すぐのヒロゲシュタルト療法トレーニングの記録 - Part1(ホメオスタシス)
こんにちは、コーチのすぐです。人の可能性を信じるコーチングの技に出会い、新卒でデザイナーとして入社したヤフーを2年前に退職して、コーチ兼デザイナーとしてフリーで活動しています。
現在は小田原に引っ越して、山と海、素敵な方々と過ごている今日この頃です。
僕は、THE COACH Academyにてコーチングを学び、2つ目はトランジションコーチングスクール、また昨年できたプロセス指向心理学ベースとしたGenerative Team Coachingにて、夫婦やカップル、チームや組織の集団に対するチームコーチングを学んできました。
「人の本質的な変容とは何か?」を常に問い続け、学び実践を繰り返しています。
2年ほど前に、ゲシュタルトファシリテーターひろさんのゲシュタルト両方のセッション(ワーク)を受けた時に衝撃を受け、昨年は1年間オンラインにてトレーニングを受け、今年からヒロゲシュトとして始まった対面・オフラインを融合した講座に本格的に参加することにしました。
この講座に申し込むことを決めた時、身内からも「そんなに情熱があるなら、大学院でちゃんと学んだみたら?情熱がある方がやっているから大丈夫だと思うけど、正直ちょっと心配だな」と言われて、少し考えさせられました。
ゲシュタルト療法は、1on1での対話のセッションだけではなく、実践者のファシリテーターと受ける側のクライアント、そしてその場に参加している人もワークに参加します。
僕自身もクライアントとして、そしてオブザーバーとしてゲシュタルト療法のワークを通じた、心の奇跡の数々を何度も見てきました。日本において、世界においても、もしかしたらまだまだゲシュタルトの知名度や、その素晴らしさは閉じられたものなのかもしれません。
この1年間受けるトレーニングの知見を多くの方にシェアしたいと想っています。そして、僕はたくさんの世界の叡智を体験し、いろんな人に届けたいと想っています。その土台ができた時には、大学院でも本格的に学ぶかもしれません。
まずは、体験と実践の旅から。
ゲシュタルト療法とは何か?
ゲシュタルト療法は、心理学や生物学、哲学名など幅広い理論がベースにあります。
ゲシュタルト療法の歴史的な背景や、コーチングとの関わりに関しては、以前書いた記事をご覧ください。
今回の2日間のオフライントレーニングでは、「理論 背景・歴史・生物学・ホメオスタシス・気づきの3領域」を学んだのち、実際にファシリテーターとクライアントによるワークを体験していきました。
ゲシュタルト療法とホメオスタシス
今回の講座の理論で解説されるものの一つが「ホメオスタシス」です。コーチングにもたくさんの流派がありますが、特に認知科学のコーチングでは、ホメオスタシスはよく用いられる概念の一つかと思います。
しかし、ゲシュタルト療法と認知科学では、その応用の仕方が多少異なることが、講座でも問いの一つとして上がったので、ここで深めることにします。
ホメオスタシスとは、「環境が変わって、有機体が常に平衡を保とうとする働き」です。
例えば、人は喉が乾けば水を飲んでその欲求を満たそうとします。寂しければ、人に連絡をとって寂しさを満たそうとします。全ての生命には、欲求を満たそうと自動調節する機能があります。
しかし、その欲求が満たされない時に、ホメオスタシスの感覚が鈍り、有機体は病気になります。(例:塩分が足りないのに得られないと、疲労感や食欲不振になる)
生物学のホメオスタシスは心理的にも発生する
ゲシュタルト療法では、この有機体のホメオスタシスの自己調整機能が、心理的にも起きると捉えます。
幼い頃に、いじめを受けて本当は逃げたいのに、環境がそこに留めようとするなら、その子の心身が不調になるのはイメージできると思います。本当は助けを求めたいのに、そうできない時もあるかと思います。
その不快さというのは、体に残り、その経験は人生のパターンとして繰り返されていきます。
ゲシュタルト療法では、セッションで湧き上がってくる感覚をそのまま表現することを促していきます。「もし涙が声を持っていたら何という?」「怒りの感情が声を持つなら何という?」そう言ったように。
体験している感覚や体の声をただ聴いていきます。ある意味でとてもシンプルです。しかし、社会で生きていく上で、時に自分の感情や感覚を押し殺して、成果を上げたり、社会に適合していく必要が多い現代では、僕らはその感覚が鈍ってしまっています。
その意味では、ゲシュタルト療法とは自分を取り戻していく体験(セラピー)とも言えるかもしれません。
ホメオスタシスと認知科学コーチング
僕自身、認知科学コーチングを直接学んだわけではないですが、その違いを見ていきたいと思います。
コーチングや学習の理論においてよく出されるモデルが、「コンフォートゾーン、ラーニングゾーン、パニックゾーン」です。
とてもシンプルにすると、コンフォートゾーンは、スキルや経験が備わっている快適な状態。ラーニングゾーンは、スキルや経験が乏しく、ストレス負荷が少し高いところ。パニックゾーンは、未知の環境で過度なプレッシャーがあるところ。
