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本気で地球防衛団!


第1話 辞令

俺は、渡された辞令書を手に憤慨していた。

なぜこんな事になったんだ。俺は外交官になりたくて、猛勉強の末に外務省キャリア官僚として採用されたんじゃなかったのか。

それが突然の出向とは、どういうことだ。

そもそも、出向だなんて都合のいい言葉を使いたくはない。

そう、これは俺にとっては、左遷だ、左遷、とうてい納得のいく話しではない。

しかし、そこは雇われ人の辛いところ、じゃあ辞めますだなんて言おうものなら、確実にキャリア官僚としての道は閉ざされてしまう。

ここはぐっと我慢して、とにかく数年を耐え抜けば、また元に戻れるチャンスがあるかもしれない。

とにかくむかつくが、今の俺には、そう信じるしか道はなかった。

そんな俺が、本日付で出向することになった職場の門をくぐる。

苛立つ思いを惜しげも無くあらわにして、誰もいない受付のテーブルに、辞令書を叩きつけた。

「すいません! 今日からこちらでお世話になる、杉山康平ですけど!」

台に置かれた、呼び鈴を連打する。

わざわざ俺がこんなところに来てやったんだ、ありがたく、さっさと対応しろよ。

そのままじっと待って、5秒ほど経過したけれども、奥の事務所からはなんの反応もない。

なんて失礼な職場だ。

俺が二度目、三度目の呼び鈴を、連打し始めたところだった。

「そんなに鳴らさなくても、聞こえてますけど」

出てきたのは、俺と同じ歳くらいの女性職員だった。

「受付嬢なのに、時間に受付に座ってないってのも、どうなんですかね」

俺よりずいぶん背が低い。

巨乳だけど、美人でもなければ可愛くもない。

黒髪ストレートの、いたって普通の女だ。

「あなたが杉山くん?」

彼女は台に置かれた辞令書を持ちあげ、眠たそうな目で書類に目を通す。

「今日から外務省の出向官が来るって、聞いてないんですか? 社内連絡、悪いっすよね」

「聞いてますよ」

女は、細くキレのある目で俺を見上げた。

「私が、新人教育係の三島香奈です」

俺は、このチビで生意気そうな女を見下ろす。

お前が新人教育係?

「そうですか、よかったですね」

「いや、最悪です」

「ところで、センター長はどこですか、先に挨拶を済ませておきたいんですけど」

「どうぞ」

ようやく扉が開いて、俺は中に入ることが出来た。

生意気な女が俺を先導する。

狭い事務所に、黄ばんだ壁と、すりガラスのパーティションは、一世代どころか、時代にあえて逆行しているかのような、古くさいオフィス形態を、よりいっそう胡散臭くかもし出している。

社内には、俺とこの女以外の人間が、三人しかいない。むさ苦しいおっさん連中ばかりだ。

残りのデスクは、使用されている気配はあるが、無人島で放置された半壊小屋のような状態で、資料なのか本なのか、紙資源の無駄遣いが山積みにされている。

まずはこのあたりから、環境改善していかないといけないな。

俺が派遣されてきたからには、とにかく実績を残して、少しでも上にアピールしていく材料を集めなければならない。

俺は、史上最速でここを脱出する。

その意気込みだけで、今の俺は生きているのに、それなのになぜか、女は部屋の隅の中古デスクを指差した。

「とりあえず、ここに座って」

そう言うと、女はその隣の壁際のデスクに座り、壁に背をもたれて足を組む。

「センター長は今は留守なの。学会があって、明後日にならないと帰ってこないわ」

何かの書類に目を通しながら、そのまま座って動かない。

出向官である俺がまだ立っているというのに、こんな基本的なビジネスマナーも徹底されていないとは。

「人と話す時は、ちゃんと目を見て話せって、習わなかったんですかね」

俺がそう言うと、女の目が、ようやくこっちを見た。

「センター長が不在なら、とにかく現時点でのここの責任者を出して下さい。僕には、僕の仕事がありますから」

「あなたの仕事はなんですか?」

「それを先に、聞いておきたいんですけどね」

女は相変わらす足を組んだまま、ありえないほど不遜な態度で俺を見上げている。

ここに派遣された人間が、ホント俺みたいな寛容な男でよかったよな、そうじゃなかったら、怒鳴られても文句言えない立場だぞ、コイツ。

「とにかく座ってって、言ったよね」

「先に挨拶しておきたいって、言いましたけど」

「杉山、私が座れって言ってんだから、とりあえず座れよ、このボケ新人」

目の前にいる、この態度の悪い女から発せられた言葉が、どうやら俺の耳の鼓膜を振動させているらしい。

「なにか言いましたか?」

「あたしが、あんたの教育係なんだよ!」

書類ごと、机に叩きつけた手の平が、バン! と、大きな音を立てた。

「いつまでボケーっとそこに突っ立ってんだ、さっさと座れ!」

この女が? 俺の教育係? この女が?

「どこをどう教育される必要があるんですか? 俺、国家公務員採用総合職試験をパスした、エリート官僚なんですけど?」

女は大声で笑った。

「あーぁ、ホント嫌になるから、もうこれ以上しゃべらないでくれる?」

「とにかく、ここの責任者の方を……」

「日本語、分かる? エリート官僚さん?」

こんな頭の悪そうな女に、バカにされる覚えはない。

「僕は外交官を目指していまして、英語はもちろん、フランス語とスペイン語も習得しましたし、今は中国語を勉強中なんですけどね」

「す・わ・れ!」

女がようやく、組んだ足を元に戻した。

「それとも、英語で言われないと分からないのかしら? 杉山、Sit!」

仕方ない、そこまで言うのなら座ってやろう。

俺は、指示された薄汚い椅子に座ってやった。

「それで、何をすればいいんですか?」

「そうね、私の指示を素直に聞くことから始めればいいんじゃない?」

「はぁ? なんで俺が、あんたの指示を聞かなくちゃならないんですか」

 周囲にいた、むさ苦しいおっさんたちから、くすくすという笑い声が漏れ聞こえた。

ほら、やっぱりお前の方が間違ってる。

「笑われてますよ」

「あんたがね!」

俺が呆れてため息をついたら、この女も同時にため息をついた。

しかも、にらみつけてくる。

これは、実にムカツク展開だ。


第2話 教育係とは

外交官志望の、キャリア官僚であるはずの俺が、なぜこんなチビで、たいして可愛くもない生意気な女によって、教育されなければならないのか。

そもそもこいつに、社会人新人教育というものが、分かっているのだろうか?

「教育って、ただ単に、指示を出すだけじゃないですよ」

「そこに、あんたの新人教育用カリキュラムがあるから、目を通してくれる?」

そのカリキュラムとは、さっきコイツが机に叩きつけた、この資料のことなんだろうか。

とりあえず、手にとって、目を通してやる。

「パソコンでの、資料作りは出来るんですね」

俺の新たな職場は、国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センターというところだ。

宇宙から飛んで来る、地球に衝突する可能性のある小惑星を事前に見つけ出し、予防策を立てるという、なんとも非現実的で、優雅かつ、ヒマそうな職場だ。

見ている資料には、一週間にも及ぶ新人研修と、仕事内容の説明に関する日程表が書かれている。

「一週間もかかるって、効率悪くないですか?」

資料の冒頭部分には、このセンターの設立の経緯と、存在意義についての説明が書かれている。

これが俺に対して施される新人教育とは、片腹痛い。

「こんな内容、ネットで検索すれば、ここのセンターのホームページに、載ってますよね」

「まずは、センター全体の、大まかな部署の役割と、仕事の流れを説明するわね」

「こんな紙の資料にするより、パワポとかで、プレゼン形式にした方が、紙の節約にもなるし、僕のパソコンにメールで添付して送ってもらえれば、家に帰ってからも、見返すなり復習なりが出来るのに」

彼女は無駄紙の資料を手に、俺の美貌に視線を移した。

俺はさらに続ける。

「守秘義務もあるでしょ? データ化して、パスワードで保護しておく方が、紙の束抱えてビクビクしてるより、よっぽど安全で効率的ですよ」

女は俺を見上げたまま動かない。

ようやく俺の実力を理解し、感心と畏怖する心に芽生えたようだ。

「あ、パワポって分かります? いまじゃ、他のを使う人も多いんですけどね」

俺は、相手の知識レベルを考慮してやることも怠らない。

そんなところにも、ちゃんと気が回る男なのだ。

「あんたってさ、よく今までやってこられたよね、友達って、いる?」

「あの、プライベートな質問には、ちょっと……」

これだから、女を相手にするのは面倒くさい。

こうやってすぐに俺の素姓を聞き出そうとする。

俺のプライベートに踏み込んでいい人間は、俺が認めた人間だけであって、たかだか職場が同じというだけで、そこを勘違いしないでほしい。

あんたは俺自身に、興味をそそられるのだろうが、俺はお前みたいな女は、お断りだ。

「プライベートを聞いてんじゃないのよ、あんたをバカにしてんの!」

女はイライラと、机を二度も叩きつけた。

「あ、プライベートじゃないんなら、いいです」

女は、あからさまに長い息を吐き出して、手にした資料をめくる。

「資料は後で、送ってあげるわ」

ほら見ろ、やっぱり俺の言うことが正しい。

それから女は、ようやく仕事の話しを始めた。

なんだかんだと回りくどい説明もあったが、とにかく、このセンターの役割は、地球にぶつかってきそうな隕石を事前に見つけ出し、衝突の可能性を計算することだそうだ。

まぁ、ホームページ以上の説明はなかったけど。そんなの、知ってたし。

そのやり方と手順の説明は、後日追って作業をしながら教えるんだって。

だったら、今日のこの資料と説明はなんだったんだ。

意味がないよね、無駄かつ非効率としか言いようがない。

俺はこんなくだらない職場に飛ばされたのか。

文官官僚の中枢にいたような俺が、なぜこんな理系天文オタクの巣窟なんかに飛ばされたんだ、不条理としか言いようがない。

扉が開いて、一人の男が入ってきた。すらりと背が高く、まずまずの顔つき。

俺の直感が一目で分析結果をたたき出す。

分かる、俺と同じで、仕事が出来そうなタイプだ。

「栗原さん、もう帰ってきたんですか?」

 女はそう言うと、立ち上がって彼に駆け寄った。

「あぁ、もう俺の発表は終わったしね、ポスターはセンター長に任せて、先に戻ってきたんだ。はい、これお土産」

女は紙袋を受け取ると、喜々としてお茶の準備を始める。

「君が今日から来た新人さん?」

「杉山康平です。よろしくお願いします」

立ち上がって、握手をしておく。まずは大人しく、下手に出て様子をうかがうのがオレ流処世術。

ライバルになりそうな人間は、早めに攻略しておくに限る。

福岡であったとか言う天文学会の話しをしている彼の回りに、なんとなく全員が集まってきた。

俺もそこにしっかりと混ざっておく。

この男の話しは何を言っているのか、今はまだ分からないけど、すぐに肩を並べるようになるから大丈夫。

天文学は門外漢だけど、まずは敵状視察といったところか。

女が運んできたお茶に、俺は一番に手を伸ばした。

湯飲みに手が届くその直前、ガッと足が飛んできて、俺の座っていた椅子の縁を蹴りつける。

「それは私の湯飲みだ、覚えとけ!」

「え、俺の分はないんですか?」

「てめーはこっちの紙コップだ、バカ」

お盆に載せられた陶器のカップの間に、一つだけ小さな紙コップが載っている。

「ひどくないですか、期待の新人に対して、こんな紙コップって。来客用の湯飲みとか出すでしょフツー」

そう言うと、女は相変わらず鋭い目つきで俺をにらむ。

「お前、お茶ぐらいは入れ方知ってるんだろうな、今度からお前がやれよ」

「当たり前ですよ」

新人だからという理由で、全員分のお茶くみをさせられる覚えはないが、自分の分くらいは、自分で入れる常識はある。

「はは、新人さんとはどう? うまくやれそう?」

「いいえ! ぜんっぜんムリそう! もうダメ!」

女が即答する。

「僕は、平気そうですけどね」

女が、バカみたいにあんぐりと大きな口をあけて、こっちを見ている。

そんな顔をすると、そうでなくても頭が悪そうなのに、よけいにバカみたいだ。

俺は、紙コップのお茶をすすった。


第3話 知ってます

外務省、エリート外交官になる予定だった俺が、なぜか飛ばされた先が、国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センター。

地球にぶつかりそうな小惑星を事前に見つけ出し、回避する方法を考えるという、なんとも壮大かつ夢うつつのような仕事だ。

一週間という無駄に増長された時間を新人研修期間に当てられ、優秀な頭脳の持ち主である俺には、退屈すぎて睡魔と戦う方がつらかった。

そんな俺に、ようやく具体的な仕事が回ってきた。

16分おきに撮影されたという天体画像を連続再生し、そのなかから不自然な動きをする天体を見つけ出すという作業だ。

真っ黒な宇宙空間の闇の中に、白く輝く無数の天体が点在している。

それを一つ一つ重ね合わせて、異常な動きをする天体を見つけ出すというのだ。

「地球に落ちてくる小惑星が、やってくる可能性が一番高いのはどこだった?」

「火星と木星の間にある、小惑星帯」

「はい、よく出来ました」

相変わらず、この女は俺をバカにしている。

こんなことは、俺にとっては常識だ。

天文学については素人とはいえ、ある程度の予備知識は、ここに来る前に入れてきたつもりだ。

「現在見つかっている小惑星の数は?」

「60万個」

「同じ小惑星を何度も観察して?」

「正確な軌道を測定する」

「よろしい。じゃあ、これが今日の分のノルマね、あんたの優秀な頭脳で、いち早く危険な小惑星を、発見してちょうだい」

そう言って、俺の教育係と名乗る女は、俺を一台のパソコンの前に座らせた。

「この画像解析が終わるまでが、あんたの1日のノルマだからね、そこに、全人類の存亡の危機がかかってることを、忘れないでよ」

俺は将来、世界をまたにかけて活躍する男になるのだから、全人類の存亡とか言われたところで、ビビるような人間ではない。

「はいはい、知ってますよ」

パソコンの画像解析プログラムのスタートボタンを押す。解析ったって、いまや勝手にプログラムがやってくれるのを、見てればいいだけなのだ。責任もクソもない。

一般的に庶民が手にする、ごくごく普通の天体観測用望遠鏡は、とても視野が狭い。

月を観察してクレーターがはっきり見えるような望遠鏡で、せいぜい満月がまるっと1個分だ。

それでも、一つの星をじっくり観察するには、それで充分なのだ。

センターが使用している望遠鏡は、その満月が6個並べられる大きさがある。広い範囲を一度に観測することで、飛んで来る小惑星を見逃さないようにしている。

経口1m級望遠鏡の大面積CCDカメラで撮影された、膨大な量の画像を、プログラムに処理させている。

それで観察出来る星は18等級クラス。

さらに撮影した画像を重ね合わせることで、21等級までの星を観測できるようになる。

1024×1024画素の画像32枚、それを256×256画素の範囲内でプログラムにかけ、異常な行動をしている天体を発見させる。

その場合の解析は、65536通り!

暗い宇宙空間の背景に、白い点で表された天体が、パラパラと散らばっているだけの黒白画像を、じっと見ているだけなんて、俺の能力の無駄遣いでしかない。

「これ、いつまでかかるんですかね」

「さぁ」

あの女は、すました顔で別の仕事をしている。

俺をナメているのは間違いない。

ふと画面を見ると、解析残り時間の表示が、280時間!

「ちょ、こんなの、終わらないじゃないですか!」

「たまに止まったりするのよ、それを見張っててくれる? 新人くん」

コイツ、本格的に俺に仕事をさせないつもりだな。

岡山にあるセンターでは、365日体制でこんな画像を撮影しているのだ。

いくら観察したって、解析が追いついていないんじゃ、意味がない。

「こんなことって、意味あるんですか?」

「意味があるからやってるんでしょ」

女の目に、怒りの炎が不穏にうごめくのを、俺は本能で察知する。

「これ以上余計な口叩くと、本気で追い出すわよ」

この女には、後で訴えても裁判で勝てるよう、パワハラ暴言記録を詳細につけておこう。

「なんでこんなに無駄な時間がかかるんですかね、なにが悪いんだろう。そもそも、解析の速度が遅すぎるんですよね」

280時間というのが、そもそも間違っている。

「じゃ、あんたが何とかしてみなさいよ」

「知ってます」

そうか、この女は、あえて俺に難しい課題を与えようとしていたのだな。

この自分で察しろという職人気質な分かりにくさこそ、俺の最も嫌悪する体育会系の弊害だと思うが、与えられた困難な仕事に向かう意欲だけは、俺の教育係を名乗るあんなクソ女なんかに、負けていられない。

だいたい理系のくせに、文系畑の俺をバカにしているのか? 

そんなくだらないイジメなんかで、つまずく俺ではない。

しかし、どうしよう。

ポンコツ低スペックパソコンは、カタカタとのんきな駆動音を立てている。

新しい高速解析プログラムを開発すればいいんだよな。

だけど、それは分かっていても、さすがの俺でも、そんな高度なプログラミング技術を持っていない。

「俺、さすがにIT技術には疎いんですけど」

「だろうね」

「外注に出すとかムリですか」

「いくらかかると思ってんだ」

女はこちらをふり向きもせず、何かの作業をしている。

「新規開発で、新しいプログラムとか、どっかの民間企業でやってないんですかね」

教育係のくせに、女は新入社員の質問に対して、返事もしない。

しかたがない、こういう時は、ネットで検索だ。

今の時代、ネットで検索出来ないものは、この世にないも同じだ。

そして、この世に存在しないものは、ネットの検索にも引っかからないように出来ている。

この世で誰よりも仕事の出来る俺が、キーボードを駆使して一通り調べてみたけれど、そんな会社はネット上に、どこにも見当たらなかった。

「あー、やっぱり、そんな会社、見当たりませんねー」

つまり、そんな解析機器は、この世にない、という結論にたどり着いた。

俺がしっかりとした完璧な仕事の報告をしているのにも関わらず、女は完全に無視している。

「俺に今からプログラミングを勉強して、開発しろってことですか?」

ここに置いてあった古くさいマウスではなく、自分で買って来た、手にしっとりとなじむ、俺に似合うハイスペックなマウスをカチカチと鳴らす。

「そりゃまぁ、やって出来ないことはないと思いますけどね、時間はかかると思いますよ。俺だって、1から勉強し直さないといけないわけだし? やる気もあるし? 勉強することは、まったく問題ないんですけど、なんせ時間がねー、今日明日は絶対ムリだとして……」

女が、ガタリと大きな音を立てて立ち上がった。こっちに近づいてくる。

「今週とか、今月中とか言われても、さすがにそれはムリだと思いますけど」

女の手は、俺の胸ぐらをグッとつかんで、ガッと引き寄せた。

「知ってます。お前なんかより、よっぽど頭のいい連中が、必死で頑張っとるわ」

「だったら、俺はなにをすればいいんでしょうか」

「とにかく黙ってろ」

「分かりました」

彼女の細い腕が、力強く引き寄せていた俺を突き放す。

にらみつけながら背を向ける仕草が、彼女の芯の強さを表している。

この俺に対して、こんなにも物怖じしない女も初めてだ。

俺の知る他の女はどれもこれも、にこにこと笑顔をたたえながらも、こちらに背を向けることなく、正面を向けたまま全力で後退していった。

一度寄せては引く、波のように、安全な距離を保って、遠巻きにしているだけだった。

決して、嫌われているわけではない、日本女性の常として、遠慮深いだけだ。

近くで見てみると、この女の顔もちょっと悪くないなと思った。


第4話 聞いてません

俺の教育係と名乗るその女は、チビだが巨乳だ。

この狭くて古くさい、おっさんだらけの職場に、たった一人の女性の存在は、唯一の癒やし効果といってもよい。

解析に280時間かかるという、衝突惑星発見のための画像診断プログラムは、1日20時間をかけて14台のパソコンを駆使することで解決しているということを、後で知った。

「どうしてそういう嫌らしい新人イジメをするんですかね」

「説明しましたけど」

女はそう言って、初日に渡した研修日程の資料を突きつける。

確かに、その資料には、『全体の仕事の流れと、各部署との連携に関する説明』という記述があるが、実際に行われた内容に関する詳細な記録がない。

「証拠がありません」

「は?」

「ちゃんと説明が行われたという、証拠がありませんよね、それでどうしてそんなに自信満々でいられるのか、そっちの方が不思議です」

女の小さな顔が、じっと俺を見上げる。まぁ、確かに悪い顔のつくりではない。

「僕の記憶に残ってないってことは、僕が聞いてないってことなんじゃないんですか? そもそも、説明するにあたって、大切なことを、きちんと相手の印象に残るように説明がなされていないのも、教育係を自負するわりには、不手際だと思いますけど」

もしかしたら、聞いてるかもしれないけど、俺の記憶にないということは、聞いていないのと同じこと。

それは、説明の仕方が悪いのであって、俺の記憶が悪いのではない。

だって、俺は頭がいいんだから。

「私、この仕事を始めてから、初めて泣きそうな気分なんだけど」

「俺は、女性のそういうところが嫌いです」

言うべきことは、はっきり言っておかないとな。

大体、すぐに泣き落としで何とかしようとするから、女は嫌いなんだ。

それくらいで、なんでも男が言うこときくと思うなよ。

そもそも、この俺を教育できるとか、ハナからタカくくってんじゃねーぞ、逆にお前が教育されろ。

「おいおい、どうした?」

たまたま通りかかった、男の先輩が声をかけてきた。

「栗原さん! 聞いてください! こいつの頭が悪すぎて、ついていけません!」

そう言って女は、彼の胸に飛び込んだ。

飛び込んで来られた方は、すっごいびっくりして、激しく動揺していたけれども、そんなことを女に悟られないよう、彼は瞬時にその感情をねじ伏せた。

「頭悪すぎって、彼は優秀な人材じゃなかったの?」

女の肩に男の手が乗って、そっと体を引き離す。

だけどその手は乗せられたままだ。

職場恋愛ってやつか、うっとうしい。

「頭も悪いけど、根性と性格が最悪なんです!」

「根性と性格ね」

彼の、俺よりワンランク下の顔が、こっちを向いて、俺を笑っている。

だけど、この女のそっけなさと、男の慌てっぷりからいうと、まだそこまでの深い関係には至っていないようだ。

「そうやってすぐに泣き落としにかかる女性っていうのも、どうなんですかね」

この女自身に興味はないが、俺以外の男に目がいってるってのは、なんとなくシャクにサワる。

「女の涙が最強なんて、もう都市伝説もいいとこですよ?」

彼女の左足が、ガツンと俺の真横にあった机の引き出しにメガヒットした。

とにかく、その地雷スイッチの入り方が、俺には全く予想が出来ない。なぜだ?

「おい、私の顔が泣いてるように見えるか、杉山、どうだよ、ちゃんとこっちを見て答えろ」

ネクタイをつかんでぐいっと引き寄せられた、俺の顔の真ん前に、彼女の顔が並ぶ。

「はい、泣いてません、怒っています」

彼女の両目には、美しい涙ではなく、灼熱の炎が宿っているようだ。

「だろ? このクソボケ新人」

「あの、僕の名前はクソボケ新人ではありません、ちゃんと名前で呼んでください」

「はぁ?」

「そう思いますよね、常識じゃないですか、えっと、えー……、そこの男の先輩」

ネクタイで締められている首が、さらにきつく絞まった。

「おい、杉山」

「はい」

「杉山康平」

「聞こえてますけど」

近すぎる彼女の髪からは、なんだかとてもいいにおいがする。

これがシャンプーの香りってやつか。

「もしかしてお前、あたしの名前も覚えてないんじゃないだろーな」

「そんなことありませんよ」

俺の視線が探し当てるよりも先に、彼女の手が胸の名札を覆い隠した。

「だよな、真っ先に覚えなきゃいけない名前だよな、フツー」

「教えてもらう先輩なんだから、そんなの当然じゃないですか」

「おい、答えろや、杉山」

「はい」

「私の名前は、なんだ?」

えーっと、俺の教育係の女の名前だろ? 確か、く、とか、か、とか……。

「ちゃんと教えたよなぁ!」

「はい」

「知ってて、常識だよなぁ!」

「はい」

彼女の顔が、ぐっと近づいて、額と額がぶつかった。

「おい、さっさと答えろや、杉山」

「えっと、聞いてませんでした」

脳天に、強烈な痛みが走る。

普通、社会人にもなって、後輩に強烈な頭突きをかます教育係が、この世に存在する??

