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野心的な疾走---エルガー2番(Vol.3)

エルガー2番の録音史

ペトレンコ!

2009年5月キリル・ペトレンコが2度目にベルリン・フィルを客演した際のエルガーの2番は同曲のあらゆるフィジカルの中でも飛び抜けて個性的で斬新な演奏だ。
まずそのテンポの速さ!
全曲を実質50分で駆け抜けるのだ。
有名なボールト&LPO盤(1975-76)、バルビローリ&ハレ管盤(1964)は共に56分で、速めの演奏であるマッケラス&ロイヤルフィル盤(1993)が52分と考えると、ペトレンコの颯爽さが十分わかるというものだろう。

しかし駆けっこの順番が重要なのではない。
ペトレンコは例えば1楽章の厚いオーケストレーションと複雑な変転を軽やかなまでに捌くことで、とかく重々しい密林のような音楽が色彩鮮やかな森と神秘の夜へと変貌していくのだ。
スコアをどう読みどう描くかは才能のひとつであると思うが、エルガーというイギリスの伝統に良くも悪くも守られてきた作曲家の作品を新しい眼差しで捉えていく様は正に才能の証であると思う。

評価と録音

「愛の挨拶」「威風堂々」そして「エニグマ変奏曲」とエルガーは多くの人に親しまれている作曲家の一人ではあるが、しかしイギリス的なるイメージが強く、例えば作曲家の列像として尊ぶような存在とは違うところにあると感じる。
それともイギリス人であれば、彼の音楽の中に高貴(ノーブル)や偉大さを感じて精神的支柱と捉えているのだろうか。

実際、エルガー2番の例にとると、数多くある録音のほとんどはイギリス人の指揮者とイギリスにあるオーケストラによるものだ。
作曲家自身を嚆矢として有名無名問わず多くのイギリス人指揮者が録音を残している。
もちろんショルティ(1975)、そして少し前だとハイティンク(1983)やシノーポリ(1987)など非イギリス人の録音はあったにはあったが、イギリスの歌劇場やオケにポストがあった彼らがイギリスのオケと組んだセッションであった。意地悪な見方をすればイギリス側の要請で録音したとも考えられる。
しかし、マーラーやブルックナーのように国籍問わず演奏家がこぞって録音演奏されることが少ないのは(特にドイツ・オーストリア系はほとんど無視)、先述したイギリス的なるものへのイメージが強い故なのか、或いはこの交響曲の評価が定まらないからなのか。

近年、フィンランドのサカリ・オラモがストックホルムのオケ(2013)、そしてバレンボイムが2度目の録音として何と手兵ベルリン・シュターツカペレ、ドイツのオケとの組み合わせ(2014)、そして極東でも我が国が誇る尾高忠明とN響の録音がリリースされ(2017)、エルガーの2番は少しずつ面白いことになってきている。
イギリス人による伝統的な演奏は今後も継承しつつも、こうして国境を越えて新たな視点でこの曲を見直す時代がやってきたのかもしれない。

プレスト!

斬新なスケルツォ

第3楽章ロンドはハ長調の無邪気で稚気に富む音符がプレスト(極めて速く)という指示で矢継ぎ早に飛び交う。

第3楽章は軽快なスケルッツォですが、演奏する上ではとても難しい楽章です。8分の3拍子のプレストの楽章でありながら16分音符の音型をホルンやトロンボーンが演奏することを要求しています。

新交響楽団HP〜知られざる名曲 エルガーの交響曲第2番(箭田 昌美・ホルン)

冒頭のフレーズは作曲家が1910年にヴェネチアを訪れた際に、サン・マルコ広場で聞いた辻音楽士の音楽から想を得たとのことだが、ここにも「喜びの精霊」の変容(Vol.1で言及したAのモチーフ)が見られる。

