耳澄

海外在住の単なる音楽・映画好き。T・ミヒャエリスの「森の鍛冶屋」を聴き、ディズニーの映…

耳澄

海外在住の単なる音楽・映画好き。T・ミヒャエリスの「森の鍛冶屋」を聴き、ディズニーの映画「ファンタジア」を観て音楽と映画の愉しさを学び、早40数年が経ちました。

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    クラシック音楽を巡るエッセイ

最近の記事

愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.4.2)

死と向き合う作曲家9番フィナーレ、展開部の深部であるフーガに入る。 5番以来の凝りに凝ったフーガだが、5番のそれは「喜んで書いちゃったみたいな(高関健)」のに対して9番は第1主題を変容した主題による「荒々しい性格(アーノンクール)」を持ち、激しい感情が精神の荒野を走る。 この不協和音に纏いながら疾走する音楽を聴いているとベートーヴェンの「大フーガ」を思い出す。 フーガの途中では弦楽器の分散和音がバッハのトッカータとフーガニ短調BWV565のフーガの引用に変化。ここもSPC

    • 愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.4.1)

      献辞の問題国際ブルックナー協会9番スコア(2005コールス版)の扉をめくると「愛する神にdem lieben Gott」とある。そもそもこの献辞としての「愛する神へ」はどこの原資料に記載されているのか? 気になるのは[ ]付なのだ。 これは自筆楽譜の扉にあるのか? 答えは「ない」 国際ブルックナー協会のスコア前文冒頭にもこの献辞は自筆楽譜にはないと書かれている。 実はこれは1895年ブルックナーが9番フィナーレを作曲中に会った主治医ケラーの証言「私は至高の陛下、そう、

      • 愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.3)

        「未来の音楽」へさてABr9番3楽章。 この冒頭とマラ9フィナーレのそれを混同したという覚えはないだろうか。 両者とも弦楽主導で軋んだ音を含んだメランコリックなフレーズで相似性はある。 ちなみにブルックナーは1894年、マーラーは15年後の1909年に完成。 1894年の時点ではマーラーは「復活」書いていた。 大野和士もこの相似性を念頭に上掲のYouTube解説映像でマラ9フィナーレの冒頭を弾いている。 大野は「(マーラー9番は1909年に書かれていますが調性的には)心配

        • 愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.2)

          「これ以上激しいスケルツォはない」 さてABr9番の2楽章。ティーレマンは映像対談で「スケルツォは(演奏)難しくはない。」と語る。 実際この楽章はスケルツォという性格もあり複雑な構成ではない。 しかし一方で彼は「これ以上に激しいスケルツォは(作曲家は)書いていない。年を重ねた円熟とは対極にあり(良い意味で)全く円熟していない」 このスケルツォは導入部が41小節にも渡ってあり1楽章と似た様な構造という指摘もある。その導入部は主調ニ短調ではなく嬰ハ短調的で落ち着かない浮遊した感

        愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.4.2)

        • 愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.4.1)

        • 愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.3)

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          愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.1)

          レオンハルトの葬儀ブルックナーの交響曲第9番のフィナーレSMPC補筆完成版のスコアを読み終えて、ふとグスタフ・レオンハルトの葬儀にまつわる話が頭によぎった。 彼は自分の葬儀で奏でられる音楽を事前に指示していたそうで、それはJ・S・バッハの「ヨハネ受難曲」の最後のコラールだった。 ブルックナーの9番は正にこのコラールが意味するところを体現していたのではないか。 この巨大な交響曲のスコアを眺めるにつけその思いは強くなってきた。 その意味するところを追ってみようと思う。 前

          愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.1)

          メサイア覚書 Vol.3 ---荒ぶる救世主

          荒野の世界イスラエルの死海のほとりを訪ねた時に感じたのはその風土だった。 塩湖である死海の周辺は緑も少なく、荒れた土地が広がっていた。 人間にとって厳しい環境、それがあの旧約聖書における荒々しい物語を生むのではないかと思わせる。 そういえばサロメの祖父にあたるヘロデ大王、彼が築き上げた離宮から転じたマサダの要塞も草一方生えていない荒野が続いていた。 ユダヤ陥落の地の悲劇が際立つ厳しい風景だった。 メサイアの旅第5曲伴奏付きレシタティーヴォ「まことに万軍の主はこう仰られた」

          メサイア覚書 Vol.3 ---荒ぶる救世主

          メサイア覚書 Vol.2 ---降臨の予告

          聖地巡礼の光景アーノンクールはメサイアの核心的アリア「彼は蔑まれ」を「音楽化された《エッケ・ホモ/この人を見よ》」と喩えた。 最近になってこの比喩を読んで深く感じ入ったのは、数年前にエルサレム訪問でそのエッケ・ホモの地に立ったからではないかと、私は思い込んでいる。 耶蘇ではない私の場合、あの訪問は本当の「聖地巡礼」ではなく、読み物や映画などの既知感から来る感慨や感動の「聖地巡礼」であった。 しかし、その体験が再度読書や映画、音楽鑑賞に還元されている気がするのである。 イエス

          メサイア覚書 Vol.2 ---降臨の予告

          メサイア覚書 Vol.1 ---聖誕祭の儀礼

          そもそもの話年中行事の習い 私が「年中行事」好きなのは母の影響かもしれない。 母は、物心ついた時から外地にいた私に対して日本の文化習慣を少しでも理解してもらうために、正月や雛祭り、端午の節句など日本の年中行事のお飾りを家に飾っていた。 その母の目論みは予想を超えて私を育んだ。 「年中行事を知る」を通り越して儀式好きとなった私は、大学で天皇の即位式や大葬などの儀典を卒論に選ぼうとする域にまで達してしまったのだから笑 ところで我が家の四季折々のお飾り、唯一日本の行事とそぐわな