「三島香奈だ、ちゃんと覚えとけ!」

「はい、三島先輩」

今回の俺の行為は、確かに迂闊だったかもしれないが、このパワハラ行為は糾弾に値する。

「まぁまぁ、香奈ちゃんもそんなに怒らないで」

男の苗字は『栗原』だ。

名札にそう書いてある。今のうちに覚えておこう。

「ね、コイツ、最悪でしょ!」

「はは、本当だね」

そう言って彼は、両腕を広げた。

もう一度彼女に、胸に飛び込んでこいという合図のつもりだったのだろう。

だが彼女は、それに気づいたのか、気づかなかったのか、わざとなのか、天然なのか、それを軽く無視した。

彼は行き場をなくした自分の両腕を、体操しているフリをしてぶんぶん振り回している。

「香奈ちゃんと栗原さんって、お付き合いされてるんですか?」

彼女の足が、思いっきり俺の足を踏んだ。

「『先輩』をつけろよ、デコ助野郎!」

「香奈『先輩』」

「今度また余計な口を開いたら、お前を13次元の果てまで送り込んでやるからな!」

「はい」

栗原さんが、香奈先輩のご機嫌取りに走っている。

彼女のために椅子を用意し、お茶とお茶菓子を取りに走るとは、この二人、どうもつき合っているわけではなさそうだな。

だったら、俺にもチャンスはあるはず。

生意気な女は、嫌いじゃない。

確か、最新の量子力学、超弦理論、いわゆる超ひも理論によると、この世界は13次元ではなく、11次元だったはずだ。

そこは後で、きちんと訂正と確認をしておこう。


第5話 迷惑メールのプロ

俺はモテる。

正直に言って申し訳ないが、とにかくモテるのだから仕方がない。

現在は国際ユニオン宇宙防衛局日本支部のアースガード研究センターという超マイナー部署に飛ばされてしまったため、すっかり取り巻きがいなくなってしまったが、外務省勤務の外交官候補という肩書きがあった時には、とにかくモテた。

特に面白いくらい引っかかってきたのが、女どもだ。

俺がひとたび外務省勤務の外交官候補と口にすると、目が合った女の全てが、俺とアドレスの交換をしたがった。

もちろん、俺はそれに一つ一つ応えてやったし、言われれば惜しげもなく名刺をくれてやった。

ちょっと名刺を配りすぎていたのかもしれない。

出会った女どもからのメールや電話が、その頃はひっきりなしに送られてきていた。

リアルで出会った女どもは、周囲の目を気にしすぎるのか、遠慮がちな対応だったが、ネットの匿名性を利用した女性たちは、とても積極的だった。

この奥ゆかしさは、日本女性特有の美徳でもあり、対応しなければならない男の立場からすると、難点でもある。

奥ゆかしすぎて誰が誰だか分からない。

仮面舞踏会か、見ず知らずの相手とやりとりしていた、平安貴族のようだ。

21世紀なのに。

中には、どこでどう俺のアドレスを知ったのか、『50万円で、私とデートしてください』なんて、手に負えないほど盲目的に俺に惚れ込んだ女からのメールも送られてきた。

それにはさすがに、『お金をもらうのはちょっと』と言って断ったが、そのあとも何度かメールのやり取りを続けているうちに、次第に謝礼金の額が膨れあがり、ついには200万円上げるから、どうしても会いたいとまで言わせてしまった。

俺は彼女にそこまで言わせてしまった罪悪感から、断腸の思いで彼女のメールを拒否設定にした。今でも申し訳ないと思っている。

どこかで思い詰めて、命を絶ったりしないでいて欲しい。

彼女には、自分の幸せを見つけてくださいと、最後にメールをして別れた。

実際に、会ったことはない。

匿名でヒモ付け不可能だったからだ。

彼女とのやり取りは、今でも俺の胸に甘酸っぱい思いを呼び起こす。

他にも、徳川将軍家の末裔だとか、モデルをやってるとか、かなり名の知れた芸能人やアイドルともメールのやり取りをしていた。

さらに外交官候補ということもあって、海外からのメッセージも多く含まれていた。

アメリカのビジネスマンから、出資を募るメールだったり、一緒に会社を立ち上げようとか、そんな誘いも多かった。

ロシアやウクライナの女性からも、会いたいという誘いが数多く寄せられた。

ある日、全文英字で送られてきたメールを開封したところ、身に覚えのない商品の請求書だったうえに、支払わなければ口座を凍結すると脅されたが、実際に凍結されたのはスマホの方だった。

そんなスマホの凍結を数回やられた俺は、そのたびにスマホを買い換えるハメになったし、そのたびに、俺を慕う女性からの、連絡手段も失ってしまった。

迷惑な話だ。

俺は別にそれでも構わない、だが、女性を泣かす男には、出来るだけなりたくないと思っている。

さすがに学習した俺は、もう全文英字のメールは、絶対に開かないと心に決めた。

現在の職場に移ってから、日々のルーチンワークの他に、外部との窓口業務を与えられた俺は、いわゆる『お問い合わせ』のメール対応を行っている。

その問い合わせメールにも、数多くのおかしなモノが紛れ込んでいた。

悪いが俺は、迷惑メールのプロと言っても過言ではない。

日々大量に送られてくるメールを、そのタイトルと文字列の並びだけで、善か悪かを見分けられる能力を、既に俺は手にしていたのだ。

そんな下等かつ愚劣な行為を行う生物に対する、俺の手法は徹底している。

全文削除。

完璧だ。

問答無用の全削で、俺は自らのスマホと、職場のパソコンを守っている。

まさに、ガードマン、守れる男だ、かっこいい。

6人しかいない弱小職場で、唯一の女性職員である三島香奈は、とにかく手癖、足癖、口癖がよろしくない。

先輩であり、かわいがるべき立場にある俺を、なにかと目の敵にしている。

「おい、杉山、てめー寝てんじゃねーだろーな」

そう言って、俺に支給された会社の備品であるはずの机を蹴り飛ばす。

気になる男の子に、ついつい意地悪しちゃうなんて、小学生以下の女だ。

「寝ていません。これは沈思黙考というんです。ご存じありませんでしたか?」

「てめーのは、夏炉冬扇、画蛇添足、蹉跎歳月というんだ」

四字熟語対決でくるつもりか、よろしい、受けてたとう。

天文バカ共の集まりの中で、この俺が負けるワケがない。

文系畑の俺に、勝算しかない。

「僕のは、和光同塵、内清外濁、韜光晦迹を心がけておりますので」

女の目が、俺をにらみつける。

どうだ、次の言葉が出てこないだろう、俺の勝ちだ。

「栗原さ~ん!」

突然、女が甘えたような声を出して、そばにいた別の男に駆け寄る。

「コイツが、一望無垠の按図索駿っぷりを見せつけてくるんですぅ~」

俺にかこつけて、男に取り入ろうとは、まさに笑止千万、分不相応。

「はは、まぁでも、玉石混淆、愚者一得、千慮一得ってこともあるし?」

「だけどね、栗原さん」

香奈先輩は、首を斜めに傾けて、それはそれは純情可憐な仕草をみせる。

「私は、こんなにも無為無能、無知蒙昧なヤカラを見たことがありません」

「蒼蠅驥に付して千里を致すってことも、あるかもしれないよ?」

そうようきび? それは、上司がよければ、バカでも賢くなるという意味だ。

栗原さんの言葉に、香奈先輩はまんざらでもない様子で、男の腕を叩く。

「やっだ~、それって、誉めてます?」

「僕はいつだって、誠心誠意、君には対応しているつもりだけどね」

言ってる栗原さんの顔が真っ赤になって、それを見た香奈さんの方まで黙りこんでやがる。

男のもじもじに、女のもじもじが重なっている。

いったいこれは、どういうことだ?

「すいません、香奈先輩、意味不明、心慌意乱、驚天動地な状態なんですけど」

「お前に一つ、いいことを教えてやろう、不言実行、とにかく黙って仕事しろ」

女がぱっと顔をそらして仕事にもどると、名残惜しそうに、栗原さんが、香奈サンをチラチラ見ている。

なんだコレ。なんだソレ。

また全文英字のメールが送られてきた。

アメリカからのメールだ。

緊急を要する問い合わせ? 

そんなもん知るか、こっちの方がどうなってるのか、それが聞きたいわ。

あぁ、彼女、ほしいな。


第6話 意図の相違

アースガード研究センターに、新人として入った俺には、三島香奈という教育係がいる。

この女がまた、クソがつくほど生意気だ。

どこに住んでいるのか知らないが、職場からの最寄り駅で、たまに同時に降りることがある。

チビだから人混みの中では見つけにくいが、同じ方向に歩く流れの中に、そのきゅっと縮こまったような背中を見つける時がある。

「おはようございます」

そう声をかけても、ちょっと頭を下げるくらいで返事の声も小さい。

職場に着くまでの行程でも、俺が人付き合いの義理人情から話しかけているのに、ろくに聞いてもいない。

センターの入り口をくぐったとたんに、もうシカトだ。

「あ、香奈ちゃん、おはよう」

「おはようございます、栗原さん」

先輩上司の栗原さんには、笑顔で愛想よく出来るのに、どうして俺に対しては、それが出来ないんだろう。

別にやってほしいワケではないが、こうも態度が違うと、余計に気になる。

彼女の方は普通に話しているのに、朝イチで声をかけられた栗原さんの方は、明らかにテンションが高くて、異常だ。

一生懸命、彼女の気を引こうと、何かをひっきりなしに話しかけている。

後輩で、指導すべき立場の俺を差し置いて、雑談とはどういうことだ。

「香奈っち、これどうするんだったっけ」

親しみを込めて、そう呼んでみた。

俺は、彼女に対し、親愛の情をもってして、そう呼んだんだ。

それは俺にとって、ちょっとした勇気のいる行為だった。

「は? 今なんつった? 『香奈っち』? なんだそれ」

淹れたての紅茶が入ったカップを手に、彼女の目にみるみる怒りの炎が宿る。

この極端に気の短い女との融和を図るために、俺がこんなに努力をしているのに、どうしてそれが分からないんだろう。

彼女は俺より一つ年上で、出身大学の偏差値は、俺とまあ肩を並べるレベルだった。

頭は悪くないはずなのに、根源的に察しが悪い。

「それ、昨日も説明したよね」

彼女の周囲から漂う香りはなんだろう。

今流行の洗濯用洗剤の芳香剤なのかと思って、昨日の帰り道、買い物のついでに寄ったドラッグストアで、片っ端から香り見本を嗅いでみたけど、どれも違った。

「香奈っちって、いいにおいするよねー」

彼女の手が、テーブルを叩きつける。

「おいコラ、真面目に仕事するきあんのかよ、テメー」

「これってさぁ、シャンプーのにおいなのかな?」

「セクハラで訴えるぞ、このボケ茄子、キモい!」

彼女の目が怒っている、真剣に。なぜだ?

「僕は、職場での人間関係を円滑にしようと、こうやって最大限の努力して、お互いの円滑なコミュニケーションを図ろうとしているんですけど、どうしてその意図が伝わらないんでしょうか」

「私は、あなたのことを必死で嫌いにならないように努力しているんですけど、どうしてその意図が伝わらないんでしょうか」

俺は親しみを込めて見つめているのに、彼女はため息をつく。

「今度から、『先輩』以外の呼び方で呼んでも、反応しないから。それくらいは守ってほしいんだけど」

「呼び方かよ、そんなくだらないことにこだわるなんて、生理前ですか? いいお薬、知ってますよ。問題の本質は、そこではないと思うんですけど」

ちょっとでも彼女に微笑んでほしくて、少しでも役に立ちたくて、一生懸命調べてきたのに、どうしてこうも露骨に嫌な顔をされるのか。

もしかしてこれが、理系女と文系男の、越えられない壁ってヤツなのか? 

この俺の気持ちが分からない、女の気持ちが分からない。

栗原さんがやって来て、彼女の肩に手を置く。

「どれが分からないの? 俺が説明するよ」

そう言って、彼女に取って代わって説明されても、俺はそんなことはもう、全部分かってる。

「なんだ、言われなくても、もうちゃんと出来るじゃないか」

「もちろんですよ、ただ、最終確認をしておきたかっただけなんですけどね」

彼女の背中に聞こえるように、わざと大きな声を出す。

「もし、相性がよくないんだったら、俺が杉山くんの指導係になってもいいんだけど」

「いえ、大丈夫です。もうこれからは、ちゃんとします」

それだけは、勘弁してほしい。

何が楽しくて、こんなことをしているのか、分からなくなるじゃないか。

彼女の肩に触れた手で、同じように俺の肩に手を置いて、栗原さんが立ち上がった。

「ま、君の相談にものるよ」

そう言って、俺の目の前で彼女の隣に座った。

肩を寄せ合い、小声で何かを話していて、彼女はしきりに頭を下げている。

悩みや相談ごとがあるなら、俺にしてくれたっていいのに。

出会ってまだ間もないから、信頼がないってことなんだろうか。

いくら門外漢で、新人の俺とはいえ、今いる職場での居場所は確保しておきたい。

早く元の職場には帰りたいけど。

そんな姿を見せられると、さすがの俺でも、ちょっとさみしくなるじゃないか。

あぁ、どうしてこうも上手くうかないんだろう。

これだから、コミュ障の理系オタクは嫌いだ。悪いのは、全部お前ら。

また海外からのメールが来た。

何度送られても、この手のイタズラには、俺はもう騙されない。

統合宇宙運用センターからの緊急照会? 

まぁ手の込んだタイトルを考えたもんだ。

本当に大事な用事なら、メールじゃなくて、電話にするだろ、しかもこんな一般も対象にしたメルアドに送ってくるか? 

専用のメルアドは、ちゃんと他にあって、そこは個人管理のアドレスじゃなくって、センター内部で誰もが共有できるシステムになっている。

ホットラインだってある。目の前の、電話が鳴った。

「はい、こちら国際ユニオン宇宙防衛局、日本支部アースガード研究センターの、問い合わせ窓口担当、杉山です」

「Hello, This is United States Air Force. Do you Japanese Earth Guard?」

は? 久しぶりにネイティブの英語聞いた。アメリカ空軍がうちになんの用だ。

「No, Thank you」

こんなイタズラ電話は、ガチャ切りするに限る。

俺は、目の前の香奈先輩の小さな背中を見る。

彼女の細い肩と、ゆるくパーマのかかった髪を眺める。

ん? アメリカ空軍? そう言えば、何か言ってたな。

「Hello, This is United States Air Force. Do you Japanese Earth Guard?」

またかかってきた。アメリカ空軍。

俺は、引き出しにしまってあった資料を取り出す。

「Yes, This is Japanese Earth Guard Center」

そうだ、地球に接近してくる可能性の高い小惑星を発見した場合は、アメリカ空軍から、うちに軌道計算のための詳細なデータ照会があるんだった。

すっかり忘れてた。

そういえば、ずっとアメリカから、メールが送られて来てたな。


第7話 机上の空論と思考停止

地球に接近してくる小惑星のうち、衝突の可能性が高いものが発見された場合、アメリカ空軍からの緊急通知が、センターの軌道担当に送られてくる。

それを受けて、衝突回避判断に必要な情報を提供し、接近解析を再計算することになっている。

米空軍からだけではなく、NASAからも、メールでその情報が俺宛に送られ続けていたのだ。

「OK! No problem. That doesn't matter」

「Really? Thank you very much」

そう、問題ない。

問題はないのだ、多分、きっと、絶対。

送られて来たメール、開くこともなく全部削除してたけど……。

やっぱり、一回くらいは確認しておいた方がよかったかな?

俺は念のため、削除したメールの復活を試みた。

既に、『ゴミ箱を空にする』ボタンを何度もクリックしてしまっている。

そう、何度も、何度も、だ。

そうでなければ、いともたやすく復元可能なのに……。

どうしてこうも、便利な世の中になってしまったのだろうか、便利になってしまった故の、不便さを俺は嘆いた。

いや、嘆いている場合ではない。

とにかく、メールの内容を確認しないことには、報告のしようもない。

仕事において、報連相は重要であるが、事実誤認があってはならないのも事実だ。

俺は、何としてでも、メールの復元に努めなくてはならない。

虚偽を報告するわけにはいかないのだ。

「あの、すいません」

大切な相談があって、声をかけているのに、こんな時でもあの女は分かってない。

「香奈『先輩』」

「なに?」

『先輩』付けでようやくふり向いた。

俺なんかより、ずっと小さい顔と体で、気だけはやたらめったら強い。

もし、この女にバレたら、どうなるんだろう。

「いえ、なんでもありません」

俺が仕事をするフリを始めたら、彼女は何の疑いもなく再び自分のことを始めた。

どういうことだ、本当にこいつは分かってない。

普通、自分が面倒を見るべき後輩が、必死の思いで声をかけたのに、あっさり無視して気づきもしないって、教育係として明らかに失格だ。

気がつけってーの! 

そこで一言声をかけてもらえたら、俺も素直に話せるのに、こいつはやっぱりバカだ。

だが、これは彼女のミスではない。俺のミスだ。それは認めよう。

だがしかし、この俺にミスがあったなんて、許されるわけがない、そんなことはありえない、俺にミスはない、ミスがミスしたのだ。

そもそも、向こうにしたって、どうして専用のホットラインがあるにも関わらす、俺の個人アドレスにメールを送ってきたりなんかしたんだ、ごく一般の、お客様窓口だぞ? 

向こうにもミスがあったワケだし、やっぱりこれは、俺のミスではない。

向こうにも、俺みたいなおっちょこちょいがいるってことだ、大変だな、こういうのって、人種も国境も関係ない。グローバルな問題だ。

しかも、『OK! That doesn't matter』と答えたことにしたって、『連絡は受け取った』という意味であって、『衝突の軌道計算に問題はなかった』という意味ではない。『これから資料を送ります』という意味だ。

俺は、そういうつもりで返事をしたのだから、It doesn't matter、問題ない。

向こうがどう誤解するかは、向こうの誤解しだい。

こんな重要な案件だ、あっちだって、返事がなければ、今度はきちんとホットラインの方に連絡してくるだろう。

専用ホットライン以外に送られてきたメールなら、イタズラと判断されても、致し方あるまい。

そうだそうだ、カルピスソーダ。

向こうがきちんと送りかえしてきたら、今度はそれには、きちんと対応しよう。

なにか聞かれたら、受け取っていないと答えればいい。

向こうのミスだ。

事実、俺はそのメールを開封していない。俺が知らなかったとうことは、事実なんだから。

目の前にあった、香奈先輩が、くるりとふり向いた。じっと俺の顔を見つめている。

何の用だ。

「どうか、しましたか?」

「そういえばさー」

そういえば? そう言えば、なに? 

もしかして、惑星衝突軌道確認のメール、来てたけど、あんたはもちろん知ってたよね、見てたよね? 

その件はもうこっちで処理してるけど、あんたも手伝う? 手伝いたかった?

「杉山の歓迎会って、してなかったよね、やりたい?」

「僕を本当に歓迎してくれる気持ちがあったらいいんですけどね」

彼女の目が、じっと俺を見ている。俺は、本当にここに歓迎されてるのか?

「いつにする?」

「そんなことより、先にしっかりと仕事が出来るようになるのが、先なんじゃないんですかね」

「もう全部知ってるし、分かってるんじゃなかったの?」

「当然ですよ! そんなの、当たり前じゃないですか!」

そこは強調しておかなければ。

俺はもう、全部、出来る。

問題は、ない。

「なにが食べたい? 和食系? 洋食系? 居酒屋みたいなところでも、大丈夫かしら?」

「そんなことを気にするより、ご自分の体重を気になさった方がいいと思いますよ。最近、ちょっと腹が出てきましたよね、背中の肉も、ウエストからはみ出てますし」

ガタリという音がした。

「テメーを送り込む、ブラックホールの位置はとっくに確認済みだ」

 この人は、俺の胸ぐらをつかんで首を絞めるのが趣味らしい。

「へー、ちなみに、どこなんですか?」

「いっかくじゅう座X-1、A0620-00、約2800光年離れた場所にある」

「へー、めちゃくちゃ遠いじゃないですか」

「もし、オリオン座のベテルギウスが爆発してブラックホール化すれば、そっちが約640光年、一気に2000光年近く、距離が縮まるな」

彼女がつかむ胸ぐらの その手に力がにぎりたち 我が息ですら 絶え絶えに

一句出来た。

「楽しみだよな、超新星爆発」

「楽しみですね、スーパーノバ」

チッという舌打ちとともに、やっと普通に息が出来るようになった。

だが、俺は今、そんなことはどうだっていい、ブラックホールの存在も、超新星爆発も、俺にとっては所詮机上の空論、遠いどこかの別世界の話し……。

そりゃ、隕石落下も壮大な自然災害すぎて、思考停止気味だけど。

新歓は、やってほしいな。


第8話 ホウレンソウ

消えたメールの復元は、どう考えても不可能だ。

ネットで検索しまくって、「受信トレイ修復ツール」なるものを散々試してみたが、どれもこれも、一度完全に削除してしまったものを、復元させるには至らない。

専門業者も考えてみたが、復元率がどれも96%だとか98%だとか、完璧をうたった業者は存在しないし、どれもこれも高額な費用を要求される。

しかも、ネットの口コミをみていると、復元出来なかったうえに、請求額が20万円? 

ありえない、そんな非人道的なことが、どうして出来るんだ。

成功してからの報酬だろ? 手数料? これが社会と仕事の仕組み? 

俺にはカンケーねぇ。

出来るのか出来ないのか、そこだけが問題だ。

しかも、社内のパソコンは、今どき時代遅れな設置型だし、基本的に、情報内容の持ち出しは禁止されている。

そんなことは当たり前だって? そうだよな。

メーラーだけをUSBにコピーして復元出来ないかと掛け合ってみたけれども、バックアップはとれるけど、復元はムリとしか返事が返ってこない。

俺はバックアップの取り方の話しをしているんじゃない、復元の仕方を聞いているんだ!

ん? だが、待てよ、と、いうことは、もしかしたら、センター全体で共有するクラウド的なもので、データが残っているかもしれない。

そうだ、それを探してみよう。

データのバックアップを取るのって、基本中の基本だろ? 

それが世界を揺るがすような重要案件なら、なおさらだ。

「あの、すいません」

「どうした?」

俺はここで、あえて香奈先輩ではなく、栗原さんに声をかけてみた。

こういう場合、男同士の方が、話しが分かりやすい、多分、根拠はない。

「あの、このセンターって、データのバックアップって、取ってるんですか?」

「うん、バックアップっていうか、観測データはイタリアの本部に送って、そこで世界中の軌道データの確認をしているよ」

「じゃあ、イタリアに、バックアップデータがあるってことですか?」

「うーん、観測データが見たいなら、うちからでも、検索できるけど……」

彼の目が、俺を見上げる。

「なにか、気になることでもあった?」

「いえ、そういうわけでもないんですが」

なんて言おう、どう言おう。

どういう言い方をすれば、この事態がうまく彼に伝わるのだろうか。

「世界に数ある自然災害の中で、人為的なミスで起こるものって、どれくらいあるんでしょうかね」

「自然災害ってことだけで、人為的なミスはありえないけどね」

「え? それは、どういうことですか?」

「自然災害だから」

自然の驚異という理由があれば、個人の過失は問われないということなんだろうか。

「人為的な要因がそこに入り込むならば、それはもう自然災害とは言わないよね、言えないよね」

人為的な要因……。彼は、にっこりと笑った。

「それはもう、個人の責任だ」

「個人の、責任」

「だって、過失も犯罪だ。故意であっても、故意でなくても」

はんざい……。犯罪になってしまうのか?

