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学生指揮者に就任しました

以前、以下の記事を投稿した時点では、「学生指揮者"志望"」だったのですが、先日正式に学生指揮者に就任しましたので、ご報告いたします。

さらに諸事情により、学指揮を務める先輩の代わりに、約1か月後の演奏会で急遽指揮を振ることになりましたので、あわせてご報告致します。

この記事では、今のところ私が学びたいと思っていることなどについて述べるとともに、最近団内でちょっとした揉め事のようなものがあり、団の方針について再考する機会がありましたので、それらの詳細をお話しします。


楽典と指揮法

当然、楽典と指揮法は必須です。

楽典に関しては、ひとまず図書館で見つけてきたこの本を使って勉強していこうかと思います。と言っても、既知の事項も多く書いてあるようなので、厚さの割には早く終わりそうです。

指揮法については、学生指揮者に挑戦しますの記事を見てアドバイスをくださった方が、以下の本をご紹介してくれました。ちょうど図書館にあったので、この本を使っていきます。「指揮法」は全然まともに学んだことがないので、こちらはかなりじっくり進めることになると思います。


組織マネジメント

さらに、「まずは組織マネジメントを学ぶとよい」という趣旨のアドバイスもいただきました。(↓アドバイスしてくださった方のおすすめの本↓)

ただ、一度に多くのものに手を付けすぎて消化不良を起こしては本末転倒なので、まずは愛読書を見返すことから始めてみようと思います。

高校時代に痛い思いをしたため、グループワークや組織単位での活動にはかなりコンプレックスがありました。克服するためのチャンスだと捉えて、組織マネジメントの方も学んでいきたいと思います。


変わりつつある風向き

さて、最近私が所属する吹奏楽団ではちょっとしたトラブル…というほどでもありませんが、団の活動方針について考え直すような機会がありました。単刀直入に申し上げると、指揮の先輩が怒りました。私はその日体調不良で合奏には参加していなかったので、以下、後からLINEで流れてきた文章(学指揮でない別の先輩が作成)に基づいて話を進めます。

私が所属する吹奏楽団は、私が入団する以前は、「みんなで楽しく吹ければいいよね」というユルい雰囲気が強く、それほど高い技術も要求しなかったそうです。合奏は、指揮者が一方的に指示を出し、それを奏者が直していくというスタイルの、いわば「一方通行」でした。奏者の反応は薄く、前に立って進める人はかなりやりにくかったようです。

しかし、今回それに対して一石を投じたのがその学指揮の先輩でした。

なぜ去年までと違って、今回このような指摘が必要になったのかについては、去年までと比べて格段に演奏や指揮者の要求のレベルが明らかに上がっており、それに伴って、より高度な指摘が必要になったためだとされています。それ以来、合奏では返事の声も少しづつ聞こえてくるようになり、指揮者以外からも指摘の声が徐々に上がるようになるなど、だんだんと風向きが変わりつつあります。


両立は可能か

私は、奏者として演奏会で演奏するからには、聴衆の方々に存分に楽しんでいただきたいと思いますし、コンクールでも、さらなる高みを目指していきたいと思っています。そのために自らの演奏、あるいはパート全体、部全体の演奏を追求しながら吹奏楽をしてきました。なので、私自身この変化に対してかなり好意的です。

しかしそうはいっても、あくまで大学のサークルですから、ゆるくやりたい人もいるでしょう。また、要求されるレベルが向上して、いわゆる「本気度」、「熱血度」が増して、今までゆるい雰囲気でやっていたことを聞いて入団してきた人たちや、ゆるーく楽しくやりたい人たちが活動を続けにくくなるのはまずいと思います。

中学生くらいの「吹奏楽バカ」の私だったら、きっと「奏者が楽しめればいい」という価値観の人たちのことをよく思っていなかったことでしょう。しかし、大学生になり、以前よりは視野が広がった(であろう)いま、ゆるくやりたい人たちが団に居づらくなるのも、避けるべきだと思っています。


音を楽しみ、音で楽しませる

「だとしたら二つを両立させることはできないのか」私はそんなことを考え始めました。

一般に吹奏楽の強豪校というと、練習はハードで、顧問(指揮者)の先生がとても厳しく、それでも音楽が好きな部員が強い意志でやり抜いて、青春サウンドを創り上げる、というイメージが強いのではないでしょうか。実際そのような文化は根強く残っており、これが吹奏楽部が「ブラック化」しやすい要因でもあると思います。

しかし、高度な演奏を追求するために、過度な厳しさと異常なまでに長い練習時間は本当に必要なのか、それ以外にも高みを目指す方法はないのか、そう思ってしまうわけです。

~ちょっとだけ雑談~
 「厳しい練習に耐え抜いて創り上げる青春サウンド」一昔前まではこれが称賛されていたような気がしますが、このご時世でこれを肯定的にとらえようものならば、すぐに批判の的になることでしょう。
 日本の中高生の吹奏楽の技術は、世界的にみても驚異的なレベルだといいます。一方で、日本の吹奏楽部の多くが問題を抱えているのも、残念ながら事実です。「ブラック部活」について語られるとき、文科系の部活の中で真っ先に矛先が向けられるのは、おそらく吹奏楽部とみて間違いなでしょう。
 もちろん、私も現行の体制のままでいいとは思いませんが、あたかも「”すべての”吹奏楽部が問題である」という論調に接すると、とても胸が痛みます。悪い面ばかりが報道されると見落とされがちですが、吹奏楽を生きがいにしている部員だっています。毎日、放課後音楽室に行くのが楽しみな部員だっています(ちなみに私の高校の吹部の場合は視聴覚室)。そんな部員に対して、「すべての吹奏楽部が問題である」という言葉が向けられたとしたら…
 「どこそこの吹奏楽部で行き過ぎた指導が発覚した」ーーーその「どこそこの吹奏楽部の指導者(顧問)」は確かに問題です(場合によってはその学校の運営体制や行政機関にも問題があります)。実際そういうところは多いと思うので、現状に対処しなくていい理由にはなりません。しかしそれにより、「すべての吹奏楽部が問題だ」と決めつけてかかることはあってはならないと思います。


最後に

私は、「できない理由」はあまり探したくありません。大体のことは、できない理由だったらいくらでも見つかると思っています。でも、それはなんだかおもしろくない気がするのです。

初代小惑星探査機はやぶさは、世界で初めて、小惑星からのサンプルリターンに成功しました。それは計画当初前例のないことで、無謀とされましたが、はやぶさは最終的にそれを成し遂げました。また、イトカワから地球に帰る際、2度も通信が途絶えました。当時発見は困難とされましたが、プロジェクトチームは見事にはやぶさを見つけました。それらを成し遂げられたのは、プロジェクトチームができない理由を探さなかったからだと、はやぶさのプロジェクトマネージャーの川口淳一郎さんは言います。

ゆるくやりたい人もいる一方、技術を磨いて上手くなりたい人もいる。賞を競わない演奏会で楽しく吹いて満足な人もいれば、コンクールでゴールド金賞を取りたい人だっている。いろいろな奏者がいれば、いろいろな価値観が存在するのは当然だと思います。だからこそ、ある特定の価値観を淘汰することなくサウンドを創り上げる方法が必要だと思うのです。

何事も、成し遂げられるまでは、到底不可能に思われるものなのではないでしょうか。私は自分なりにこの吹奏楽団のあるべき姿、この吹奏楽団のサウンドを追求していきたいと思います。

感想、アドバイス、あるいは指揮者としての経験談等あれば、ぜひコメント欄にお寄せください。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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