エニグマ交響曲---エルガー2番(Vol.1)
序として ---女王陛下の思い出
エリザベス女王2世をこの目で見たのはたったの1度、1975年の香港だった。
父の仕事で当地に住んでいた私は親に連れられて見たような気がするが、正直その巡行の記憶は曖昧である。
むしろ「クイーン・エリザベス」というと、その同年までに香港の海で解体された客船クィーン・エリザベス号の異様な姿と1982年在位30周年の記念切手を買うために母と近所の郵便局に並んだことであった。
とはいえ、女王陛下が統治した古き良き時代の香港に住んでいた私にとって、女王の崩御は私なりに「ひとつの時代の終焉」を深く感じている。
そしてその感慨からふと脳裏に浮かんだのは、
エルガーの交響曲第2番であった。
エニグマ
追憶に隠された謎
エルガーの2番はエリザベス女王の曽祖父エドワード7世に捧げられた交響曲である。その完成の前年に崩御した王、「(その)栄華はエルガーにとって精神的なふるさと(藤野俊介)」であっただけに、この交響曲に込めた追憶の想いは大きかったに違いない。
実際にこの交響曲は2楽章の葬送的なイメージと合わせてノスタルジックな雰囲気が濃厚である。
一方で「エニグマ変奏曲」に見られる謎めいたほのめかしや独特な作曲法は、その憂愁たる回顧にまるでロンドンの深い霧のような掴みどころのない側面を与えていることも事実である。
「喜びの精霊」の謎
2番の自筆楽譜に上記のシェリーの詩が引用されているのは有名な話であるが、エルガーは初演にあたり以下のようなコメントを残しているようだ。
多くの解説がこの「喜びの精霊」を示す主題について言及しているが、厄介なのはその主題が具体的にどれなのかは人によってバラバラなのだ。
たとえばである。
我が国で最も熱烈なエルガー賛美者のひとりである水越健一氏は著書で「喜びの精霊」の主題は「後半2楽章」で大きな役割とある。
エルガーの声楽曲「ミュージカル・メイカーズ」の引用が具体的に2番交響曲のどのモチーフであるかを照合できるのは以下の言及だ。
しかしこのフィナーレのモチーフ(練習番号165の8小節後)が「喜びの精霊」なのだろうか?
ハーパー=スコット氏の論文によると「喜びの精霊」は1楽章冒頭第3小節目で提示されると具体的に示している。この1楽章冒頭と水越氏が挙げたフィナーレのモチーフは普通に聴けば同じであるとは思わないだろう。
一方、日本語ライナーノーツの中では情報量の多い解説を記す藤野氏の指摘はハーパー=スコット氏とは微妙に違うのである。
3者とも違うというこの不思議。
一体この謎は?と訝しがるのも当然だが、ひとつにはエルガーが具体的に示していないのでどれもが推測であること、そしてもうひとつ重要なのはエルガーの巧妙なモチーフの変容に原因があるのではないかと思った。
主題の変容
「喜びの精霊」主題について私自身の結論を言うとこの3者、どれも正しいのではないかと思っている。
1楽章冒頭の第2小節〜4小節、各小節はこの交響曲を支える単位・細胞のようなフレーズで、音階下降(全音下降に5度下降など)と上昇(オクターブ跳躍など)を繰り返すこれらは他の楽章でも自由に変容され展開されている。
その点では水越氏の言うフィナーレの部分もこの3小節のフレーズが変奏されたもの(全音と5度の組み合わせによる下降)なのであり的外れではない。
つまり、作曲家の言及が見出せない以上はこの3小節間(特に第3小節目)を以て「喜びの精霊」の動機とするのは差し支えないのではないだろうか。
各楽章に出てくるモチーフ
ハーパー=スコット氏が指摘する1 楽章冒頭から第3小節目が「喜びの精霊」テーマである可能性はそのテーマが各楽章に引用が出てくることからもわかる。この3小節目を仮にAのモチーフとしよう。
1楽章のコーダ、練習番号66の3小節前にfffの最強音でAのモチーフが楽章の大円団を強調する役割だ。
