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【読書】内田裕也✕モブ・ノリオ JOHNNY TOO BAD

硬派でいく。ウジャジャけた人間は登場しない。

なんか世の中、ツマンネエと感じているキミ、ホントにそーかな。

変なかたちの本を読んだ。
内田裕也の対談集「ロックントーク」と、モブ・ノリオの小説「ゲットー・ミュージック」
二冊をくっつけてグラフィティや顔写真で飾って、上からでかいカバーでくっつけた「JOHNNY TOO BAD」。

内田裕也がそもそもよく分からない。政見放送がネタにされていたのと晩年の樹木希林さんとの謎の夫婦関係でしか知らない。

その人を語るのに、モブ・ノリオというまたよくわからない人を介することで、わからん×わからん=全くわからん。

モブ・ノリオ。
ラッパーがおばあちゃんの介護をしながら語るデビュー作で芥川賞を獲って、そのまま他ジャンルに行ったようなイメージだった。5年ぶりにこんなところに書き下ろし小説があったなんて。
しかも面白い。DJがラジオで一方的にしゃべっている形式の小説で、基本は関西弁で好きな音楽と映画についてしゃべり倒す。

何かにこだわっている人特有の、笑ってしまうけど何か人生において大切なことも含まれているような語りが延々と続く。
よく「アナログレコードで聴く音はいい」というけど、このDJはレコードを音質のこだわりで語らない。
パソコンの動画サイトで音楽を聴くときに、曲を聴くまでに、パソコンを操作して検索とクリックという、関係ない動きが介入することで失われる「なにか」の話をする
わからないけどわかる…気がする! 
本物であって本物を摂取できてない感じ。DJは、海外で何枚売れたとか賞を獲ったとかではなく、数字や功績に置き換えられない、ヘンだけど訴えかける魅力的な作品の話をずっとしている。
話が終わったらまた次の変な人が出てきて語り倒す。
ニセモノが淘汰されるグラフィティの世界について。
人生に必要じゃないロックと内田裕也の映画について。

現代を舞台にした小説が終わったら、いきなりタイムスリップしたように2冊目の対談集「内田裕也のロックントーク」が始まる。
「ウジャジャけた人間は登場しない」
初めて聞く言葉とフォントの圧! 小説では出てこなかった「ご本人」登場感がある。

ウジャジャけてない対談相手のメンツは、野坂昭如、岡本太郎、カールルイス、デビュー当時の山田詠美まで出てくる。
「芥川賞って原稿用紙に縦書きじゃないとダメなのか」
今の山田詠美にそんな質問する人いないだろうから貴重だ。山田詠美がマンガ出身で、自動販売機で売ってるエロ本でデビューしたことは初めて知った。

(さらば青春の光に本好きのイメージはないけど、このシリーズは相当面白い)

内田裕也も小説を書こうと考えているようだが、ニューヨークの出版社に送り付けてやろうとは決めたものの、「小説って何にどうやって書くんだろう」の段階で立ち止まっているようだ。

100メートル走金メダリストのカール・ルイスも、たぶん曲を出すので宣伝で日本に来ているのに、こんなところに呼ばれて知らない日本人に、
「あなたは金持ちになったけど、あなたと同じアフリカルーツの子供たちが飢えている」と意見を求められ、真摯に答えている。

他にも、刑務所に18年いた人とか、戸塚ヨットスクール校長とかがゲストに出てきて、対談内容よりもただただ「時代が違うなあ」という感想が出てくる。
内田裕也は、金を持つことについてずっと考えている。
日本人は急に豊かになっておかしくなった。アフリカには恵まれない飢えた子供たちがいるのに…というやつだ。僕も子供のころ、給食が食べられないと、世界には食べたくても食べられない子供たちがいる、と許してくれなかった。

内田裕也の思想では、アーティストは金のために創作するとピュアな魂を失ってしまう。ロックンロールじゃなくなる。
岡本太郎を相手に、あなたはCMに出て「芸術は爆発だ」なんてブームになってタモリに話題にされて、それでいいのかと嚙みついて、岡本太郎もパリで生活してたからタモリを知らず「えっ……?」とずっと困っている。
岡本太郎って困惑する側にまわることあるのか。

この本には樹木希林さんのことは出てこない。
我々は、こんなに我の強い人が、最期は樹木希林さんに頭が上がらないような、あのふしぎな関係性になることを知っている。
時代もジャンルも違う2冊が離れたくても離れないかたちにくっついていて、本自体が樹木希林と裕也夫妻の夫婦生活みたいだ。


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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。