殺の代わりに実行する者がいる。
自殺するのが恐い,無差別殺傷で逮捕されて死刑になった方が楽,こういった動機を日本人は持ちやすい。
そうすると重罰化,極刑である死刑を用いれば,犯罪抑止に繋がると思われるが,そうは言えない。
生きても死んでも大差ないなとか,ムショでもシャバでも大差ないなとか,なぜ,こう思えてしまうのか,この根本を手当てしない限りは解決しない。
ココを手当てする為に必要なのはit(ソレ)のシステム世界(バトル・フィールド)である行政や司法ではなく,you(汝)の生活世界(ホーム・フィールド)である共同体や地域を回復,復元させる事となる。
なぜならコレは政治ではなく人間の生き方の問題なため,政治はit(ソレ)の行政や司法や立法府なので学校などの教育機関も含むシステム世界だからだ。
ホーム・フィールドである生活世界は,お上が手当てを施す事はない。
この生きても死んでも変わんねえよ,ムショもシャバも変わんねえよという考えは,日本が顕著というより日本だけである。
自分,峯岸は,W杯などで地球の全大陸に降り立って世界各国の人々と交流しているが,こういう考えを持つ者は誰もいない。
なぜなら彼らはWorld Values(世界普遍価値=世界基準)であるフットボールという生活世界のホーム・フィールドを持っているからだ。
ココに家族や仲間(サポーター)や地域(コミュニティ)があり,共同体自治が生きている。
年齢も性別も国籍も仕事もバラバラな者たちが集まり,利害関係なく助け合いながら共存する。
だが日本には規範(基準となる原則)が無く,地域を守ろうという共同体も無い。
マックス・ヴェーバーの言葉で言えば,内部規範と外部規範が無い。
柳田國男が言ったとおり日本は家族が地域に依存していて,自分,峯岸が小学生の時,友だちと家の近所で遊んでいると,祖母が回って複数の子供に目をやり面倒を見ていた。
だから柳田國男は「子供は村の子」と表現した。
今の日本の家族は家族として守るべき規範はない。
だから地域が空っぽになると家族も空っぽになる。
だから日本は家族も地域と同じように空っぽでスカスカな状態,したがって家族はホーム・フィールドではなくなった。
日本ほど規範が無い国はないのだが,今は規範の有り無しの差が無くなった。
ソレは規範が働く場が無いからで,2000年代に入ってインターネット化が進み,可処分時間の殆どがネットとSNSで使われ,そうなると親友と呼ぶ友だちが一人いるかいないかになってしまった。
自分,峯岸は昨年(2023年)の夏に一時帰国した際に十数人のZ世代の若者たちと話す機会があり,彼らに色々と質問した。
ココで自分,峯岸が驚いた事は,なんと彼らはSNSのフォロワーを友だちと差していたのだ。
「その友だち(フォロワー)に会った事あるの? 本名や職業や居住地は知ってるの?」と彼らに訊いたら「知らないです。会った事ないですね。ソレが何か関係あるんですか?」と返された。
衝撃すぎて一瞬,固まってしまった (笑)
自分,峯岸にとっての友だちは,入浴場で裸の付き合いが出来たり,親に言えない事などを話したり,こういった条件を満たすのが友だちで,相手が自身をit(ソレ)ではなくyou(汝)として見てくれる事である。
だがSNSのフォロワーは置き換え(入れ替え)不可能なyou(汝)ではなく,置き換え(入れ替え)可能なit(ソレ)である。
知人と友人の違いはit(ソレ)とyou(汝)の違いである。
恋人と夫婦も同じだ。
相手に告って返事がイエスなら交際し始め,自分,峯岸の言葉で言うなら中2病的デートと呼ぶキャラ&テンプレ(テンプレート)の,愛情が全く入っていない上辺だけの付き合いをしている。
この告られてイエスとは何かと言えば,相互所有権の確認,契約である。
