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社会活動は多岐にわたる。それぞれのセクションで活動が違えど、地球の健やかさを願う。

昨年から始まったNVC認定トレーナーSarahが開催する「共鳴と気候変動」シリーズ。

最後の科学者スピーカーは、ウィリアム・リップル博士。
子ども達の未来を想像し、今私は子供に何をどのように 現実の共有をしていいか迷っています。
様々な問題がある。特に地球環境に関する問題はなぜかないものにされてしまい、脇に置かれがちなこと。
暮らしと命あるものとの共存。生物多様性。
子供がいてくれるからこそ、私にはその問題が大きなものでもあり、焦りもある。
50年後、自分はこの世にいないから関係ないとは思えない。
そうなったら、誰かがなんとかするみたいなことも子供達に教えたくない。自分達でそれぞれが自分の責任を持つこと。
同じセクションでなくても、向かう先は一緒。
受け取りやすい、受け取りたい形も人それぞれ。
未来の子どもたちを 下敷きにするような 課題を次世代に送るようなこともしたくない私がいる。




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この動画を見てほしい。
セヴァン・カリス=スズキさん

1992年6月11日、ブラジル・リオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議」でのセヴァン(12歳)の全体会議演説。https://www.youtube.com/watch?v=oJJGuIZVfLM
日本語訳付き(あずみんが紹介してくれたよ)

今、当たり前に使用している資源が使えなくなる、地球資源の枯渇が目に見えている。
もしくは手にするために高額な資金が必要になったとしたら、会計は?暮らしはどうする?
使われている石油が50年後に使えなくなったらどうする?
そんな会話を少しずつし始めました。

大丈夫。と伝えていいものと 可能性としてそうではない側面、現実。
子ども達は自分たちの力で この問題に向き合って行く必要がある。踏みとどまること、予測のたたない未来への内側のケア、前進力を手にする経験や知恵は十分か。

柔軟に関わる対話ができること、人が共通で持っている深いニーズ(エッセンス)に触れることやその意味を体験すること(自分たちでそれができることの実践)が必要と感じている。
自然に触れる「散歩」や美しさを見て体験を一緒にすること、
地域の文化の根底に触れる「地域行事」への参加から、そこで体験したものを 固定させた一側面に置くだけではなく全体へ拡張させること。

でも一人では難しいし、実現可能なことは一握りしかない。
みんなで体験してみることに意味がある。



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ウィリアム・リップル博士は、現在の気候危機、15000人以上の科学者が署名した彼の「人類への2度目の警告文」、論文「世界の科学者による気候危機の警告」について講演を行なっています。

について講演を行なっています。


気候変動の緊急事態の事実

ウィリアム博士はオオカミの生態系が与える影響についての研究を示してくれた。


狼が戻る森には、食物連鎖の調和が戻り植物や木々が元気になる。
ヘラジカなどのフィードバック・ループが回復する。
このフィードバックループに目を向けること。(いろんな文脈で必要な視点がここにもある。)
私たちにとってのセルフケアとは、行動を起こすことだという。
全体像を把握し、冷静さと愛情を保つこと、地球という惑星に重要な変化をもたらせること。
枠の中の自分を超えることを試みる。
全て個人から始まる。

ガンジーやダライラマのように「プロセス」が大事。プロセスに焦点を当ててプロセスを重視する。
プロセスがしっかりしていれば、結果は自ずとついてくる。
行動を起こすのだ。
ウィリアム博士が力強く言ったこと。
女性の教育を充実させること、情報を十分に与えることで、出生率が減少する。
地球に起きている問題の象徴を鋭く指し示した。
地球問題に何が必要かがその言葉の後ろにあると思った。
それをどれだけの人が理解できるだろうか。



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私は何を今まで学習し、何から子どもたちに行動できるだろうか。ホルモンの影響を考えた時、「絆」という言葉が浮かぶ。
集団で体験する絆をもつこと。
コミュニケーション。痛みを整える共感、感謝、親切。
オキシトシン(絆)と反対側のバソプレシン(仲間を守る)作用。

共存、共栄への変化へのステップに「真実を語る」必要性。
真実とは、どこを切り取っても片側にしか見えていないものである。これも真実。だから罠ともいう。対象を「敵」として語ることでその構造の一部となり、飲み込まれてしまう。突き上げるものにしかならない。脇に置かれるものとなってしまうこと。
「安心」の言葉にもその人の意味づけがくっついてくるので、つながりを感じるのに何が必要なのかもそれぞれの基準が設けられる。それは人によって違うので 実際とても難しい。

私は、
様々な影響を受けている地球の現象のスライドを見ていたら、涙が出てきた。
あー、私は今悲しいんだと、自分の胸に手を当てた。
そう、私はこの地球の自然、生物たちと共に生きる中で、多くの美しさを見せてもらい感動して生きてきた。
その地球のあらゆる場所での災害や生物多様性の危機に心を痛めている。
自分だけが存続するための手段に行動を起こし続けるのではなく、未来に向けた意識とあり方でありたいのだと確認した。



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私の父は、NHKの特集で動物や自然環境についてよく見ていた。
寡黙に、真剣に、黙って見ていた背中を思い出す。
父は、この現実をもしかしたら予測していたのかもしれない。
父が私たち兄弟に残したもの。
父が私たちに見せてくれた、山々の雲海の美しさや 鳥と過ごす時間の永遠さや安心。
自然が見せてくれることで体験できるAwe体験。
父が残そうとしたのは、その「心」を私たちに残すことだったと踏に落ちる。
予測がつかない時代に望む、自分でも想像できない未来を生きるために、私たちにつかませたかったものの大きささやその偉大さを想像した。

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