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結局、幸せは幻なのか問題

元々ネガティブな私にとっては、幸せは幻のようなものだ。

「幸せだ~!」と感じられるときはあるけど、数日たったらその感情はどこかへ消えてしまって、いやな出来事は思い出せても、幸せだったなという記憶は中々思い出せない。

よく、幸福度調査で色んな人にインタビューしてもほとんどの人が「幸せ」と答える国がある、みたいなTVの特集があるけれど、

常に、「自分は幸せだなぁ」と感じられる人の感覚が、私には全然分からない。

日常を幸せに感じられる才能は、私には備わっていないのかも。この先も。

それでも、「幸せ」なあの短いひと時は、満たされていて、美しくて、そしてとても切ない。その「幸せ」が長くは続かないことに気づいてしまっているからだ。

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今各所で上映中の、『フロリダ・プロジェクト』という映画を観てきた。
(※以下ネタバレ含んでます)

主人公のヘイリーと娘のムーニーは、すごく貧しい親子で、ヘイリーは定職を持たず、卸で買ったニセモノの香水を観光客に高く売りつけたりして、その日暮らしの生活を送っている。

この母娘の物語です、というと、よくある、貧困層の闇を描いた社会派作品という感じがするけど(実際そうなんだけど笑)、この作品は一味違う。

実は、ヘイリーとムーニーが住んでいるのは、フロリダにあるディズニーワールドの近くにあるモーテル。
観光客用に建てられたモーテルなのだけど、ディズニーから少し離れているし見た目が紫で派手なので(しかも「マジック・キャッスル」という名前で、いかにもラブホっぽい)、
実質ヘイリー・ムー二―母娘のような貧困層が住む安アパートになっている。

この映画がただの社会派作品と違うところは、2人の生活が、とにかく淡々と、しかもすごく綺麗なパステルカラーの色彩の中で描かれるところだ。

彼女達の貧しさが垣間見えるシーンは多々あるし、定職に就こうとせず娘もしつけようとしないヘイリーが心配になる場面もたくさんあるけど、

それでも2人は幸せそうなのだ。

お母さん友達と夜プールでたわいもない話をしたり、近所の子供たちとイタズラしまくったり、イタズラを叱りながらも暖かく見守ってくれる管理人ボビーとの触れ合いとか。

ささやかだけど、幸せな日常という感じで、あまりにも淡々と描かれていくので、観てる側も「ずっとこんな生活が続いていくのかな」「貧しい2人だけど、なんか可愛くて幸せでいいな」という錯覚に陥ってしまう。

それが、この映画のすごいところだ。

最後の最後に、すごく大きなストーリー展開が待っていて、ヘイリーとムーニー、そして私たちが抱いていた「幸せ」が幻想だったことに気づかされるのだけど、

つかの間の「幸せ」な時間の、あの、白昼夢のような、淡い、キラキラした、パステルカラーの、あの感じをとてもリアルにみせてくれる。

物語が終わった後、エンドロールであんなに観客が唖然として、シーンとした張り詰めた空気感が劇場内を包む作品めったにないと思う。
(これはネタバレしたくないけど、エンドロールも、かなりぶっ飛んでいる。)

劇場全体が、「幸せ」という幻に、惑わされて、そして強制的に現実に引き戻される感覚。今まで味わったことがなかった。

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『フロリダ・プロジェクト』は、8/17までUPLINKで上映していて、Amazon Primeでも観れるみたいです。

ショーン・ベイカーという監督の作品なんですが、彼は全編iPhoneで撮影した『タンジェリン』という作品で注目を集め、そして今作。

素人を使う主義なようで、今作の主人公2人もスカウト(インスタ見て、とかほんとに偶然のスカウト)されてほぼ演技初挑戦。なのに本当に自然な演技で、脚本とかちゃんとあるのか疑ってしまうほど。

とんでもない監督だ。笑 次回作も楽しみ。



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