「あの棚に飾られている色紙って、誰のサインなんですか」 暇に耐えかねたのだろう、堀野沙織が声をかけてきた。 彼女は、この池上不動産に入社して半年ほどの若い事務員さん。 営業部の俺は、日中ずっと出先にいるので、普段彼女とは挨拶程度でしか、会話を交わす機会がない。 今日は、雷雨の影響で電車が止まり、皆、事業所で缶詰になっている。 俺は日報を打つふりをしていたキーボード上の指を止め、ゆっくりと彼女を見る。 「ついにこの話をする時が来たか。あれは三年前の平和な思い出でもあり、
わたしは、いままでの人生、散歩をしたことがない、と、土曜の夜に気がついた。 んなわけあるか、てかんじだと思うけど、 もちろん、なにか出かけたついでに、ちょっとまちを散策するとか、 帰り道をちょっと寄り道して歩くとかはあるけど、 「よしっ!今日は散歩するぞ!」 と、決めて、散歩を目的に散歩をしたことがないな、ということに気付いたんです みんなどうなんだろう。 あしたは、散歩Dayだぞ!とか決めていく人っているのかな。 健康のためのウォーキングってのも、目的が散歩じゃないか
話題の、「ボーはおそれている」 を、映画館で観てきました。 三時間の映画を、映画館で観たのって、はじめてかもな。 わたし、アリ・アスター監督の作品は、全部観てます。ミッドサマーも映画館でみて、超萎えた思い出、笑 正直、「ボーはおそれている」一回観ただけだと、難解なところもあるかな、と思って いろいろなネタバレサイトをみてみたのですが、 今自分が感じている「これだろ!」という解釈を書かれているサイトがなかったので、 映画レビューのため、筆を取った次第です。 ーーーーー以
「うそ、アッコじゃん」 聞き覚えのある声がした。 バーカウンターの端に、真理子はいた。 「え、すごい偶然、何年振り? 何してるの」 女は勝手に隣のハイチェアに移動してくる。 真理子だ。ちょっと歳を食って、目元に小さな皺はあるが、ほとんど変わっていない。 真理子はいきなり私の左手を取り、「まだ独身? 相変わらず太い指」と笑った。 「あんただって独身なんでしょう」 「私はバツイチだから。未婚とは大きな差が」 手を振り払うと、気まずい空気が流れた。なんせ、真
だれがボクを見ている。だれもボクを知らない。 ボクだって、ホントウの自分を知らないのかもしれない。 夜がはじまるころ、ボクは目をさます。 ここからが、ボクの一日。はぁ、とため息をついて、身体をおこした。 「回収、行ってくるね」 となりでまだ眠るロンさんに声をかけて、ボクはアジトを出る。 ボクの身体は軽い。ふわふわしていて、ゼリーみたい。 昔、クラゲになりたいって思ったからかもしれないけど、今のボクはまさにクラゲの姿をしている。 でもクラゲじゃあ、ないからね。 ボクは
東京・竹芝桟橋を出てから、どのくらい経っただろう。 私は、小笠原諸島へと向かう船に乗っていた。片道二十四時間かけた船旅。 世界遺産にもなり、いつか行ってみたかったが、叶わぬままだった。 よし、行くか。 新卒から二十年勤めた会社を辞めた日、いちばんに決めたことだった。 海の上は、携帯電話の電波が入らない。聞いてはいたが、これが思った以上にしんどい。 デジタルデトックス。 自分に言い聞かせるが、独りでこの時間を過ごすのはやはり辛い……なら、飲むしかないじゃない。 デッキ
「おす、奈央、久しぶり」 五年ぶりに現れた川瀬は、なにも変わっていなかった。 「遅い。待ったんだけど。おごり決定ね」 「いやお前ね、和歌山って大阪の隣と思っとるやろ? 遠いのよ、これが」 川瀬は、会社でいちばん仲の良い同期だった。初めて新入社員の研修で会ったときから、なぜかずっと知り合いだった気がした。 私はずっと、川瀬が好きだった。正確に言うと、好きになったり、やっぱりそうでもなかったり。日によって揺れる感情だった。 ある日、川瀬は美人の先輩と勝手に結婚をした。
「見た? また白鳥さん、営業一位だって」 「成績は本当にすごいけど、相変わらずお高く止まってる」 「どうせ枕営業じゃない、なんて言われてるしね」 「ごほんっ」 トイレで噂話をする事務課の女性たちに、私は小さく咳払いをした。少し気まずそうにしながら、どこかへ消えて行く。 彼女たちが嫉妬から、陰口を言うのも無理はない。 白鳥杏奈は、最強だからだ。 彼女は、インターネット回線販売会社である、このジョイネット・東池袋営業所で、常に成績トップのスーパー営業マンだ。 二
