私が歌う意味を教えてくれた人
2024.11.2
この日は個人的に嬉しい1日だった。この感じを忘れない内に書きとめたい。
この日は朝から大阪の高槻市での人権イベントで歌う仕事に出かけた。
きっかけはシオヤコレクションに行った時、店番していたワカナちゃんが「峰子さん見てたら思い出した!」と言われたこと。ワカナちゃんのお父さんは定年前50歳で交友亭楽笑(こうゆうていらくしょう)という芸名で落語や漫談、司会、バルーンアートなどで福祉に関わる活動しているらしく、「イベントのゲストに昭和歌謡を歌える友達おらんか?」と聞かれていたそうで。「忙しくて忘れてたけど峰子さんを見てたら思い出した! 興味ありますか?」と尋ねられ、「えー! 興味あるー!」と即答でつないでいただいた。
すぐにワカナちゃんが3人のLINEグループを作ってくれた。楽笑さんにイベントの概要をお伺いして、私にできること・できないことをお伝えした。そこを理解してもらった上で、お互いに違和感なくやれるかどうか。私自身は自分に出来ることは少なく感じていたけど、楽笑さんには充分だったようで、すぐにイベントの出演が決まった。当日を迎えるまでに楽笑さんにお会いしてイベントが行われる会場の下見に行き、当日に必要なもの、いらないもの、どんな流れか? の確認を行う。ボランティアで交通費をもらう感じなのかと思っていたら何と有償。しかも私が今までいただいたことがない金額だった。
「その金額に見合う歌を、私は歌えるのだろうか?」
少し不安になった。
少しでも自信をつけたい。働いている施設のデイサービスで公開リハーサルをさせてもらえたら、当日の感触がわかるかも知れない。音楽レクをする訳だからデイサービスにとっては悪い話ではないはず。そう思ったものの、これは所属部署を越える相談。私が退勤後のフリーな状態なら他の職員の負担にはならない。まずはユニットリーダーに相談し、その後にデイサービスの責任者に相談。すぐに実現可能となった。デイサービスで歌った時の反応を見て自信がついた。デイサービスの利用者さんだけでなく職員さんにも喜んでいただけたみたいで嬉しかった。
そして当日。
豪雨が予想されたにも関わらずお客さんが来てくれた。雨なので人数が少ないといえば少ないかも知れない。それでも、この天気の中、どこの誰かもわからない私の歌を聴いていただけることは本当にありがたい。
人権がテーマのイベント。楽笑さんは夏にNGOのメンバーと視察に行ったインドの話をされた。農村地帯の学校、スラム街の生活。現地の子ども達に南京玉すだれやバルーンアートを披露すると目を輝かせて喜んでくれたこと、インドの子ども達の素直な反応が嬉しかったこと、インドの今やスラム街に対する政府の扱いなども含めてお話しされた。
そして私の番。この日の昭和歌謡は事前に打ち合わせで決めていた。
そう決めていたのだけど、最近お亡くなりになられた西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」を加えた。2日前に楽笑さんに相談して了承してもらって。来られる方の年齢層が70代とお伺いしていたから西田さんの年齢に近いし、探偵ナイトスクープの局長をしていた西田さんは関西人に馴染み深い。そして何より歌の歌詞がいい。「もしもピアノが弾けたなら、もっと自分の思いを伝えられるのに」という歯がゆい思いを切なく歌う曲。人権というテーマにも沿っていると思った。
歌の合間に私が入居型高齢者介護施設で働いてること、「パーソナルソング」というドキュメンタリー映画を観て音楽が認知症に効果があることを知り、その中で昭和歌謡を歌うようになったこと。そして私はあるひとりの利用者さんの話をした。
