Week 2-6 思考と友達になる
今回は、思考にどう取り組むかについて少しお話したいと思います。
これは、普通の人ならだれでも苦しむ問題です。
あなたもそのひとりかもしれません、しかし、決してあなたは一人ではありません。
「思考が敵ではない」と理解するには時間がかかります。
ある時、「思考は友達、人生で出会う人と同じ」ように捉えることで、私の中で腹落ちしました。
怒っている友達、特に連絡をとりたいと思わない人がいます。
そのような人にあった時には避けたり、遠ざけたり、するでしょう。
反対にとても親切で思いやりのある人もいます。
こういう人は好きだし、もっと一緒にいたいと思いますよね。
電話をしてくれたりしたら大歓迎です。
楽しい人も好意がもてますよね。話している人の興奮やこれからの展望に圧倒されたりもします。
このような時には、未来の考えや、計画の方向へ流されます。
明日特別な誰かとディナーをするとか、来年の夏の旅行のことや空想などのワクワクする冒険話が思考の中で始まるでしょう。
マインドフルネスのプラクティスの時に思考が起こることは全く悪いことではありません。普通のことです。
マインドフルネスは集中するためだけのものではないのです。
全く異なるものです。
集中はマインドフルネスのプラクティスを行なっていると自然に起こってくるものです。
でも、それがマインドフルネスではありません。
集中は、他の全てを排除して一つのものに没頭することです。
マインドフルネスのプラクティスでは一つのもの、例えば呼吸などに集中しながらも、他の経験にも気づくことがあります。感覚、思考、感情。
よく、「水面に落ちる水滴」の写真が、マインドフルネスの教材に使われています。
これは、何を意味しているのでしょうか?
水面に水滴が落ちると、そのあとに、「ぽんっ」と一粒の水が浮き上がります。
この浮き上がる水の粒が、何かに反応した時の、「感覚・思考・感情」と考えられます。
反応して浮き上がった「水の粒」を、ただ観察するのです。
水の粒は、やがて水面に戻って消えていきます。
水面に、多少の波紋も広がりますが、それも、しばらくすると消えていき、かならず平和な水面が戻ってくるのです。
その一連の出来事を「ただ観る」ことが出来るかどうかなのです。
思考を第六感と考えると、その他の五つは、見る、聞く、味わう、臭う、触れるです。
音を聞くように、思考に気づき、観察するのです。
「あ、音だ」というように、「あ、思考だ」と
これらの経験は私たちの感覚のなかで起こります。
思考も音となんら変わりなく起こってきます。
鳥が鳴いたり、ドアの閉まる音をコントロールしたりしません。音に気づくだけです。
思考が起こった時、同じように「気づく」だけです。
マインドフルネスのプラクティスを続けることで、思考が形作られるがままに見ることができるようになります。
思考を自由に行ったり来たりさせることができるようになります。
雲が空を流れていくのと同じです。
ですから、たちのわるいものではないでしょう。流れて去っていくのです。
思考に抵抗すればするほど、思考は増幅します。
この練習に私はとても時間がかかりました。ですから時間をとって、日々一生懸命に取り組んで欲しいと思うのです。
思考を友達、訪問者として、思考にどのように反応しているかを好奇心を持って見てみると、たくさんの学びがあるでしょう。
「この思考は欲しくない」「明日は友達とディナー。これは楽しい。この思考はいい」
マインドで何が起こっているか、マインドがどこに引かれているかを見る科学者になるのです。
マインドフルネスの呼吸のプラクティスの時に、思考が浮かべば、「考えている」と気づくということです。
そして、やさしく戻って、「考えている」というラベルを使います。そして、やさしく呼吸に戻ります。「あ、呼吸にもどった」「呼吸とはどんなものか」というふうにして戻ります。
ですから、呼吸をしながらのマインドフルネスといってよいかもしれません。
そして、他のことにマインドフルになったら、呼吸に戻ります。
でも、ここで、他の経験を払いのけるのではありません。
もしマインドがあまりに動きすぎてがっかりしてしまうような時でも、呼吸に戻ることができること、それ自体がプラクティスの良い兆しだということを覚えておいてくださいね。
時々、まったく気が散らずに200まで数えることができたと思うことがあるかもしれません。しかし、実際には途中でたくさんのことが起こっているのですが、気づいていないだけなのです。
10まで数えたけど、7、8、9を覚えていないようなことをみなさん経験します。10を成功とみなさないでください。
偶然マインドがとても安定していて、集中して数えることが簡単だっただけなのです。
もっと大切なことは、数えている時に、数えているということに気付いているか、呼吸に気付いているか、呼吸から離れたことに気付いているか、ということです。
もし呼吸がその時のプラクティスの対象であれば、呼吸から離れた時に、例えば誰か友達が電話をしてきたのだけど、話せない時のように、「ありがとう。今はまずい。」「ありがとう。今はごめん。」といって、やさしく呼吸にもどります。
「電話ありがとう。」「現れてくれてありがとう、でも、今はごめん。」というのです。
思考を敵でなく、友達と思うことができるようになればなるほど、プラクティスでより落ち着きを得やすくなり、楽しくなります。
そして、自然に好奇心が湧いてきます。思考に対してもっと知りたくなります。「あー、これは未来に関する思考だ」「あー、これは過去に関する思考だ」「今に関する思考だ」「これを考えることで不安が生じていることに気づいた」
このようにしていると、プラクティスがより豊かになり、思考へ対応する識別力が高まってくるでしょう。
プラクティスを楽しんでください!
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