「うわっ、なつかし」 居酒屋の棚に置かれた小さな本を取る。 動物占い。一世を風靡した、生年月日から十二種の動物にあてはめて性格診断をするという、単純な占い本だ。 「あの頃は、テレビでもズバリ言うような特集がよくあって、占いブームだったなぁ」 「知らないです俺、生まれてないかも」 「そんなわけないでしょ。生年月日教えて」 「一九九五年、六月五日です」 若いな、と思った。若すぎるよな、さすがに。私は、ぐいと卓上のビールを飲み干す。 「えっと、花本はコアラ。サービス
「ねぇ、ママ、殺したよ」 「そう」 ママは、僕のことを見もせず、返した。 「ママ、もうすぐ、僕の番なのかな」 「そうかもね」 やっぱり、僕のことは見ずに言った。 父は、ソファに座って、その会話を聞いていた。 殺したのはこれで五人目。年齢も性別も、様々だった。 うるさくて偉そうなやつが大半だったけど、幼い女の子を消すときは、やっぱりちょっと、ためらいがあった。 でも、僕が、生き残るためには仕方がない。 余計なひとは早く消しなさい、と、毎週先生が言うから、先生が言
「でもよく、この店、予約取れたな」 「うん、十カ月待ちだったけど、毎日毎日毎日、予約サイトをチェックして、キャンセル出るの狙ってたのぉ」 「執念じゃん。あ、すみません、ビールおかわりひとつ。けど、本当に評判通りの店だな。とり肉はぷりぷり、野菜も香ばしく焼けてるのに、瑞々しさがすごい。特にこの椎茸」 「ちょっと感動するよねぇ」 「ビールおまちどうさまです。何回かいらしてくださってます、よね」 「いえ、初めてで」 「失礼しました。奥様に、よく似た方がいらっしゃって、勘
田舎の婆ちゃんが亡くなった。御年九十八歳だった。亡くなる前日まで、元気に庭いじりをしていたというから、大往生だろう。 葬式が終わり、婆ちゃん家に寄る。 爺さんが逝ってから十年、婆ちゃんは隆叔父さんと二人きりでこの家に住んでいた。遅れて坊さんがやって来て、仏壇を整えて帰っていった。 長い一日が終わり、隆叔父さんとママと私の三人は、小さく献杯をした。なんとなく、思い出話が始まる。 婆ちゃんは、もともと九州女で頑固だったこと。 手先が器用なこと。 飼っていた犬が逃げて、それっ
○愛媛県 夏の市民花火大会 屋台の列に並ぶ櫻井駿太。一人でいる浴衣姿の坂元ナナを見つける。 「あっ」 打ち上がる花火の美しさに声が出たわけじゃない。ナナとは、別々の高校に進学してから、自然と連絡を取らなくなっていた。 「そっちも来てたんだ」 「うん、松浦とか、サッカー部のやつらと」 「そうなんだ、松浦くんとか、みんな元気かな」 「まぁ普通、だよ」 どんっ。つんざくような音、かすかな火薬の匂いと共に大輪の花が咲いた。 「わぁ、きれい」 それを見上げたナナの瞳を見ると
ナナは、笑いながら、煙草に火をつけた。 新大阪の、ましてや改札で、煙草を吸い出すやつがいるか。すぐに駅員が飛んでくる。 「まっちゃん、ほんまありがとうね、ずっと」 俺は黙って自動改札機に切符を入れる。ナナも改札内に入ってきそうになり、駅員に止められる。それでもずんずん向かってくる。 「これ、新幹線で食べてなぁ」 ナナは、改札の中にいる俺に無理やりビニール袋をつかませる。駅員はだめです、だめですと言いながらこちらに顔を向け、助けを乞う。その光景を見ている人たちの驚いた
トシくん大好き。でもトシくん大人しいから普段なに考えてるかあんま分かんないの。 けどベッドに入ってやることやって深夜二時を過ぎたらいろんな話してくれるよね。 トシくんは少し出っ歯だから寝ちゃっても口元が開いてるのが可愛いくて大好き。 どうして寝たかどうか分かるのかって。 トシくん眠りに落ちる直前に必ず身体が震えるの。「ジャーキング」っていうんだって。 夢の中で階段を踏み外したときに身体がビクッてなる現象あるでしょ,あれよ,トシくん,いつも,ジャーキングするから,すごく分
大阪がすき 大阪の空気がすき ボケとツッコミのタイミングを見計らう 笑いにストイックなところすき すぐに声かけてくるオバチャンすき 阪神帽子のクセの強いオッチャンすき 「あかん」すき 「おおきに」すき 「しらんけど」すき 道頓堀のグリコすき づぼらやのフグはいなくなっちゃったけど 金龍ラーメンすき 近江屋の串カツすき 極楽うどんのおだしすき やまちゃんのたこ焼きすき でも いちばんは 「なんでやねん」と笑うあなたが、すき 了