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探訪記:禅と雨とモーターサイクル[#4]

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ナタリー・ゴールドバーグの本を初めて読んだのは10年くらい前だと思う。梅田LOFTの何階かに、かつてあった本屋で、唯一和訳されている『クリエイティブ・ライティング』(後に改題)を買った記憶がある。文章を書くことについての本のようでありながら、じつは深い「禅」の本でもあったのだ。

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彼女の禅の先生である片桐老師の話が随所に出てくる。以来ずっとわたしにとっての大切な本でありつづた。くり返し元気づけられる文章だ。オリジナル・タイトルの “Writing Down the Bone” は、アメリカではいまなおロングセラーだ。それはAmazonUSの、大量のカスタマー・レビューからもうかがえる。

そして “Long Quiet Highway: Waking Up in America” をわたしが見つけたのは1996年の2月か3月、ニュージーランドでのことだった。その少し前からわたしはMacintoshを使っていたけれども、自分のマシンは持っておらず、当時まだインターネットも検索サイトも普及していなかった(えー?、いつの時代だよぉ!)。

記録的な晴天がつづく夏のある日、オークランド市の中央図書館をうろつき、たまたま館内用の検索マシンの白黒の画面で検索してみたらナタリー・ゴールドバーグの本が3冊か4冊あった。借りられる状態にあったのはそのうち “Long Quiet Highway” 1冊だった。ハードカバーの明るいグレーの表紙をよく覚えている。

自分で買ったのはさらに1年か2年くらい後のことで、そのころいつもそうしていたように、京都の北白川にかつてあったが今はもう存在しない「ミューズ・インポートブック・セラーズ」でペーパーバック版を取り寄せ注文した。ちゃんと全部読んだのはこのときだ。禅との出合いから片桐老師から学んだものをつづったこの本は、もうひとつのわたしの大切な本になった。

ちなみに “Long Quiet Highway” のバックカバーには “Zen and the Art of Motorcycle Maintenance” [5] を書いたRobert M.Pirsigが推薦文を寄せている。オートバイ乗りにとっては “Zen and the Art of Motorcycle Maintenance” は古典のひとつ。読んでない人のために片岡義男が書いている書評エッセイを引用しておきたい。

――著者である「私」が、オートバイとの本格的なつきあいのなかから、自分はなにかひとつのしっかりしたことをなしとげたのだという深いよろこびを手にしていく。[…] それは、オートバイと「私」とが完全に一体になったときに見えてくるものであり、それこそほんとうに自分が手にしなければならない「真なるもの」であり「よきもの」であり、禅的なとも言える「道」でもあるのだ。[6]

泰蔵院 (たいぞういん) 境内に並ぶお地蔵さんの前に立ち、周りに誰もいなかったので、お顔のひとつひとつを見ながら手をあわせてわたしはゆっくりと声に出して言った。「You know, Roshi. You gave me a lot. Thank you, Thank you, Thank you」

白い軽トラックが1台、境内に入って来た。地元のおじさんだった。「写真を撮ってまわってるの?」と話がはじまった。「あそこに片桐老師のお名前があったのでびっくりしてたんです、まさかって。あの、ここに白人の女性が来たことはないですか。その人の本を読んで、ここに来たんです」

いろんなことを教えてもらった。町のひとが毎年もちまわりでここの維持管理をしていること。外国人がたしかに来ていた。中には数日ここに泊まっていった尼さんもおられたそうだ。片桐禅師は一回だけ里帰りしたが、結局布教先のアメリカから帰ることはなかったこと。片桐住職がいなくなって他とかけ持ちの住職さんがおられること。檀家の者としてはアメリカに行かれるよりここにおってもらったほうがよかったこと。昔は茅葺き屋根だったけれど、傷みがはげしくなって昭和31年に茶色の瓦になったこと。

お寺の中にも入れてもらい当時の茅葺き屋根の写真なども見せてもらえた。海軍の帽子をかぶったお写真や書などが、鴨居の上の小壁に並んでいる。お正月の準備で用意されたお坊さん用の朱色の座布があざやかだった。そして両脇のみごとな金色の蓮の葉がまぶしかった。

ナタリーが来たときも今日と同じように雨だったのだ。雨が屋根をうつ音が聞こえるお寺の中で、1枚の写真を見つけたナタリーがささやく一節がある。
「老師、これに会うためにわたしはここまで来たのです」

外に出てもういちどあの木の表札を見上げながら、わたしは思った。「これのためにわたしは来たんだ」
日本海から吹き上がってくる強い風が、田んぼをわたり、山の木々を揺らしていた。

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