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探訪記:禅と雨とモーターサイクル[#5]

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敦賀市内にもどりチェック・インした後、夜の商店街のアーケードを歩いた。どこも閉まっているが海の幸をだす食べもの屋さんはいくつか開いている。店のひとつに入りメニューを見たが食べたいものはなかった。席について熱燗をもらって、「あの、魚の煮たやつが食べたいんですけど」といったら寒ブリのあら煮を出してくれた。ほくほくと、あっと言う間にいい気分。

奥の座敷きに1組のお客さん。板前さん2人と女性の店員。年末のテレビを見ながらK-1はまだかと言っている。天気予報は今日と同じ曇りのマーク。ふーんオートバイかい、うちの兄貴は大阪の大東にいるんだ。
雨はまだやまない。

部屋にもどって風呂に入った後、越前カニ寿司を食べる。
ベットに横になってもあれこれ考えが止まらない。
明らかに違った2つの世界がある。1つは35歳でアメリカに渡り、そこでニューエイジの流れとともにおおいに活躍され、はかりしれない影響を与え、ティク・ナット・ハンをはじめ世界のひとに知られている老師のお寺としての面。もう1つは「わたしたちの寺」として、地元の檀家さんたちの生活に密着し、明確な役割をもち、古さにかかわりなく大事に維持され、機能しつづけている存在としてのお寺。

その2つの世界をつなぐものは何もないように思われた。今のわたしの頭の中とナタリーの著作を除いては。

明日は元日だが、寺には寄らずに帰ったほうがいいように思えてきた。窓の下の、駅に通じる夜道を見おろして「ナット、あなたもここを通ったのですか」と問いたくなった。彼女のいるニューメキシコまで届く声で。
ときおり聞こえるはげしい雨の音で、何度か眠りがさえぎられる夜だった。

朝、目を開けるといくぶん空が明るい気がした。雨は上がっていた。明るい空の下でお寺を見たいと思った。そして、なにより初詣せねばと思った。

高校性くらいの女の子2人づれがお寺に向かって歩いていた。境内には3台の乗用車。顔をあわす人と「おめとうございます」を言い合う。地元の大人たちは皆、お正月用なのだろう、どこかぱりっとした出立ちをしてらした。お寺の中に入り、お賽銭をあげ手をあわせた。手をあわせながら目をあけてじっとしていた。2本のろうそくに照らされて黒塗りの仏具が見えた。かつて訪れたことのあるカトマンドゥの寺院が一瞬思い起こされた。

閉められた襖の向こう側で、町の方々が寄り合っておれらるようだった。わたしはそのままそっと外に出た。

海沿いの道近くにとめたオートバイに跨がったまま、日本海をぼんやり見ていた。お寺から見た今日の海は静かに見えたけれど、近くに来ると波もあって、くだける音も響いていた。

長年にわたって厳格な修行を老師とともにつづけたナタリーは、この穏やかで静かな小さな町をいったいどんな思いでながめたのだろうか。
残された檀家の方は違った思いをもっているかもしれないが、それほどにすぐれた禅師であったからこそ、布教師として抜擢されたのではなかったのか。

キッチンに立ち、オーチャドの花瓶に水をさしながらたたずむ老師を見たときナタリーはその場に、その瞬間に、彼が ‘彼そのもの’ として居るのを感じとった。また、あるダンサーは町なかを歩く彼を見たとき、卓越したダンサーだけがもつある種の存在感と同じものをその姿に見てとった。シェルドン・B・コップの一文が思い起こされる。

――その身を生涯巡礼に捧げる人たちは、ひと目でそれと分かるだろう。彼らは「幾多のしるしを、幾多の奇跡との出会いを、そして幾多の冒険の誉れをその身に帯びている」。 [7]

ふいに後ろから声がした「ほう、大阪からかね~。バイクは寒いやろぉ」長靴はいて白いチワワを散歩させている背丈のあるおじいさんだ。さっきお寺にいらした方だった。「ええ、今日は雨じゃなくて良かったっす」「あぁ明け方まで降っとたもんなぁ」(写真:遠くに見える日本海)

kitada_aニアレストネイバー

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