NVC(非暴力コミュニケーション)と社会変化


7月10日 ·

Mikiを中心としたクラスが始まった。

チームで構成したクラスが新鮮だった。

仮眠をして真夜中に入るのは久しぶり。

「Capacity Lens Session」

入ってよかった

リアルに声が聞けることや、一人一人の能力を最大に生かしているのがリアルに体験できた。最近、夜は寝ることを選択していたがやっぱり動画とは違うなと…納得。

NVCの初心者の方もいて、クラスの深さも広い感覚がある。

「能力、意欲、キャバシティ(容量)」について。

そこに「好み」を見る視点が新しかった。

深く、納得〜。

意欲は、誰かが持たせられるものではなく自分が持つもの。

私たちは、無条件の愛を持つことはできるが、能力がなければ差し出せない。

コミットメントは、集中的な意欲。

エネルギーの流れであり、好みの流れでもある。

どれほどの能力を要するのか、能力と意欲に基づいている。

ヴィジョンに進む時、意欲と能力を区別することが必要不可欠。

子供と大人は反対の感情を持つことが例に出され理解しやすかった。子供が持っていないものとして「情報」や自分の周りを理解する力。

ほとんどの大人は、子どもは大人と同じように考えるが、感じ方は違う視点。

「意欲と好み」

苦しみーー自分のやりたいことができないこと。

拘束してはいないか。

妥協、恐れ、強制からの行動だと幸福は低下し、生活の悲劇の一部になる。

意欲なしに物事を行う苦しみを知り、容量や制限を尊重できる視点が多くの優しさと集合的な能力の増加となり、集合的な能力へ向かい、そして限界の尊重につながる。

容量レンズを通すと優しさが生まれる。

小学3年の三男と、小学6年の次男、高校生の長男では

「能力、意欲、キャバシティ(容量)、好み」ずべてが違う。

<気づき>

自分がやる気になれば、能力は経験を重ねることでいずれ身につくと信じたい。

その中で経験する一体感とは、まさに関係性から生まれるもののことだ。

どのように自分のやる気と能力と、好みを観察できるか。

そして同じように自分以外の人もそれらを持っていること。

子ども達は勿論、共に関わる関係性の中に見る視点として 大事なことだなと。

私は、子どもにどういった視点で物事を観察するのか 情報として差し出せるのか。

私は今朝も、6年の次男が3年生の弟に発した言葉に反応してした。

「自分はできている」「お前はできていない」「迷惑だ、何とかしろ(お前の責任だ)」

この言葉をニーズや必要の表現に変えたいと私は思った。

だが、変える意識と好み、能力は次男のものであること。

私ができる最大のことは、次男の言葉を具体的にキリン語に翻訳し、次男と対話すること。そのスペースを持つのが難しい。光の速さだ。

そして、三男が受けたインパクトのケア。

いや〜、その手前に なぜ自分がその行動をする必要があるのかを自分に確認することだ。

くぅ〜。

自分の好みと 子どもの好みと同じではないはず。

勝ち負けや戦略、効率や秩序以外に大事なものがある。

それを表現して欲しいのは、あくまでも「自分」なのだ。

彼が何を大事にし、やる気を見れるかをサポートしたい。

「やる気」を引き出すには、やっぱり養いと回復が必要。

自分から。

焦らずゆっくり自分に優しくできることを考えよう。

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