じゆうな語り:正解をさがしちゃう

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雨があがって、水ようの朝。
すげー空あかるい。
四月下旬並みの気温かぁ。

考えちゃう人というのは、そのまま正解を求めちゃう人なのでもあった(わたしです~)。さいきん、あー知らず知らず正解求めてたわーって、ちょいちょい思う。

じぶんの考えの多くを占めているものって、ほんとうは何だっていいんだな。わたしはコミックは、まるきり詳しくないけれども、例えば、ビジネスを熱心に語る人が『ONE PIECE』を引き合いに出してたりする。そこに何かとても参考になる要素があるんだろね。

ずっと昔から、人間がじぶんで持ちきれない心の重荷があるときに、神様などなどに、いろんなことを預けてきたんだな。

でも、だんだん神様に預けるのはもう「ナシね」ってことになって(神とか先祖でもいいけど)、それから、個人の強い意志じゃー、自己(Self)じゃー、ってなって。それもまた行き過ぎて、しんどいわー、って。だって重たいもん。

ゴールドバーグのこのフレーズが好き。

けっしてあなどった姿勢で人に接しないこと。みんな真実の断片を求めているのだから。But we should never underestimate people. They do desire the cut of truth.
――『クリエイティブ・ライティング』春秋社, p.176

どんな考えを持っていてもよくて、どんなストーリーテリングをしてもよくて、じぶんの実感にフィットしていることが大事。いまわたしは実感があるのは二つある。しばらくこの二本立てで行こうと思ってるのじゃ。

無意識を活かすストーリーテリング
一つの真実や、一つの確固たる自己を前提としない実践法

自己(Self)に過度に重きを置く考えはとてもとても根強いので、たぶんこれからも何度も振り返っては戻ることをすることになるだろうな。だから実践してきた先人たちの言葉をときどき確かめて進まなきゃいけない。

結局、私たちの多くが間違いなく(強さや資質と呼ばれる「自己」の)要素や本質というものの存在を肯定し、それを普遍的な現象だと当然のように考えているが、実は強さと資質をもつことは、世界中で普遍的な現象ではない。
――『ナラティヴ・セラピー・クラシックス』金剛出版, p.204

わたしの二本立ては、一見すると同時に話すことが憚(はばか)られそうだけど、だんだんと別にいいやって思えてきた(笑)。どうしたってわたしたちの生は、いくつもの枝葉やいくつもの章からなるとても複雑なものなんだし。[終]

✻読んでくれてありがとう✻