2楽章の終わり近く練習番号88でAのモチーフが出てくる。
3楽章は例えば練習番号96に少し変奏的なAモチーフが出てくる。
さて4楽章は水越氏が指摘する箇所を見てみよう。
水越氏のモチーフはこの楽章では2回出てくるのだが、以下最初に出てくる練習番号143の6小節目を見てみよう。全音下降と5度下降を組み合わせたモチーフがディミネンドしていく。
ポイントは全音下降と5度下降だ。
Aのモチーフは全音的に下降して5度下降なのである。
つまりこの4楽章の下降していくフレーズはAのモチーフを変容させている箇所といえよう。
こうしてエルガーはこのAのモチーフを交響曲全体に張り巡らされながら「喜びとしての精神」を全曲に渡って提示したかったのであろう。
そして更に言うと第1交響曲同様に、この「喜びの精霊」は円環的な物語性すら醸しているのである。
テンポの変転
さて1楽章はテンポの揺れ具合が大変顕著である。
改めて冒頭を見てみよう。
基本のテンポは「快活に速く、高貴に」とあるが、冒頭4小節間にはエルガーの独特の注釈があり、L(Largamenteゆったりと遅く)、A(accelerandoテンポを早める)そして「con andore情熱を以て」を経て「In tempo正確な速度」すなわち基本のテンポになるので、この急転の甚だしさといったら!
藤野俊介も以下のように指摘している。
1楽章は特にこのテンポの転換が激しく、指揮者は積極的にそれを読み込んで「喜び」のイメージを膨らませるべきだろう。
その点でシノーポリ&フィルハーモニア管盤(1988)は敢えてそこには従わない独特な音像化を示していて興味深い。
エルガーの交響曲は英国系の指揮者による録音が多く、作曲家自作自演以来の伝統的・慣習的な響きや運びによる演奏で占められる中で、このシノーポリ盤はかなり異質である。
例えば1楽章冒頭4小節のテンポ変転も事実上無視、「快活で速く」とは言い難い慎重な運びはエルガー独特のオーケストレーションと相まって通常より重く感じる。
しかし一方でこの指揮者が録音で発揮される「微に入り細を穿つ」手法はこの交響曲に潜む可能性も示している。
特に展開部に向かう練習番号22番の行進曲は「poco a poco rall(少しずつ少しずつゆっくり)」以上に遅くなっていき、「poco meno mosso今までよりは遅く」と指示された展開部の神秘的な響きに至ってはかなり濃密に沈静化する。
展開部の練習番号28番は、もはやエルガー版の真夏の夜の夢のごとく極めて神秘的で、この楽章で最も美しい場面のひとつだろう。
また練習番号33番はエルガー自身が「悪意ある影響」とも「帝国的」とも言ったという少し不穏で軍隊的な音楽となる。チェロの主題の上にパーカッションの連打が響き、この音楽は第3楽章で更に拡大展開した形で現れる。
シノーポリはこの展開部しかり第2主題など緩徐的な肌触りの音楽に対しては深く沈静した表情を見せており、その効果もあってこの1楽章のやや複雑で謎めいた音楽の中から静謐な美しさを見いだしてくれて(これこそ高貴ノーブルと感じる音楽!)、大変興味深いアプローチと私は受け止めた。
ところで、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールのアーカイブにある2009年のキリル・ペトレンコの演奏で終結前のある箇所で大きなルフトパウゼが入っていた。一瞬なにごと?と思ったら、スコアにはきちんとカンマ(区切り)が入っていた(練習番号第65番 第2小節目)
多くの演奏はわずかにブレスする程度で、ペトレンコほど大きな間を開けるのは珍しいかもしれない。
さて次回はエルガー独特のオーケストレーションを見ながら2楽章を中心に書きたいと思う。
この項、了
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