第3楽章冒頭から6小節目まで

また練習番号63番のフレーズも1楽章冒頭3小節の上がり下がりのフレーズの変奏とみていいだろう。

3楽章 練習番号93番 第1小節〜第9小節目

ところでこのスケルツォで挑戦的で野心的なのが練習番号第98と126番だろう。
裏拍の第1主題フレーズがヘミオラ的に組み合わされ、リズム的に凝った作りであり、特に楽章後半の練習番号第126番以降はより展開されて、もはや小節線の意味を失いかけるほどの複雑さを呈する。
ここもまた演奏する上で難所のひとつだ。

3楽章 練習番号第127番4小節前から6小節後まで

この難所を恐ろしく快速で進む録音がある。
全曲で7分11秒という冒頭で紹介したキリル・ペトレンコ(約7分38秒)よりも速いスピードで駆け抜けるのがスヴェトラーノフ&ソ連国立交響楽団のライブ盤(1977)
このヘミオラの嵐の箇所でも文字通り「プレスト極めて速く」進んでいくだけに、この駆けっこには唖然とさせられる。

エルガー:交響曲第2番 スヴェトラーノフ&ソ連国立交響楽団(1977)

もうひとつ斬新な箇所がある。
それが中間部で第1楽章の森の中にある「悪意に満ちた影響(エルガー)」あのチェロの主題が再起されるのだが、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、タンバリン、これら打楽器の刻みを伴って壮絶なクライマックスを迎える。

「想像してほしい」とエルガーはリハーサルで言った。「このハンマーの音は熱でうなされて頭がズキズキするような恐ろしさなのだ」

エルガー:交響曲第2番 スヴェトラーノフ&ソ連国立交響楽団盤のRichard Bradburn氏の解説書より

1楽章でかすかに律動していた不気味な刻みがこの3楽章で顕在化されるのだ。
ここは3/8拍子が4/4拍子と組み合わされる複合リズムという新しさもある。
金管が1楽章のチェロ主題を奏でる中、3/8のリズムが恐怖とも悪夢ともいえるfffの大音響を作るのだ。
ジェフリー・テイト&LSO盤(1991)のこの箇所の打楽器群は他の盤を圧するかのような肌が粟立つ凄まじさで、作曲家がうなされたイメージを体験してほしい。

エルガー:交響曲第2番 ジェフリー・テイト&ロンドン交響楽団(1991)

この戦慄のハンマーが過ぎた後には弦楽器による印象的なフレーズ(練習番号130)がやってくる。
例の「喜びの精霊」の変奏とも取れるし、2楽章でも顔を出すターン的な節回しも出てくるこのフレーズは、面白いことにイギリス系の指揮者はポルタメントをかけてかなり艶やかに描く。ちなみに尾高忠明もイギリス流儀に従ってここはポルタメントをかけている。

第3楽章 練習番号130 2小節前から12小節目まで

忙しいこのロンドは最後におもちゃ箱をひっくり返したかのような大騒ぎ、古き良きハリウッド映画のような映画音楽的な賑やかさを呈して華々しく終結する。

まるでコルンゴルトの交響曲の先駆けを感じさせるような面白さがあり、これをイギリス的なるものに閉じ込めてしまうには勿体ない音楽だ。

期待!

ドイツ・オーストリア圏での演奏は稀少だったエルガー2番。
こうした背景の中で非イギリス人のペトレンコがベルリンフィルの客演でこの曲を取り上げたという事実は、彼のこの曲に対する関心など興味が尽きない。
現にその演奏内容は冒頭に紹介した通り、伝統や慣習に囚われない新鮮さに満ちており、この曲の新たな魅力を開陳したと言っていいだろう。
我が国にも尾高忠明そして大友直人というエルガーの使徒がいるだけに、彼らに触発されて新しい像としてのエルガー2番が生まれることに期待したいものである。

この項、了

Vol.1は2022年9月24日に1楽章の展開部についての記述を追加しましたので、未読の方は是非お読みください。


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