意外と間違っている思い込みの悩み
こんばんは。みなもとなこです。
この間、カウンセリングを受けてハッとしたことがありました。
結婚や子育てなど、未来の話をしているときです。
「母親に似てきているので、それがすごくつらくて不安です」
「だから、結婚も子育ても自分にはできない気がします」
そんなことを話していました。
実際に最近よく「母親に似てきている」と感じることが度々あって、自分のなかではそれがすごく嫌で、悩みの種の一つでした。
血は争えないのか、とかそんなことを考えてぐるぐる思考になってしまうこともしばしばありました。
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わたしがいろいろと吐き出した後に、カウンセラーさんに「どんなところが似ていると思うの?」と聞かれました。
そりゃあ、いっぱいあるよ!!!
と、思っていたのに、考えても考えてもなにも出てこなかったのです。
数秒考えて
「・・・せかせかしているところ、ですかね」
と答えるのが精いっぱいでした。
あんなに似ていると思っていたのに、なんにも浮かばないことにとても驚きました。最終的に「似ているところはあまりないかもです(苦笑)」などと言う始末。
あれ?わたしってなんで「母親に似ている」って思いこんでいたんだろう。
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カウンセラーさんと対話する中で、自分自身の思い込みを発見しました。
そしてそれが間違っているということも。
日常のふとした場面で「母親に似ている」と思うことは確かにあったのですが、それは「同じことをしている」というわけではなく、「母親の行動が理解できる」ということでした。
例えば、仕事で疲れて帰ってきて、料理をつくったのに、誤って子供がこぼしちゃったとき。
「ああ、もう最悪」と思って投げやりになる気持ちはわかるな。
そういう気持ちから、暴力や暴言とかの八つ当たりするんだろうな。
うわ~母と似ているんだろうな、最悪だな。という具合の思考回路でした。
文章に起こすと思考がかなり飛躍していることがわかるのですが、
そう勘違いをして、思い込んでいたのです。
そしてそれを勝手に悩みの種にしていました。
思考が理解できる=似ている、これは○か×か。
なんて、国語の問題に出てきたら、ちゃんと×をつけられそうです。
大げさに例えると、名探偵コナンで殺人犯の憎しみや復讐の気持ちから殺人に走ることは理解できるものの、実際に同じ状況に同じことをするのかは別ですよね。
ただ、社会人になって働く大変さや、子育ての大変さが身近になったから共感や理解ができるだけで、だからといって、母のような言動になるとは限らないわけです。
実際に、その後のイメージセラピーではわたしは言葉や行動で発散できずに、ひとりでただ悶々とするイメージしか浮かびませんでした。
(それはそれでストレスハンドリングが下手なんですが笑)
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思い込みの怖さ、強力さに気づいて、とてもハッとした出来事でした。
たまたま、カウンセラーさんに話せたからよかったものの、話せないままだったら、いつまでも「母に似ているコンプレックス」を一人で抱えていたことでしょう。
自分で考えること、ってやっぱり限界があって、頭の中を定期的に棚卸していかないと、こういう類の不毛な悩みがどんどん増えてしまいそうで怖いな、と思いました。
カウンセリングでなくても、友達やTwitterのスペースとか、話していてハッとすることって結構あるので、ひとりで抱え込まないことって大事だなと再確認しました。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
今日はずっとだらだらしており、こんな時間からテンションが上がってしまって困っております。(笑)
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