          メサイア覚書 Vol.1 ---聖誕祭の儀礼

          悪魔のように細心に、天使のように大胆に。トリスタンとイゾルデ前奏曲演奏考

          陶酔の深淵最初にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死を聴いたのは、高校生の時に神田神保町の新世界レコード社で買った伊fonit cetraのフルトヴェングラーのアルバムだったと思う。 このトリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死は1954年4月27日のベルリンのティタニアパラストでの演奏会でのLIVE録音であるが、このLPが世界初出だったと記憶する。 この録音はのちにDGでCDが発売され、2010年に独auditeの「フルトヴェングラー・コンプリートRIASレコーデ

          悪魔のように細心に、天使のように大胆に。トリスタンとイゾルデ前奏曲演奏考

          さよならの向こうの風景 ---エルガー2番(Vol.4)

          古き良き帝国の終わり2022年9月19日、私はエリザベス女王2世の国葬を見ながら、その荘重な儀典に歴史と伝統を積み重ねた「大英帝国」の厚みを見た思いがした。 それと同時に女王の崩御は子供の頃に住んでいたイギリス領香港で私が眺めてきた古き良き時代、その終わりも感じさせた。 この感慨を100年前のエルガーも感じていたのだろうか。 邂逅と別れこのYouTube動画はアマチュアのオーケストラであるマグノリア室内管弦楽団の常任指揮者、藤田和宏氏によるエルガー2番の曲目解説である。

          さよならの向こうの風景 ---エルガー2番(Vol.4)

          野心的な疾走---エルガー2番(Vol.3)

          エルガー2番の録音史ペトレンコ! 2009年5月キリル・ペトレンコが2度目にベルリン・フィルを客演した際のエルガーの2番は同曲のあらゆるフィジカルの中でも飛び抜けて個性的で斬新な演奏だ。 まずそのテンポの速さ! 全曲を実質50分で駆け抜けるのだ。 有名なボールト&LPO盤(1975-76)、バルビローリ&ハレ管盤(1964)は共に56分で、速めの演奏であるマッケラス&ロイヤルフィル盤(1993)が52分と考えると、ペトレンコの颯爽さが十分わかるというものだろう。 しかし駆

          野心的な疾走---エルガー2番(Vol.3)

          後期ロマン派の終焉---エルガー2番(Vol.2)

          ラトル→マーラー→エルガーラトルの興味深い発言 サー・サイモン・ラトルのエルガー2番に関する発言を最初に読んだのは以下の本だった。 これはイギリスのグラモフォン誌2005年4月号のラトルのインタビューからの引用とのことで、私は実際に該当誌を手に入れてみたが、エルガー2番についてはこれ以上の情報はなかった。 更にネットの情報から以下の本「マーラーを語る 名指揮者29人へのインタビュー」にもラトルのエルガー2番に関する情報があると聞いて読んでみたが、残念ながらグラモフォン誌

          後期ロマン派の終焉---エルガー2番(Vol.2)

          エニグマ交響曲---エルガー2番(Vol.1)

          序として ---女王陛下の思い出エリザベス女王2世をこの目で見たのはたったの1度、1975年の香港だった。 父の仕事で当地に住んでいた私は親に連れられて見たような気がするが、正直その巡行の記憶は曖昧である。 むしろ「クイーン・エリザベス」というと、その同年までに香港の海で解体された客船クィーン・エリザベス号の異様な姿と1982年在位30周年の記念切手を買うために母と近所の郵便局に並んだことであった。 とはいえ、女王陛下が統治した古き良き時代の香港に住んでいた私にとって、女王

          エニグマ交響曲---エルガー2番(Vol.1)

          問い続ける鎮魂 ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.3)

          疑問符のコードヴェルディのレクイエムの最後はハ長調のコードで終わるが、しかしへ短調のV和音の可能性も孕んでいるとムーティは指摘している。 またド・ミ・ソで言うところのミの響きが薄く空虚5度的にも聴こえる。 「Libera me(永遠の死から)私を解き放ってください」と希求する声の先にあるアンサーは果たして希望あるものなのか。 終結の響きは「不確かさ」に包まれている。 不穏に駆られる希求その「Libera me」はレクイエムを締め括る章という以上に全体の大きな要であると私は

          問い続ける鎮魂 ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.3)

          慎ましい祈り ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.2)

          慎ましい祈りオペラ的なるもの ドキュメンタリー「カラヤン・イン・ザルツブルク」の中でカラヤンがビデオ編集中にわざわざ英語で「unbelievable信じられない」と呟くシーンがある。 確かにそのシーン、ホセ・カレーラスがウィーンのムジークフェラインザールのオルガン前で歌うヴェルディのレクイエムの「Ingemisco私は咎ある者として呻きます」は「オペラ的」と喩えたくなる誘惑を持つ絶唱だ。 これが私が最初に体験したヴェルディのレクイエムだったかもしれない。 繊細な懇願

          慎ましい祈り ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.2)

          弱音に耳を澄ます ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.1)

          シノーポリの遺作2002年4月、転勤で札幌に住んでいた私は久しぶりの外来オケ、ジェームズ・コンロン指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団を聴くのを楽しみにしていたが、当日は仕事の関係で会場のKitaraに遅れて着いてしまった。 まだ1曲目中だったのでロビーで佇んでいたところ、CD即売所に売り切れたCDがある旨の掲示が目に入った。 なんだろう? とは思ったが、まもなくして1曲目が終わったので私は会場に入ってしまい、演奏会が終わった頃にはすっかりそのCDの存在を忘れてしまった。 この

          弱音に耳を澄ます ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.1)