見出し画像

「コーヒーが冷めないうちに」見えてしまう粗

 映画「コーヒーが冷めないうちに」を見た。私が見て思ったことを生意気に語る。
 この作品はいわゆるタイムスリップものの類いである。しかし、タイムスリップの方法や制約が独特に設定されているため、他とは違う面白さを作り出せている。タイムスリップをする方法はコーヒーを淹れること。ある特定の席に座り、ある特定の人がコーヒーを淹れることでその席に座った人はタイムスリップすることができる。ただし、タイムスリップできる時間がコーヒーを淹れてから冷めてしまうまでの間。その間にコーヒーを飲み干さなければタイムスリップ先に一生閉じ込められてしまう。実際、その席には現代に戻ってこれず、抜け殻のようになった女性が幽霊としてずっと座っている。だから座りたい場合は、その幽霊がお手洗いに行っている間にその席に座らなければならない。このとても短いタイムスリップ時間と身の危険性が見ているこちらに緊張感を与えて、物語の世界で引き摺り込む。さらにこの作品の肝なのが、過去に戻ったとしても過去に起きたことは変えることができないという設定だ。よくあるタイムスリップものは、今の現状に問題があるから過去に戻り、過去に犯した過ちを直し、現在を助けるというのがベーシックだ。しかし、この作品ではそう簡単にはいかない、どれだけ頑張っても過去起きたことは変わらないし、そもそもそんな短い時間でどうにかなるものでもない。過去も現在も変えられない。だからできることは一つ。未来を変えること。過去に行って思ったこと、感じたこと、知らなかったことを知ったことなどを通じて今の自分を改め、これからの生き方を考えていく。今までの過ちを変えられるほど甘くない。やり直せるなんてそんな都合のいい話はあるわけもない。大切なのはこれからをどうするか。それは今生きている私たちに通づることで、ここで伝えたい一番大きなメッセージであると思う。
 
 タイムスリップの条件を説明されたあと登場人物はタイムスリップをする。過去に到着すると、目の前にタイムスリップに大事なコーヒーが置かれている。気休めに一口つけてみる。いつもは気持ちを落ち着かせるためにコーヒーを啜り、その温かさに浸るはずなのに、この時だけは意外とぬるいと感じ逆に気が先走る。その焦りのせいで用意していた言いたいことが抜けてしまったり、過去に起きたことは変えられないのに変えようと行動してしまう。また、過去に行って今は会えない人に会いに行くと、戻りたくなくなる。現実に戻れなくなると分かっていても、いや、それほどのリスクを犯してまで会いに行きたい人なのだから、その時間が愛おしい。そんな見ているとむず痒い人間らしさがよく表現されている。
 
 とても面白いアプローチでありながらわかりやすい物語だったが、二つだけあまり好ましくない部分があった。失礼ながら若造がそれについて話させてもらう。
 一つは恋愛シーンの有無。コーヒーを淹れてくれる女性が主人公なのだが、作中では、その女性とお客の男性の恋愛シーンも描かれている。そう、恋愛シーン「も」描かれているのだ。最終的にその二人の恋仲が最後の展開に繋がるのだが、あまりにもその展開に向かうために恋愛要素を無理やり入れたように見えてしまい、最後の展開以外のところで恋愛シーンの要素とタイムスリップの要素が分離されてしまっているように感じた。大衆受けを狙うためでもあったのかもしれないが、もう少し恋愛の要素を上手く巻き込めたらこの違和感は払拭されたのだろう。
 もう一つは、登場人物がタイムスリップすることが主人公に影響を与えているように思えないところ。何人かの登場人物がタイムスリップするのだが、そのそれぞれのタイムスリップはそれぞれで完結してしまっていて、主人公の心境変化などにつながっていない。主人公は映画の序盤から悩んでいて、最後の展開で解決される。その間のタイムスリップの内容を打ち抜いても話の内容としては問題ない。またここでもそれぞれのタイムスリップの話と主人公の話が分裂してしまっている。連続ドラマであればこの形でも違和感はないのだが、映画であるが故に汚点になってしまったように思う。
 
 最後に生意気に批評してしまったが、総括して考えると面白い映画だった。私個人の感想であるため、これを読んでもし憤りを覚えたのなら、その気持ちは胸の中に押し込めていただけるとありがたい。
 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?