「ま、よほどの事でもない限り、個人の過失が、災害レベルの被害を起こすことは、ありえないけどね」

「そーですよねぇ!」

「そーだよなぁ」

「あはははは」

違う、俺が聞きたかったのは、そんなことじゃない。

救いを求めて行ったはずなのに、さらに追い込まれてどうするんだ。

だがよく考えてみれば、隕石の落下は自然災害であって、人災じゃないよな。

ということは、俺のミスは、ミスであってミスでない、俺がどうであろうと、隕石はやってくる。

えーっと、違うよな、さしあたっての今の問題は、そこじゃない。

「えーっと、そうではなくて」

何も知らない無邪気な目が、俺を見上げる。

どうして俺がこんなにも焦っているのに、それがこいつらには分からないんだろう。

バレても困るけど。

「なんだ、どうした。杉山、テメーもしかして、早速なにか、やらかしたんじゃないだろうな」

「この俺が、何かやらかすとでも、思いますか?」

そんなことは、ありえない、絶対にありえない、俺がミスするなんて、この世で起こりっこない。

「まぁ、どうでもいいけど」

彼女はそう言って、マグカップの紅茶をすする。

「もし、何か困ったこととか、やらかしたことがあれば、腹くくって、さっさと報告するんだぞ。それが身のためだぞ」

「そんなの、分かってますよ」

分かってるよ、分かってるから、こうしてここに立って、あんたを見下ろしてるんだ。

その合図に、どうして気づいてくれないんだろう。

報連相なんて、あったもんじゃない。

「分かってるんなら、さっさと仕事しろ」

「はい」

俺は、素直に自分の席に戻る。

どうしよう、本気で困った。

イタリア語? そんなの話せねーよ。

話せたところで、どうやって伝えていいのか分からないけど。

now is the timeで、地球に接近中の隕石の中に、衝突の可能性があるものが発見された。

その隕石の、正確な軌道を計算するために、アメリカ空軍から連絡があり、詳細なデータを求められている。

NASAからも催促があったということは、アメリカの支部では、本格的な調査が始まっているということになる。

世界各国に観測拠点があるなかで、日本の支部に情報提供を求めるってことは、どういうことだ? 

日本のデータが必要ってこと? 

イタリアの本部が、データ解析を行っているなら、イタリアに聞けばいい話しじゃないか。

そもそも、制空権の問題から、宇宙観測にかんするデータは、アメリカ軍が握っている。

なんだかんだで、アメリカなしでは、考えられない。

宇宙に飛んでいる、地球近辺の小惑星の数は、60万、そのうち、衝突の可能性のあるものは、およそ1万6千個。

その全ての惑星軌道は、国際天文学連合で、管理されている。

もし、本気で聞きたいことがあるのなら、そっちに聞けばいいことだ、間違いなく、うちじゃない。それとも……。

もし、俺がこのまま黙っていたら、世界はどうなってしまうんだろうか?


第9話 衝突の可能性

ちょっと真剣に、本気で隕石衝突の可能性について、真面目に考えてみよう。

現在、地球に衝突する可能性が高いとして、確認されている小惑星の数が、約1万6千個。

1万6千個? パチンコ台に1日座っていても、そんなに球数、出したことねーよ。

大体パチンコなんてもんは、あの大切な0の数がいくつか書いてある紙切れを、機械に吸い取られる瞬間の罪悪感がたまらなくて、やめてしまった。

あの悲しみの千円札は、どこへ消えていったのだろうか。

千円なんてケチくさい? 

ケチで結構、俺はその金でファミレス豪遊してるからな! 

ファミレスのフライドポテトの味は、青春の味だ。

いつも一人で行って、一人で食ってたけど。

いや、みんなが旨いって、言ってるからさ、食べてみたかっただけだし。しょっぱい塩味だけしか記憶に残ってないけど。

火星と木星の間に、小惑星帯というエリアがあり、そこに30万個以上の小惑星が確認されている。

そこでは、時折その小惑星同士がぶつかっていて、それで割れたりなんかもする。

ものすごい勢いだ。

そんな勢いで人生にぶつかり合ったことなんて、まぁ正直に言って、俺にはないな。

部活とか、嫌いなタイプだし。何が楽しいのか分からない。

そもそも、1日のうちの何時間を学校で過ごすことになるんだ、そんなに学校が好きか? 

俺は、一人で家にいる方が好きだ。

それに、人とぶつかると、間違いなく痛いし傷つく。

痛いのは、イヤだ。この俺に、Mッ気はない。

そういった過程で出来てしまった破片や小惑星が、木星の巨大な重力によって、軌道が変えられてしまうことがある。

俺の人生の軌道も、木星さんに変えてもらえないもんだろうか。

俺の未来も、データ管理で計算できればいいのにな。

重力という、弱くて強い引力で、ギュイーンとさ。予知できればいいのにな。

木星っていったら、ジュピターだよな、ジュピターといえば、あの曲いいよなー、なんていうか、ああゆう清楚で、可愛らしい顔が好みなんだ。可愛いは最強、完敗に乾杯! 

ジュピターもいいけど、カラオケで、可愛い女の子が、ちょっと歌がうまかったりなんかして、それで流行の曲とか歌ってくれちゃったりなんかして、そういうのって、やっぱ萌えるよね、俺は男子校出身だから、全部聞いた話しでしかないけどな。

彼女にするなら、そういう可愛らしい女の子がいいよなぁ。

その際、変えられた軌道によっては、それらの小惑星が、隕石として地球に向かってくることになる。

隕石かー、俺も彗星のごとく、大学デビューする予定だったんだけどな。

ドッカーンと、大爆発! まさに、スター誕生! 

だけど、それまでの人生で、イケてなかった人間が、急に変われるなんてことは、そもそもありえなかった。

テレビやアニメ等、エンタメ業界は反省してほしい。

現実ではありえない夢を、俺に見せすぎた。

無条件で受け入れてくれる女子も親友も、当然のごとく用意されているワケではなくて、自らが少しずつ、作っていかなければいけないものだったのだ。

いきなり向こうからは、やって来ない。

爆誕は、なかった。

2013年、ロシアのチェリャビンスク州に落ちた隕石落下事件。

ちなみに、ロシアは北方に位置するので、色白美人が多い。

手足も長くて、スタイルがいいから、俺は好きだ。

何度もイタズラメールで騙されかけている。

直径十数メートルの隕石が、そのチェリャビンスク近郊に落下し、1,500人以上が負傷、7,400の建物が被害を受けた。

その時の動画が、今でもネット上にあげられている。

白い尾を引きずり、空を横斬る光りが白からオレンジに変わる。

部屋の中が、一瞬にして明るくなったと思ったら、次の瞬間には暗くなる。

その後から、全ての窓ガラスを粉砕するほどの衝撃波。

突如、世界戦争が勃発し、ミサイルが着弾したのかと、大騒ぎになった。

ついでに、リア充も狙ってほしかった。

あぁ、待て、俺はまだ死にたくないから、やっぱそれは、なしでいいや。

さらに最近でも、全長650mの天体が、地球から約180万キロの距離を飛行している。

チェリャビンスクに落ちた隕石より、遥かに大きいものだ。

宇宙的な距離感覚で言うなら、それはかなりの急接近だった。

俺は、非リアエリアに緊急着地。

2015年の10月に発見されたものは、その発見からわずか20日後に、50万キロの距離を通過している。

2015年? 

今から3年前か、3年前といえば、俺は何をしてたっけ? 

少なくとも、今の自分の状況は、想像すらしていなかったな。

3年前、23か。大学を卒業して、1年目の年だ。

国家試験に合格するため、ひたすら勉強してたな。

大学デビューをあきらめた俺は、次なる社会人デビューを目指したんだった。

最初は、うまくいったと思っていた。

だけど、本当は『デビュー』なんて、そんなのも幻想にすぎなかったんだよな。

変われるチャンスがあったって、回りの環境が変わったって、結局何も変わらなかった。

自分を変えたいだなんて、さらさら思っていない。

俺は俺、それでいいんだ。

だけど、どうしてこうも、上手くいかないと感じてしまうことが多いんだろう。

友達や、人間関係を築くその行程を、俺は誰からも教わったことはない。

習ったこともなければ、勉強したこともない。

友達って、どうやって作るんだったっけ? 

職場での人間関係は、友達って言えるのか? 同僚は、友達か? 

隕石だって、本当は、何かにぶつかったりなんか、したくないはずなんだよな。

痛いし


第10話 爽やかな朝

爽やかな朝、俺はいつものようにスッキリと目覚め、一日で最も快適な時間を迎える。

朝食は、ゼリー状の健康食品。

それをCMのように、朝の通勤時間中にかっこよく胃に流し込んで、駅のゴミ箱に放り込む。

今日も、見事なシュートが決まった。

電車の時間も、少し遅らせただけで、全く社内の様子が変わる。

俺は、当然のように満員電車は避けるタイプだ。

幸いなことに、今の職場は、出勤時間が比較的自由に決められる。

空いている席は見逃さない。

電車の車内は、座るものだ。

駅を出て、颯爽とセンターに向かう。

この俺のかっこよさ、いつ通りすがりのOLに、呼び止められてもおかしくない勢いだ。

いつでも待ってる。

勤めているのは、国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センター本部室。

俺は、世界を股にかける男から、宇宙を股にかける男になった。

まさに、世紀の男!

「おはようございます!」

ここに来て三ヶ月足らず、すっかり仕事にも職場にも慣れた。

仕事は、相変わらす観測データの解析と、一般のお客様窓口の応対だけれども、それだって、地上の人類を守る大切な仕事。

責任とやりがいを感じて、毎日頑張っている。

窓口だって、時には変なのも来るけど、基本、国家的な宇宙プロジェクトを運営している権威あるセンターなのだ。

そんなところに寄せられる子供からのかわいらしい質問には、思わず笑みがこぼれる。

俺は、子供の語る将来の夢や希望を聞くことが、こんなにも楽しくて、華があるものだったとは知らなかった。

少年少女たちよ、ぜひとも君たちの語る明るい未来に向かって、果敢に挑戦を続けていってほしい。

ここから先の将来は、全て君たちのものだ。

「あ、僕、コーヒー淹れるんで、皆さんのも、ついでに淹れちゃいますね」

お茶くみを嫌がる男は多いが、俺は嫌いじゃない。

カップを並べて、それぞれの好みの砂糖とミルクの量を調節していく。

それが、無駄なこととか、意味のないことだなんて、思わない。

誰かのために、何かをすること。

例えそれが、一杯のコーヒーだったとしても、人の為を思ってすることは、自然に体が覚えてしまう。

そんなことは、当たり前のことだ。

気が利くとか、気を利かせるとかじゃない、自然現象、そう、俺にとってこれは、息をするのと大差はない。

「じゃ、置いておきますねー」

俺の教育係だった、唯一の女性職員、香奈先輩の机に、最後のカップを置いて自分の席についた。

「おい、杉山」

「なんですか?」

「テメー、今日はやたら機嫌がいいじゃねぇか、気持ちワリーな」

「何を言ってるんですか、通常運転ですよ」

香奈先輩の、そんな愛情溢れる冷やかしも、俺は華麗なステップでかわしていく。

いくら先輩上司とはいえ、女性に対して、男はどうあるべきかくらいは、心得ているつもりだ。

そう、俺は完璧な人間なのだ。

電話のベルが鳴った。

その音に、全身がビクッっとなる。

心臓がドキドキして、その会話がどんなに遠くても、聞こえないと分かっていても、つい聞き耳を立ててしまう。

「はい、アースガード日本支部です」

栗原さんが取った電話は、事務用品の会社のようだった。

納入品が間に合わないから、分割して届けるという連絡だ。俺は、ほっと胸をなで下ろす。

昨日、外部からかかってきた電話は5回。

その前は、少し多くて13回。基本的に、のどかな職場だ。

数日前には、科学雑誌の取材があって、俺がインタビューに答えるように言われたけど、新人として、そんな出過ぎたマネなんて出来ない。

そこは何でも知ってる栗原さんか、香奈先輩の方が、適任だと思いますよと言って、場を譲った。

俺は、そういった思慮深さも心得ている。今ここでヘタに目立ちたくない。

よくよく考えてみれば、宇宙業務を担当するアメリカ軍が置かれている、コロラド州との時差は16時間。

まず電話がかかってくることの方がおかしいのだ。

この21世紀にふさわしく、メールで時空を越えたやりとりをするのが、一番スマートで、スタイリッシュなやり方だ。

ホットラインで苦情なんて、絶対にないと信じている。

また電話のベルがなった。そのたびに、全身が飛び跳ねるくらいビクついているのが、自分でも分かる。

気にしすぎだ。

いけない、もうやめたい。

今回の電話は、香奈先輩がとった。

「はい、アースガード日本支部です」

香奈先輩の声は、女性らしいハイトーンボイスで、それは柔らかさというより、鈴の音のような元気さが魅力的だ。

「は? ノーラッド? 北アメリカ航空宇宙防衛司令部?」

その彼女の声のトーンが、三段階下に下がった。

「Yes, OK, We have a……」

その後の会話が、俺にはどうしても耳に入らない。

血の気が引くって、こんな風になるんだな、初めて経験した。

自分の胸の鼓動だけが、やたらと大きい。

香奈先輩が、俺と同じくらい真っ青な顔をして、電話を切った。

「今。アメリカから連絡があって、地球に落下する可能性がある小惑星が発見されたそうよ。その詳細なデータを、すぐに送ってこいって」

俺以外のそこにいたおっさん達が、一斉に彼女を振り返る。

「落下推定位置は、太平洋、日本近海から北大西洋にわたる北半球」

「大きさは?」

「直径、約300メートル」

「チェリャビンスクの、4倍以上じゃないか!」

「いつ!? 落下推定日時は?」

栗原さんが立ち上がった。顔には、緊張の色が隠せない。

「落下推定日時は、今から約3年後の夏……」

センターの中が、凍りついたように動かなくなった。

室内換気扇の音だけが、やたらと響いている。

「とにかく、岡山の鴨志田センター長に連絡を……」

香奈先輩の声に、俺以外の人間が、一斉に動き出した。

スローモーションのように、彼女の視線が、俺の目を捕らえる。

彼女は、何も言わなかった。


第11話 発見

急に慌ただしくなったセンター内で、俺は一人、ポツンとしていた。

今から約3年後の夏、日本近海から北大西洋にわたる領域に、落下する可能性のある小惑星が発見された。

その一報をアメリカ空軍から受け、軌道計算のための詳細なデータ収集が本格化している。

天文学の粋を集めたこのセンターで、新人かつ門外漢の俺は、何をしていいのかも分からない。

2018 NSKと名付けられた今回の隕石は、現在はまだまだ遠い、宇宙空間を漂っている。

センター長であり、国内トップクラスの天文学者でもある鴨志田さんが、岡山の天文台から引き上げてきた。

「みんな、ご苦労だね」

がたいのいい、白髪の混じるあごひげをたたえたセンター長のまわりに、みんなが集まった。

「最初に報告をあげたのは、鴨志田さんだったんですか?」

香奈さんが詰めよる。

「あぁ、異常に動きの早い天体でね、発見したときには、思わず手が震えたよ」

そう言って、にっこりと笑う。

「いやー、学者冥利に尽きるって、こういうことなんだなぁ~、あはははは」

「笑ってる場合じゃありません!」

 最初に発見したのが、ここのセンター長? 

ということは、やっぱりこのセンターのみんなは、既にこの惑星のことは、知っていたということなんだろうか。

「すぐに国際本部の方から照会があると思ったのに、なかなか声がかからなくてね、おかしいなーなんて、思ってたんだよ」

「鴨志田さんが、催促したんですか?」

「まあね」

そう言ってウインクをしてみせた後で、USBメモリを取り出した。

「さぁ、ここにその大切な資料がある。同じものを、世界各国の協力機関に配布済みだ。これからは、とにかく詳細な分析が必要になる。観測も重要だ。よろしく頼んだよ」

「はい!」

なんだ、知っていたんだ。

分かっていたんだったら、早くそう言ってくれればよかったのに。

なんで俺だけが毎日、あんなにもビクビクしなくちゃいけなかったんだ、バカみたいだな。

ついつい漏れ出たため息。

考えてみれば、それもそうだ。

こんな人類の存続に関わるような重大事案を、俺がたった一人で抱え込むワケがない。

それに早く気づいていれば、こんなにも気まずい思いをしなくてもすんだのにな。

分かってるんなら、さっさと言えよ。気が利かねーな。

「君が、新人の杉山くんか」

センター長が、俺の名を呼んだ。

「あぁ、はい、そうですけど」

「最終面接以来、かな?」

「そうですね」

差し出された鴨志田さんの手を、じっと見る。

コレは、握手をしろってことなんだろうな。

俺が握り返したら、予想に反するほどの強い力で、握り返された。

握手の仕方って、人それぞれだ。

そっと触れるだけのような人もいれば、もの凄い力強さで握ってくる人もいる。

どっちが正解なのか、俺にはいまだに答えが見つからない。

「これから、君の力が必要になってくる。よろしく頼むよ」

「はぁ」

何を言ってんだか。

正直言って、認めたくはないが、外務省外交官候補のはずだった俺が、どうしてこんな畑違いの場所に飛ばされてきたと思ってるんだ。

『やめろ』っていう、無言の圧力だろ、リストラみたいなもんだ。

それをどうして、このオヤジが拾う気になったのかは知らねーが、まぁ、俺のやる気なんて、ほぼゼロだ。

ここで一体何の役に立てるのか、自分でも自分の価値が分からない。

干された余り物の俺を拾って、ここで自主退職するまで待ってるつもりなんだろうが、素直にそれに応じて新しい人生だなんて、早ければ早いほどいいだなんて、そんな気持ちにさっさと切り替わるほど、俺はお前らに都合よく出来てない。

腐れるだけ腐りまくって、ずっとお荷物で居続けてやるからな。

「すみません、コイツ、礼儀もクソも、なってないんです!」

香奈センパイが飛び込んで来て、俺の頭を無理矢理押し下げる。

それがどれほど屈辱的な行為か、この女は分かってやっているんだろうか。

「やめてくださいよ、髪型が乱れる」

俺は乱れた髪を、これ見よがしに丁寧に直しながら、さらに言葉を続ける。

「こういうのって、やってる本人の資質も疑われますし、やられるのを見ている方も不快だと思いますけどね」

このパワハラ女だけは、どうしても許せない。

「もうずっと、こんな調子なんですぅ」

女はそう言って、両手で目をゴシゴシとこすり始めた。

ほら出た、泣き落とし。これだから女は嫌いだ。

「そうか、三島くんが教育係か、しっかり面倒見てあげなさい」

センター長はそれには応じず、にこにこ笑って、特に俺にも彼女にも気にとめる様子もなく、軌道解析の分担を始めた栗原さんたち、実務チームの方に向かっていく。

そりゃそうだ。こんな緊急事態に、どうでもいいボケ新人に対して、興味なんてわくわけがない。

「これから、本気で忙しくなるけど」

女の小さな目が、俺をにらみ上げる。

「あんたは、みんなの邪魔にならないように、気をつけなさい」

それが新人の俺に対する、教育係のアドバイスか? 

ばかばかしい。

「自分なりに出来ることを考えて、少しでも貢献できるように、努力して」

偉そうに、中身の全くないセリフを投げ飛ばして、香奈センパイは背を向けた。

戻ってきたセンター長を含め、たった7人しかいない息苦しい職場で、俺だけが含まれない仲良しグループに戻っていく。

くだらない。

そう言うお前は、あのチームでどれだけの仕事が出来るってゆーんだ。

ろくに仕事も出来ないくせに。

一回でも、まともに働いてるところを見せてみろよ。

俺にだって、言いたいことはヤマほどある。

俺がアメリカから送られてきたメールを、勝手に削除していたことを知っているのなら、なんで黙ってるんだ。

それで俺を脅すつもりなんだろうか。

俺が悪かったなら、さっさとそう言えばいいのに。

みんなの前で糾弾して、目障りな新人をさっさと辞めさせればいいだろ、それをやらないで、そうやって先輩風でも吹かして、弱みを握ったつもりでいるのか? 

バカバカしい。

もしそれをやったとしても、それでも結局、事態には何の変化もないけどな。

俺がメールを破棄しようが、してなかろうが、それでも隕石は降ってくるし、俺が報告しなくっても、事態の問題を把握している人間が他にちゃんといて、やることやってんだから。

何のためにこんなことをやらされているのか、全く意味が分からない。

こんな無意味で重複したシステムの中に、俺が含まれているのなら、俺は不要だと言われていることに、全くもって変わりはない。

俺は、必要のない人間なのだ。


第12話 スーパースター

新たに発見された小惑星は、二晩にわたる観測が行われたうえで、本当に新発見だと確認されれば、正式に承認される。

今回のこの惑星は、突如宇宙空間に現れたことで、研究者たちを驚かせた。

毎晩見上げていた宇宙空間に、突然白い点が現れたのだ。

その奇っ怪さから、ワームホールという、アインシュタイン理論で予言される、異空間トンネルを通って、ワープしてきた可能性があるという説まで飛び出した。

本来、小惑星というのは、宇宙空間の過酷な環境や自身の重力などによって、河川の石のように、丸みを帯びた形状をしている。世界は常に安定を求めている。

この世で一番安定した形状とは、球体だ。

だから、星は自身の形状を保つために丸くなる。

しかし、今回のこの2018 NSKは、非常に角張ったごつごつした形で、全くもって丸みがない。尖りまくった小惑星だったのだ。

発見以前の画像には、全くその姿が捉えられていない、一夜にして現れた、謎の惑星、というわけだ。

ちなみに、宇宙に漂っている、ちっこい(星以下の)石が小惑星で、それが地球に落ちたら隕石、小惑星に含まれる成分が、太陽とかに熱せられて蒸発、もしくは噴出して、飛行機雲のように尾を引いているのが彗星だ。

だから、彗星のごとく現れたといっても、それ自身が輝いているわけではない。

基本、太陽の光を受けて、輝いているだけだ。

飛行速度も、小惑星と彗星で、そのスピードは様々。

じゃあなんで、彗星のごとくって言う表現があるのかって? 

その方が言い方として、格好いいからだ。理由はそれだけ。

謎の小惑星だからといって、わざわざ、ない尻尾を振る必要も、ない。

ワームホールの存在は、ブラックホールの存在が確定するのであれば、どこかには存在しているはずだとされている。

しかし、その発見は難しく、たとえ存在していたとしても、微小だったり、瞬間的に消えてしまったりして、発見が難しいとされてきた。

今回のこの小惑星は、超新星爆発と同時に発生したブラックホールからの、ワームホールを通過、遥か彼方の死滅した巨大惑星の、破片の一部が移動してきたのではないかと、噂されている。

噂ね、あくまで噂。

噂といえば、地球に突如生命が現れたのも、その起源が隕石に付着していた微生物や有機物説ってのがあるんだって。

じゃあ、俺たちの祖先は、遠い宇宙に存在する謎の生命体ってこと? 

