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あの女、

 金曜日。仕事から帰る足取りは、一週間分の疲れを乗せ、重い。
 でもこの「スモーキー」の小さな扉に手をかけると、指の先から嫌なことが抜けていく気がしていた、いつも。

「スモーキー」は、カウンター八席だけの小さなバーだ。薄暗い照明がジャズの音色と共に、壁の古びたポスターをぼうっと照らす。
 ここは、転勤で新しい街にやってきた俺が、最初に見つけた居場所。行きつけのバーができたら、男として、なぜか一人前な気がした。

 いつものスモーキーで、いつもの仲間と、いつも通り、俺は飲んでいる金曜日。カウンターの端に座る、ひとり知らない女を除いて。

「お姉さんこの辺の方? 一緒に飲みますか」

 俺の言葉に、女は、首を横に振った。なのに女は、次の週も、そのまた次の週も現れた。
ある週、ついに俺たちは二人きりになった。

「ここ最近、ずっと来てるでしょう。顔見知りなんだから、少しは話しましょうや」

 女はにこりともせず、ラフロイグを舐めた。

どう見ても、感じが悪い。沈黙に挑むように、俺は話しかけ続け、ついに女が口を開く。

「あたしは、あんたの孤独だね」
「俺の孤独? どういう意味だ」
「孤独は、ひとりでは感じない。あたしがいるから、あんたは今、孤独を感じて、必死に話しかける。孤独は、そうね、こころの渇き」
「はぁ、そんなこと考えもしなかったが」
「それを求めて、人間は生きてるのかもね」

 女はそう言って酒を一気に飲み干すと、煙のように消えていった。俺は唖然としながら、何度も目をこする。

 俺は、孤独を忘れるため、スモーキーに通った。だが、女はここに孤独を見ていた。

 俺は、スモーキーに行くことで、一週間の疲れを癒した。女はなんて言っていただろう。

 孤独は、人間のこころの渇き。なにかを為すための原動力。
渇きがなくなった人間は、きっと面白みがない。

だから、渇きを忘れるな、と、俺に忠告をしたのだろうか。

 そんな気がするし、しない気もする。いけない、どうも今日は酒を飲みすぎている。

 女の言葉は、ジャズのずれたリズムにのって、俺の頭の中をぐるぐると踊り続けていた。

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