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【ゲシュタルト療法トレーニングコース】DAY1-2


2024年4月20日
ゲシュタルト療法トレーニングコースの学びが始まった。
体験の中で起きたことを自分の記録として残していこうと思う。

※あくまでも一個人の表現であることをご承知おきください


出会い

ゲシュタルト療法との出会いは、去年の3月。
はじめてゲシュタルト療法のワークショップに参加した。
THECOACH×ヒロさんの場。
セッションの場を目の当りにしたとき、衝撃を受けた。
「いまここ」で「気づく」こと。
溢れ出るいのちのエネルギーを全身で浴び、溺れかけた。

6月にもワークショップに参加した。
ARUKUKI×ヒロさんの場。
こちらはゲシュタルト×家族療法。
はじめてクライアント体験をした。
長年向き合い続けている「家族」をテーマにセッションを受けた。

セッションの場で完了するわけではない。
気づきを得て「どう生きるか」
自分の在り方が問われる。
とても大きな問いが意識に入り込んできた。
自分の在り方がグラデーションのように変化していった。


はじまり

DAY1で会場に入ったとき、去年の3月と同じ会場に懐かしさを覚えた。
出会いの場で学びがはじまることが感慨深かった。

オブザーブする中で、自分の中に様々なことが起きた。
自分のテーマではなくても、自分の中のなにかが共鳴する。
それらを全て言語化することはできないが、記憶のカケラを辿っていこうと思う。



いきる

たましいの雄叫び。
自分の身体で、自分だけの身体で生きていく。
自分を動かしているのは自分だ。
自分の意思で生きていくんだという、強いパワー。
生き物としてのひと。
神々しいほどのエネルギー、いのちの輝きを感じた。
とても美しかった。



対人支援者とは

いろんな記憶が想起された。
目を閉じていた。
壁を作らないと場にいられないほどに苦しかったのだろう。
自分との出会いは、人生のほんの一部でしかない。
その交わりのなかで、すこしでもいい関わりができたらと思っていた。


問いが浮かんだ。

いい関わりってなに?


ゲシュタルトは意図を持たない。
ただ、在る
良し悪しを判断しているのは自分だ。



どう在るか

どう生きるか


大きな問いが立ち続けている。



自分としていきていく

映画のようなストーリーに触れた。
わたしには、眩し過ぎるくらい輝いていた。
輝きを放つ前の、影。
重圧に押し潰されそうになった。
涙は出ない。
ただただ、圧倒され、神経が逆立っていた。
別世界の物語。
自然とそう思った。
でも、いつか、きっと。
そう思いたがっているわたしも、いた。



あい

いろんな感情を受け取った。
いろんな想いを受け取った。
言語化はできないし、したくもない。

ただそこには、深い深い愛が、あった。



何処かへ

どんな道を歩いてきたか。
この先どこに行きたいのか。
その時々で選択し、その都度意味を見出してゆく。
見られた景色、見られなかった景色が、たしかにある。

一期一会。
出逢いに感謝。
出逢えたらきっと、どこかで繋がってゆく。




いま、なにを感じる?

身体が重い。
ずーんと、なにかか乗っている。

何だ?

わからない。

どこかの場面で、自覚した。
のしかかるなにかに潰されそうになっていることを。


不快で、苦しくて、どうにか振り払いたかった。

ジャーナリングやドローイングをした。

でも、消えない。


違う。


消そうとするから消えない。


ただ、あるなぁ、と見つめる。


それでいい。


いまはただ、そうしていたい。




表現すること

感じたことをアウトプットすることに抵抗がある。
ここまでの文章も、書いて消してを繰り返した。
自分の表現が誰かを傷つけるのではないか。
自分の意図とは違う伝わり方をするのではないか。
そんなことをずっと、頭の片隅に抱えている。
たいせつな、たいせつな、いのちの響きを目の当たりにした。
たいせつに、たいせつに、扱いたい。
だけど、自分が感じたことも消したくない。

これを読んでどう感じるかは読んだひとの自由。
わたしがなにを感じたかもわたしの自由。
どちらも、ただ在る。

ただ、あることを、ゆるしたい。

いまは意味を繋げなくていい。

ただ、ある。


それだけでいい。


いまはただ、そうしていたい。


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