すげーな俺、やっぱ地球レベルの人間じゃなかった。

俺の起源は、間違いなく宇宙にある。

だって、地球レベルに収まってないもん、俺って。やっぱりね。

というわけで、今回のこの突如現れた謎の小惑星は、そんな地球外生命起源説をも証明するかもしれない、彗星のごとく現れたスーパースターだった。

しかも、地球に落ちて被害をもたらすかもしれないというヒール的な要素も持つ、かなりの新キャラ設定だ。

スーパースターは、丸いよりも、尖っていた方が格好いい。

俺自身も、かくありたい。

もし、本当にそんな仮説が成立するのならば、まだ地球からは観測すら出来ない、何万光年離れているのかも確認出来ない、光りの速さすら飛び越えてやってきた、未来からの使者なのだ。

そうであると同時に、未知の世界の今を伝える、貴重なメッセンジャーでもありえる。

そんな壮大なロマンが、この世に存在するなんて、まるで俺みたいだ。

現代の壮大なロマン、未知との遭遇、俺との遭遇。

そんなことを考えながら、ぼんやりとこの2018 NSKの画像を眺めていると、非常なる親近感が湧いてくる。

お前も、俺と同じで苦労してここまでやってきたんだな、遠路はるばるご苦労さま、俺もお前みたいに、注目されて騒がれたいよ。

そして今、この俺的スーパースターは、2018 NSKという分類名以外に、小惑星番号を正式に与えられ、さらに愛称とも言うべき、命名をされようとしている。

そう、今一番のもめ事は、ソコ。

「アメリカ側が命名権を主張してきたって、どういうこと? だって、第一発見者は、うちのセンター長でしょう!」

「だけど、詳細なデータの照会に応じるのが遅れた分、学会に認められた正式な観測データは、NASAが提出したことになっている」

「おかしいじゃないですか! そこはハッキリ抗議しときましょうよ! いや、そうしないとダメですって!」

「向こうは、こっちに照会を依頼したけど、それに応じなかったっていうんだ。問題がないと、問題意識がなかったから、お前らには命名権なんてないって」

「そんな依頼、ありました?」

「少なくとも、専用のホットラインには、証拠が残ってない」

そんな会話を、話し合いの輪の外に外れて、なんとなく聞いている。

 香奈さんの視線が、気のせいじゃなくこっちを見ている。

「一般の問い合わせ窓口に送ったって、このための嫌がらせだったんですかね」

「それは単純に、向こうのミスだと思うよ」

香奈センパイの発言に、鴨志田センター長がのった。

「はー、どこにでも厄介な新人くんがいるもんなんだねー」

「すみませんが、サーバー確保のために、処理済みのメールは全部削除してしまっているので、証拠は残っていませんよ」

俺がそう言ったら、香奈センパイは、鼻くそも一緒に飛ばしてきそうな勢いで、鼻息を飛ばした。

「ほんっと、便利に出来てるわよね!!」

「ホットラインじゃないんで、一般の窓口なんで、しょうがないっす」

お前は、なんて名前になるんだろうなー、俺だったら、間違いなく俺の名前をつけるけどなー。

「ま、証拠がない分、向こうにも落ち度があるわけだし、ここはアメリカと協議して決めるしかないだろうな」

「なんか、悔しいです!」

「ま、名前なんて、本当はどうだっていいんだよ、問題の本質は、そこじゃないからね。そこにとらわれて、もっと大切な問題を忘れちゃいけない」

そう、そうですよ、さすがセンターの長ともなろう人は、さすがに分かってる。

命名権とか、そんなくだらないことで、争っている場合ではない。

そこで、天文学とは無関係な、中立的立場にいる俺からの提案だ。

「じゃ、コーへージャパンとかどうですかね?」

「は? コーへージャパン? どういう意味?」

「おい、コラちょっと待て」

俺が素直に待っている間に、すかさず香奈センパイの手が、俺の首を絞め上げた。

「コーへーって、もしかしなくてもテメーの名前じゃねえか、お前はやっぱ、いっぺん死んでこい」

「ここで俺を殺したら、殺人罪で、先輩の人生も終わりますよ」

「それもまた本望、つーか、情状酌量で恩赦レベルだわ」

やっぱり俺は、ここでもかわいがられていない。

 結局、アメリカとの協議の結果、この小惑星には、short という、『短い』とか、『急な、突然の』という意味を持つ単語を変形して、shortar と命名された。

ショウター、翔大だ。

だから、康平でいいって言ったのに、何が翔大だ、男の子の名付けランキング上位か。

丸く収まりやがって、もっと尖ってろよ、翔大。


第13話 3年後

かくして、翔大(3年後に地球に落下してくる300m級小惑星)は、一躍時の石となった。

大体、地球に落ちてくるって方を重要視しないといけないのに、命名権で意地の張り合いをしてるいなんて、人間って、やっぱりくだらない生き物だと思うよな、そうだろ翔大? な、俺もそう思うぜ。

目の前の、もっと重要なことに目を背けて、細部のどうでもいいことに、こだわりすぎる奴らが多すぎる。

今、大事なのは、翔大の名前じゃない、どうやって、彼との衝突を回避するか、だ。

3年後、3年後だろ?

しかし、学者ってのは、やっぱり世間一般の人間とは、考えが解離してるな。

奴らにとっては、翔大はとんでもなく貴重なサンプルで、自分たちが生きてる間に翔大に会えたことを危惧する一方で、盛大に喜んでいる。

そりゃ、学者冥利につきるだろうな、いっぱい論文書けそうだし。だとしても、はしゃぎすぎだ。

翔大のスピードは、秒速20キロ、秒速で20キロなんて、脳の想像を超える速さだ。

動体視力に果敢に挑戦してくるよな、トップアスリートかよ。

図体でかいから、距離的に近くなきゃ見られるだろうけど。

こんなスピードなら、そりゃ流れ星に3回お願い出来ないわけだ。

まー俺なら『カネ・カネ・カネ』で余裕だけどな。

つーか俺、宇宙観測センターで働いてるけど、人生で一度だって星空を生で見たこともないし、流れ星もリアルで見たことねーな。

山に登ってまでわざわざ見に行く価値がお前らにあるのか? 

見てほしかったら、逆にお前の方がこっちに来い。

仕事だからって、プライベートまで、仕事に潰されるつもりはない。

しかも、ここは俺の望んだ職場じゃない。

てゆーか、本当は都会の夜空にも星はあるはずなんだけど、見えてないだけなんだ。

そんなちっぽけな、街の灯りにすら消されるような星なんて、存在自体が消されているのと同じことだ。

結局、目の前にあるものしか、今、見えているものしか、相手にしてもらえない。

人は、実際に目に見えるものしか、その存在を意識してはくれないんだ。

おい、見てみろよ、あの太陽の明るさを! 

輝くなら、やっぱこんくらい輝いてないと、人からキャアキャア言ってもらえないんだぜ、翔大! 

お前がいくら秒速20キロで走ってきたって、今はまだ専門研究機関の、大型望遠鏡でしか捕らえられない。しかも、コンピューターでデータ解析してやっとだ。

なさけねぇな。

これがもっと近づいてきて、一般のアマチュア望遠鏡でも捕らえられるようになったら、もっと世間に騒がれるのかな。

つーか、直径300メートルじゃ、素人にはムリか、見えるようになった頃には、もう地球に落ちるのが、確定してる。

だからさ、落下の可能性とか、軌道の計算とか、何回やり直したって、そんなの変わんねーんだよ。

目に見えなくても翔大はそこにいて、落ちる、ぶつかるって言ってんだから、いい加減あきらめろ。

理想で現実を歪めようとするなよ、事実を受け入れてから対策を考えろよ、それが戦術ってもんだろ。

翔大が発見されてから、毎晩毎晩、ほぼ徹夜で交代の観察を続けたって、意味がないって言ってんの。

あれだ、あれ、売り上げ目標とか考えてるヒマがあったら、一個でも多く売ってこいってヤツだろ? 

戦略とか、展開とかをさ、なんかワケの分からんビジネス用語使って、語って、誤魔化してるヤツだろ?  

『弊社のキャパでは御社のKGIに、コミットすることがキャズムなのではなく、弊社の持つコアコンピタンスから、可能な限り、コンセンサスを高めて、コンバージョンしていきます』

みたいな。

知らんけど。

俺、一般企業で働いたことないし。

なんだよコアコンピタンスって、どんな箪笥だ、カラフルBOXか。

ちなみにこれ、『ムリだけど、頑張るー』っていう意味ね、それで、あってる?? 

ビジネス用語は、ちゃんと勉強しとけよ。

俺はそんなことを考えながら、部屋の隅っこで翔大の超衛星画像を眺めている。

だって俺、ここでは一切専門知識持ってないもん、完全にカヤの外。

みんなずっと何かをしゃべってるけど、一切意味が分からないし、そもそもこの俺自身に、分かろうとする気持ちがない。

リストラ寸前、窓ぎわ社員の気持ちって、こんなんなんだろうか。

いやいや、俺は窓ぎわなんかじゃない、さっさとここを出て、もっと華やかで、俺自身が輝ける場所に向かうんだ、そう、あの太陽のように!

「あ、杉山くん」

「はい、なんでしょうか」

同じ職場のおっさんに声をかけられて、俺は愛想よく振り返る。

愛想こそ振りまいているが、俺の興味があるのは、この世に生まれた全ての女性のみだ。

男に用はないから、名前も覚えてない。その必要も、ない。

「杉山くんは、国際会議の事務局をお願いするね」

「はい!」

返事だけは元気よく返しておく。それが俺のビジネスマナー。

「おい、まて杉山」

ここで、俺の教育係を勝手に名乗る香奈さんが現れた。

「テメー、何すんのか、分かってんのか?」

「分かってますよ」

「お前の『分かってます』は、『分かってない』だからな」

酷いなー、実際分かってないけど。

ようやくコイツも、俺の特性を理解し、教育係っぽくなってきたということか。

「今回の、ショウター衝突回避について話し合う、国際会議を日本でやることになったんだよ、世界中24ヶ国、約200人の研究者に、招待状を送って、参加を呼びかけるつもりだ」

なんだよそれ、それを俺一人でやれってか? 冗談はやめてくれ。

「はい! しっかり頑張ります!」

「これが、そのリストだ」

センパイから、USBを渡される。

「会場と、個別のセクション会議の部屋も押さえておけ、ある程度の、宿泊施設もな!」

「了解です!」

ビシッっと敬礼をかまして、相手には、すぐに背中を向けさせた。

これで俺の勝ち。

うるさいのは、さっさと、どっかに行け。

要は、会場日時の連絡係で、雑用係ということだ。

USB、USBね、今度はデータをうっかり消去しても大丈夫なように、バックアップはとっておこう。

完全門外漢は俺一人、こんな所に派遣されたのも、雑用係をさせるためか? 

ずいぶんもったいない使い方だよな、俺の。

ま、どーでもいいけどね。

3年後、3年後だろ? 

そんな頃には、俺はここを辞めてやってるよ。


第14話 地球防衛会議

飛行速度 20km/s、密度1570kg/㎥、2018 NSKこと、shortar、翔大のスケールはデカすぎて、俺には想像できない。

地球落下推定日時は3年後の夏、推定位置は、太平洋、日本近海から北大西洋にわたる北半球ですって言われたって、まぁ、現実味に欠けるって言われても、しょうがないだろ。

しかも、その翔大の衝突回避を話し合う国際会議の名前が『地球防衛会議』って何だよ、アニメみたいだよな。

おい翔大、お前のせいで、俺はますます仕事にやる気が入らねーぞ、翔大衝突衝撃で衝動的大騒動勃発、みたいな? 

くだらねー。

大体、地球防衛会議ってなんだよ、戦隊ヒーローか、どうせなら裏方やるより、レッド役がよかったな、もちろん主人公な。

しかし、参加国が24カ国ってのも、本格的すぎるでしょ。

まーお国は様々なれど、英語一つでなんとかなるから、そういう意味では英語が出来ると便利だな。

ちなみに、ロシアとかの共産圏の国では、日本の英語並に、ロシア語が必須科目なんだぜ、そのロシアじゃあ、エリートの必須科目がまた英語ってのも、因果を感じるけどな。

ちなみに、国連で働くには、英語だけじゃなくって、フランス語も出来なくちゃいけない。なぜなら、国連の公用言語が英語とフランス語だからだ。

だから、フランス語の文書なんかも、平気で回ってくるんだぜ。

国連で働きたかったら、英語だけじゃなくって、フランス語の勉強もしとけよ。

もし採用されれば、君も晴れて『国際公務員』というワケだ。カッコイイ!! 

まぁ、お前にはムリだと思うけど。

ちなみに、大学院の修士も必要だ。

『え、それなら自分持ってる!』って? 

修士を取ってる学部にも制限があるから、どこの学部の修士でもいいってワケじゃねえぞ、文学、語学、芸術系はアウトだ。

残念だったな。

そのほかの学部に関しては、自分で調べろ。

他にも実は抜け道がある。

本気でなりたいと思っているなら、グッドラック、頑張れ。

為せば成る。責任は持たない。

しかし、よく考えてみれば、国際会議の事務局ってのは、聞こえがいいよな、実際は一人で回してるんだけど。

世の中って、結局こんなもんなのか? 

普通こういう事務局って、広いオフィスが一室進呈されて、そこで可愛い女性事務員を引っさげて、局長は椅子に座ってるだけで『うむ』とか言いながら、ハンコついてりゃ、それでいいんじゃないの? 

それなのに現実は、狭くてうさんくさい職場の片隅で、一人こそこそキーボード叩いてるだけって、なんなんだよ。

一人事務局だから、勝手に事務局長名乗らせてもらうけど。

『えぇ、僕が今回の地球防衛会議、運営事務局長です』みたいな。

そんでもって、ガッツリ固い握手なんか交わしちゃって、プレゼン始めたりするんだぜ、もちろん英語で会議だ。かっこいー。

フランス語でもいいけど。

え、俺? もちろん将来を見越して、フランス語は習得済みだ。

修士は持ってないけどな。

しかし、国際会議の運営って、どうすればいいんだ? 

本当に招待状送った200人が、マジで来んのかな? 

どこの会場おさえればいいんだ? 

会場……。

やっぱ、日本武道館でデビュー講演とかって、憧れるよね、幕張メッセ? 

さいたまスーパーアリーナ? 東京ビッグサイト? 

ドームツアーなんてのもいいよねぇ。東京ドーム、大阪ドーム……。

どれどれ? 

日本武道館って、なんだかんだ言っても、やっぱり武道館なんだな、宿泊施設もあるのか。

なに? 宿泊するなら利用料安くなるじゃないか、最有力候補だ。

幕張メッセは、一番でかい国際会議場を、一日貸し切って約110万か。

他の小会議室なんかも抑えなきゃいけないから、やっぱそこそこの値段にはなる。

てか、200人キャパなら、そんな会場広くなくてよくね? 

……まぁ、いいや。

で、東京ビックサイトは7階の一番でかい部屋が、やっぱり110万くらいか、7階全部貸し切って130万。

講演者控え室と、事務局は一個でいいだろ。

ちなみに税込みだ。

横浜アリーナは、平日無償のイベントで350万。

これに、椅子の貸し出しとか撤去費用とかも入ると、そこそこの値段になるな。

貸し切りといえば、夢の東京ディズニーランド! 

ランドの貸し切りは、7千人様以上のご利用で4千万? はい終了。

夕方3時間だけ貸し切りにしても、4千人以上からで2千300万かよ、さすが。

よみうりランドは……貸し切ろうって猛者はいなかったのか、検索しても出てこない。

ちなみに、花屋敷は100人から70万で貸し切り可能だ。さすがだ、素晴らしい。

「どう? 会場おさえられた?」

花屋敷のホームページを見ていた俺は、慌てて画面を隠す。

「グランドプリンスホテル新高輪の飛天の間を狙ってみたんですけどねー、ここ、利用料金公開してやがらないんですよ、しかも500人以上からって、意外とハードル高いっすねぇ」

香奈先輩の、モンゴリアン・チョップからのキャメル・クラッチが俺に決まった。

「お前は真面目に仕事する気、あるのか!」

「ありますよ、放してください!」

「200人程度のレセプション会場なんて、そこそこのでっかいホテルおさえれば、大体どこでもいけるわ、ボケ!」

「えぇ、そうなんですけどねぇ」

先輩の腕が緩む。

苦しいけど、おっぱいが頬に当たってるの、分かってんのかな?

「前回の天文学会の会場と同じところでいいだろ」

「箱根の温泉ですか?」

「東京のホテル会場をおさえやがれ」

「はい」

俺は、素直にキーボードを叩いた。

「わー、香奈先輩! 200人、会場、ホテルで検索したら、いっぱい出てきましたぁ!」

「お前のセンスが問われている。妙なとこ予約するなよ、空いてる日を確認してから、候補を必ず私に提出して、確認させろ、分かったな!」

香奈先輩の怒号によって、俺は現実に引き戻された。

しかし、おっぱいは柔らかい。


*資料は2018年執筆当時のものです*


第15話 運営事務局

本当に、ふざけている場合ではない。

3年後の夏、地球に隕石が落ちてくるということが分かった。

その隕石衝突回避のための国際会議を、俺が運営することになったのだ。

そう、この俺がたった一人でな!

24カ国、200人の研究者に案内メールを送る。

今回は緊急国際会議になってしまったので、俺も慌ただしいが、呼ばれる方も慌ただしい。

世間一般にはまだ情報公開されていないため、会議の内容自体も極秘会議になった。

24カ国、200人の緊急極秘会議。

いったいどの辺りが極秘なのかって? 

俺だって知らねーよ、極秘だって言われたから、俺もそう言ってるだけ。

アースガードに加盟している団体各所にも、同じように連絡をいれて、
さて、問題はここからだ。

ガンガンに送りかえされてくる返信メール。

ホテルの備品内容の照会から、空港までの道案内、電車のチケットの取り方? 

そんなもんは、現地で自費で購入するんだよ! 

テメーら本当に学者か、国際会議とか出たことないのかよ! 

来るって言ってたのにキャンセルになったり、申込書とメールでの人数の報告が違ってたり、その返信を要求したのに、いつまでたっても返事が返ってこなかったり……。

あ? 会議の抄録? んなもんねーよ、緊急会議だぞ! 

しかも極秘って言ってんのに、結果だけを知ろうとするんじゃねー!! 

観光案内? 眼鏡橋に行きたい? コロスぞ。

ビザの申請は、自分でやってください!! 

エアコンの調節? 加湿器? 

そんなもん、ホテルに来てからそっちで直接聞けやぁ!! 

は? 外国人新幹線乗り放題パス? もー、そんなのパスパス! 

全部、無視だ無視!

『現在、お調べいたしておりますので、折り返し返答をお待ちください』

『地図を添付しておきました。おこしのさいには、ぜひ参考になさってください』

『来場者、人数確認の案内メールは届いておりましたでしょうか、確認をお願いします』

俺も、大人になったなぁ~。本気でそう思うよ。

社会人って、マジオトナ。

『観光案内のページを添付しておきます。ビザに関しては、そちらの日本大使館にて、お問い合わせください』

『今回は、緊急会議にて、内容に関しては、極秘にお願いします』

……。あぁ、疲れる。

そんなメールを、世界中に送りまくってる俺って、なんなの? 

緊急、極秘会議の内容を世界に向けて、絶賛配信中って!

また変なメールが来た。会議費用の負担割合? 

あーこういうの、頭痛いから、上司っしに丸投げね。

せんぱーい、お願いします。

参加者の名簿作れって? 

まだ全員からちゃんと返事来てないのに? 

ドタキャン臭わせてるヤカラもいるのに? 

会場案内図と、セクションごとの会場図ね、分かったそれは作る。

最寄り駅からの道案内も、やりますよ、やればいいんでしょ? 

泊まるホテルの部屋も、料金表出さなきゃいけないのね、

いい部屋はいくつかおさえとけ? 費用割りのVIPがいんの? 

計算ややこしくすんなよ、全員一律で計算させろよ。

全体会合の進行表? 一体何回目だよ修正はいるの、ちゃんと出来てから持ってこいや。

時間表記がおかしい? お前の頭がおかしいんだよ。

返事が来ない、連絡まだか、あれはどうなってる、これはどういうことなんですか……。

さぁ、どういうことなんでしょうかねぇ、なんなんでしょうねぇ、分かりませんねぇ……。

分からないって言ってんだから、分かれよこのクソが。

あー腹が減ってきたなぁ、なんか食べたいなぁ~。

そうだ、今日は帰りに、あのラーメン屋に寄ってみようかな、ずっと気になってたけど、行ったことなかったんだよねー、いっつも、いいにおいしてっけどさぁ。

は? 議事録はどうするかって? 

なにそれ、おいしいの? 俺いま腹減ってんだよねー、後にしてくんない? 

後っていつかって? 

俺の気が済むまで、永久に後だよ!!

半角の文字とか全角の文字とか、書体とか改行とか知らねーよ。

直せって、この俺に言ってんのかぁ? 

何様のつもりだ、ふざけるな、テメーが直して持ってこい。

表の位置がちょっと斜めになっているのは、印刷の時の紙の位置がちょっとズレただけですので、あなたの命に別状はございません、ご安心を。

判子の名前がずれてるとか、斜めじゃなくてまっすぐにつけとかさぁ、そんなの学校で習った? 

ナナメだろうがサカサだろうがカスレてようが、ついてりゃいいじゃんついてりゃ、そんなのどこの憲法に条文化されてあるんだよ、その条文もってこいや。

いっそのことサインにしちゃおーぜ、外人はそうだろ、グローバルスタンダードだぜ、手書きサインでOK? 

汚すぎて字が読めない? 手が疲れる?
 
判子のために、書類書き直す方が大変だっつーの、なんなら自分で書き直せ。

あぁ、もうこれっていつまで続くんだ? 会議が終わるまで? 

だって、終わってからも支払いの手続きとか、議事録とかあるんだろ? 

来場お礼メール? お前らが俺に感謝しろ。

俺は大体、人の世話をするために生まれてきたんじゃねー、人に世話をされるために生まれてきたんだ、そこんとこを間違ってもらっちゃあ困るんだぜ! 

分かってんのか??

「おいコラ、杉山」

俺の天敵を通り過ぎて、面倒くさい仕事の案件を、容赦なく回してしまえ係になった、心優しいデキる先輩、香奈サンがやってきた。

「なんでしょうか」

「テメー、メールの下書きみせてきて、それでよかったら全員分送信しとけって、どういうことだ、テメーが自分で送信しやがれ」

「だって、文書がオッケーだったら、後は送るだけじゃないですか、それくらいやってくださいよ」

「それがお前の仕事だろーが、送信ボタン押すだけだろ」

「そういうワケにもいかないんですって! 宛先ごとに、フォルダー振り分けないといけないんですから!」

「それを作ってやったのも、私だろ!」

「だったら、もうちょっと手伝ってくれてもいいじゃないですかぁ~」

あぁ、近くで見る香奈先輩の顔は、やっぱり小さくて、いいにおい。

めちゃくちゃ怒ってるけど。

「お前のせいで、こっちの手間が二重三重に増えてるんだぞ。おい、知ってるか? 私がお前のために考えてやった、あだな」

「世紀のイケメンでしょ?」

「お前こそ、うちに落ちてきた厄介な隕石だ、しかも爆心地は私!」

「隕石? あー、メテオですね、ショウターが翔大なら、俺はメテオで、愛でる夫で、愛夫、メテオですねー、なんかやっぱり愛されてるってかんじー」

今日の決まり手は、正拳中段突き。

しかも、きっちりとみぞおちを狙ってきた。

俺がやっかいもの? そんなの、言われなくても知ってるよ。

このまま倒れていたい。


第16話 時よ止まれ

たとえこの俺が世界よ止まれ、時よ止まれと叫んだところで、その日はやって来る。

2年半後の夏、地球に落ちてくる小惑星、2018 NSKことshortar、翔大の対策会議が始まった。

「今こそ、スロープッシュ方式を現実のものに!」

スロープッシュ方式とは、翔大の近くに、でっかい人工衛星を打ち上げて、翔大とその衛星との間に生まれる引力から、翔大の軌道をそらすというやり方だ。

つまり、万有引力頼み、ニュートンもびっくりだ。

「そんな衛星、今からどうやって建造するんだ、その方法をお聞かせ願いたい!」

引力の大きさは、物質の質量に比例し、その距離からの2乗に反比例する。
ケプラーの法則、高校物理だ。

つまり、翔大の軌道を動かそうと思うなら、それなりの超巨大宇宙船を作らなきゃらなんということだ。

その大きさ? 