その方は3年前にお亡くなりになったが、私の歌を毎回楽しみにしてくれた。初めて私の歌を聴いてから、思いついたらすぐに歌のリクエストのメモを渡してくれたり、自分が購読してる雑誌に昭和歌謡のコラムがあれば切り抜いて渡してくれた。時に音楽談義もした。夕方になるとピアノがある部屋に出向いてひとりでピアノを弾いていたその方は、クラシックからオペラから歌謡曲から何でもよく聴いたそうだ。他の利用者さんのリクエストでペールギュントの「ソルベーグの歌」を歌った時(弾き語りではなく音源を使って)は、「まさかソルベーグを聴けるとは! 吉田さん、すごいですね!」と喜んでくれた。
そんな楽しい時間を過ごしていたけど、ある日、その方に大腸がんが見つかる。高齢者だし、治療しても回復は見込めないという診断だったが、どうしても治療したいというご本人のご意向で、検査入院した病院で誤嚥性肺炎を起こし、治療どころではない状態になってしまった。誤嚥性肺炎のトラウマか、食事を口にしなくなったその人は寝たきりになった。
私の歌を聴くのを楽しみにしていたその人に、せめて歌を楽しむ喜びは忘れないでほしいと願い、私はリクエストを聞き続けた。歌のレクリエーションが終わった後に、その人の個室に出向き、リクエスト曲を歌う。耳が遠くなって、あまり聞こえてないかも知れないけど私はやり続けた。
ある時「ハチのムサシは死んだのさ」という歌をリクエストされた。知らない歌なので調べると、蜂のムサシが無謀にも太陽に挑んでひとりぼっちで死ぬという内容で「コレはアカン! 癌の治療に挑んで死ぬこと示唆してるみたいでアカン! 歌われへん!」ってなり、「この人は本当にこの歌が聴きたいのか?」と考えた。
その人とお話しした際、昔は教会で讃美歌のピアノの伴奏をしていたことを話してくれたことがある。ならば本当に聴きたいのは讃美歌なんじゃないか? そう思って、密かに「讃美歌312番 いつくしみ深き」をギターの弾き語りで練習した。しかし突然、その歌を披露する2日前にお亡くなりになった。亡くなったと聞き、ユニットリーダーに、実は◯◯さんの為に讃美歌の練習をしていたこと。火葬場に行く前に歌うことはできないかを尋ねた。リーダーはすぐにご家族の許可をとってくれて、私はその日、息を引き取り、火葬場に行く前に安置されているその人の為だけに歌った。
ご遺体の前で「いつくしみ深き」をギターの弾き語りする。それは、私の今までの人生で1番心に残るステージになった。相手はおひとり。しかもご遺体。歌っても聴こえてはいない。無意味かも知れない。それでも私はその人の為にできることを全部差し出せた。上手いかどうかとかは関係ない。人数やお金も関係ない。心の満足度というと何だかおかしいけど、私のできる限りの力で歌えたその出来事が私に歌う意味を教えてくれた。
高齢者福祉では、しばしば人権の尊厳がテーマになる。残された時間をその人らしく生きるには? 尊厳とは何か? 私がそこで話したことは、私が今まで地道にしてきたこと。それはこのイベントのテーマである「人権」に深く関わると思ってお話しした。
その気持ちが伝わったのか、「とてもよかった」とイベントを主催された方にも楽笑さんにも言ってもらえた。私が今まで人知れずしてきた努力も、目には見えない想いも、介護施設でやってきたことも、ぜんぶ活かされた。それが本当に嬉しかった。そして「自分は歌でこの金額を受け取っていいのか?」という不安は消え、堂々と受け取れる自信がついた。私が今までしてきたこと、歌を喜んで楽しみにしてくれた方が居たことに改めて感謝できた。
図らずも、この日はメキシコの「死者の日」。歌う私を死者の世界から応援してくれていたのかも知れないな。
※文中に出てくる方が亡くなる1ヶ月前にリクエストに応えて歌った歌。「初恋」だから制服みたいな格好をして歌いました。その自分が何か面白かったから動画を撮って、当時SNSにアップした。削除しようかと思ってたけど、せっかくだからYouTubeにアップしてみました。
文中で触れたパーソナルソングというドキュメンタリーについて書いた過去のnote
文中に出てきた利用者さんとは違う方だけど、当時の私の歌のレクリエーションの取り組みがわかるnote
歌い続けて本当によかった。