最近の記事

匿名はやめにした これからたぶんこっちのnoteに書いていくと思う https://note.mu/getiko

    • 「出自のなさ」について

      生まれたところも、育ってきたところも、神奈川にある東京のベッドタウン。 湘南エリアのように、海が見えるわけでもない。 観光スポットなどない。 それでも、生活には全然困らない。 バスは10分に1本来る。コンビニやスーパーもたくさんある。 都心へのアクセスもそれなりに悪くない。 何ら変哲のないこの街は、自分とすごく良く似ていると思う。 可もなく不可もなく、強烈な存在感のない自分。 出自に対するアイデンティティがないことは、ずっとこの先もコンプレックスとして残ってい

      • 中学校のトイレの個室に広がる世界

        感動する音楽には度々出会うのだけど、でもやっぱり中学生の時に聴いたNUMBER GIRLのOMOIDE IN MY HEADの衝撃を超えるものは中々現れない。 学生時代にバンドにハマった人の中にはこれに共感してくれる人もいるのではないだろうか。 中学生や高校生の時の、あの鬱屈としたモヤモヤを抱えていた自分にとっては、 NUMBER GIRLのあのものすごい轟音のギターは、自分の中の得体のしれない黒い塊を開放してくれる救世主だった。 自分は、スクールカーストというものに

        • カメラの隙間

          最近は、「インスタ映えの写真を撮るために旅行する」人も増えていると思う。 私も、きれいな景色や素敵なカフェを見つけた時、 「きれいだね」じゃなく「映えだね〜」とつい言ってしまう。 SNSを通じて友人の旅の写真を見ることも多いわけだけど、 SNSにあがっている写真は、彼らの旅の本質ではないと思う。 旅の本質は、SNSにアップされた写真の「隙間」にある、他愛もない時間にある。 私はその「隙間」を想像することが好きだ。 映える写真を撮るために、撮る角度を工夫しながら

        匿名はやめにした これからたぶんこっちのnoteに書いていくと思う https://note.mu/getiko

          弱さをさらけ出すことの美しさについて

          大勢の人の前で、マイクを使って歌うことは、どれほど孤独な行為なのだろうと考えることがある。 バンドのメンバーはいるけれど、言葉をのせて、あれだけの人を前にして歌うのは、すごく勇気のいることではないかと思う。 私は、その孤独を抱えながら自分の弱さを人前でさらけ出して、聴衆の心にそっと寄り添ってくれる歌い手が好きだ。 とりわけ、自分が女であるということも関係していると思うのだけど、女性の歌い手が1人立って歌う姿に、美しさを感じる。 ここでいう「美しさ」とは、単なる外見上の

          弱さをさらけ出すことの美しさについて

          若者の死はなぜこんなにも悲しいのか

          映画やドラマで描かれる死の多くは、美化されている。と思う。 美化されていないものでも、悲痛さやグロテスクさが誇張されて、どこかポップな感じがするものが多い。 それに、死が物語の主軸になることはあまりなくて、大抵は「誰かが死んだ後も強く生きる主人公」みたいなものが描かれる。 それでも、本当に死を知らないうちの私は、 画面の中の死に悲痛な感情を抱いたり、時には泣いたりして、 「身近な人が死ぬことはこんなに辛いことなのか」と思っていた。 今思うと、少し甘かったな、と感じ

          若者の死はなぜこんなにも悲しいのか

          結局、幸せは幻なのか問題

          元々ネガティブな私にとっては、幸せは幻のようなものだ。 「幸せだ~!」と感じられるときはあるけど、数日たったらその感情はどこかへ消えてしまって、いやな出来事は思い出せても、幸せだったなという記憶は中々思い出せない。 よく、幸福度調査で色んな人にインタビューしてもほとんどの人が「幸せ」と答える国がある、みたいなTVの特集があるけれど、 常に、「自分は幸せだなぁ」と感じられる人の感覚が、私には全然分からない。 日常を幸せに感じられる才能は、私には備わっていないのかも。この

          結局、幸せは幻なのか問題

          近くの人が遠い存在になっていく

          情報が選択できるようになってしまった今、ネガティブな情報に目を向けることがすごく難しくなっている。 西日本の豪雨で死者は150人を超え(7/10現在)、私の周りにも、残った少ない物資で生活し断水からの復旧を待っている友人がいます。 それなのに、東日本大震災の時やそれ以前の災害よりも、どこか「遠いところで起こっている」という感覚がどうしても消えないのです。 東京で生活していても、友人と一度はその話をしても、あまり災害の話題が繰り返し上ってくることはありません。 SNSで