誰か計算できたら教えてくれ、俺のキャパは越えている。

「そんな非現実的な話し、今さら間に合いませんよ、どうやって作るんですか」

たとえ、そんな翔大の心をも動かすビッグな宇宙船をつかって誘引しようとしても、軌道をずらすのに、50年とか100年単位の時間が必要らしい。

落ちてくるのは2年半後、ムリだな。

だからって、いつやって来るのか分からない翔大並の小惑星のために、事前に準備しておけってのも厳しい話しだ。

人間、どんな人種でもシメキリが近づかないと動かないのは、万物共通らしい。

「以前NASAが提案していた、特殊塗料方式は?」

これは、翔大に無人の探査機を飛ばして、表面に特殊塗料を吹きつけ、軌道を変えようというやり方だ。

塗料を翔大に吹き付けることによって、太陽によって温められた部分が影に隠れると、冷えが始まって熱が発散される。

その時の熱吸収率の変化で、軌道を変えようという驚きのアイデアらしいのだが、何のことだか、俺にはさっぱり意味が分からない。

熱伝導の力を利用して軌道を変えようってことか? 

熱伝導、ステファン・ボルツマンの法則からの熱貫流による効果を狙ったのか、伝熱工学なのか、それとも、キルヒホッフの法則を利用した、熱反射の反射パワーを利用したものなんだろうか。

どっちにしろ、俺にはよく分からんので、もっと賢い人間に聞いてくれ。

世の中には、自分より賢い人間が、想像以上にたくさんいるもんだ。

ちなみに俺は、そのことをさっき知ったばかりだ。

物理の授業中、寝ないで真面目に聞いておけばよかった。

こんなところで、理科の実験や数学が、役に立ってるんだぞ。

誰だ、数学なんて、人生でなんの役にも立たないとか言ってたヤツ。

十分役に立ってるじゃないか、しかも必要不可欠じゃないか。

人類を救うには、数学が必要だったんだ。知らなかった。

だから俺たちは、いつまでたってもヒーローにはなれなかったんだ。

人類を救うのは、剣ではなく数学だった。

そんな大事な秘密を、俺はようやく目の当たりにしたよ。

しかし、このよく理屈の分からない賢いやり方も、10年単位の時間を要するらしい。

賢人は一日にして為らず。

ニワカじゃダメなのは、どこの世界でも、やっぱり同じだ。

「じゃあ、どうするんですか!!」

「なにせ時間がない、衝突方式を、真剣に考えるべきだ」

衝突方式、これが一番分かりやすい。

要するに、ロケットやミサイル、人工衛星をぶつけて、力業で軌道を変えようというやり方だ。

単純明快なやり方こそ、一番効率的で、即効性がある。

しかし、このやり方にしても、問題はないわけじゃない。

実は大いに問題がある。

直径約300m、密度1570kg/㎥の岩石をぶっ飛ばすには、いったいどれくらいの威力が必要なのか。

核爆弾? 打ち上げに失敗したらどうする? 

もし成功しても、空から大量の放射線が降ってくるぞ。

非核弾頭で迎撃したにしても、割れた破片が空から地上へと降りそそぐ。

計算してみろ、巨大パワーをコントロールする、数学の想像力を見せてやれ。

どれくらいの威力で、どの角度で打ち込めばいいのか、秒速20kmで現在もノンストップでやってくる翔大を相手に、どうやって戦う?

「要するに、手立てがないってことですか?」

会議を隣で聞いていた香奈先輩に話しかけてみたけれど、彼女から返事は返ってこなかった。

もし、翔大が地上に落下した場合、広島に落とされた原子爆弾の約10億倍のパワーがあると想像されている。

発生する地震の規模はマグニチュード11以上、海に落ちれば、津波は高さ約300メートル、出来るクレーターの直径は180kmという予測だ。

とあるイギリスの研究チームが算出した資料によると、

この時発生する地震での死傷者の数は全体の約1%未満、

衝撃での臓器破裂で死亡する割合が約5%、

津波での死傷者が全体の約20%、

熱で焼かれるのが約30%、

そして死傷者の原因、No1は、隕石衝突の時に発生した衝撃波、

つまり強風によって吹き飛ばされて死傷する割合が、

死傷者全体の約45%になるという。

「それって、人類滅亡の危機ってことですか?」

「まだ、決まったわけじゃないから」

決まったわけじゃないって、決まってるじゃないか。

翔大は確実にやってくる。2年半後の夏。

その時に発生する災害を何とか回避しようとして、こうやってマジで世界中の学者が集まって話しあってんだろ? 

会議は紛糾、天文学者だけじゃなくって、この中には各国政府の要人や、軍の関係者も混じってただなんて、こんなところで話し合ってる場合か、どうするんだ、どうするんだよ、翔大!

深夜になっても終わらない会場を後にして、俺は夜空を見上げた。

満天の星空なんて、一度も見たことがない。

都会の空は、やっぱり人工の灯りでまぶしくて、星なんか見えても一つか二つだ。
その名前すらも、俺は知らない。

翔大、でもお前は、この闇のなかに、確実に存在しているんだよな。

どうしよう、時よ止まれ。


第17話 会議の重要性

結局、いくら話し合ったところで、結論は出なかった。

2年半後の夏、人類は滅亡する。翔大という巨大隕石の落下によって。

地球防衛会議とやらは、結局なにも問題を解決することなく終了した。

決まったのは、『衝突方式の採用』のみ。

衝突方式とは、巨大隕石に向かって、弾道ミサイルや人工衛星をぶつけて、軌道を変えさせるという手法のことだ。

だが、具体的に、誰がどのタイミングで、どんなミサイルを発射するのか、詳細な話し合いは、後日ということになった。

後日って、なんだ? 後日って、具体的にいつだよ。

誰がその間に立って、連絡を取り合うのかさえ、決まらなかった。

翔大は目の前に迫ってきている。

それが2年半という時間があったとしても、『衝突方式の採用を決定』という、この10文字だけで、満足していいのか? 

そのために、一体どれだけの費用と労力をかけて、会議の準備をしたと思ってるんだ。

大体、そんなの会議なんてわざわざ開かなくたって、ほぼ最初っから結論は出てただろ。

それをこんな大げさな会議を開くことによってしか、決められないだなんて、どんだけビビリなんだ、要するに、責任の分散?

「わざわざ集まって話し合わなくても、衝突方式しか選択肢がないって、分かってましたよね」

俺が栗原さんに聞いたら、栗原さんはうなずいた。

「まぁ、本心はそうだよ」

「じゃあ、こんな会議、やる必要なかったんじゃないんですか? どうして、メールなり電話なりで、分かってることを確認しあわないんですかね。 結論よりも、『会議をした』という事実の方が、重要視されているような気がします」

「確かにそうだ」

栗原さんやセンター長の鴨志田さんは、翔大が発見されて以来、ほとんど家にも帰らず、観測を続けている。

何度見たって変わらないものを、いつまでも懸命に眺め続けている。

「翔大を観察してて、何がそんなに楽しいんですか?」

「楽しくはないさ」

栗原さんは言った。

「どれだけ観察したって、データ取り直したって、もう答えは出てるのに、何も変わりはないですよね」

栗原さんからの、返事はない。

「なのに、なんでそんなことをしているんですか?」

「不安、なんだろうな。自分たちが何も出来ないことが。何かしていないと落ち着かないってゆーか」

「これだけ努力してましたって、言い分け作りですか?」

「そうかもしれないね」

香奈先輩の手が、俺の胸ぐらをつかんだ。

「じゃあ、あんたには何が出来るっていうのよ! ショウターが落ちてくるのを、黙って見ているしか出来ない人間に、何か言う権利はあるの?」

「それが分かっているなら、なんで僕をこんなところに採用したんですか! 文句をいうことしか出来ない人間ですよ!」

じゃあなんで、俺をここに採用したんだよ! 

よりにもよってこんなタイミングでさ! 

絶望的な悲壮感の漂うこの閉鎖的な空間で、俺だけが無駄にあぶれている。

主人公はいつだって他人で、俺はお邪魔虫だ。

俺に何か出来ることがあったら、とっくの昔に、さっさと自分でやってる!

「衝突方式しか、解決方法がないと分かっているなら、どうして爆弾の準備をしないんですか? 打ち上げるミサイルの、弾道を計算していた方がいいんじゃないですか? どのタイミングで、誰がどう打ち上げるのか、どうして今回の会議で、決められないんですか!」

「俺たちに、決定権がないからだよ」

栗原さんは、疲れた顔でつぶやく。

「それは、うちの部署の担当じゃない。軍事問題が絡む、複雑な問題で、俺たちが口出し出来る立場にない」

翔大が落ちてくる。人類が滅亡する。

迎え撃つ我々に、手段はない。

「じゃあ、衝突方式っていう分かってた答えだけをだして、後は別部署に丸投げですか? それで、言われた事だけをやって、結局何がどう進行しているのかも分からないまま、『はいはい』って、要求されたデータを渡すためだけに、仕事するんですか?」

「そうだよ」

栗原さんは、うつむいた。

「各国機関と連携して、お互いに協力体制を敷いて、親密に連絡を取り合い、問題解決のために、全力を尽くすんだ」

「あぁ、そういう言い方をすると、すっごく分かりやすいですよね! 聞こえもいいし!」

栗原さんや、センター長、他のメンバーだって、必死で頑張ってることを、
俺だって知っている。

「あんたねぇ、何にも分かってないくせに、相変わらず口だけは達者ね」

香奈さんの手を、俺は振り払う。

「えぇ、僕に出来ることは何もないですよ、だって、俺はここに来たばかりだし、専門外だし、いつだってカヤの外でしたからね! 文句言われて腹が立つのは、お互い様じゃないですか!」

いつもなら、ここで鉄拳が飛んでくるはずの香奈先輩の手が、緩やかに俺から離れた。

「みんな初めてのことで、不安なのよ。それだけは分かりなさい」

「分からないですね! 不安なのも、必死なのも分かってますよ、そんなのとっくに! だったらもっと、他にすることがあるだろって、言ってるんです!」

「私の言うことが、分からないのなら、もういい。あんたに用はない」

「あっそ! いいですよ、僕にしたって、こんな何の役にも立たない、無能な部署にいたって、無意味でしょうがないですからね! 無駄な会議やって、意味の無い仕事して、そうだって分かってるのに、なんで変えようとしないんですか?」

栗原さんは、横顔を向けたままで、香奈先輩は、その場から1ミリも動かなかった。

「俺に出来ることなんて、何もないじゃないですか、どうせ、そのうち辞めるつもりだったし、今すぐ辞めてやりますよ!」

「あなたがそう言うなら、誰にも止める権利はないわ」

「じゃ、俺辞めます! さようなら!」

くるりと背を向けた俺に、香奈先輩が最後の言葉をかけてきた。

「守秘義務は守りなさい」

反吐が出る。

どこまで俺をバカにするつもりだ。

こんな所にいたって、俺は俺の無力さを見せつけられるだけでしかない。

こんなクソすぎる職場、二度と戻ってくるもんか!!


第18話 仕事、辞めました

というわけで、俺は国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センターを辞めてきた。

辞表は後で送る。

そんなもん、書くのうっとうしい。

なんで辞めるのに、わざわざそんな『辞めてもいいですか』的な文章を書かなくちゃいけないんだ、面倒くさい。

俺に散々迷惑をかけておいたくせに、最後の最後まで面倒な文書を書かせるなんて、何様のつもりだ。

俺をクビにしたいなら、お前が勝手にクビにしろ。

俺には何の未練もない。

辞めた人間にまで、手間をかけさせるなよ。

どうせ形式的な定型文で済ませるんだろ? 

そんなところに重要性を見出してありがたがってるなんて、どんだけ化石脳なんだよ、時代に合わせてお前らが進化しとけ。

辞めるって言って、行ってないんだから、それくらい察しろよ。

お前らの得意技だろ? その場の空気を察するのってさぁ!

てゆーか、俺は気づいてしまった。

今から2年半後、巨大隕石、shortarこと、翔大の落下によって、人類は滅亡する。

2年半だ。

残りの人生、俺は全てを仕事に費やしていていいのか? 

他に、したいこととか、しなきゃいけないことが、あるような気がしたんだ。

だから、仕事を辞めてきた。

しかし、いざやめて、こうやって部屋に寝転がって天井を眺めていても、自分が何をしたかったのか、よく分からないから不思議だ。

銀行強盗? 女湯を覗きに行く? 

そんな話しは、楽しい妄想としてはアリでも、いざ自分がリアルにその立場になってみれば、どこの銀行を襲うのか、調べる気力も湧いてこない。

よくある『死ぬまでにやりたいことリスト』の中には、どうも犯罪系は、入ってこないみたいだ。今さらそんなこと言われても、やる気になんてならない。

かといって、有り金はたいて豪遊しようかって、そういうわけにもいかない。

貯金は、ないわけじゃないが、2年半も遊んで暮らせるほどの金はない。

せいぜい一週間の旅行代金ぐらいだ。

それだって、どこのホテルを選ぶかとかで、色々だし……。

改めて、真面目に考えてみる。

食べたいおやつはいつでも買って食べてるし、正直言って、そんなに飲み食いに興味があるわけでもない。

布団とあったかい部屋さえあれば、文句はない。

彼女は……ほしいけど、誰でもいいわけじゃないし、やっぱりお互いに愛が必要だと思うから、そんないきなり出来るもんでもないし、そんな簡単な彼女なら、むしろ逆にほしくないくらいだし……。

そうだ、久しぶりに、実家に帰って、親の顔でも見ておこうかな。

と、いうわけで、実家に帰ってみた。

「おかえり、どうしたの急に」

母は、にこにこ笑って出迎えてくれる。

「お前の勤めてた会社って、アース何とかだったよなぁ、でも、殺虫剤の会社じゃないんだろ?」

父の、1文字たりともブレない、帰ってくる度に毎回繰り出す渾身のつもりのギャグを、初めて聞くかのように受け流す。

俺の好物の母オリジナル謎すきやき風鍋を食べて、俺の思いついた、やりたかったことは終わってしまった。

あんなに毎日が辛くてたまらないと思っていたのに、辞めたら今度はヒマすぎて死にそう。

さすがにこの歳にもなると、知り合いや同級生もみんな何かしら働いていて、『帰ってきた』と連絡をいれても、忙しくて誰も相手にしてくれない。

せいぜい電話で数十分、思い出話しをして終了。

『会いたい』と言っても、なんだかんだで避けられてる気がする。

リストラされたわけではないし、どっちかというと、俺の方から職場をリストラしてやったのだが。

まぁ、突然連絡してくる昔の友達って、会うのも怖いよな。

たかられそうとか、困った相談して来られそうとか、そんなこと思うんだろうな。

いきなり超重い不幸な話ししてきて、同情求められても、こっちが鬱になりそうだしな。

どうやったって、ずっと一緒にいることなんて、出来ないのに。

そうやって一緒にいようと思うと、友達より家族っていう選択肢になっちゃうのかな。

多分、それが普通だし当たり前なんだろうけど、ちょっとさみしいな。

学校じゃないから、ずっと一緒にいる仲間っていったら……。

何のために働いてるんだろう。仕事ってなんだ。

俺には養わないといけない家族もないし、自分が生きて行く為の金だけだったら、正直なんとでもなりそうな気がする。

フリーターに憧れた時期もあったけど、現実がそんなに甘くないことも知ってる。
だから、働いてるんだけど……。

働いていることが大事なのか? 仕事が生きがい? 

仕事が生きがいだなんて、微塵も考えたことなかったけど、やっぱ家族のために働くのか? 

けどなー『俺は家族のために働いてやってんだ!』って言っちゃうようなオヤジにはなりたくないしなー。

そうやって家族にマウンティングしてくるくらい仕事がストレスなら、辞めちまえよ、頼んでねーよ。

つーか結局離婚して一人になったって、同じ職場で同じ仕事続けたりしてるだろ。

どんな種類の人間にだって、生活と家族はあるんだし。

それに、じゃあ独身者は、何のために働いてるんだってことになる……

いやいや、ちょっと待て。

俺は結婚したくて仕事をやめたんじゃないし、つーか結婚したいなら仕事辞めちゃダメだろ。

ここで、『人間は緩やかな死に向かって生きている』なんてゆー、どっかの哲学者の言葉を引っ張り出してきて、語り始めちゃうくらい、俺はまだ病んではないし、社会ガーとか言うほど、頭も狂ってないし……。

つーか、もっと大事なことに気がついた。

こんな事をうだうだ考えたって、2年半後に俺は生きてないし、この世の中も、現状維持のまま、残ってなくね? 

文明崩壊、環境破壊、阿鼻叫喚の地獄絵図の未来しか、残ってなくね?

あの薄汚い、狭苦しい空間で、ずっと翔大の観測データを眺め続けていた栗原さんたちの姿が、突然頭を横切った。

もうすぐ死ぬって、誰よりも一番よく分かってる人たちなのに、なんでまだあんな無駄な努力を続けてるんだろう。

バカみたいだ。

そんなことばかり考えていると、今ここで、何もない平和な夕暮れの中に一人立っている自分が、本当に情けなくなってくる。

俺は一体、なんのために仕事を辞めたんだ?


第19話 俺の役目

ぐだぐだ考えるのは性に合わないタイプなので、戻って来た。

「おはようございます」

普通に電車乗って、改札くぐって、まだ捨ててなかった社員証を手に、スーツ姿でデスクに座る。

「ちょ、なんなのいきなり!」

久しぶりに見た香奈先輩は、まったく変わってなかった。

「まだ辞表出してなかったので、セーフですよね」

「はぁ? 今のうちは、あんたの辞表どころの騒ぎじゃないからね!」

古くさいパソコンを立ち上げる。

暗証番号も社員番号も、そのままだ。

「この間の2週間の休みには、全部有給使ってください」

「厚かましいにも、程ってのがあるでしょうが!!」

「えぇ、知ってます」

香奈さんは、相変わらずちっこくて可愛らしい。

「だけど、これが俺の得意技ですから」

そのせっかくの可愛らしいお顔が、変な方向に引きつった。

「いじめてやる! お前みたいなヤツには、社会的制裁が必要だ! 嫌われろ、徹底的に嫌がらせをしてやるからな!」

「そんなの怖がってたら、戻ってなんて来ませんよ」

俺は立ち上がって、鴨志田センター長の前に立つ。

「申し訳ありませんでした」

お辞儀の角度は90度。5秒待ってから頭を上げる。

心からの謝罪のしるし。

「お帰り、君の帰りを待っていたよ」

やっぱり出来る人間は違う。

分かる人間にはちゃんと分かるんだよ、俺の価値が。

「いいんですか!? こんなの、簡単に許しちゃって、いいんですか!」

「三島くん、我々には、そんなことを言っている余裕はないんだよ。僕だって、まさか本当に、こんな切羽詰まった形で杉山くんを頼ることになるとは、思ってもいなかったけれどね」

会社に余分な人材は必要ないというのなら、俺は必要だし、その価値をもって採用されているはずだ。

「これからが、君の本当の出番だよ」

鴨志田さんが、手を差し出した。

俺は、迷うことなく彼の手を握りしめる。

力強く。

「翔大のタイムリミットは、どこまで迫っていますか?」

「栗原くんの計算に狂いはない。2年半後の夏だ」

「もっと具体的に」

「7月から、9月の間にまで絞られてきた」

あんなにかっこよかった栗原さんが、今や無精ひげのくたびれた姿にやつれ果てている。

だから俺は、ビシッと身なりを整えて、これから戦いに行くと決めたんだ。

「衝突方式の採用にあたって、各国政府との交渉は進んでいますか?」

センター長が、にやりと笑った。

「全くもって進んでない。あいつらは、今ここに至っても、事の重要性に、まったく気づいていない」

「本当に全く進んでいないんですか?」

「完膚なきまでに、進んでない」

この人は今度は、呆れたように手の平を上に向ける。

「分かりました。僕は、どこに行けばいいですかね」

「それを考えるのが、君の役目だ」

そうなんだろうな、きっとそうだったんだって、ヒマな時間をもてあまして、色々と考えていた。

たまにはそんな時間も、人生には必要だ。

翔大はやってくる。

それをミサイルで迎え撃つ方針は、決まった。

それで、どうする? 

