HOPE

「あの棚に飾られている色紙って、誰のサインなんですか」

暇に耐えかねたのだろう、堀野沙織が声をかけてきた。
彼女は、この池上不動産に入社して半年ほどの若い事務員さん。

営業部の俺は、日中ずっと出先にいるので、普段彼女とは挨拶程度でしか、会話を交わす機会がない。
今日は、雷雨の影響で電車が止まり、皆、事業所で缶詰になっている。

俺は日報を打つふりをしていたキーボード上の指を止め、ゆっくりと彼女を見る。

「ついにこの話をする時が来たか。あれは三年前の平和な思い出でもあり、怪奇な話だよ」

俺は、ぽつりと話し始める。

ーーーー

時は、二〇一九年九月。営業部の気の合う男七人で、関東からほど近い温泉街に来ていた。

毎年、少し遅い夏休みをとって、一泊二日の慰安旅行をするのが恒例行事だった。

道中は盛り上がるが、宿に着いて温泉に入り、夕食を食べれば、やることは早々に無くなる。
野郎の旅行とはそういうもんだ。

ふと、誰かが「行きがけに、ストリップ劇場ありましたよね」と言った。
暇だし行ってみるか。意見はすぐにまとまった。

数十分後、タクシーが行き着いた先は、昭和色のネオンが傾いているような店だった。

「お店、やっていますか」

「はい。おひとり様、千円です」

えらく安いなと思った。受付のボーイが面倒くさそうに入場券をちぎって渡す。

重い扉を少し開ける。光の筋と共に、むわっとした独特の饐えた臭いが漏れ出してきた。

一瞬、顔を見合わせたが、ここまで来て引き返すことはもうできない。
俺は不安と期待で少し汗ばんでいた。
いっきに扉を開ける。

店内に先客はおらず、俺たちが入ればほぼ満席といえるキャパシティだった。
すぐさま照明が落ち、ショウが始まる。

薄い幕の奥から、ひとりの女が出てくる。

きついピンク色のライトの逆光で、身体のライン以外はよく見えない。
皆、目を細める。
女は中央へゆっくりと進む。
きらきらとミラーボールが回る。

スポットライトの当たる位置に着いたとき、やっと全てが見えた。

それは、御年八十歳くらいの、ストリップ嬢だった。

唖然としていると、音楽がビートを刻み出し、ぎらぎらとした照明へ切り替わる。

「今日は来てくれて、センキュー!」

しわがれた声が狭いホールに響き渡った。
俺たちの絶望を物ともせず、嬢はひとりずつ客の顔を見定めながら舞い始める。

「あんた、こっち」

ステージに来い、とひとりを指名する。
それは池上不動産イチのイケメン、森田だった。
彼は見た目だけでなく、性格も良いため、老若男女、誰からも人気があった。

森田は目を逸そらして「当てられたのは自分ではない」という顔をしたが、無駄だった。

「あんたよ、そこの男前、早くこっち!」

嬢は、今にもステージから降りてきそうな勢いだ。森田は観念したのか、青ざめた顔でよろよろと立ち上がった。

俺たちはほっとして、同時に森田が壇上に召される姿に、思わず笑いが込み上げる。

嬢が、森田の全身を舐め回すように触り、
「いい男じゃなぁい」と言うと、ねっとりとした妖艶な音楽が流れ始める。

森田を軸としたポールダンスが始まった。一枚ずつ、衣装を脱いでいく嬢。
普段、誰にでも愛想の良いあの森田が、仏像のように無表情で棒立ちしていた姿は忘れられない。

ショウが佳境を迎える。

これほどまでに女性が下着を脱ぐことに恐怖を覚えたことはなかった。
ブラジャーを捨て、ついに最後の一枚、パンティに手をかける。
そのまま、がに股になりながら舞台袖に置いてあった道具箱を漁り始めた。

「これ、持って」

森田に、なにか棒のようなものを渡す。
森田は震えながら受け取る。

嬢は仰向けに寝そべり、観客席に向かって、うやうやしくパンティを脱ぎ、大きく股を開く。

彼女なりのサービスなのか。皆、うっ、と目を背ける。

「ここに、入れて」

嬢が、開いた股の奥の、秘部を指差す。
森田は小さく

「無理です」

と言った。

「ここよお!」

嬢は森田の手を取り、強引に自身の秘部に棒を挿入した。

「おうんっ」

本日最高潮のビートと閃光が走り出す。

この先なにが始まるのかという恐怖、とにかく森田だけが生贄になって終わってくれという切実な願い、なのにどうしても笑ってしまうこの状況、狭小なホールの中に、さまざまな感情が渦巻いていた。

「あんた、名前はなに」

「も、森田 貴之です」
こんな場面でも、本名をフルネームできちんと伝えるところが森田らしい。

「森田クン、これを引っ張ってみんさいな」

嬢は自身に挿入された棒を握らせる。
森田は、全ての感情を棄すて、命令された通りに動く機械と化す。

恐る恐る引っ張る森田。だが、棒は微動だにしない。

「弱い、もっと強く引っ張って」
引っ張る森田。棒は抜けない。

「弱すぎる、男なら本気で引っ張れぇえ!」

嬢が怒鳴る。森田は泣き声をあげながら、両手で棒を思い切り引っ張った。




棒は、抜けなかった。

森田は目を丸くし、「マジすか」と言った。
嬢が顔を上げ、オーディエンスを一瞥する。

この非現実的すぎる現実に、なぜか感動を覚えた俺たちは、立ち上がり拍手喝采、大歓声を送った。

嬢はそれに満足し、チャンピオンのように乳首を震わせて起き上がる。

忘れないでほしいが、御年、多分八十歳の全裸だ。

「最後に、森田クンに、このメッセージを」

嬢は棒を股に挿入したまま、床に紙を置く。

その上にまたがり、棒の先に墨汁を付け、渾身こんしんの想いをしたためた。


ーーー

「それが、あれだよ」

沙織は改めて、棚に飾られた色紙に目をやる。そこには、力強い筆跡で、


『希望』


という二文字が書かれていた。

「こんなことが、ただ普通に起こるような毎日だったんだ、俺たちは。日常が戻ってきたら、また皆であそこに行きたいと思ってる」

「二度と行かねぇよ!」

振り返ると、森田が立っていた。マスク越しからでもわかる、あのいつもの笑顔で。


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