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ターンテーブルから遠く離れて

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クラシック音楽を巡るエッセイ
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記事一覧

愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.4.1)

献辞の問題国際ブルックナー協会のブルックナー9番のスコア(2005年コールス版)の表紙をめく…

耳澄
9か月前
7

愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.3)

「未来の音楽」へブルックナー9番の3楽章。 この冒頭とマーラー9番のフィナーレの頭を混同し…

耳澄
9か月前
2

愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.2)

「この世の暗部・相剋」のスケルツォ さてブルックナー9番の2楽章。ティーレマンは映像対談で…

耳澄
9か月前
3

愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.1)

レオンハルトの葬儀ブルックナーの交響曲第9番のフィナーレSMPC補筆完成版のスコアを読み終…

耳澄
9か月前
10

メサイア覚書 Vol.3 ---荒ぶる救世主

荒野の世界イスラエルの死海のほとりを訪ねた時に感じたのはその風土だった。 塩湖である死海…

耳澄
1年前
5

メサイア覚書 Vol.2 ---降臨の予告

聖地巡礼の光景アーノンクールはメサイアの核心的アリア「彼は蔑まれ」を「音楽化された《エッ…

耳澄
1年前
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メサイア覚書 Vol.1 ---聖誕祭の儀礼

そもそもの話年中行事の習い 私が「年中行事」好きなのは母の影響かもしれない。 母は、物心ついた時から外地にいた私に対して日本の文化習慣を少しでも理解してもらうために、正月や雛祭り、端午の節句など日本の年中行事のお飾りを家に飾っていた。 その母の目論みは予想を超えて私を育んだ。 「年中行事を知る」を通り越して儀式好きとなった私は、大学で天皇の即位式や大葬などの儀典を卒論に選ぼうとする域にまで達してしまったのだから笑 ところで我が家の四季折々のお飾り、唯一日本の行事とそぐわな

悪魔のように細心に、天使のように大胆に。トリスタンとイゾルデ前奏曲演奏考

陶酔の深淵最初にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死を聴いたのは、高校生の…

耳澄
1年前
6

さよならの向こうの風景 ---エルガー2番(Vol.4)

古き良き帝国の終わり2022年9月19日、私はエリザベス女王2世の国葬を見ながら、その荘重な儀…

耳澄
1年前
7

野心的な疾走---エルガー2番(Vol.3)

エルガー2番の録音史ペトレンコ! 2009年5月キリル・ペトレンコが2度目にベルリン・フィルを…

耳澄
1年前
6

後期ロマン派の終焉---エルガー2番(Vol.2)

ラトル→マーラー→エルガーラトルの興味深い発言 サー・サイモン・ラトルのエルガー2番に関…

耳澄
1年前
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エニグマ交響曲---エルガー2番(Vol.1)

序として ---女王陛下の思い出エリザベス女王2世をこの目で見たのはたったの1度、1975年の香港…

耳澄
1年前
10

問い続ける鎮魂 ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.3)

疑問符のコードヴェルディのレクイエムの最後はハ長調のコードで終わるが、しかしへ短調のV和…

耳澄
1年前
7

慎ましい祈り ---ヴェルディ:レクイエム(Vol.2)

慎ましい祈りオペラ的なるもの ドキュメンタリー「カラヤン・イン・ザルツブルク」の中でカラヤンがビデオ編集中にわざわざ英語で「unbelievable信じられない」と呟くシーンがある。 確かにそのシーン、ホセ・カレーラスがウィーンのムジークフェラインザールのオルガン前で歌うヴェルディのレクイエムの「Ingemisco私は咎ある者として呻きます」は「オペラ的」と喩えたくなる誘惑を持つ絶唱だ。 これが私が最初に体験したヴェルディのレクイエムだったかもしれない。 繊細な懇願