「作戦を立てましょう。まずは、具体的なアイデアを出すことが必要です」

俺は、栗原さんの、パソコンにかじりついたままの背中を見た。

「翔大迎撃作戦は、どうお考えですか?」

彼は、ずっと自分の中で温めていたであろうアイデアを語り出す。

「一発で命中させるのは、難しいことではない。けれども、それで地上への被害が免れるかというと、それは難しい」

「どうすれば?」

「できるだけ地球から遠い位置で、どれくらい粉砕できるかだ。ショウターの形はいびつで、その構造上、衝撃に弱い角度がある。そこへ効果的に何度かミサイルを撃ち込み、爆発させれば、俺の計算では、4つには割れるはずだ」

「翔大を、4つに割るんですか?」

「観察を続けていて、気づいたことがある」

栗原さんは、翔大の画像を取りだした。

「ショウターは、その形状、体積から比較して、本来ならもっと密度が高く、重い地球近傍小惑星、NEOであっていいはずなのに、通常想定されるNEOの、約半分程度の密度しかない」

「すかすかってことですか? 軽石みたいな?」

「NEOがどうやって形成されたか、その過程によっては、軽石状である場合もある。しかし、今回のこのショウターの場合は、あくまで外見上からの観察結果からみた、想像でしかないのだけれども……」

栗原さんは、ごくりとつばを飲み込んだ。

「内部が空洞というより、ひび割れだらけという可能性がある」

「ひび割れ? じゃあ翔大は、傷だらけで瀕死の状態ってこと?」

「あくまで可能性だが、かなりの満身創痍で、かろうじて現在の形状を保っている可能性が高い」

「じゃあ、うまく爆弾を打ち込めば……」

「4つに割れる!」

栗原さんの目は、多分いま、この世の誰よりも熱く燃えている。

その意見に、鴨志田さんもうなずいた。

「分かりました。四つ割れ推しでいきましょう」

俺は、翔大の衛星画像を鞄に押し込んだ。

それだけ確認できれば、あとは俺が何とかする。

「では、行ってまいります。困ったことがあったら、すぐに電話します」

「どこに行くのよ」

センターを出ようとした俺の背中に、香奈さんが声をかけた。

「文部科学省です」

うちの管轄は、そこ。とりあえず、行ってみる。

まずは、ここからだ。


第20話 関の門

東京虎ノ門霞ヶ関、文部科学省庁舎前。

よくテレビで見る三つの看板が並んでいる門の前にやって来た。

あの、震えるような下手くそな文字で書かれている看板がある所だ。

「失礼します!」

勢いよくドアをくぐろうとしたら、そこは締めきりになっていた。

お飾りのドアらしい。

よく間違えられるんですよねーなんて、通りすがりの知らない人にまで声をかけられる。

クソ役人どもめが、この俺にしょっぱなからトラップを仕掛けてくるとは、生意気な。

通りかかる人達の後を適当について行ったら、ちゃんとした立派な看板があって、そこからは至極普通に出入りが出来た。

悪いのはあの門が文科省だと印象づけるマスコミだったのか、ちゃんとした立派な出入り口があるじゃないか。

受付に進んでカウンターに声をかける。

「一番偉い人と話がしたい」

「アポイントはございますでしょうか?」

「俺が会いたいと言っている、と伝えてくれ」

警備員がやってくる。

こういう所の仕事は早い。

「国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センターの者です。先日行われた緊急国際会議の議決内容について、お話があって参りました」

「アポイントはございますでしょうか?」

「アポイントはございませんっ!」

「お引き取りください」

「守秘義務があって、簡単には言えない内容なんです。ここでその説明はできません」

「ならいっそう、アポイントメントは必要ですよね」

ここで簡単に引き下がる俺じゃない。

こういう時の頭はよく回る。

「あぁ、間違えました。違うんです、僕は情報公開請求に来たんだった」

受付担当者の顔がムッとなる。

情報公開法第3条に基づき、何人も、この法律の定めるところにより、行政文書の開示を請求できるのだ。

つまり、拒否できない。

「少々お待ちください。担当のものが参りますので」

と、いうやり取りの後でかれこれ30分、何度受付とかけあっても、「ただ今、担当をお呼びしておりますので」と澄ました顔で流される。

これがお前らのやり方か。

どして後から来た連中の方が、先に通されるんだと文句を言えば、事前予約ときたもんだ。

ムカツク。

「分かりました。もういいです」

そう言ってとりあえず外には出たが、こんなことで引き下がる俺ではない。

あいつら、いつか顔パスでここを通った時には、俺の顔をまともに見ることが出来ないくらい、恐れさせてやるからな、覚えてろよ。

そう、人生には、何事も作戦が必要だ。

対策を立て直そう。

ちょっと調べてみれば、霞ヶ関、官庁フロア&ダイヤルガイドなる書物が存在し、そこには霞ヶ関の周辺案内図と、官庁別のフロア図、階層図が掲載されている。

さらには、部署名から庁舎の階数まで早引きできる索引付きで、各課直通の電話番号一覧まである。最寄り駅の出口までも明記済み。すばらしい。

さっそく電話をかけてみる。

「あの、国際ユニオン宇宙防衛局日本支部、アースガード研究センターの者です。先日行われた緊急国際会議の議決内容について、ご相談したい内容があるんですが……」

「もしかして、杉山さんですか?」

「えぇ、そうです! そうなんですよ!」

あぁ、よかった。渡る世間に鬼はなし。

ちゃんと通じる所には、通じる人がいるんだ。

「センター長の鴨志田さんから、連絡を受けて、承知しております。今、どこにいらっしゃいますか?」

「文科省の、正面入り口ですぅ」

もう、ダメだ。感動しすぎて泣きそう。

「すぐに担当の者を行かせますので、お待ちくださいね」

「担当の者とは?」

「鴨志田さんと相談したんです。政府とかけあうなら、文科省とアースガードセンターだけじゃダメです。内閣府の、宇宙政策委員会にも味方をつけないと」

「あぁ、なるほど、そういうことですね」

「今から、うちの代表として、宮下を向かわせますので、一緒に内閣府へ向かってください」

「はい、ありがとうございます」

電話が切れた。

俺は、強力な旅の仲間を手に入れた。スキルアップだ。

もう一度、受付に戻り、さっきの担当者と警備員を横目にカウンターに片肘をつく。

「すいませぇ~ん、俺、すっげー勘違いしてましたぁ!」

こういう時の、とびきりの笑顔は欠かせない。

「俺、外務省は勤務してた経験があるんですけどねぇ、ほら、外務省って、合同庁舎には、入って無いじゃないですかぁ、だから、やり方とか、よく分かんなくってぇ!」

ふふ、さっきまで俺をバカにしていた受付と警備員の奴らが、俺を見上げている。

「俺が行かなきゃいけないのは、文科省じゃなくって、内閣府の方でしたぁ! 
 あはは! すいませんね、文科省レベルの話しじゃなかったみたいっす!」

 
受付の奥から、男が下りて来た。入館証を首から提げている。

『宮下正輝』こいつが俺の案内役か? 

とりあえず、今この瞬間、この場ではカッコつけていたいので、余計な口を挟まれたくない。

「あなたが、アースガード研究センターの杉山さんですか?」

 宮下が口を開いた。

「えぇ、一緒に内閣府に行っていただけると聞きまして。とりあえず、ここではなんですので、別の場所でお話ししましょう」

にっこり笑って、固い握手を交わす。

俺を見下した奴らに見せつけるように、豪快に。

「どうも、取り次いでいただき、ありがとうございました! あなた方のご協力のお かげで、こんなにも早く担当の方とお会い出来て、恐縮です。ありがとうございました!」

笑顔で手をふる。勝った。

こやつらがどう思っているのかは知らん、そんなことは関係ない。

この俺が今、十分勝利を確証し、非常に気分がよくなっているので、俺の勝ち。

とにかく勝った。

俺様の顔をしっかりと覚えておくがいい。

こののち、人類を翔大から救った英雄として、俺が有名になったとき、あぁ、あの時のあの人は、この人だったのかと気づいて、勝手に恥じ入りなさい。

そうさせるべく、俺はやるよ。

あぁ、やってやるさ。


第21話 チェンジ

文科省との戦いに勝利した俺は、新たに加わった仲間をゲットして、内閣府宇宙開発戦略推進事務局が入る、霞が関東急ビルへ向かった。

そういえば、政府機能の地方移転なんて話しがあるけど、こんな近くにガッツリでっかいビル群作って、便利かつ快適に暮らしているのに、なんでわざわざ地方移転なんて不便なことをしようと思うのか、そんなこと本気でするつもりがあるわけないだろ、ちょっと考えたら分かることなのに、頭使えよ、騙されんな……とか、思ったりなんかしてみる。

国会議事堂前を通る時もそうだけど、この辺りの土地柄というか警備体制というか、独特の空気には、圧迫感がある。

ここが頂点、俺たちがサミットだ、どうだ、すごいだろ、まいったかみたいな。

このエリアだけが、日本の最高級、一流品だけを集めて作られているような、そんな錯覚に陥る。

プライドと権威の街、全くの俺の妄想だって、頭では分かってるけど。

俺の後ろから、綺麗に隊列を組んでついてくる、新たにパーティーに加わった旅の仲間を振り返った。

「で、作戦を聞こうじゃないか、『ガンガンいこうぜ』? それとも『バッチリがんばれ』? 『おれにまかせろ』?」

「何の話しだ。やっぱり俺は、霞が関東急ビルまでの道案内か」

俺は、この茶髪の好青年を見上げた。

「大体、宇宙政策委員会ってなんだよ、宇宙人でも襲ってくるのか、それとも移住計画か、俺の人生に宇宙開発なんて、なんの関係があるんだ」

「お前、今回、なんで宇宙開発局に乗り込んで行くのか、その理由を聞いてないのか?」

「どーせ研究センターがなんかヘマをやらかしたんだろ、それでうちに泣きついてきて、さらに上の偉いさん委員会に泣きついて誤魔化そうって魂胆だろ、そんなのミエミエだ」

彼は長く伸びた前髪を、後ろにかき上げる。

「ま、俺を頼ってくるくらいなんだから、よほど困ってるんだろうけどな。何をやらかした。どうでもいいけど、俺に迷惑をかけるなよ」

 
あぁ、マジか、本気か。

センター長のお友達文科省役人は、本当に事態を把握しているんだろうか。

「あー、これはまだ公式発表されてない、非公開の守秘義務規範にあたる問題なんだけど」

「あ、そういうの、面倒くさいからパスね」

「は?」

「とりあえず、お前が向こうに説明して。俺はただ一緒になって、『すいませんでした』って、頭だけ下げとくから。ヘタな説明は自分の墓穴掘るからしないよ。全部シャベリはあんたが受け持ってね」

彼は真顔で俺に向かってしゃべり続ける。

「『おまえに任せた』モードだ。さっき自分でも言ってただろ。『おれにまかせろ』って。じゃ、よろしくたのんだよ。謝罪の伴走者は得意だ、しっかり同伴し、同調する。ただし、余計な口はきかない」

「お前、上訴の内容に興味ないのか?」

「ないね」

その潔さは嫌いじゃない、嫌いじゃないけど……。

「俺は頭下げてりゃいいんだろ? 後のことは、知らねーよ、自分たちで何とかしろ」

「お前は俺をサポートするために、派遣されたんじゃないのか」

そう言われた彼は、豪快に笑った。

「あはははは、そんなわけないだろう、なんでこの俺がそんなことをするんだ。俺は あくまでお前の添え物だ、サクラだ、体裁を整えるためだけのモブ要員だ。俺に何 かを期待したり、要求とか考えるなよ!」

俺はスマホを取りだした。

センターに電話をかける、香奈先輩が出た。

「チェンジ」

「は?」

「チェンジで」

「だから、何がだよ」

「文科省の役人、もう少しハイスペックなキャラをゲットしたいんで、『逃がす』を選択して、チェンジでお願いします」

「じゃあ、お前がそうやって文部科学省、科学技術学術審議会、研究計画評価分科  会、宇宙開発利用、航空科学技術委員たちに説明しろ、さっきのセリフ、一言一  句、間違えるんじゃねーぞ」

「ちょ、それだけで済ませて、電話切らないでくださいよ。俺は今、人類の未来を背 負って立ち上がった、たった一人のヒーローなんですよ? とはいえ、やっぱどん なパーティーでも仲間ってもんが……」

「チェンジ」

その一言で、電話は切れた。

どいつもこいつも、役立たずばっかりだ。

「おい、なにやってんだよ、さっさと謝りにいって、チャッチャと済まそうぜ」

彼は、先に立って歩き出す。

「こういう面倒は、とにかく頭を下げときゃいいんだよ」

どうして政府主要機関って、こんな近所に固まってるんだろう。

宇宙開発局の入った民間ビルは、もう目の前だ。

一級品を気取ってるから、ちょっと頭を冷やして話し合うための、ファミレスやコーヒーショップすら、このあたりには存在していない。

大体近すぎる。歩いて3分、道を渡れば、すぐ目の前だ。

「ここがそのビルだ」

なんで政府主要機関は移転してないんだろう、国家の大切な危機管理だろ、ちゃんと分散させとけよ。

「いくぞ。宇宙開発局の人には、事前に連絡してあるんだろうな」

「してるわけないじゃないか、俺は、文科省からぶっ潰すつもりだった」

「宇宙センターが、内閣府の管轄って、知らなかった?」

「そんなこと、普段意識しながら暮らしてないだろ」

彼は、へっと、鼻にかけたような、変な笑い方をした。

「これだから、小物はいつまでたっても小物のままなんだよ。ちゃんと自分の上を見 て行動しろよ」

俺は大物だ。それに一切の間違いはない。

小物はお前の方だ。

「ま、実るほど、頭を垂れる稲穂かなって、言うだろ? これからアポ無し謝罪の技術ってもんを、見せてやるよ」

彼の自信は、一体どこからくるんだろう。

これほど強力な後ろ向き助っ人は初めてだ。

そんなことを話してるうちに、あっという間に目的地にたどり着く。

内閣府の所属とはいえ、ここは内閣府庁舎ビルではない。民間のビルに入る、国立研究開発法人だ。

文科省の人間がやってきたとなれば、同伴者もあっさり入管出来る。

肩書きって最強。

「俺の役目はここまでだ。後はお前がやれ」

言われるがままドアをノックする。

俺には、このノックされているドアが、一体どこに続くドアなのかも全く把握していない。

扉が開いた。

「すいませんでした!」

開門一番、宮下が大声で頭を下げる。

90度。俺も一緒に右へならえ。

てか、俺は何かの謝罪に来たわけではないのだが。

いきなり頭を下げるアポ無し文科省の人間に、相手は慌てふためいている。

彼の肘が、俺の脇をつついた。

それを合図に、頭を上げて、まっすぐ前を見る。

本番は、ここからだ。


第22話 ぜひお目にかかりたいです

東京霞ヶ関東急ビル内、内閣府宇宙開発局。

俺は今、そこに立っている。

「日本近海に、隕石落下の危険性があることは、報告を受けてご存じですよね!」

俺のその一言に、ざわついていた室内が一気に静まり返る。

「NASAから報告があり、今から約2年後の夏、人類滅亡の危機を引き起こしかねない、小惑星の存在が確認されました」

文科省からついてきた、宮下が目を丸くしている。

こいつにとっては、初耳のはずだ。驚くのも無理はない。

「すでに国際会議も、ここ東京で、我々アースガード研究センター主催で行われ、各国の対応が議決されたのも、ご存じですよね!」

そういえば、俺が国際会議の招待状を送った時、文科省と内閣府にも送ったかな? 

いや、送った記憶がない。あれは、天文学会が主体だった。

他の国の要人まで、いちいち身分の確認はしていないが、少なくとも、日本国内では政府関係者は一人も招待していない。

「そこで、今現在地球に向かってきている小惑星との、衝突回避の方針が決定されました。衝突方式です! で、今後の方針なんですが……」

「あの、すみません。そう言ったお話は、局長にしていただかないと、私どもではなんとも……」

スーツ姿の男性が慌てて手を振り、普段はどんな仕事をしているのか知らないが、俺に向かってへこへこと頭を下げる。

「では、局長は?」

「えっと、ここには不在です」

「不在? では、どこに?」

「少々お待ちください。確認をしてまいります」

そこで示された受付のソファに、宮下と並んで腰を下ろした。

「おい、なんの妄想話しだ。謝罪とか申し開きにしては、話しがでかすぎるだろ」

まっすぐ顔を前に向けたまま、表情一つ変えない宮下が、小声でささやいた。

「事実だ。今から約2年後に、全人類は隕石落下によって、滅亡する」

「ま、俺には関係ない話しだけどな」

宮下とっては、それは全くの無関係な、別次元の世界の話しだった。

「もしそれが本気の事実だとしても、俺の担当の仕事じゃない」

「センターの仕事に関する、審議委員のある文科省としては、ぜひ関わっていただきたいね」

宮下は、俺を振り返った。

「審議と評価はする。実務は知らん。もし、今ここで、お前のさっきの発言が虚偽だと俺が判断したら、どうする?」

彼が、この事実を事実と認定しなければ、翔大はこの世から消されてしまう。

どんな大事件も、大問題も、ない事にされてしまう。

そこに、確かに存在しているのに。

「俺の仕事も終わり、日本が終了する」

「いいじゃないか、面倒なもめ事はゴメンだ」

宮下は、いつまでも冷静だった。

「それで終わらせるのも、一つの手だな」

 宇宙局の受付担当者が戻ってきた。

「えぇっと、現在、科学技術政策のうちの、宇宙政策に関しましては、兼任ということになっておりまして。それで、担当の部署に連絡したところ、現在不在という返事です」

「それは、アポを取らないと、お会いできないということですか? いつならよろしいですか?」

「もう一度、連絡を取り直します」

あたふたと、固定電話をかけ直す。

どうしてこう二度手間、三度手間をかけさせるんだろう。

会いにきたって言ってんだから、会いたいに決まってるだろ。

「これだけ大騒ぎしておいて、冗談では済まされないぞ。さっきの話しはマジなのか。もし本当なら、俺はここで手を引く」

「マジじゃなきゃ、俺はここにいない。非公開情報だ。他に漏らすなよ」

宮下の眉が、一度だけわずかに動いた。受付の電話が置かれる。

「えぇっと、現在、他の業務で忙しく、次のお約束は確保できないと……」

「今はどちらにいらっしゃいますか? トイレにも行かない、飯も食わない人なんですか? 24時間のうち、24時間仕事してます? 緊急事態なんです、至急の取り次ぎをお願いします」

もう一度担当者が電話をかける。

長い長い呼び出し音の後で、ようやく繋がった。

「えっと、来年の6月くらいなら、お話を伺ってもいいと……」

「本日、6時の予定を聞いてください」

「えっと、ですが……」

受話器はまだ、担当の手にある。電話は切られていない。

俺は躊躇なくカウンターを飛び越え、それを取り上げた。

「国内死者、4千500万人の責任を、あなたに全部押しつけますよ」

「なんの話しだ」

相手は、内閣府本庁にお勤めの、なんとか役人。

「アースガード研究センターから、緊急連絡の報告があったにも関わらず、当時の内
 閣府担当者が事態の緊急性に気づかず情報を放置、その結果、死者4千500万人の
 被害を出した、という3年後のニュースのヘッドラインが見えました」

「冗談は、寝言だけにしてくれ」

俺の脳裏に、突然名案がひらめいた。やっぱり俺は天才だった。

こいつらを動かす、一番簡単な方法を、とっさに思いついた。

「今から俺、マスコミに走ります。2年後に、日本が滅びるという、確かなエビデン
 スを提示してきます。国内どころか、世界中で大混乱ですよ。実際に翔大は、巨大
 隕石は、目の前に迫ってきていますからね。

 そうすると、その対策のために、今の仕事も全部放り投げて、取り組まないといけ
 なくなります。

 連日の大騒ぎ、世論沸騰、デマの飛びあい、目立ちまくって、注目されること間違
 いなし! 

 連日テレビに引っ張りだこ、この人を見ない日はない、誰もが話しを聞きたがる。

 人類を、世界を救うという、カッコウのネタを、みすみす他人に譲ってもいいんで
 すか? あっという間に、他の方にとられますよ、こんな美味しい仕事。

 大注目の大仕事、誰もが知ってる一大事業、それを一言口に出せば、誰もがひれ伏
 し尊敬の念で見上げる輝かしい経歴が間違いなくつく仕事を、今はあなただけが
 知っているという……」

「わかった、話しを聞こう」

「ありがとうございます」

一度、何かの因果応報で、政治家の話を聞く為のサクラにかり出されたことがある。

どうでもいい話しを、5分の持ち時間を無視して15分以上しゃべっていたが、さすがに会場がざわつき始めて、逃げるように立ち去っていった。

満席の会場で、自分の話に耳を傾ける聴衆ほど、いとおしいものはない。

「それ、本当の話なのか?」

 電話を切り、内閣府に向かって歩き始めた俺の後を、宮下がついてきた。

「お前はもう、帰ってもいいぞ」

「管轄官庁の審議官として、最後まで見届ける義務がある」

開発局から、中央合同庁舎、8号館まで、やっぱり歩いて3分。

近いって、最強の正義。

ちょろいもんだ。


第23話 GUESS!!

アポが取れていたので、あっさり内閣府中央合同庁舎8号館に入り、科学技術・イノベーション担当のお役人(下っ端)と会う。

通されたのは、実に密談談合にふさわしい、小さな会議室だった。

「どうも、高橋義広です」

差し出された名刺から始まる、セオリーに規則正しく則った名刺交換、こういうのは久しぶりだ。

理系の技術者集団では、めったにみられない光景で、俺は思わず泣きそうになる。

そうだ、俺がいたのは、こういう世界だった。

「で、お話というのは?」

俺は持参した資料を片手に、翔大の話を丁寧に説明した。

ついてきた文科省役人の宮下も、黙って聞いている。

「で、私にどうしろと?」

「ミサイルで撃ち落とすための、準備をしていただきたい」

彼は眉間にしわをよせ、片手で額を抑えるようにしてうつむいた。

「それは、防衛省と交渉しなくてはならないのでは?」

「まぁ、そういうことです」

「無茶ですね、あそこは普通の官庁じゃありませんよ」

「しかし、それしか方法がありません」

黒髪に、真っ黒なスーツ。七三になでつけた髪が、細身の体によく似合う。

ため息交じりに取り上げた資料を片手に、彼は組んだ足をぶらぶらさせながら、何かを考え込んでいる。

まぁ、普通に考えて、面倒くさいよな。

「これ、失敗したらどうなります? 関わらない方が、無難じゃないですか?」

高橋氏の言葉に、宮下も賛同する。

「一か八かの賭けですよね、当たれば美味しいですけど、外したら大変なことになる」

そこは文民統制、高級官僚は、絶対に実務をやらない。

「ミサイル撃つの、俺らじゃありませんから」

その言葉に、二人はふーっと息を吐き出す。

「まぁ、そう言われればそうなんだけどね」

「計画の審議、評価を下して、GOサインを出すものの立場としては、不確定な計画に、賛同するわけにはいかない」

「ちゃんとした実行計画を立てろっていう、命令書をこっちから先に出せばいいんですよ」

俺の言葉に、二人はようやく耳を傾ける気になったらしい。

「翔大が来ているという報告は受け取った、破壊措置命令を下すから、ちゃんとやれって。成功するようにちゃんとやれって言ったのに、やらない、やれなかったのは、お前らのせい」

「なるほど。でもそれだと、君側のリスクが高くなるんじゃないんですか?」

内閣府官僚の高橋氏は、実に高級官僚らしい意地悪な笑みを浮かべる。

「そんなハイリスクな選択をするような提案を、簡単に受け入れるような人間は、僕は信用出来ないけどな。どうしてそんな案件を持ってくる? 自分たちで処分出来ないからでしょう?」

「そうですよね、間違いなく成功する安全な案件なら、のっかりますけど、あまりにもハイリスクハイリターンでは、冒険に値するかどうかなんて、人生を賭けてなんて、出来ませんよ」

高橋氏は笑う。

「絶対儲かる、損はさせません。それは、相手に損をさせることで、自分たちが儲けるから。よくある詐欺師の手口だ」

彼に同調して、宮下も笑った。

まぁ、当然そう思うだろうな、俺だって、そんな冒険はゴメンだ。

「当たり前ですよ、そんなこと、するわけないじゃないですか。僕は今、確かにアースガード研究センター所属になっていますけど、元は外務省所属の官僚ですよ」

俺のお守り、心の支え、外務省の職員証を見せる。

「有効期限、切れてますけど」

ほほぉ~と、二人は感心したようにその職員証を見た。

「なるほど、危ない橋は、渡らないタイプなのですね」

「もちろんです」

「分かりました。それなら信用しましょう」

高橋氏の言葉に、宮下もうなずく。

「本当に、大丈夫なんでしょうね?」

二人の冷ややかな目が、静かに俺の体温を静かに下げていく。

「僕は、自分でヘタなリスクを負うような人間じゃありませんよ。勝算のない試合は、初めからやらないタイプです。あなたたちも得意でしょ? ノーリスクハイリターンな作文を書くのって」

「まあね」

高橋氏は、翔大の資料を机上に投げ捨てた。

「センターの連中は、そういうことを考えてませんよ。とにかく、実験や研究のことしか頭になくて、他に目の回らない連中です。

こちらに都合よく動かすことなんて、簡単ですよ。読解力もなければ、コミュニケーション能力も低い。同じ所をぐるぐる回ってて、前に進もうという気持ちがない。

自分たちの立場を、明確に言語化できない連中が、我々の創作作文に、太刀打ち出来るわけがない」

「理系バカってやつか。コントロール、可能ですか?」

「中を知ってる僕が言うんです。僕がリスクを負うと思います? 負わずにやってみせますよ」

「分かりました。そこまで言うなら協力しましょう」

高橋氏が立ち上がり、手を差し出した。

俺はそれをしっかりと握りしめる。

宮下氏とも、同様に握手を交わして、霞ヶ関を後にした。

これでもう、大丈夫。

すっかり日の暮れた官庁街は、ここが都会の真ん中かと疑うくらい、人気がない。

俺は、スマホを取りだした。

「もしもし?」

「何の用?」

電話に出たのは、香奈さんだった。

「栗原さんはいますか?」

「今は寝てる。もう少し、寝かせてあげて」

秋口の空は冷たくて、俺の手と声が震えているのは、この妙な北風のせいだ。

「俺、今日、いっぱい嘘をつきました。嘘をたくさん吐いたんでけど、こんなことが言えるのは、安心して立てる足場があるからなんです」

電話口の彼女は、ただ『うん』とだけ言った。

「だから、俺がたくさん嘘をついても、平気なんですよ。知ってました?」

「そんなの、知るわけないじゃない」

笑えるよな、これだから、正直な連中は嫌いなんだ。

「栗原さんに、よろしくお伝えください。体を大切に、無理をしないでって。僕は今日は、このまま家に帰ります」

「お疲れさま」

「お疲れさまでした」

体は寒くて震えているけど、頬だけは火照ってすごく熱い。

久しぶりだよな、こういうのもさ。


第24話 侵入経路

数日後、内閣府役人の高橋氏から連絡があって、俺と文科省役人の宮下と一緒に呼び出された。

待ち合わせ場所は、東京市ヶ谷、防衛省本部前。

正門の目の前にあるビルの影に身を潜めて、様子をうかがう。

マジか。

「あの、なにやってるんですか?」

「シーッ! 声がでかい!」

物陰からのぞき込む高橋氏の背中を見下ろす。

彼はあくまで真剣だった。

「言っただろう、ここは官庁街の常識が通じない、極々特殊な機関だ」

「難攻不落の要塞ですよね」

宮下は、とにかく高橋氏の言うことなら、なんでも従う。

誰よりも早くやって来て、彼のために飲み物まで用意していた。

そういうところに、抜かりはない。

しかし、防衛省はデカい、とにかくデカい。

正門前に立ち並ぶバリケードと警備員の数、そよぐ植え込みの木々が、この先の困難をあざ笑うかのようだ。

「あの、まさか忍び込もうっていうワケじゃないですよね」

「お前は気でも狂ってるのか?」

高橋氏は、信じられないといった体で、信じられないような顔を、俺に向ける。

「そんなことをしてみろ、一族郎党、皆殺しだ」

ため息が出る。で、どうするつもりだ。

てゆーか、さっきからずっと、防衛省の警備員に睨まれてるような気もする。

絶対バレてるよな。

「やはりここは、人脈を辿るのが、常套手段ではないでしょうか!」

文科省宮下が、上官高橋氏に進言する。

「ツテは、最大の武器でございます!」

「おぉ、そうだったな」

彼はスマホを取り出すと、電話帳をスライドさせ始めた。

「しかし、防衛省幹部となると、防衛大学校出身者でないと、話しにならないな」

「さすがに、僕は防衛大の出身ではありません。すいません」

宮下も、スマホの電話帳を探る。

どうも、この二人に防大出身者の知り合いはいないらしい。

俺だっていねーよ。

仕方なく、俺もスマホを取りだして、友達を探すフリをする。

「だけど、防大出身者だけが防衛省に入ってるわけじゃないですよね」

俺がそう言うと、高橋氏が答えた。

「それはそうだが、かと言って、自衛隊の関係者で知り合いもいないし……」

「基本、警察官と同様、あんまり自分の職業を積極的に言いたがりませんよね、彼らって」

宮下の言葉に、ふと俺の手が止まった。

「そうだ、別に大学じゃなくても、高校の同級生とか、知り合いで防衛省関係って、いないのかな」

「それだ!」

高橋氏のテンションが跳ね上がった。

「俺は泣く子も黙る超有名男子校K高の出身だ。そこの同窓生の知り合いなら、知り合いの知り合いで防衛省関係の人間がいるかもしれない」

「さすがです、高橋さん!」

残念なお知らせだが、この世はやっぱり学歴社会で出来ている。

賢い人が賢い大学に入り、賢い人達とお友達になって、お友達同士で世界を回している。

知らない人より知ってる人。

全く知らない他人同士で、信頼関係を築くのは、非常に難しい。

俺は中卒で会社を立ち上げ、億を稼いでるって? 

