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みんなと湊まちづくりネットワーク
2021年9月2日 10:54
【湊町の製鉄の歴史】みなとネットワーク(教育環境部会)では、湊町の製鉄の歴史について様々な調査を行ってきましたが、今回もまた新しい発見がありました。湊町の、人が入らないような山の奥に大昔に行っていたと思われる数々の炭焼き窯跡地と、たたら炉の跡地(大量の鉄滓が見つかる)が見つかりました。「一体なぜ、こんな場所で炭焼きが行われていたのか...??」そんな謎を解いていこうと、今回
2021年5月17日 11:23
4月24日に、教育環境部会で、湊町の製鉄の歴史を探るべく砂鉄を運んだと思われる道を探検に行ってきました!主に、崎川地区~中田地区を調査してきましたが、この周辺の山からは、やはり鉄滓がゴロゴロと出てきました!また、裏白河街道周辺でも、以前鉄滓が見つかったとのことで、今回も調査へ行ったところ、川の中からまた鉄滓を見つけることができました!「いつ頃作れらたものなのか」というのは、
2021年2月8日 10:40
湊町の戸ノ口にある「十六橋水門」。ここは、日本遺産に登録されています。かつて郡山市は、水不足に悩む、不毛と呼ばれる原野でした。人々は、遠くの猪苗代湖に水源を求めました。それが、安積疏水です。奥羽山脈を貫いて全長130㎞の水路を拓きました。当時の国家予算の3分の1を費やす、大事業でした。安積疏水開削でまず作られたのが、十六橋水門でした。これを作ることで、人間が水を管理できるよ
2021年1月14日 10:55
向羽黒山城(むかいはぐろやましろ)は、福島県大沼郡会津美里町にあった日本の城で、戦国時代会津を治めた蘆名盛氏が8年もの歳月をかけて築城した天然の要害です。国の史跡に指定されています。猪苗代の製鉄の歴史を見ていくと、湊の製鉄と向羽黒山城が深い関りがあったのだろうという推測がありました。向羽黒山城とは、黒川城(鶴ヶ城)と同時期に造られた山城で、蘆名盛氏の隠居城と言われています
2020年12月21日 11:48
湊町では、平安時代から大規模な製鉄が行われてきたことが分かっていますが、当時湊町で作られた鉄のかたまりである「玉鋼(たまはがね)」をどのようなルートで会津若松まで運んで行ったのか・・・堰場と田代の中間あたりにあるところから入り、東山ダムに向かって延びる山道で、(「裏白河街道」と私たちは呼んでおりますが)そこから会津若松へと降りていく道路があります。その裏白河街道を通り、湊から鶴ヶ城
2020年12月3日 13:30
湊町のあちらこちらで鉄滓(てっさい)が見つかっていることから猪苗代湖の豊富な砂鉄を利用し、平安時代から湊町で大規模な鉄生産が行われていたことが分かっています。そこで、古来の鉄づくりの製法で作りだされた玉鋼(たまはがね)を再現させるべく2020年11月に、2日間に渡る2度目のたたら炉実証実験を行いました!そして、2年目にして1.3kgの玉鋼を作ることに成功しました!
2020年11月2日 13:25
10月29日、湊中の1年生が授業の一環として「湊町の文化・歴史・自然」を学びました。湊の歴史を肌で感じるために、現地見学も行い、猪苗代第二発電所まで見学に行くことができました!実際に湊中生が学んでいる様子を動画にしましたので、子供たちが頑張っている様子を是非ご覧ください。今後も、これからを生きる湊の子供たちに湊町にしかない素晴らしさを伝えていけたらいいなと思っています。
2020年10月8日 10:59
長年湊町に住んでいるけど・・・湊町の大地に大きくそびえ立ち、一直線に並ぶ「大きな鉄塔」についての歴史を知る人はどのくらいいらっしゃるでしょうか?「この送電線は、どこまで続いているんだろう・・・?」など、考えたことがある人もいらっしゃるのではないでしょうか♪湊町に建つ鉄塔は、「百年鉄塔」とも呼ばれ、大正3年に、なんと・・・人力で!建てられました。実に、100年以上も前