「私は最強」

「見た? また白鳥さん、営業一位だって」

「成績は本当にすごいけど、相変わらずお高く止まってる」

「どうせ枕営業じゃない、なんて言われてるしね」

「ごほんっ」

トイレで噂話をする事務課の女性たちに、私は小さく咳払いをした。少し気まずそうにしながら、どこかへ消えて行く。

彼女たちが嫉妬から、陰口を言うのも無理はない。

白鳥杏奈は、最強だからだ。

彼女は、インターネット回線販売会社である、このジョイネット・東池袋営業所で、常に成績トップのスーパー営業マンだ。

 二年前、派遣社員として入社した彼女は、新人では異例の営業成績を叩き出し、超スピード出世、半年で正社員になったという。

 彼女がすごいのは、営業成績だけではない。

すらりとした長身のスタイル、誰にも媚びないきりっとした顔立ち。芸能人にいても違和感がないオーラを身にまとっている。それに、英語と中国語も話せるトリリンガルだとも聞いた。

眉目秀麗。才色兼備。豪華絢爛。そんな四字熟語では、白鳥杏奈の魅力は、収まりきらない。

さらには、生まれ持った素材がいいだけではなく、彼女は爪の先から髪の毛の一本一本まで、手を抜かない。

ネイルはいつも綺麗に整えられ、二週間に一度、きらきらとした絵柄が変わっているし、どんな大雨の日だって、毛先はくるんと美しいカールを描く。港区女子も真っ青だ。

天然の美に、努力の美を重ねた、誰にも届かない究極の美。それが白鳥杏奈。

そして、私の憧れの女性だ。

私は、彼女が元々いた、同じ派遣会社に登録をしていた。

埼玉県の実家から通いやすい場所、という条件が今となっては功を奏し、このジョイネット・東池袋営業所に、三カ月前に入社をした。

だから、仕事に就く前から、嫌でも白鳥杏奈の話は聞いていた。

「吉澤さんの前にも、ここの営業所に行った若い女性がいてね。いやあ、その人は半年で正社員としてもらわれていっちゃったから」

「そうなんですか」

「所長さんには、困りますよって言ったんですよ。でも、倍以上の金額を支払うから、って。それなら、うちとして恩も売れるし、悪くないかなって」

「はあ」

「吉澤さんも、若いでしょ? 半年で正社員になってください、って言われるように頑張ってね。まあ、並大抵の成績じゃ難しいと思うけど」

 派遣会社の担当のオッサンはにやにやしながらそう言った。

 私は悔しいというよりも、どんな女性なのかが気になり、質問をした。

 オッサンは、そこから三十分くらい、白鳥杏奈の話をしていたように思う。

「吉澤さん、白鳥さんに会ったら言っといてよお。派遣会社の担当だったマツモトが寂しがってました、って」

 最後にオッサンはそう言ったが、もちろん約束を果たすことはない。


 そうして初出勤の日、営業所の壁に貼られた成績表に目をやると、本当に「白鳥杏奈」は、一位だった。

 あまりどういう意味かわからない、「三冠王」、「ニャンコキャンペーン月間王」などのランキングでも、彼女の名前は一位に君臨していた。

 それから、「お客さまからのお褒めの言葉・白鳥杏奈さん」みたいな特集まで組まれていた。

 この営業所全体が、白鳥杏奈のものになっていることは、初日からよく分かった。

 

 営業の仕事自体は、やはり簡単に実績が出るものではなく、白鳥杏奈の凄さを痛感した。

 彼女は新人で配属された初月から、営業成績一位を獲り、それからずっと独走をし続けているという。

私は、個人への販売を中心とした営業部で、白鳥杏奈は法人営業部のため、普段仕事がいっしょになることはないが、正直、どちらの部であっても、一位をキープし続けるというのは、普通の人間ではない。

