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ターンテーブルから遠く離れて

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クラシック音楽を巡るエッセイ
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記事一覧

愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第9交響曲(Vol.4.2)

なぜフィナーレなのか?この大見出しはSPCM編纂者の一人でSPCM補筆フィナーレ2021/22年版を編…

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耳澄
1年前
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愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第9交響曲(Vol.4.1)

献辞の問題国際ブルックナー協会のブルックナー9番のスコア(2005年コールス版)の表紙をめく…

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耳澄
1年前
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愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第9交響曲(Vol.3)

「未来の音楽」へブルックナー9番の3楽章。 この冒頭とマーラー9番のフィナーレの頭を混同し…

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耳澄
1年前
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愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第9交響曲(Vol.2)

「この世の暗部・相剋」のスケルツォ さてブルックナー9番の2楽章。ティーレマンは映像対談で…

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耳澄
1年前
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愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第9交響曲(Vol.1)

レオンハルトの葬儀ブルックナーの交響曲第9番のフィナーレSMPC補筆完成版のスコアを読み終…

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耳澄
1年前
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メサイア覚書 Vol.3 ---荒ぶる救世主

荒野の世界イスラエルの死海のほとりを訪ねた時に感じたのはその風土だった。 塩湖である死海…

耳澄
1年前
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メサイア覚書 Vol.2 ---降臨の予告

聖地巡礼の光景アーノンクールはメサイアの核心的アリア「彼は蔑まれ」を「音楽化された《エッケ・ホモ/この人を見よ》」と喩えた。 最近になってこの比喩を読んで深く感じ入ったのは、数年前にエルサレム訪問でそのエッケ・ホモの地に立ったからではないかと、私は思い込んでいる。 耶蘇ではない私の場合、あの訪問は本当の「聖地巡礼」ではなく、読み物や映画などの既知感から来る感慨や感動の「聖地巡礼」であった。 しかし、その体験が再度読書や映画、音楽鑑賞に還元されている気がするのである。 イエス

メサイア覚書 Vol.1 ---聖誕祭の儀礼

そもそもの話年中行事の習い 私が「年中行事」好きなのは母の影響かもしれない。 母は、物心…

耳澄
1年前
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悪魔のように細心に、天使のように大胆に。トリスタンとイゾルデ前奏曲演奏考

陶酔の深淵最初にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死を聴いたのは、高校生の…

耳澄
2年前
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さよならの向こうの風景 ---エルガー2番(Vol.4)

古き良き帝国の終わり2022年9月19日、私はエリザベス女王2世の国葬を見ながら、その荘重な儀…

耳澄
2年前
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野心的な疾走---エルガー2番(Vol.3)

エルガー2番の録音史ペトレンコ! 2009年5月キリル・ペトレンコが2度目にベルリン・フィルを…

耳澄
2年前
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後期ロマン派の終焉---エルガー2番(Vol.2)

ラトル→マーラー→エルガーラトルの興味深い発言 サー・サイモン・ラトルのエルガー2番に関…

耳澄
2年前
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エニグマ交響曲---エルガー2番(Vol.1)

序として ---女王陛下の思い出エリザベス女王2世をこの目で見たのはたったの1度、1975年の香港…

耳澄
2年前
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問い続ける鎮魂 ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.3)

疑問符のコードヴェルディのレクイエムの最後はハ長調のコードで終わるが、しかしへ短調のV和音の可能性も孕んでいるとムーティは指摘している。 またド・ミ・ソで言うところのミの響きが薄く空虚5度的にも聴こえる。 「Libera me(永遠の死から)私を解き放ってください」と希求する声の先にあるアンサーは果たして希望あるものなのか。 終結の響きは「不確かさ」に包まれている。 不穏に駆られる希求その「Libera me」はレクイエムを締め括る章という以上に全体の大きな要であると私は