よって、人が成長するには、この3つの領域を見極めコンフォートゾーンからストレッチゾーンへ出ていこう、と紹介されているケースが多いと思います。
多くの人がダイエットでリバウンドするのは、慣れている状態から変わりたくないという無意識が、これまでの日常であるコンフォートゾーンに戻そうとする。これが認知科学的なホメオスタシスの捉え方です。
認知科学コーチングの「コンフォートゾーン」と「ホメオスタシス」については以下のnoteでも紹介されています。
コーチングとセラピーの分岐点
認知科学におけるホメオスタシスは、変わろうとしても元の状態に戻ろうとする力学に着目し、ゲシュタルト療法においては今感じているその不快感の調整を満たそうとするホメオスタシスの力そのものを取り戻そうとするところに着目しているといえるでしょう。
これは僕の考察ですが、ここにコーチングとセラピーの違いであり、分岐点があるかもしれません。
認知科学的なコーチングは、その内に戻ろうとする引力から、コンフォートゾーンの外に真のゴールを設けることで、人生のパターンを変え、本当に進みたい方向に向いていく外向きのアプローチです。
一方、ゲシュタルトは、そのホメオスタシスがどのように機能し(HOW)、滞っているのかを体験し続け、真の自己に迫っていく内向きのアプローチです。
どちらが正しいというものではなく、どこに着目しているかに違いがあるだけです。しかし、ゲシュタルト療法の側に立つと、人間の生物に備わった力を信頼するその哲学が感じられます。
クライアントとしての私たちの体験
理論を学んだ後は、実際にそれぞれが扱って欲しいテーマをベースにクライアントとしてヒロさんとセッションをし、全員でその体験を共に分かち合います。
・エネルギーを抑えることへの葛藤
・同席した者への怒りと過去の悲しみ
・映画のように華麗で悲しく美しい夢の物語
・兄弟、家族に対する心の叫び
・短時間での知人との関係性
どのワークも壮絶なストーリーが紡ぎ出され、参加者からは「これまだ2日だよ…??」という声がでるような、まるで台風のような2日間でした。
他の参加者の視点は、ぜひこちらをどうぞ!
クライアントとしての僕の夢のワーク
2日目にじゃんけんで、ワークの権利を勝ち取り、僕は夢を扱ってもらいました。小さい頃からずっとよく夢を見ていて、ここ4、5年は悪夢をいっぱい見ます。
人生の節目、変容が起きる旅に夢が変わるから、夢にはとてつもない可能性があると最近よく思います。
実は、この2日間のワーク(セッション)は、みんな壮大な内容で、周りは泣く人もいっぱいでした。
ただ僕のワークの時は、まさかの寝ている人も多くて、ちょっと申し訳ないな…と思いつつ、その葛藤もありながら、自分のための時間ではないか!とそのプロセスに委ねてみました。
過去にゲシュタルト療法のワークは、6−8回ほど。でも、終わってみればこの夢のワークが一番、人生の中で深く残っていて、不思議な体験でした。あぁ、こういう生き方を僕はしているのだ、とワークを終え、人生を歩む内に、繋がるような不思議な感覚。とても財産になっています。
ゲシュタルト療法では、夢の中にあるものそのものになっていきます。僕はスマホになったり、LINEのスタンプになったり、島になったり、いろんなものになって、そして、友達や父親をその場に置いたりして、その感覚を体感しました。
最後には行きたい山が見えた。その山にいかなきゃいけないけれど、その通行を許可したり、警告する存在がいる。最初はその存在は、僕には変な存在だったけど、聴いてみると別に許可はいらないらしい。
よくみてみると、行きたい山は大陸で、自分のいる島と、大陸には大きな海の距離がある。そこにいくには、多分飛行機が必要だ。そう考えるとその飛行機はとても小さく、何時間もかかるかもしれない。
そうすると経由する大陸が必要だ。燃料がいるかもしれない。もし無理していったのなら、死んでしまうかもしれない。
それが今の僕の生き方だと気づいた。
そう気づいた時、その大陸の周りには、たくさんの島があって、それを経由していったらいい。そう気づいた。
むしろ、そうして旅した方が楽しいと気づいた。人生は、目的地にいくことよりも、その旅の途中で出会う人たち、食べ物、景色という偶然の出会いがあるのだから、楽しいのだから。
勇者ヒンメルが「気が付いたら世界を救っていたような、そんな旅がしたいんだ」といった理由が、真の意味でわかった気がする。
昔バックパックした時もそうだった。4ヶ月という区切りの中で、どうしてもいってみたいところがあったから、お金の制限の中で、どんどん進んでいった。
最後はなぜか視力がガクッと下がり焦ったが、無事サハラ砂漠に辿り着いた。だけど、そのサハラ砂漠は美しいけどそれだけで、振り返ればそのプロセスで出会う神秘的な景色やご飯、未知との遭遇が何よりも楽しかったんだ。
最近は、料理したり、引っ越しして物を集めたり、少しづつ丁寧な暮らしができてきた気がする。何かにたどり着くよりも、その旅で出会う一つ一つを味わえるように。自分を無理せず、人と接せられるように。そう歩んでいきたいのかもしれない。
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