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全部やるか。全部任せるか。

いま、就活中で今日面接行ってきたんですね。

「チームワークの経験は?」

「・・・」

一応話したんですが、わたしってチームワークないほうだと自覚してます。

「人と何かをやり遂げる」の理想のレベルが高いのも原因の一つではあるとは思うんですけど。私の「人と何かをやり遂げる」のイメージでは、何度も何度も話し合って、外から見たらケンカ!?って思われるくらい言いあって、一つのモノを完成させることなんですよね。

完璧主義者

自分のイメージと同じ経験をしていなければ、たとえチームワークを発揮した時があったとしても、それはノーカウントになってしまいます。

これは、まさしくアダルトチルドレンの『完璧主義』の要素だと思いました。『完璧主義』だと、なにをやっても「こんなんじゃだめだ。もっとこうしなきゃいけないのに…」と思ってしまうんですよね。


ひとりで全部やるか。
だれかに全部まかせるか。


そして、この要素が本当にあるなぁと実感しています。

一つの仕事をすべて自分ひとりでやるか。

それとも、
その仕事は、だれかにすべてまかせるか。

その2つの選択肢しかないんです。
0か100か。

人を信じられないから、だれかと協力しながら何かを作り上げる時に、無意識に「わたしが何を言ってもムダだ」はなからあきらめてる。

意見を出し合いながら、なにかを作り上げることなんてできないと思ってしまっている。本当にこの思考が定着してしまっているんだよね。今、自分で書いてても怖いって思う。

『あきらめの感情』心の奥にどっしりと存在しているから、なにをしようとしてもその意思はへし折られてしまう。自分自身で自分の可能性をつぶしているのかな。それってなんかとっても怖いことだし、悲しいことだよね。なんで自分のくび自分でしめてるんだろ。

バカみたいなんだけど、本当にそんなことで苦しいって思うんですよね。なんでこんなかんたんなこともできないんだろうと他人が思うことでも、自分にとってはとっても難しいことになってしまうこともある。逆もしかり。

人を信じたい。

『完璧主義』も、『人とうまく協力できない』のも、心の底から人を信じることができないからなんだよね。

心の底から人を信じることができるようになるためには、まずは自分の気持ちをすくいあげて、それはどこから来た感情なのか(何が原因でその感情が生まれたのか)をじっくり考えてみるのが大事なのかなと思ってる。

自分ひとりで考えてると、なかなか前に進まずに堂々巡りになっちゃうよね。誰かに話してみるのがいいと思う!でも、そういう友だちってなかなかいないから。

生きづらさを放出する

だから、もしもーしこのnoteを読んで「あー自分も完璧主義だな。」「自分もそういうことよくあるな」とか思って、いつも抱えている違和感とか生きづらさとか、言葉にできない思いがある人は、気軽にTwitterのDMからでもメッセージ送ってください(^▽^)/

わたしは、時間あるので直接会って話してみたいと思った人も大歓迎です。自分もいまこの生きづらさをどーにかしたいと思ってもがいてます。

あと、いまは『生きづらさカフェ』みたいのをやろうと思ってます。

外で。わたし外がすきだから。それに外の方が、感情を解放できると思ってるの。

感情にフタをせずに生きていける人が増えたらいいな。







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