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恋人と「花束みたいな恋をした」を観た。※ネタばれ有り

題の通り、恋人と某映画を鑑賞しました。

そもそも、このノートを開設した理由は自分の思うところを書き残したいから、とか、タイピング上手くなりたいから、とか、うまいこと行ってお小遣いを稼げたらいいな、とかいろんな理由があったんですけど、恋愛に関する話は書き残したくなかったんです。

でも、昨晩は面白くてどうしても書き残したくて、書き記させて頂きます。お金目的でも何でもないので、もし、この文章と出会った方がいましたら、お飲み物でも飲みながら、気軽に読んでいってください。


昨夜、出会って2年程の恋人と家でこの映画を観ました。
2021年公開の映画で、地元が撮影場所に使われたこともあり、母と映画館に観に行ったのが初めての鑑賞でした。当時は大学受験が終わった直後だったというのもあり、恋人はおろか、意中の相手もいませんでした。だから、当事者意識を持つことはなく、後に”カップルで観ると別れる映画”だと聞いた時は驚きました。

私は、こんな別れ方をするくらいだったら恋愛なんかしたくない。この感想に尽きました。まだ18であったし、恋愛にそんなにいい思い出がなかったので、+な感想になることはありませんでした。この映画は当時、私たち世代はみんなが観に行っていた程、話題になっていて、クラスの半分以上の女子がこの映画についての討論に何日か燃えていたような気が、します。

当時の多くの人の中が残した考察の中で、最も腑に落ちたのは
「麦君は愛。絹ちゃんは恋。」という一言。
絹ちゃんとの生活のために変化を決心した麦君の言動力は愛だったのにもかかわらず、少しずつ、少しずつ、すれ違っていってしまった二人。この記憶が心のどこかに残っていたから、私は恋人への感謝を1日たりとも言わなかった日がなかったのかなとも勝手に考えさせられました。

私の彼は私より年上であるため、多少境遇は違ったものの、大学時代に出会ったり、片方の家に転がり込んだりする描写と自分たちを重ねながら観ていて、今までとは違った視点からの儚さに号泣していました。

恋愛の儚さを度々強調するこの映画。
何もかもに終わりがある事。終わりがあるから楽しいんだという事。私たちはあくまで終わるまでの切なさを楽しんでいるという事。すべてが心に響いていました。

ついに、絹ちゃんと麦君が互いに別れを告げ、転居までの日々を円満に過ごし、暫く経って新たな恋人と居たお互いとばったり出くわしたところで、「どうだった?」と鼻水をすすりながら、彼に恐る恐る尋ねました。

やはり、「カップルで観ると別れる」という都市伝説に脅かされていたせいで、恐怖が少なからず、ありました。私たちの関係において、この映画による彼の恋愛への価値観の変化が吉と出るか、はたまた凶と出るか。どきどきしながら彼に尋ねました。


「ん?」


「あ、いやいや、花束観てどう思った?ほら、カップルが別れる映画とか言われてたじゃん。」


「うん。」


「なにか思うところ、あった?変化とか。」


「いや、別に。」


「なんも思わんかった?別に」


「そういう事もあるんだなあ、って感じ。アイアンマン観て、アイアンマンカッコ良かったなあ、って思うのと同じ。」


((( ,,`・ω・´)ンンン?)))


私が彼を振り回してばかりいるのにも拘わらず、円満にここまで過ごせている理由、それを私はすっかり忘れていました。

それは、彼の「深く考えない」点でした。
あ、良かった。これだから、私はこの人と波長が合うんだった。
改めて思い出されられたほっこりとした瞬間となりました(笑)



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