すばらしい。

そういう人は、並の人間ではないので、また別の才能をお持ちの方々だ。

ツテというのは別に有名大学出身でなくても、結局は地元の高校や、大学出身者で同人会があるってゆう、アレだ。

会話の糸口として、入りやすい。

そんなものに関係なく、仕事も生活も、何の不自由もなく生きてるって? 

それならそれで、とても幸せな人だと思う。すばらしい。

俺だって、本当はそれが本来あるべき姿だと思うよ。

だけどさ、出身の学校や地元が一緒って聞くと、それだけでちょっとうれしくなっちゃうもんだろ? 

どんなに嫌いな奴でもさ、人間って、やっぱそういうもんだと思うんだよね。

この俺でも、自分と似たような共通点のある人に、親近感を覚えるのは、不可抗力だ。

自分の好きなアーティストやスポーツチーム、漫画アニメのキャラが、同じように好きな奴に、悪い奴はいない! って、つい言っちゃうだろ? 

よくよく考えてみれば、そんなことは全く関係ないんだけど、そのアーティストやチーム、キャラ名が、出身校の名前に置き換えられただけだ。

『採用昇任等基本方針に基づく任用の状況』というものがあり、国家公務員法(昭和22年法律第120号)第54条第1項に、その規定がある。

平成24年度の資料だが、多様な人材を確保しているということをアピールするために、採用候補者名簿による採用の状況が公開されていて、

それによると、平成24年度の採用者の多かった大学・学部等出身者の採用者全体に占める割合は、やっぱり東大が一位。

毎年毎年、問答無用のナンバーワンだ。

彼らにとって、多様な人材の採用とは、東大内での話しらしい。

まぁ、こんなことを言っても、勉強して総合職試験に受かれば問題ない話しなのだが。

俺みたいに。

しかし、これ見よがしに出身大学限定の身内ネタあるあるなんかで盛り上がられると、イヤミにしか聞こえないな。

これも、僻みってやつか。東大万歳、学歴万歳だ。

庶民は庶民らしくあるべしとは、どっかのエライさんのお言葉。

知らんけど。

そういう意味では、官僚なんかよりも、政治家の方が、バラエティに富んでいる。

元アイドルとかね。

と、いうわけで、例外なく東大出身の高橋氏は、その他組の俺や宮下さんと違って、知り合いやツテが多い。

すばらしい。

「よし! 俺の剣道部の後輩の先輩の知り合いで、財務省にお勤めのお友達が海上保安庁にいて、その親戚の奥さんのお友達の先輩にあたる人が、防衛省の一般職、事務官に、高校の部活の先輩の後輩としているらしい!」

「それのどの辺りが、知り合いって言えるんですか!」

「さすがです、高橋さん! やっぱり東大出身者って、凄いですよね~!」

高橋氏は、得意げに胸を張った。

「まぁな、これが実力ってもんだ」

「さすがです! やっぱり偉い人って、違うなぁ~」

宮下氏は、恐れ入ったように頭をぽりぽり掻いてる。

「さっそく連絡を取った。さすがに俺たちが防衛省の中に入るのは、簡単にはいかな
 いらしいが、昼休みに出てきてくれるらしい」

「今流行の、ランチミーティングってやつですね! さっすが、かっこいいです! 
 俺、そういうのにずっと憧れてました!」

宮下さんは、すかさずこの近辺での空いているランチの店を予約して確保した。

すばらしい。

要するに、会えればいいんだ、俺としては。

なんだっていいし。

大事なのは、そこだ。


第25話 56分以内でお願いします

防衛省、事務官である野村忠治氏が現れたのは、予告された時間ぴったりの午後12時8分だった。

「仕事がありますので、お話は食事も含めて56分以内でお願いします」

昔ながらの喫茶店ランチ、薄暗い店内と重厚な木のテーブルに肘掛け椅子、宮下氏が、すかさずスマホのタイマーを56分にセットして机上に置くと、高橋氏は腕組みをして野村氏を見下ろした。

「防衛省は時間にも厳しいんですかね、うちはそこまで言われませんけど、仕事での裁量は比較的自由でしてね」

俺は、翔大の資料を取りだす。

「これが、NASAから送られてきた資料です」

「NASA? アースガードセンターといえば、確かNORADと関係が?」

「そうです、正確にはNORADからの連絡ということになります」

「北アメリカ連合防空軍と言えば、コロラド州ですよね、ロッキー山脈、行ったことありますか? 僕はありますけどね、いいところですよ」

「うわ~、本当ですか!? いいなぁ~!」

「アメリカ空軍がなにか」

「空軍が問題なんではないんです。日本でも、ミサイルの発射を検討していただきたい」

「国防として、ですか?」

「おいおい、杉山くん、いきなりそんなお願いは通じないよ、いくら彼が防衛省の事
 務官とはいえ、文民統制、やっぱり内閣府の許可がないと。最高指揮官は内閣総理大臣であって、最終決定権はやっぱり内閣府にあるんだよ」

「ですよねぇ~」

「最悪、アメリカの協力は得られると思っています。ですが、最大の被害を被るであろう、日本の政府が動かないことには、アメリカの支持も得られません」

「外交問題は外務省の権限であって、防衛省にはないんだよ、もちろん、内閣府から外務省に指示することは可能だと思うけどね、内閣府だから」

「やっぱり、そういう仕組みですよね!」

「高橋さんのおっしゃる通りです。私たちは、命令されれば動くだけですから」

「そうだよ、内閣府総理大臣が、最高指揮官なんだから」

「いよっ! 総理大臣!」

「その指示は、高橋さんが取ってくれます」

俺が高橋氏を振り返ると、彼は眉をしかめた。

「そんなに簡単にお願いされても、そう単純に返事はできるもんじゃないよ」

「ですよねぇ」

「防衛省としては、内閣府の指示がないと動けません」

「まぁ、国民の安全のためになら、全力で働くつもりですけどね!」

高橋氏が高らかに笑い声を上げると、宮下氏も一緒に笑った。

「ですので、私からは、これ以上なにもお返事することが出来ません。私は一介の事務官ですから」

「まぁ、そんなにご自分を卑下なさることはございませんよ、十分立派なお立場ですから、防衛省の事務官と言えば! ま、俺は内閣府詰めですけどね!」

「そうですよねぇ、やっぱすごいなぁ!」

本日の日替わりランチが運ばれてきた。全く同じものが4人分。

スマホのタイマーは、残り42分。

「僕が、防衛省の幹部と会って、お話することはできませんか? この資料を野村さんに本日全てお渡しするとして、上の説得は可能ですか?」

「説得も何も、内閣府を説得すれば、いくらでも防衛省は動きますよ。そういう組織図なんだから」

野村氏は、翔大の資料を手に取った。

「私はこれを受け取り、中の人間にお話するだけです。それだけです」

「僕が、直接お話することは?」

俺は、みそ汁をすする野村氏を見上げた。彼は何一つ動じなかった。

「必要があれば、連絡します」

「あぁ、僕の連絡先は分かりますよね、そう言えば名刺の交換もまだでした」

高橋氏が名刺を取り出そうとするのを、野村氏は手の平で制した。

「必要があれば、こちらから連絡します」

「あ、僕、高橋さんの名刺、もう一枚いただきたいと思ってたんですよ、よろしかったら、いただいちゃっても、いいですかぁ?」

「はは、仕方ないな、あんまり、あちこち配るなよ」

宮下氏は、行き場のなくなった高橋氏の名刺をありがたく受け取った。

「翔大の詳細なデータは、こちらからお送りします。ミサイルの発射のタイミングと、その計算を、ぜひアースガードセンターと連携していきたいんです」

「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」

「日本の総人口の、約45%の命がかかっています。国民の財産と生命を守るのが、防衛省の勤めでは?」

「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」

皿に盛られたナポリタンスパゲティの、半分が既に無くなっていた。

残り23分。

「我々は、ロケットの打ち上げは出来ても、ミサイルは撃てません。ぎりぎりになっ
 てから、やっぱり協力は出来ないと言われるのが、一番困ります。
 ミサイル発射技術と、ロケット発射技術と、どちらで翔大の粉砕が可能とお考えで
 すか?」

野村氏の、サラダを口に運ぶ箸の動きが止まった。

「おいおい、いくらなんでもそれは言いすぎじゃないのかな? 君たちの所属は、あくまで内閣府、文科省、なのであって、内閣府、防衛省、の、防衛省を刺激するもんじゃないよ、あくまで、内閣府の指示がないと、君たちは結局、何にも出来ないんだからね」

「ですよねぇ」

「だから俺がここに来て、わざわざ橋渡しをしてやってるんじゃないか」

「恐れ入ります」

俺の代わりに宮下氏が頭を下げた。残り13分。

食後のコーヒーが運ばれてきた。

「地球は自転しています。日本が1発目、ヨーロッパで2発目、アメリカで3発目、もしかしたら、他の国の天文学者が動いてくれれば、もっと協力が得られるかもしれません。これは、人類が初めて世界的に協力して立ち向かう、一大事業になるかもしれないんですよ」

野村氏は、コーヒーにたっぷりの砂糖とミルクを加えると、一気に飲み干した。

「そこに参加するのは、僕たちアースガードセンターの、衛星打ち上げ用小型ロケッ
 トですか? それとも、自衛隊の弾道ミサイルですか?」

「だから、自衛隊の最高指揮官は、内閣総理大臣だって言ってるじゃないか、内閣府
 の指示があれば、防衛省は動くんだよ」

「分かってないですねぇ、やっぱり彼は」

野村氏は立ち上がって、伝票の金額を確認する。

彼は、財布から額面通りの金額をテーブルの上に置いた。

「あなたのお気持ちはお預かりいたしました。報告はしておきます」

俺が用意した翔大の資料を手に、彼は店の扉を開けた。

扉につけられた鈴が、カラカラと音を鳴らすと同時に、テーブルのスマホが56分を経過したことを知らせるアラームを鳴らす。

俺は、大きく息を吐いて、固い肘掛け椅子に体を沈めた。

「おいおい君たち、何にも口にしていないじゃないか、早く食べなさい」

高橋氏に言われてテーブルを見ると、舐めたようにきれいに食事を済ませてた野村氏のお盆と、ほぼ食事を終えた高橋氏のお盆が並んでた。

「じゃ、俺たちもいただきましょうか」

宮下さんがそう言って、にこっと笑って初めて自分の箸を手に取った。

「そうですね、食べちゃいましょう」

やるべきことはやった。後は、連絡を待つのみ。

ナポリタンスパゲティは、何の味もしなかった。


第26話 きみとぼくの重力圏

翔大こと、shortar 2018 NSKは、今も宇宙空間を秒速20kmで地球に向かってやって来ている。

そんなに急いで俺に会いたいのか、かわいい奴だな。

だけど、困った子だ。

緊急国際会議で、打ち落とすことが決定した。

しかし、その手段は未決のままで、各国との国際連携もはっきりしていない。

日本では、俺がなんとか話しをつけようと努力しているけど、これがアメリカとかなら、サクッと話しが進んでたりするのかなぁ。

よそんちの事情は、俺には分からないけど。

もし、現在ある長距離弾道ミサイルで翔大を迎え撃つとしよう。

そもそも、なんでそんな長距離を飛ばせるのかというと、実は目的を持って飛ばしているのではなく、基本的に高く上に飛ばして、そこからの自由落下で飛距離を稼いでいるのだ。

打ち上げる位置と角度だけ計算に入れて、後は物理の慣性の法則。

すごいもんだ、科学って。

大陸間弾道ミサイルだとか、ICBMだとか、もったいぶった名前がつけられているけど、要は、古代の大砲から鉄球を打ち出す仕組みと何も変わっていない。

で、現代のその最高到達地点は、地上から1,000から1,500km程度に達する。

つまり、翔大を迎え撃つ限界が、地上1,000kmってことだ。

1,000kmといえば、東京から九州鹿児島の種子島、

北なら北海道のサマロ湖とか紋別、網走あたりになる。

東京から、その距離で翔大を迎え撃つ。

翔大は秒速20km、1,000kmの距離を、50秒、約1分で移動してくるんだぜ。

ちなみに地球は大気圏という空気の層で守られている。

地上に隕石がめったに落ちてこないのは、この大気圏が地球を覆って、守ってくれているからだ。

地球にやって来た隕石は、地上に落下する前に大気圏内で燃え尽きて消滅する。

その大気圏の厚さは、実は100km程度しかない。

100kmって、東京から富士山、大阪から淡路島の南端、福岡からなら熊本とか長崎、札幌から室蘭、登別あたりの距離だ。

カーマン・ラインという線引きが国際航空連盟によってされていて、海抜高度100 km以上が宇宙空間、それ以下は地球の大気圏内と決められている。

流れ星は、地上約110kmくらいの熱圏と呼ばれる宇宙空間から熱を帯び光り始め、大気圏内の中間圏という80km程度の距離で燃え尽きる。

そう思うと、流れ星って、案外手の届く距離までやって来てるんだよな、

いや、手を伸ばしても絶対届かないけど。

俺たちの作戦はこうだ。

ミサイルの届く、出来るだけ遠い距離で翔大を可能な限り細かく粉砕する。

地上1,000kmから150kmくらいまでの距離が勝負だ。

時間にすると、42.5秒しかないけど。

そこまで考えて、俺はふと疑問に思ったことを口にする。

「あの、翔大が地球に落下する前に、軌道をずらしてお取引願うことって、できない
 んですかね。地球の引力で、翔大が引きつけられて落ちてくる前に、あっちにいけ
 よっていう」

「それは、『重力圏』のことを言っているのかな?」

 栗原さんが言った。

「重力って言うのはね、距離の2乗に比例して、弱くなりながらも、無限に影響する
 んだ、無限にね」

「宇宙の端まで?」

「宇宙の端まで」

 君と僕は、重力で常に引かれ合っているっていう、アレか。

「ま、君が言いたいことは分かるよ、なぜ月が落ちてこないのかってやつだろ。月までの距離は38万kmで、大体その、いわゆる地球の重力が影響を及ぼす距離は26万kmぐらいまでなんだ」

「じゃあ、月より向こう側で軌道を変えないと、意味がないってことですか」

「そうだね」

月までロケットを飛ばせるのなら、それも不可能でないような気がしないでもないけど、でも、今から約2年後、それまでにそんなロケットを作って飛ばせるかどうか疑問だ。

一時、一世を風靡した探査機はやぶさのイトカワへの着陸だって、当初は4年計画だったのが、7年に延長されている。今回は、それの半分だ。

「軍事用人工衛星みたいなので、レーザービームで破壊、とか?」

「それこそ、国家の軍事機密に関連してくるから、俺たちではどうしようもないよ」

 夏の日が沈む。夕暮れの空に、一番星が輝いた。

「しまった。ガンダムとか、AKIRAのSOLみたいなのを、俺が作っておけばよかった」

 俺がそう言うと、栗原さんは笑った。

「無理だろうね、基本、人間が作る軍事用衛星って、常に地球に向けて、つまり人間
 に向けて作られているものであって、それは外に向かって発射されるようには、出
 来ていないからね」

「人間の作ったものは、人間を対象にしてるってことですか」

「気象衛星なんかも、そうじゃないか。衛星を使った道路ナビなんかも、結局は内向
 きだからね。もちろん、天文観測用の衛星も打ち上げられているけど、あくまで観
 測であっって、今回の件に関しては、残念ながら無力だ」

 そう、翔大の一番の問題は、時間がないということ。

「四つ割れ作戦で、なんとかなりますかね」

「今、世界の天文学者が、総力をあげてショウターの成分分析を行っている。大気圏
 内で消滅させるためには、ショウターの主成分が、何で出来ているかが問題だ。

 それによっては、4つでは不可能かもしれないし、大気圏への、進入角度も計算に
 入れなければならない」

夏の夕暮れ、赤い日差しは、太陽光の可視波長が、空気中に散乱しないで赤い色だけが残ったから。

日没の1分前には、実はもうすでに太陽は沈んでいて、人が見ている夕焼けの太陽は、屈折効果による単なる幻なんだって。

「大事なものは、目には見えないんですね」

「そういうこと」

この空に浮かび、地球に向かってきている翔大も、今は見えない。

夕焼けの太陽も、実は存在していない。

人間は、この世で起きている事柄の、ほんのわずかなことしか、見えていないんだ。

今目の前にいる栗原さんも、実は原子の集合体で、たとえ人工培養で脳も臓器も神経も、全て手作りして完璧につなげ合わせたとしても、それが命を持つことはないんだって。

「見えないって、いいことなんですかね」

「でもね、人間は、見えていなくっても、知ることは出来る生き物なんだよ」

そう言って、栗原さんは笑った。

そうだ、翔大は目に見えなくても、俺はそこに翔大がいることを知っている。

この俺自身が、ほぼ炭素原子の集合体であっても、生きていることを実感できる。

知っているって、すばらしい。

そうだ、大事なものは目には見えないって、星の王子さまが言ってたんだ、
サン・テグジュペリだ。

星の王子さま。やっぱり星だった。


第27話 進捗状況



当然なんだと思う。

それを頑張ったからといって、直接的に自分の懐にいくらかの金が転がりこむわけでもない。

経営者ではないから、頑張ってもカネに変わるとは限らない。

いつでも上層部の関心は別にあって、働くことは楽しみでも趣味でも、生きがいなんかでもない、金儲けだ。

それも分かる。

特に役所の仕事なんてのは、営利目的の仕事ではないので、それでカネを生むわけでもない。カネを生まない仕事は仕事じゃないし、プロとは言い難い。

「こんにちはー」

アースガード研究センターに、突然の来訪者があった。

文科省役人の、宮下さんだった。

「うわ、どうしたんですか、突然」

「え? いやぁ、監督官庁として、抜き打ち視察に来てみた」

そう言って恥ずかしそうに笑う彼は、多分そんな口実でも作ってみなければ、ここへ来られなかったのだろうと思う。

「お久しぶりですね、お元気でしたか?」

「なんだよそれ、イヤミ?」

彼は笑った。

アポ無し監督官庁からの急な来局に、香奈さんやセンター長はすっかり慌てふためいている。そんな、気にすることないのにな。

「書類の申請は、進んでいますか?」

「やっぱり、それが気になるよね、俺もそうなんじゃないのかって、気になっちゃってさ」

その後、防衛省の野村氏からの連絡は一切なく、内閣府の高橋氏とも連絡をとれていない。

そもそも、こちらから何かを言える立場ではないのだ。

『どうなっていますか?』

『進んでます?』

立場上、下のものが上に意見や催促をするのは、非常に勇気がいる。

どれだけ社長や上役が、フレンドリーに接してきたって、それは下の連中が、そうやって接しているからだけのことなのに。

それを、さも自分の人柄のように語られるのを、どれだけ苦い思いで聞いているのか、華やかなだけの存在だなんて、そんなものはありえない。

いつだって、顔は笑っていても、誰しもが腹の中では、黒やグレーの渦を抱えて、それでも円滑に事が進むように努力している。そういうもんだ。

「来年度の予算編成が、本格化しているからね、それどころじゃないんだよ」

「まぁ、そうなんでしょうね」

本当は、何よりもそこに、一番に組み込んでほしい内容だったんだけどな、俺たちのような、なんの繋がりも伝統もコネもないような連中には、これ以上手の打ちようがない。

国の予算編成ってのは、昨年度の予算案が通過した時点で、もうすでに始まっている。

5月末には既に来年度の予算請求額を各省庁が決定し、総務課に提出する。

そして8月には、各省庁が財務省に概算要求するのだ。

俺が内閣府の高橋氏にコンタクトをとれたのが6月、

防衛省の野村氏とのランチが7月、

通常の予算編成に、翔大迎撃作戦の費用が組み込まれているとは考えにくい。

同じく8月には、財務省からの予算限度額も発表されているし、何かと緊縮が叫ばれている中での、新たな予算獲得は、難しいのだろう。

国家予算というのは、もちろん財務省で編成するのだが、実は予算編成の基本方針というのは、内閣府が決定し、その方針に従って財務省が予算を組む。

これは、財務省に好き勝手にさせないための一種のチェック機能だ。

そういう意味では、内閣府の高橋さんを味方につけた(?)ことは、大きいんだけど……。

「高橋さん、どうしてるんでしょうねぇ」

「さぁ、今が一番忙しい時期だからねぇ」

12月には、財務原案が発表され、そこから復活折衝が始まり、最終予算が国会に提出される流れだ。

この通常ルートに翔大の予算が入ってないとすると、残る可能性は補正予算ということになる。

そもそも、最初に提出された予算通りに、カネが使われることはほとんどない。

国の借金がーなんて、叫ばれてもう何年も経っている。

それなのに、一向にその解消がされないのは、本気で削減しようという気がない政府と国会議員の怠慢だ。

もう何年も同じことをくり返しているなんて、学習能力もないに等しい。

実はこの補正予算ってやつが、国の借金の正体だ。

緊急の災害復興費用に組まれる補正予算を国債でって言われたら、まぁ仕方ないかと思うけど、景気刺激策に使われる大型補正予算ってどうなの? 