例えば「他の男と2人きりで逢うなよ」「他の男とSEXするなよ」と,深い愛情も無いくせに相手を拘束し,相手が浮気すると「俺のプライドが傷つけられた〜」と吐く,実に浅ましい関係が広がっている。
今の若者だけでなく,50歳以下の者は20歳以降から空気を読めない事を恐れてキャラを演じるだけになり,テンプレの性愛関係で置き換え(入れ替え)可能なit(ソレ)として扱われ,親密圏の消失ゆえの孤独に苦しんでいる。
加えて社会というバトル・フィールドで置き換え(入れ替え)可能なit(ソレ)として扱われる予感が,大量な引き篭もりを産んでもいる。
置き換え(入れ替え)可能なit(ソレ)として扱われてきた者は,他者を置き換え(入れ替え)可能なit(ソレ)として扱い返す。
だから「中国は敵だ!」「日本すげぇ!」という類いの右翼と似て非なる排外主義者や「男の性欲は敵!」「AV嬢は被害者!」の類いのフェミニズム(フェミニスト)とは似て非なる差別主義者が,カテゴリーにステレオタイプを結合するit(ソレ)化を蔓延させている。
この事を自分,峯岸がケインズの公式に変換すると
Y(1996年以降の日本社会)=C(人の入れ替え可能なit=ソレのバトル・フィールド)+I(人の入れ替え不可能なyou=汝のホーム・フィールド)
となる。
だからY=Mである。
なぜ貴方の毎日(日常)はツマラナイのか。
「成功してカネ持ちになれば女にモテまくって人生を謳歌して幸せになれたのに」と思っているだろう。
だが今,貴方が成功だと思っているモノを得たら幸せになれるという,そのバカげた思い込み(幻想)を捨てないと,こんな筈じゃなかった感に苛まれ続ける。
ソレが現にSNSやYouTubeなどのプラットフォームで,リアルで会った事もない本名も経歴も姿(顔)も知らない身元不明な者と,インターネット空間だけで「いいね」を授受し合う事で欲求を満たすような,感情が劣化した人間となって溢れている。
だから置き換え(入れ替え)可能なit(ソレ)ではなく不可能なyou(汝)として「貴方は私にとって,かけがえのない存在だ。私は貴方が好きだ。なぜなら貴方は貴方で唯一無二だから」と言ってくれる者,こういう者たちが本当の仲間であり,この仲間の為に頑張ってる時に人は成果に関係なく生きた感情で交わる。
コレが現代では失ってしまい欠けている共同体である。
だから貴方に小学生や中学生の子供がいたら,人をyou(汝)とする置き換え(入れ替え)不可能なホーム・フィールド(生活世界)を与えてあげる事だ。
互いをitではなくyouとして眼差し合う場を設ける。
「オマエじゃなくてもいいんだ」と,貴方が子供をyou(汝)ではなくit(ソレ)として見れば,人間なのにモノとして扱われたと感じ子供は尊厳を失う。
このように人間はゲノム(遺伝情報)的に出来ている。
コレは親子関係だけでなく友人関係も同じである。
言い換えれば「Amazonでポチれば配送も無料でしてくれて便利だから」という事だ。
インターネットというシステム世界=バトル・フィールド(it=ソレ)での視点である。
it(ソレ)ではなくyou(汝)として見てあげれば,孤独の埋め合わせの為に人を道具として利用するような人間にはならない。
安易に闇バイトに応募するような者にはならない。
ホーム・フィールド(SNSやインターネットではないリアルな仲間,チーム)があれば,少しでも不可解な動きに出れば友だちや地域社会が止めるからだ。
こういう子供たちが増えて成長して共同体となれば,地縁社会の日本人が強大な血縁社会のユダヤ人,中国人と渡り合えるようになる。
コレが,よく日本人が言う「おカネよりも愛が大切」という,本当はカネが全てな嘘のキレイゴトの愛と対極に位置する,自分,峯岸祐一郎が示す愛である。
峯岸祐一郎 拝
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