          近くの人が遠い存在になっていく

          自分が誰かにとって最後の命綱かもしれない

          『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』を観て、創作における狂気性について書きましたが、 あの映画の中でもう一つ、書きたい場面があったので書きます。 前半は、死後に発見されたネガフィルムが大反響を呼んだというドラマ性と、「一体彼女は何者なんだ?」を解明する高揚感があるのですが、 後半は、彼女の孤独にフォーカスが当てられて、どうしても社会から疎外されてしまった、彼女の孤独の恐ろしい深さについて考えざるを得ないような内容でした。 その中で、深く印象に残ったのが、かつてヴィヴィアン

          自分が誰かにとって最後の命綱かもしれない

          生きるために創り続けるということ

          スマホで誰でもクオリティの高い写真を撮れるようになった今、 良い写真に対する感動は薄れてきているように感じます。 私も、InstagramとかTwitterで「この写真綺麗!」っていいねすることはあっても、 写真家の作品を追ったり、写真集を買ったりはしてきませんでした。 ですが、「これはすごい....!」っていう写真家に出会ってしまいました。 (こちらで作品が見れます→http://www.vivianmaier.com/) 写真にはどうしても撮影者と被写体という関係

          生きるために創り続けるということ

          自分を主人公にしてくれる音楽

          あなたが、「あぁ、この曲に出会えてよかった!」と心から思えるのはどんな曲ですか? 「この曲の良さ、みんなに伝えたい!」と思って、メロディや歌詞、ギターの音色やリズムについてどれだけ力説してみても、全然伝わらない。 という経験、覚えがある人も多いのではないかと思います。 私はどんなに落ち込んだ時もいつも音楽に助けられてきたので、 「どうにかしてこの良さを分かってほしい」といわゆる"J-POP"しか聴かない友人に布教しようとしてきたのですが、全然だめなのです。 ------

          自分を主人公にしてくれる音楽

          「カミングアウト」の功罪

          最近、Queer EyeというNetflixの番組にハマっています。 ファブ5というゲイの5人(それぞれが料理・ファッション・インテリアなどのプロ)がサエない男性を大変身させる!という番組。 シーズン1ではとにかくファブ5が面白くて大胆で、依頼人を大変身させる勢いと爽快感が大好きだったのですが、 シーズン2では、その多くがゲイを排除する 教会コミュニティや、トランスジェンダーの依頼人が出てきたりして、 いつも明るいファブ5の面々も、マイノリティとして苦悩があったのだな

          「カミングアウト」の功罪

          つくりあげられた「女らしさ」と「男らしさ」

          Netflixでワンダーウーマンが公開されていて、映画館で上映されていた時は「わざわざ見に行くほどでもないか」と思って行かなかったのですが観てみました。 ヒーローものの映画はストーリーとか画に凝ってるわけじゃないのでそんなに好きではないし、ワンダーウーマンもストーリーは面白くなかった(というかむしろ謎だったw)のですが、 女性の戦士たちがどんどん敵を倒していくのを見て「この感覚、今まで味わったことなかった...!かっこいい!」と感じてエンパワーメントされたと同時に、 「

          つくりあげられた「女らしさ」と「男らしさ」

          言葉というバイアス

          私は、最近ずっと言葉というコミュニケーションツールの危険性について考えています。 言葉は「複雑なものを単純化して効率的に解釈し、伝える」ための道具です。 私たちは五感を使って受け取った複雑なものをそのまま他者に伝えることができません。 言葉に情報を「圧縮」して伝えるしかないのです。(写真や動画でも、その時感じた空気感までは伝えられません。) その言葉というツールが、人を分断して他者を理解しようとする努力を阻む元凶になっているなと最近ひしひしと感じます。 ******

          言葉というバイアス

          「幸せそう」で突き放すのもうやめよう

          今回はTwitterで流れてきたBUSINESS INSIDERの記事について書きます。 色々な人が言及しているし「幸せの本質」っていう話はこれまで何度も議論されてきた事だと思うのですが、自戒も含めて、感じたことを心に刻んでおきたいと思ったので書きます。 ---------- この記事で挙げられている2人は、自分の才能を活かして仕事として成功して、有名になって富を手にして家族が居て...という「いかにも幸せそう」というセレブです。 その2人が自殺を選択して人生を終わら

          「幸せそう」で突き放すのもうやめよう