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フィンランドデザイン展についてしゃしゃる

 たまには美大生っぽいようなことを書いていきたい。デザインを少し齧った程度の若造が生意気にしゃしゃる様子を見ていきたければどうぞ。
 1月29日(土)、明日で終わってしまうと言うので渋谷のbunkamuraで行われているフィンランドデザイン展に赴いた。ここ一週間まともに家の外に顔を出していなかったので、たまには外の空気を吸いたいと思った時、たまたまこの展示を見つけた、というのが実のところだが。
 展示の内容はここ最近で一番良いと感じられるものだった。夏は半袖で海ではしゃいだり、鮮やかな緑を堪能し、冬は白い静かな美しさや自然の調和が作り出す繊細な景色を楽しむ。感傷に浸る感覚や、自然の捉え方は日本とフィンランドではとても似ているように感じた。
 自然から感じ取った有機形態で出来上がった花瓶、コップ、彫刻作品たちはあいまいでなく、とてもはっきりしていて、強い主張を感じられた。まるで自然の魅力的な一瞬を切り取ったような作品は目が離せなく、周りの目など気にせず作品を舐め回すように見てしまった。
 有名なマリメッコなどのテキスタイルも嫉妬してしまうような良さを感じてしまった。綺麗だとか、上手いとかそういうことではない。言葉にできない良さがそこにはあった。それらのテキスタイルのパターンは女性的であったり優しさが感じられると同時にとても挑戦的で力強い。
 これらの魅力を装飾ではなく実用性を求めたデザインも織り交ぜていくフィンランドデザインはデザインを学ぶ一学生としてとても参考になるものだった。久しぶりに図録も購入してしまった。
 だが、まだけつの青いガキながらも少しばかり文句がある。少しと言ったが、あそこまで精錬されたデザインが並んでいる調和のある空間においてその少しは私の心を左から右へ雪崩のように崩していった。
 ひとつ、小さい、軽めのガラスのコップなどの展示方法。あれらの展示物は揺れが起きたり、誰かがぶつかった時に簡単に倒れてしまうから固定しておかなくてはならないのだろう。そこで問題になるのが固定方法。いかに固定していないように見せるか。ナイロン線を使うのは良かったのだが、固定の手法はどうも綺麗に見えなかった。コップの上にバッテンを描くように2本のナイロン線をクロスさせる。そしてそこから斜めに地面に向かってナイロン線を伸ばし、上から圧をかけるように固定していたのだ。ほぼ絶対と言っていいほど動くことはないだろう。しかし、形態の美しさを見せる展示においてその上から不純物を被せるのは作品の隙間からボンドが漏れ出ているのと大差ないだろう。ガラスの透明感ある美しさも阻害していた。
 ひとつ、ミュージアムショップと展示空間の関係性。私は今回の魅力的な展示物たちに引きつけられ、フィンランドのデザイン史に思い耽っている中、最後の方になってくると後ろから「ピッ、ピッ」といった音や、美術館ではなかなか聞かないザワザワと何を言っているのかはわからない話し声が聞こえてきた。おそらく一枚の壁を隔てた向こう側はミュージアムショップで客がグッズを見て騒いでいるのだ。最後の最後、あと少しで終わるというところでは、片耳から騒がしい音が流れてくる。終いには何か商品が倒れる事故の音まで聞こえてくる。これらのノイズはフィンランドデザインワールドの中から私を後ろから襟を引っ張るように引き摺り出した。もっと展示とショップを断絶する仕組みや壁の厚さ、ショップでの声の大きさの配慮など考えるべきなのでは、と思った。
 こういったように自分なりに生意気に改善点を見つけることもデザインの勉強になるのだろう。だから私はこれから表に出さずとも、心の中で偉そうに批評し続けようと思う。


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