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がんの教え:せっかちな性格を改めよ


せっかちな私

がんになる前の私はせっかちだった。いつも、仕事・育児・家事に追われていた。いかに効率的に手際よく日常の雑務を処理するかが、私の最重要事項だった。

テレビはゆっくりと情報が流れるからイライラして見られなかった。料理はいかに短時間で人間が食べられるものを準備できるかしか念頭になかった。他人や家族に対しても厳しかった。マイペースでなかなか朝の支度をしたがらない娘をよく叱った。


人生の正体は時間

こんなにせっかちな女になってしまったのは理由がある。以前、ある起業家から人生の正体は時間であることを教えてもらった。

  • 人生とは時間の積み重ね

  • 失ったお金はまた稼げば戻ってくるけど、失った時間は二度と戻ってこない

  • 時間が無いと嘆いている人は、無駄な時間を排除して時間を作り出せ

そんな教えに共感し、忙しい中で仕事・育児・家事を効率的にまわして隙間時間を作り出した。わずかな隙間時間はすべて起業の準備のために費やした。

日常生活から逃げたかった

一方、そんな忙しすぎる日常から逃げたいと思うこともあった。一日でも良いから一人でベッドに寝転がって過ごしたい。誰にも邪魔されることなく、映画を見たり本を読んだりして気ままに過ごしたい。それが当時の夢だった。

まさか、その夢が入院という形で数か月後に実現されるとは思ってもみなかったけど。人生とは何とも皮肉なものである。


せっかちをやめた理由

①体力的に不可能だから

治療を開始して以来、抗がん剤の副作用の影響で身体が鉛のように重い。頭もぼんやりと霞がかかっている。料理を1品作っては布団に潜り込み、洗濯物を干しては横になって眠る。ただ眠るだけの日もある。もう普通の身体ではなかった。

今までは、気力も体力もみなぎっていたから何でもやりたいことができていた。でも、治療を開始してからは、もう以前のような体力は残っていないし気力もわかない。病を抱えた身で仕事・家事・育児をするのは本当に辛い。というか不可能である。

②思考を変えないと病も治らないと思ったから

病気が発覚する前、起業の勉強のために斎藤一人の音声をよく聞いていた。彼曰く、病気になった人は「このままの考え方や生活習慣じゃダメだよ」と神様が教えてくれているらしい。

だから、私も自分の思考を改めることにした。いつも時間を気にする思考そのものを改めなければ、私はまた病を呼び寄せてしまうかもしれない。


せっかちをやめて良かったこと

①家族仲が良くなった

まず、家族仲が良好になった。今は家族にしてあげることより、してもらっていることのほうが多い。家族のおかげで治療に専念できるし、身体を休めることができる。本当にありがたい。

以前は、私が期待した通りに動いてくれない家族にイライラすることもあったが、今はなぜあんな些末なことで怒っていたのだろうと自分でも不思議である。おそらく、自分のやり方が正しいという驕りと、他者を思いやる精神的余裕の無さから、そのような思考に陥っていたのだろう。


②一日の満足度が上がった

できない自分を責めるより、できた自分を褒められるようになった。病気を患う身であるから一日のうちにできることは少ない。今日は味噌汁は作れたけど、それ以外は寝ていたという一日もある。

だけど、少ないことでも、できた時の達成感や喜びを味わうようにしている。おいしい味噌汁を作れたこと。家族が喜んでくれたこと。それを思い出しながら眠る。そうすると一日の満足度が違うのだ。「今日も良い一日だった」と温かい気持ちで眠ることができる。


せっかちは楽しくない

以前の私は自分を急かし、他人を急かしていた。せっかちを極めるほど、私は自分の首をしめていた。時間にゆとりのない毎日。ぎすぎすした家族仲。日常生活がどんどん悪い方向へ流れているようだった。なんとなく楽しくない日々。私は何のために生きているのだろうと思った。

今思えば、私には「楽しむ」という概念そのものが抜け落ちていた。日常生活が合理的かつ効率的になればなるほど、なぜか楽しくなくなっていったのはそのせいだ。

本来ならば生活に関わることすべてに、楽しさや喜びを感じる瞬間があるはずなのに。それらを十分に味わっていなかったというか、忘れていた。


手放すことで楽になる

病気になってできないことが増えた今、私はようやく、いかに自分がすべてを抱え込んでいたかを知った。仕事・育児・家事。その3つを上手く回せるようになりたいと切実に思っていた。でも、そんなことは最初から無理だったのだ。

そこまで頑張らなくてよかった。もっと人を頼ってもよかった。ストレスを感じることは早々と手放してもよかった。

妻だから、母だから、社会人だからという理由で何でもかんでも背負う必要はなかった。そもそも一人の人間がすべて出来るわけがない。自分の力を過信していたのだ。

今は、早くなりすぎた時間軸を緩めている。そして、できないことは人に任せている。その結果、退屈で面白くないと思っていた日常生活にこそ、小さな喜びが隠れているということに気づいた。

神様はそのことを学ばせるために、私に病気という試練を与えたのかもしれない。

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