どれだけの予算獲得を引っ張ってきたのかを自慢するより、江戸の殿様みたいに、質素倹約を自慢すればいいのになぁ。

生めないカネを生んで、なにがプライマリーバランスだ、赤字半減目標だ、テメーの体脂肪の方を気にしてろ。

それでも、翔大迎撃費用は欲しいんだけどね、しかもたっぷり。

そりゃ誰だって、自分のところにカネは欲しいよな。

キレイなことばかりを言って、自分の保身のために動くことは、反吐がでるほど気持ち悪い。

だけど、自分の身を守るためには、そうやって反吐が出るほど気持ち悪い、気持ちの変革を、どうしてもやりとげなくてはいけないのだ。

それを負けとして見るんじゃない、現状の改善のために、前向きに捕らえてゆくんだなんて、頭では分かっていても、それが一番の良策だと知っていても、気持ち的に複雑になるのは、どうしたって避けようがない。

オカネをください。

翔大を打ち落とすためのオカネなんです。それは、自分のためなんかじゃなくって、日本国民、いえ、強いては全世界人類を守るための、平和的な予算なんです。

決して、天文学発展のためだったり、ましてや軍備増強のための、予算なんかじゃありません。

「とにかく、連絡を待つしかないよね」

宮下さんが立ち上がった。

彼は、それを伝えるためだけに、わざわざ来てくれたのだろうか。

センターの人間が、総出で彼を見送る。

イヤだよ、やりたくないよ。

どうした自分、昔の俺は、そうじゃなかっただろ、
言いたいことは言ってやれ、もっと本音をさらせよ、
本気だせよ、自分を誤魔化してんなよ!

なんて言えるのは、二次元の世界だけでしかないということを、身をもって知るのが、ちょっとはオトナになるっていうか、社会人なんじゃねーのかな。

お前が言うなって? しらねーよ、バーカ。

とにかく、カネをくれ。


第28話 You are my only shining star

さらに2ヶ月が過ぎた。もう11月だ。

内閣府の高橋氏からは、一切なんの連絡もない。

こういう時って、やっぱり接待みたいなことをして、内情を聞き出したり、きっちり予算に組み込まれるよう、頭を下げに行った方がいいんだろうか。

しかし、ここでの一番の問題は、高橋氏はあくまで内閣府の人間であって、財務省の人間ではないし、そもそも彼にそんな権限があるのかどうか、はなはだ疑わしい点だ。

この時期の財務役人なんて、本当にキレッキレだからな、触るもの皆、傷つけるどころか、全員なぎ払いのうえ、即刻打ち首だ。

余計なことをしない方が、いいような気がする。

2008年10月7日の協定世界時2時46分、日本時間11時46分に、人類史上初、大気圏突入前に発見された天体がある。

後に280個、約4kgの破片が回収され、アルマハータ・シッタ隕石と名付けられた2008 TC3だ。

前にもちょっと触れたけど、発見されたのは、大気圏突入の20時間前、その後、スーダン北部の上空で、秒速12.8kmの速さで突入し、爆発、消滅した。

推定された直径は2mから5m、推定質量は約8トンだから、翔大に比べれば、はるかに小さい。

そもそも星って奴は、光っていないと発見出来ない。

有名なハッブル宇宙望遠鏡や、日本のすばるなんかも、対象とする星が光っているから観測出来るのであって、光っていなければ、どんなに近くても見ることが出来ない。

ハッブル宇宙望遠鏡の観測出来た最も遠い銀河が133億光年先の銀河でも、根暗な星なら1光年先でも見えないのだ。

輝いとけ自分、光っとけ、俺。

どんな凄い望遠鏡をもってしても、キラキラしてないと、認識してもらえないのだ。

キラキラしとけ、お前もな。

2011 CQ1というやつは、発見から14時間後に、地上から5480kmの地点を通過していった。地球の半径が6378kmだから、もう本当の大接近だった。

最短接近記録の持ち主だ。

地球に接近しすぎて、その重力による影響で、飛行軌道が60°もカクッと折れ曲がり、軌道が変化した。

そう、隕石って、まっすぐ地球に向かって飛んで来るわけじゃない。

常に地球の周りをぐるぐる回っていて、旋回しながら落ちてくる。

色々と悩んだ末に、巡りめぐって落ちてくるわけだ。

迷ってないで、まっすぐ進んどけ、お前もな。

翔大は幸い、キラキラした輝く星だった。

だから見つけてもらえたし、発見も出来た。

この2008 TC3ってやつは、ダイヤモンドを含む珍しい隕石だった。

どんな星でも、光っていないと観測できない。

つまり、何事も光りが頼りだ。

それは逆に言うと、地球の影に入ってしまえば、観測出来ないということ。

自ら光りを放つ星として有名なのは、太陽。

太陽の光を受けて反射しているのが、翔大たち。

キラキラしてるっていったって、自分一人の力で輝いているわけではない。

誰かがそばにいて、何らかの事象があって、光り輝くものだ。

それは、引き立て役が必要って言ってるわけじゃないからな、自分を引き立てる出来事が必要って話しだ。

照らしてくれるような出来事がないと、どんな立派な奴だって、輝けない。

俺みたいに。

「高橋さ~ん、最近どうですかぁ?」

直接会う勇気はなかったけど、直で電話してみた。

メールだと返事がすぐには返ってこないだろうし、忘れられたり、無視される可能性もあるからだ。

電話して怒られたら、すぐに切ればいい。

「どうですかじゃないよ、もう全ての作業が中断中だ!」

「は? なんで?」

「なんでじゃねー」

聞けば、現国会が大紛糾中だと言う。

「どういうことですか?」

「お前、ニュース見てないのかよ」

「見てますよ、主にエンタメとスポーツですけど」

「せめてトップニュースぐらいは見とけよ、ついでに政治と経済も」

聞けば、現総理大臣のヅラが、国政調査活動費として、経費で落とされているという疑惑が浮上し、大問題となっているらしい。

そのことをキャッチした野党議員が、明確な説明を求めて、議会でのその他の審議を全て拒否しているそうだ。

さらには総理が、『自分はヅラではない。例えそうだとしても、ヅラの費用は私費で購入している』と発言したことによって、事態は一層最悪の様相を呈した。

総理の頭髪はヅラか自毛かで激しい言い争いとなり、総理は審議発言をプライベートな内容として拒否、はたして総理の行動は私人か公人か、ヅラか自毛かで、国会審議が中断、この先の見通しが全く立たないという。

「俺はね、頑張って法律案を出したんだよ、予算つけるための!」

「ありがとうございます」

「それが総理のヅラ問題でな……、まぁ、気になる男にとっては、大切な問題だか
 ら、イカンとも言い難い。ましてや身だしなみも問題となる一国の総理大臣外見問
 題、国会審議で紛糾するのも仕方が無い」

「ですよねぇ~」

 と、言っておく。

「でも、こんな短期間で内閣提出法案をつくって、法制局参事官にオッケーもらえた
 んですか? 凄いですね、さすが」

「ま、『こんなのを将来つくるための準備をしましょうや』っていう、法律案だから
 な、あくまでも」

 そういう彼の声は、電話越しでも得意げだ。

「即席だったけど、極秘なんだろ? そういうのはな、得意なんだよ」

「頼りになります」

思わず口元がほころんで、改めて礼を言ってから電話を切った。

流れが変わったら、向こうから連絡してくれるらしい。

話しが終わってしまうと、俺はまたすることがなくなって、狭いセンターの片隅で、一人デスクにポツンと座っている。

ぼーっとしていたら、ふと香奈先輩の視線が、俺にあることに気がついた。

「なんですか?」

「何でもないよ」

翔大の観測、分析に忙しいセンターの連中に変わって、実験助手的な役割も引き受けている香奈さんが、じっとこっちを見ている。

「俺の顔が男前過ぎて、見とれてました?」

「それだけは違うと、はっきり断言しておきます」

「相変わらず冷たいなぁ、もっと素直になればいいのに」

俺は額を机の上にゴンとのせて、香奈さんを見上げる。

やることのなくなった俺は、また窓ぎわ仕置き部屋社員に逆戻りだ。

「まぁ、意外とよく頑張ったとは思ってるよ」

「惚れ直しました?」

「少なくとも、マイナスからゼロにはなった」

これ以上また何か言うと、首を絞められるか、蹴飛ばされそうだけど、そう言えば最近はそんな暴力も受けてなかったな。

「もう、蹴飛ばしたりしないんですか?」

「ケトバサレタイノカ、コノヘンタイヤロー」

 香奈さんが変な言い方をするから、俺が笑って、彼女も笑った。

「俺は分析のお手伝いは出来ないので、行ってあげてください」

「あんたも、国会承認がとれれば忙しくなるんだから、今のうちに関連する法規の、
 勉強でもしておきなさい。私、あぁいう細かい文字は、苦手なの」

そう言って目の前に置かれたお茶は、俺専用の湯飲みで、淹れたての温かいお茶だった。立ち去る彼女の背中を見つめながら、ありがたくすする。

相変わらず、優しいにおいがした。


第29話 開戦前夜

総理のカツラ疑惑に端を発した公費流用問題は、その後も長期にわたり、もめにもめた。

総理行きつけの床屋の主人が、『ついに真相を告白!!』なんて、肯定と否定の様々な記事が週刊誌を賑わせ、業務上知り得た顧客情報の守秘義務違反に当たると主張する与党と、政府主導による検察からの圧力によって、理髪業界全体が被害を被ったうえに、個人の自由な発言を阻害する民主主義への反逆だと、野党は応戦した。

この両陣営は、とにかくもめ事を起こして、混乱させるのがお仕事らしい。

結局、秋の臨時国会は空転を余儀なくされ、無罪を主張する総理の身の潔白を証明するため、やがてそれはヅラ解散へと発展していく。

こんなことをしている間にも、翔大は刻一刻と地球に向かってやって来ているというのに。

連日の国会前でのデモ報道と、カツラ疑惑の追及ぶりには、呆れてため息すら出ない。

この人達は、もし翔大の問題が公表され、明らかになったら、どんな行動に出るのだろう。

そんな場合でも、やっぱり反対運動を起こしたりするのかな、それとも、一致団結して、めちゃくちゃ協力してくれる、心強い味方になるのかな。

もしかしたら、一切興味関心を示さず、報道も全くなかったりして。

それもありえない話しじゃない。

まあ、大抵の事実ってのは、マスコミに載る方が全体のごくごく一握りの出来事なんだけど。

この世には、自分の知らない出来事がたくさんありすぎるし、その全てを知ることも不可能だ。

衆議院議員選挙の当日、俺は、もし野党に一票を投じたら、世の中は一体どう変わっていくのだろうと思いつつも、翔大迎撃作戦のため、センターと防衛省の連携協定に関する法律を内閣府から法案として提出をお願いしている立場上、与党にしか投票しようがなかった。

本当は、気持ちとしては野党に投票したかった。

総理、自分の頭髪に自信を持て、総理がハゲだろうが、そうでなかろうが、国民は頭髪によってその人の能力を判断しているワケではない。

もっと堂々と、自由に生きて欲しい。

その辺の主張は、大いに野党に賛同している。

しかし、やっぱり俺は、与党に投票した。

その日の夜、俺は狭いアパートの自室で、一人ビールを飲みながら選挙速報を眺めていた。

今回の選挙だけは、どうしても与党に勝っていただかなくてはならない。

世論調査の予測はどこも五分五分。

ヅラ解散なんかで、本当に決定を遅らせている場合ではないのだ。

もし野党が勝ったら……、官僚も全員交代なんてことは資格任用制の日本じゃないだろうけど、法案の作り直しと、人脈をイチから立て直すのには、面倒くさすぎる。

翔大は待ってくれない。俺たちには、時間がないのだ。

深夜まで続いた混戦は、翌朝明朝にまでもつれ込み、結局、僅差で与党が勝利を収めた。

テレビの画面で、晴れやかな笑顔を見せる総理の頭髪に、俺の視線はくぎ付けにされる。

そうだよ総理、どっちだっていいんだよ、ちゃんとやること、やってくれてればね。

解散総選挙のあとは、内閣府の長である総理の続投が決定した。

防衛省の大臣は変わったけど、文科省の大臣の継続が発表され、俺はさらに、ほっと胸をなで下ろす。

そう、内閣府の長と、文科省の大臣さえ変わらなければ、翔大迎撃作戦の続行には支障がないはずだ。

報道に出される新内閣発足のニュースが、これほど気になった選挙も、いまだかつてなかった。

俺的にはね。

センターの隅っこで、手持ちぶさたの俺は、ぼんやりネットニュースを見ながら、そんなことばかりを追いかけていた。

そうか、新防衛省長官の好きな食べ物は、いちごかぁ~、趣味は園芸ね、なんて。

目の前の卓上白電話が鳴り、もはや電話番としか機能していない俺の手は、反射的に受話器を持ちあげた。

「はい、もしもし? こちら、アースガード研究センター、杉山ですけど」

「おぉ! 杉山くんか? 俺、俺! 俺なんだけど!」

「あ、オレオレ詐欺ですかぁ? 間に合ってま~す」

受話器を下ろそうとしたその奥から、聞き覚えのある声が響いた。

「俺だよ、内閣府の高橋だよ!」

ついに連絡が来た! 俺は慌てて、受話器にかぶりつく。

「どうなりましたか?」

「オッケー取れたよ。テレビカメラが入っての、大臣初仕事取材の時にさ、書類の順
 番入れかえて、2番目に差し替えておいたんだ。ちらっとめくって、ポンって、ハ
 ンコ押したよ」

 握りしめた拳が細かく震えている。俺はそのまま飛び上がった。

「やったぁー!」

「宮下くんと、野村さんにも連絡しておくから、後は任せたよ。日本の、いや、世界
 の運命が関わっているからね」

ここからは見えなくても、高橋さんの、得意げに親指を立てているポーズが目に浮かぶ。

「はい! ありがとうございました!」

なんだかんだ恥ずかしい理由をつけても、結局ちゃんと動いてくれている。

この人達って、やっぱり基本的には、誰かのために、何かのために、動ける人達なのだ。

それを、あえて正義とは言わない。

俺は受話器を置いた。センターのみんなが、俺を見守っている。

「防衛省との協定案、これから作り始めますよ!」

ここに入局した当時、俺はこんなにも、ここで受け入れられるとは思わなかった。

完全門外漢のはずだった俺にも、左遷先だったはずのここでも、やれば出来ることって、あるんだな。

香奈さんが誉めてくれている。栗原さんが泣いている。

センター長の大きな手が、俺の肩に乗っている。

再び電話がなった。相手は宮下さんだった。

「おめでとう、うまくいったみたいだね」

「ありがとうございました!」

「俺も、監督官庁として手伝うよ。お役所ルールの公文書、君にちゃんと書ける?」

「どういうことですか?」

「公文書というのはな、各官庁、各部局ごとに、使用される書体、文体、文字の用
 法、空欄の入れ方から、ハイフンの位置、漢数字の使用方法、カタカナルールま 
 で、細かく規定されている」

「はい?」

「あくまで例えだ。『この文章の、この空欄は、全角ではなく半角で入れ直せ、英数
 字はCenturyではなく、Helveticaだ』とかいう1ページ目、1カ所だけの理由で、
 300ページにも及ぶ書類を、突き返されたくないだろう?」

「そういう経験、あるんですか?」

「まぁ、俺みたいな公文書のプロとなると、提出された文書を見ただけで、中央官庁
 だけでなく、地方自治体どこの公文書かまで、全て言い当てることができるから
 な」

 お役所仕事って、そういうことか。

「『一人』は『ひとり』で、『払い戻す』ではなく『払いもどす』だ」

「あの、何を言ってるのか、ちょっと分からないんですけど」

「まぁいい。一般人にはなかなか理解の及ばないルールだからな。これは公文書偽造
 防止のための措置だ。見る人間がちゃんとみれば、少なくとも、この書類は『受理
 された書類ではない』というのは、一目でわかる」

「お役所仕事ですね」

「提出資料の作成は、俺がやった方が早いってことだ」

「よろしくお願いします!」

そして、ついに本丸御殿の大本命、防衛省野村氏からの連絡が入った。

「明後日、14時26分にそちらにうかがうつもりだが、実行は可能か?」

「はい、いつでもかまいません」

「いつでもではない。明後日の14時26分だ」

「了解です!」

それだけを確認して、野村氏からの電話は終わった。

「いよいよ、これからが君の本番だね」

センター長の鴨志田さんが、俺に声をかけた。

「はい! 全力で頑張ります!」

ミサイルのことは分からない、空を飛んでくる小惑星のことも、どの角度で、どれくらいの火薬量で、どのタイミングで発射すればいいのかも、俺には計算できない。

でも、俺にだって、翔大と戦うためにやれることは、たくさんあった。

待ってろよ、翔大!


第30話 その日

その日、俺は種子島宇宙センター近くにある、公園に車を停めていた。

ライブ中継や実況放送のある、公式の見学場所ではなかったにも関わらず、普段は静かな公園が、人であふれかえっていた。

天気は上々、夏の天候も、この日ばかりは人類のために、余計な悪さをしなかったらしい。

いくつか設定された実行日のうちの、初日に作戦が展開されることになった。

ミサイル発射に協力を申し出た国の発射台上空は、どこも晴天だった。

本当は、静かな場所で、ゆっくり見学したかったんだけどな、やっぱり、現実はそうもいかない。

激混みの駐車場で、特別に徴収された駐車料金を払ってから、なんとか発射台方面の砂浜に向かって歩き出した。

とにかく、凄い数の見学者だ。

一方では、人類終末論がわき起こり、核シェルターがバカ売れなんて騒ぎもあったけど、まぁ、人類史上、初の出来事であるのには変わりない。

白い砂浜に敷き詰められた、カラフルな敷物の間を、縫うように歩いていると、俺を呼び止める声があった。

「おーい、こっちだよ!」

手を振っていたのは、アースガードセンターの仲間たち。3日前から場所とりしていたというその場所の隅っこに、俺は腰を下ろした。

「連携の影の立役者が、こんなところからの見学でよかったの?」

「俺、発射技術に関しては、全くの無知ですから」

ミサイル発射当日は、種子島宇宙センター全域と、射点を中心とした半径3kmが立ち入り禁止区域に指定される。

中にいるのは、本当の打ち上げ担当技術者たちだけだ。

ぎりぎりまで充電して、予備のバッテリーまで用意しておいたスマホを取り出す。

公式中継がなくったって、これでネット配信の動画を見ればいいんだから、世の中便利になったもんだ。

小さな画面の中の司令室には、栗原さんの姿が見える。

今回の功労者は、間違いなく彼だと、少なくとも俺はそう思っている。

技術者が、持てる知識を持って世界を守る。

彼はその頭脳で、人類を救った英雄だ。

総理官邸には、ヅラ騒動の総理が作業着姿で、ヅラリと各種大臣を並べた災害対策本部を設置している。

回りにも同じような、キレイな作業着姿の官僚たちが並んでいて、その中に、宮下さんと高橋さんの姿を探したけれども、見つからなかった。

どっか、別の実務連絡室とかの個室に、押し込められているのかな。

実質業務を担当するのは、結局そこだ。

野村さんは、防衛省本部詰めだって言ってた。

「ねぇ、センターを辞めるって聞いたけど、本当なの?」

「だって、俺にはもう、ここでの仕事はありませんからね」

「どうするのよ」

「俺、今回の出来事で、気づいたことがあるんです」

国内の準備が整いつつあるころ、同じように、他の国々でも、それぞれの国内事情が整いつつあった。

地球防衛会議の議長国、一人事務長だった俺は、国内体制は栗原さんや宮下さん、野村さんたちに任せて、国際連携の協定に奔走した。

外交官になるのが夢だった俺の夢が、こんな不思議な形で叶ったのが、本当に夢のようだった。

夢のような翔大の登場に、俺の夢がこんな風にリンクするなんて、3年前の俺には、想像も出来なかった。

協力を申し出てくれた、様々な国に出向き、色んな人達と会い、色んな話しをした。

見たことのない場所に行って、聞いたことのない話しをたくさん聞いて、会うはずのなかった人達とも、たくさん会った。

どんな時代にあっても、まだこの世には、未開の地が、人類未到の出来事が、山のように残っている。

現代の冒険は、地表の密林にあるのではなく、人の社会のなかに埋もれていたのだ。

やるべきこと、やりたいこと、やらなければならないことが、まだまだこの世界にたくさん溢れていることを、俺は知った。

センター長の鴨志田さんは、ある意味面倒な仕事を全部栗原さんに押しつけて、アフリカの沙漠で鼻息を荒くしながら、その時を今か今かと待ちわびている。

今回の翔大迎撃作戦は、様々な影響を考慮した結果、『アフリカの沙漠地帯に落とす』としか公表されていないが、実際には、ある程度の落下地点は計算されている。

その翔大の破片をめぐって、実は熾烈な回収戦線が勃発していた。

各国がそれぞれに大規模な回収隊を編成し、迎撃作戦終了の合図と共に、一斉に砂の海を走り出す。

翔大がもし、他の銀河系からワームホールを通過してやってきた隕石だったら、その価値は研究者にとっては、計り知れないものがある。

鴨志田センター長にいたっては、日本の爆弾にだけ、特殊塗料を紛れ込ませておいて、それを頼りに回収したいと熱心に持ちかけていたが、全くの未知数の翔大成分に対し、どんな化学反応を起こすかも分からないし、その塗料の配分が、火薬の爆発にどんな影響を及ぼすかも分からないので、あきらめろと散々説得されて、ついに折れた。

そして、それはそのまま国際条約となり、争奪戦が展開されることとなった。

実は、今一番アツイのが、その沙漠近辺に駐在している天文学者たちだ。

協力要請に応じた国々の、同時カウントダウンが始まった。

自然と周囲の見学者たちも声を上げ始め、それは大合唱となって世界を包み込む。

「Ten, Nine, ignition sequence start,
 Six, Five, Four, Three, Two, One,
 All engine running! Lift off! We have a lift off!」

光りの筋と共に、爆音が辺りに響く。

「なにこれ、アポロのカウントダウンと一緒じゃない」

香奈さんが笑った。

スマホの画面の中で、拡大されたロケットが一直線に飛んでいく。

特殊な望遠鏡で撮影されたライブ映像、その画面に写し出された翔大に、全くの同時に数本の大陸間弾道ミサイルが突き刺さった。

その瞬間、翔大はものの見事に、粉々に砕け散る。

歓声が上がった。

見上げた空からは、一斉に無数の小さな星が流れ落ちる。

光り輝く翔大の残骸が、夕暮れの空にたくさんの弧を描いて落ちてゆく。

その光景は、とても幻想的で、まるで自然現象で、緻密な計算と、たくさんの人間の努力によって作り出された、人工的な天体ショーだとは、到底思えないほど、美しかった。

「今ごろ、鴨志田さんはジープを走らせてますかね。イタ電してみましょうか」

「殺されるわよ」

スマホの画面では、司令室で抱き合って喜ぶ、栗原さんの姿が見えた。

俺はそっとその画面を閉じて立ち上がる。

「ねぇ、NGOの団体に誘われたって聞いたけど、本当なの?」

「ま、才能が埋もれることを許されないっていうんでしょうかね、
 仕方ないですよね」

「あんたのその根性があれば、どこでもやっていけるわよ」

俺は最後に笑って、この場を後にした。

俺にはもうすでに、次のやりたいことが決まっている。

人生の冒険者たちよ、果敢であれ、恐れることなく、前に進め。

そう、俺みたいに、ね。




【完】



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