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私には難しかった天才の詩


大学1年生の時、

レオナルド・ディカプリオ主演の

『太陽と月に背いて』

という映画を観に行きました。


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フランス文学史上類いまれなる才能を持った詩人アルチュール・ランボーと、同じく詩人であったポール・ヴェルレーヌとの破滅的な愛と魂の交感を描き出す作品。

アルチュール・ランボー役をディカプリオが演じているのですが、

このディカプリオがもう、それはそれは美しくて!!!

「魅惑的」という言葉はこの時のこの人のことを指す言葉だと思いました。(いまだにそう思ってます)

映画館を出た私は頭の中が麻痺したみたいにぽーっとなっちゃって(ぽーっとなるような内容だったこともあるのですが)

そのまま書店へと「ランボー詩集」を探しに行きました。


天才といわれたアルチュール・ランボーの詩を読んでみたくなったのです。

こちらがランボーのプロフィール(新潮社さんのページから引用しました)

(1854-1891)1854年、北仏のシャルルヴィル生まれ。父の不在と敬虔(けいけん)な母親の干渉に耐えかね、家出を繰り返す。十五歳から詩を書きはじめ、知人に宛(あ)てた「見者の手紙」では、すでに「狂気」を引き受ける詩人の使命が高らかに謳(うた)われていた。1871年、まだ見ぬ海を幻視した「酔いどれ船」をひっさげ、パリ詩壇に登場。「母音」「永遠」「尻(しり)の穴のソネット」(ヴェルレーヌとの共作)といった代表詩をものにする一方、あまりの悪童ぶりで周囲との軋轢(あつれき)を招いた。その後、ヴェルレーヌとの愛憎劇のなかで『地獄の季節』(1873年)を完成し、1875年には散文詩集『イリュミナシオン』を脱稿するが、ほどなく文学と決別する。放浪の旅をつづけ、最後はアフリカの武器商人に転生。1891年、骨肉腫(こつにくしゅ)で右足を切断し、マルセイユで死去。享年三十七歳。

書店で詩集を見つけてパラパラとめくってみます。

少し難しそうだとは思ったのですが、

「家でゆっくり読めば大丈夫でしょ!」と、

頭がディカプリオランボーにやられていた私は詩集を購入。

急いで帰宅して詩集を開きました。


……

どう頑張っても私には難しかった!!

今思えば、昔の訳(たしか堀口大學訳でした)がちょっと堅苦しくて難しかったのだと思いますが、頭がぽーっとなっていた大学生の私にはどのみち難しかったのです。

若かったのに、

早熟の天才詩人ランボーの詩が理解できなかったのは、多分私が天才じゃないからだといじけたりして。

この時初めて、

映像で観て昂った感情のまま、何かを手に取ってみても、それがその時の自分に合っていなければ乗り越えられないものがある、と思い知りました。


YouTubeで朗読しているものを発見!

ランボーの詩を中原中也が訳してる。

ランボーと中也にはなんだか共通点があるような気がしますね。今だったら楽しめるかも。


今回「映画館の思い出」を何か書こうと思ったら、映画を観た後に「うおーっ!」っとなって勢いで詩集を買ったものの…なガッカリした苦い記憶を思い出しました。

皆さんの「映画館の…(苦い)思い出」があったら聞きたいです。


#映画館の思い出


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