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合理的な思考について知見を得た話【シャニマス】

シャニマスというゲームは本当に、生きていく上での新たな知見を与えてくれるものだということを先日の記事でも書かせてもらった。

今回、また新たな発見を貰ったので、この記事に軽く思考をまとめていこうと思う。

シャニマスの知識が無くても伝わる内容なので、ぜひ読んでもらいたい。


生まれながらの天才 芹沢あさひ


今回の主人公について軽く紹介しておく。

芹沢あさひというアイドルは、同じユニットメンバー黛冬優子に「化物」といわしめるほどの才能を備えている。

ダンスは一目見ただけで完コピ、他人と同じように踊ることはなんのその。

興味があるものにはなんにでもやってみるという好奇心旺盛な性格を持っている。

そんなあさひが、「そばの出前」に興味を持ち、弟子入りしたことからG.R.A.D.編のコミュは始まる。


あくまでも関心は「自分」


G.R.A.D.編 「出前っす」より。

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そば屋の大将は「食ってくれる客のこと」「作ったヤツのこと」を考えて配達をしている。

この時点でのあさひはそういった「相手の事」を考えてはおらず、普段できない体験、つまりそばを誰かのもとに届けるという普段はできない体験(自分のやりたい、楽しいこと)だけに意識が向いていることがうかがえる。

自分が楽しめればいいのである。


「そばを受け取る客の気持ち」が分からない

G.R.A.D.編 「............」より。

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そば屋の大将に課された課題、「心を込めたありがとう」が言えるかどうか。

自分の楽しいものにしか興味がないあさひはPに聞くことで、

「やったことがなくてもできるんなら楽だ」

という判断をする。


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自分の楽しいことができれば良い。(今回のあさひの場合、そばの配達)

これはとても合理的な判断だと思う。

自分の人生を生きていくにあたって、他人の思考など必要ない。

つい最近まで、私も思っていたことだ。

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「歌を聴きに来てくれるファンの気持ち」が分からない

ここで場面は転換して、レッスンでの出来事。

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「すごい歌とダンスだから、ファンは観に来てくれる」

とても合理的である。

自分があってこそ自分は存在し、自分あってこそファンは存在する。

最高のパフォーマンスさえ、自分はやっていればいい。

そこに、他人の気持ちは介在しない。

「ファンのことも考えた心のこもった歌い方をしてほしい」というトレーナーに「つまらない」と言い捨てたあさひ。

トレーナーにお礼のあいさつもしないままに退出してしまう。(ここでも、トレーナーの気持ちを考えることができていない一面が表れている)


「合理さ」と「感情」の交差

G.R.A.D.編 「競争っす」より。

そば屋の大将がけがをして、Pが代わりを務める場面より始まる。


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あさひは道をどう行けば近いのか、住んでいる人の嗜好、顔や電話番号もすべて記憶し、慣れていないPよりも手際が良い。

いかに手際よく、かつ素早くそばを運ぶかにおいては確かに合理的である。

この点においてはPはあさひよりも劣っている。


老婦人(注文客)の家に到着後の場面。

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老婦人を気遣い、ハンカチを渡し、お代もゆっくりでいいと促すP。

その様子をみたあさひは、「早く戻らないと次に間に合わない」と言う。

確かに、一人の客に多くの時間を費やしていては次の時間に間に合わなくなる恐れはある。

「届けること」だけを考えれば、一人の老婦人に気を遣るよりも、全体を見通す方が良い。

Pの行動は、不合理である。

しかし、そんなあさひの言葉に対しPは、

今だって、出前だ」 という言葉を返す。


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この場面で初めて、あさひに変化が訪れる。

そばを与えるだけだった客から、「感謝」というリターンを受け取ったのである。

Pの心のこもった言葉に対し、

「気持ちいいそばを届けてくれる」「お嬢さんいつもありがとう」

と老婦人がいう。

もしかしたらあさひは、自分のしたいことを優先し合理的に立ち回るあまりに、「客(そばの注文、ファン)」という、最も近くにいながら、感謝をしてくれる存在に気づいてなかったのかもしれない。

受け取るものに気づいていないのだから、その人の気持ちを理解するのが今までできなかったのかもしれない。

ここではスクショなので演出が分からないが、2拍ほどの間をおいた後にあさひは、

「毎度ありがとうございます」

という言葉を初めて口にする。



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私も、最近までは自分にしか関心が向いていなかった。

自分のスキルを高めるために、このようにnoteを使って、日常の思ったことをただアウトプットをするということを始めた。

文書構成だとか、内容だとかは、自分だけが分かれば良かった。

会社でも、自分と違う意見に対しては、自分の意見の良さをいかに伝えられるかを意識して発言した。

相手の意見に欠陥があるならば、その分自分が優位を取れると考えていた。

自分の能力を高めるためには、自分に意識を向け続けることであり、それが最も合理的である。

そう信じていたからだ。

自分自身を高めるためには自分だけに関心を向けること。

それは自分という世界から見ると合理的かもしれない。

しかし、それで得た知識というものは他人のことを考えないと波及しないし、巻き込むことができない。

他人を巻き込むことができないのは、そこには知識が存在しないと一緒である。

合理的思考が、必ずしも最善とは限らない。

遠回りをしても、時には他人に目を向ける。受け取るものが無いか。渡しそびれているものはないか。

他人の感情も自身の向上に繋がるエッセンスだ。

私は芹沢あさひの学びに、学ばされたのだ。

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感謝の味とは。

G.R.A.D.編 「毎度ありがとうございます」より。コミュはこれがラストで、Pにあさひがそばを配達するという場面。

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「美味しい」と感謝を伝えるPに、「毎度ありがとうございます」と笑顔で答えるあさひ。

笑顔で感謝を伝えられるようになったので、そば屋は卒業するのである。

老婦人への「毎度ありがとうございます」はすこしぎこちないトーンの言い方だったのだが、こちらでははっきりと明るい言い方になっている。


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これを聞いたPは、どんな気持ちだっただろうか。

そばの味はどれほど美味しく。

どれほど嬉しかっただろうか。



私もきっと、美味しいそばを食べられる。

食べさせることができる。

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