 気がつくと、接点が持てないまま、一カ月が経っていた。

 私は、少しでも白鳥杏奈と関わりが欲しく、彼女を観察することにしていた。

 だが、白鳥杏奈は、朝出勤をしたら、すぐに会社を出て、夕方に戻ってきて、そのまま退勤をするというスタイルで、ほとんど営業所に滞在するということがなかった。

 いや、営業マンたるもの、それが当たり前なのだけれど。お前も会社にいないで早く現場に行ってこい、と言われたらその通りなのだけれど。

 それでも、白鳥杏奈に近付くために、短い時間でも観察することにしていていた。

例えば、出勤時に使っているバッグ。一見するとわからないが、どうやら「H」という高級ブランドのようだった。

営業のインセンティブで年収一千万円を超えているという噂もあり、私には手の出しようのない金額で、おったまげた。それを通勤など普段使いのバッグにするなんて。

それから、遠目で見たアクセサリーを真似してみたり、服装を真似してみたり。

もちろん彼女の買っているブランドに似ているだけの三流品だが、やれることはやった。

でも、低身長の私が、白鳥杏奈の真似をしてみても、周りから「白鳥さんと似てるね」なんて言われることは一度もなかった。

 

そのまま、白鳥杏奈と会話をすることなく、今日に至る。

だが、今日は、大チャンスだ。

壁に貼られたポスターを見よ。

 『ジョイネット・東池袋営業所 アツいね!真夏の暑気払い 開催決定』 
 『日時:七月二十六日(水)二十時・池袋駅徒歩十分 居酒屋まごめ にて』

そう、今日は営業所全体の飲み会なのだ。

初めて、白鳥杏奈と話せるかもしれない。

一瞬、飲み会に来ないのでは、と不安になったが、うちは営業会社にありがちな、よく言えば体育会系、ストレートに言うとパワハラが横行しているので、若手が飲み会に行かないという選択肢はない。

開始十五分前に、私は居酒屋に着いた。遅れて、白鳥杏奈がやってきたことを確認する。

最初は、部署ごとに分かれていた座席が、一時間を過ぎたころには混ざり合うようになっていた。
白鳥杏奈の周りには、うようよと男たちが群がっていたので、彼女がトイレに行くタイミングを見計らい、勇気を出して声をかけた。

「あの、私、吉澤美希と言います。同じ派遣会社から三カ月前に入社してて、あの、営業のこととかすごいなって思ってていろいろとどうやったらいいかとかその、ずっと、しらとしさんと話してみたくて」

大事な名前を噛んでしまった私を見て、白鳥杏奈はくすくすと笑った。

「吉澤さん、初めまして。しらとり、です。良かったら、あとで話しましょう」

天にも昇る気持ちだった。白鳥杏奈からは、酒と甘い匂いがした。

だが、結局、白鳥杏奈の周りは常に人で溢れていて、最後まで話すことはできなかった。

時間も遅くなっていたので、二次会は開催されず、解散となった。
居酒屋を出ると、雨が降っていた。

ワーワーと騒ぐ酔っ払いの先輩の相手をしていたら、いつの間にか白鳥杏奈の姿は消えていた。
仕方ないか。今日は挨拶できたんだから、次は会社で会った時に話しかければいいよね。

そう思いながら、「お疲れ様でした」と言って、私はひとり池袋駅を目指し歩いた。


駅に着いて、ふと目をやると、少し先に、すらりとした長身の女性が歩いていることに気が付く。

間違いない。あの後ろ姿は、白鳥杏奈だ。JRの改札を通り、彼女の後を追う。

いや、彼女の後を追うというより、彼女の歩いていく方面は、私の帰り道と同じだ。
そんな、まさか。彼女がホームへ続く階段を上っていく。

「白鳥さんっ」

彼女の背中に思い切って声をかける。
振り返る一瞬が、スローモーションに見えた。
美しかった。

「あら、吉澤さんだっけ。今日はお疲れさま」
「は、はい。お疲れさまです」
「吉澤さんもこっちなんだ」
「あ、はい私は与野です、埼玉県の」

勇気を振り絞って聞く。

「あの、白鳥さんもこっちなんですか、お家はどこなんですか」

彼女はにやりと笑う。

「私は、北赤羽よ」
「え! どうしてそんなところに……」
「決まってるじゃない。だって『私は、埼京(サイキョウ)』なんだから」

なんてことだ。思わず膝から崩れ落ちる。

笑う彼女は、ブランドのバッグを掲げ、高いヒールでコツコツと階段を上っていった。


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