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愛する神へ捧げた交響曲〜ブルックナー第九交響曲(Vol.1)


レオンハルトの葬儀

ブルックナーの交響曲第9番のフィナーレSMPC補筆完成版のスコアを読み終えて、ふとグスタフ・レオンハルトの葬儀にまつわる話が頭によぎった。
彼は自分の葬儀で奏でられる音楽を事前に指示していたそうで、それはJ・S・バッハの「ヨハネ受難曲」の最後のコラールだった。

「最後の審判とイエスの再来、さらに命の復活を宣言するこのコラールこそ、キリスト教における究極の信仰告白に他なりません。この高らかなコラールを生前に選び取った一事において、レオンハルトという方が、どういう方であったか、すべてを物語っています。(鈴木雅明)」

http://www2s.biglobe.ne.jp/~bcj/12.04.06matthew.html

ブルックナーの9番は正にこのコラールが意味するところを体現していたのではないか。
この巨大な交響曲のスコアを眺めるにつけその思いは強くなってきた。

その意味するところを追ってみようと思う。


前例のない交響曲

大野和士はブルックナー9番冒頭を弾きながら、
「これ、何でしょう?ブルックナーじゃありませんね?」
「こんなシンフォニーは、(ブルックナーには)今まで全然なかった」
彼は上掲のYouTube映像の冒頭から9番交響曲の特異性を指摘する。

1楽章冒頭は「荘重に、神秘的に」の2/2拍子。
Dだけの弦の刻み(Cbは伸ばしでオルガンペダル的効果)と木管もDの伸ばし。そして5小節目の裏からのホルンの登場でやっとニ短調とわかる。

第1楽章冒頭から10小節目
第1楽章冒頭から10小節目

しかし19小節目のアウフタクトから新たにホルンによるモチーフが出てくるとニ短調から逸脱していく。
大野「「D-mol(ニ短調)だったのが半音下がって全く違う調にいく(註:19小節目のアウフタクトから)」
「異様なことです」
「暗黒の地に行った感じです」
確かにこのホルンモチーフはそれまでのニ短調から変ホ長調で現れて、そして「暗黒の地」に擬えた変ハ短調という驚く転調をする。

第1楽章11-21小節目

このホルンモチーフ、今までのブルックナーの交響曲にあった素朴な晴朗さとは全く違う、苦く軋んだ混迷の世界を見せるという点で明らかに違う。
更にこのホルン達はニ短調で終わらず変イ短調に着地して次の小節では変ト短調の別のモチーフが奏でられるという驚くような跳び様だ。

第1楽章22-33小節目

ところで私はモチーフ、モチーフと言っているが、この冒頭はいくつもの動機が断片的に奏でられ、そのどれもが主調であるニ短調に落ち着くことなく転調が図られて新たなモチーフへと移行していく。
今までのブルックナーであれば冒頭から素直に主題提示があるが、今回はそれがない。つまり明確な主題が見えてこないという点で全く新たな試みなのだ。
ティーレマンも音楽学者ヨハネス=レオポルド・マイヤー氏との対話映像で「9番は全てが(ブルックナーの他の交響曲とは)異なり、彼は実験をしています」
「9番には本当の提示がありません」 と語る。
大野も1楽章の冒頭を弾きながら「旋律が出てこない!」と訴えており、導入部で主題が見えてこないという点を指摘している。

ティーレマン&ウィーンフィル ブルックナー4番&9番交響曲(映像商品)

そのためこの1楽章の第1主題は導入部の約70小節に渡る長大な主題(様々なモチーフその全体が主題)と捉える説、あるいは導入部は主題の形成プロセスと考え63小節目に最強音で登場するモチーフが統合としての第1主題とする学者もいる。
しかも大野が指摘するように、その最強音の統一的な主題の終結ですら主調のニ短調ではなくニ長調!で終わるという驚きの展開なので、冒頭から正に「前例のない」展開なのだ。

1楽章72-78小節目

モダニズムへの道


第二主題は4/4拍子に転じてイ長調に始まり次々と転調を始める。
大野「A-dur(イ長調)からFis-mor(嬰ヘ長調)、Es-dur(変ホ長調)そしてとうとうC-durです。ハ長調です」
この指摘の通り、この第二主題は果てしなく転調した果ての頂点でハ長調に至るのだ。

第1楽章93-99小節目
第1楽章100-106小節目
第1楽章121-127小節目

大野「この調性の拡大は何を意味しているのか?この(繰り返す)転調は寄り道ですね。(中略)人生で見落としたものを見つけたいと思ったのでは」
大野は転調を繰り返す第二主題は作曲家の心の探索ではないかと。
更に「転調が頻繁に行われるというのは後期ロマン派の範疇ではなく完全にモダニズムへの道です」
「もしかしたら(これは)マーラーに受け継がれたかもしれませんし、ここからシェーンベルクがかなり色んなことを学んだかもしれない(中略)これはブルックナーの新しい顔です」

しかし、この第二主題が転調の果てに達するハ長調は、厳しい音調が続くこの楽章においては陶酔的な恍惚感を与えてくれる。
ただでさえ過剰に耽溺するバーンスタインがウィーンフィルを振った映像(1990)ではこのハ長調に至ると一段とテンポを落としてその耐え難い快感に浸るかの如くだ(6'41"〜)

余談ながらバーンスタインにしては珍しいレパートリーであるこのブルックナー、彼の晩年もあってテンポ遅く、彼独特のロマンティシズムに色塗られてはいるが、作曲家の指示にも関わらず他の指揮者だと見落としたり雑に処理する箇所にも気を配っていて、聴くべき点が多いことは付しておこう。

バーンスタイン&ウィーンフィル盤(1990)

第三主題をみよう。
大野「ニ短調から急に変ハ長調に変わる、これも普通だったら同じ調性(ニ短調)で通していたものです」
「転調の歴史、調性の歴史からするとありえないことがブルックナーの第3テーマから聞き取れる」
「ブルックナーに何が起きたのか?」
この第三主題もブルックナーの先鋭性が顕わになっている。

ところでこの第3主題は今一度アラ・ブレーヴェ2/2拍子に戻っていることも注目したい。この拍子の変化を指揮者はどう読みとっているかである。

第1楽章164-170小節目

さてこの後、冒頭のホルン・モチーフを使っての展開部に入っていくが、あの最強音の巨大なモチーフは一向に出てこないので、あれが第一主題だと思っている人は不思議に思うはずだ(私も昔はこれが第一主題だと思っていた)
第一主題は複合的主題(様々なモチーフで構成)と唱える説も一理はある。

第1楽章242-252小節目

ところで少し脱線。
国際ブルックナー協会刊行の9番の最新スコアである2005年コールス版の299-301小節にはfによるティンパニの連打が小さく記載されている(つまり、作曲家が意図したかもしれないというカッコ付き・保留の意味)
これ自筆楽譜をよく見ると確かに鉛筆?による薄い記載あるが(fの記載なし)、その上からはっきりしたインクで全休符が書き込まれている。

第1楽章298-304小節目
自筆楽譜 1楽章297-304小節目

このティンパニの連打はアーノンクール盤(2002)・ボルトン盤(2005)は採用しておりよく聴こえる。ラトル盤(2012)も採用しているが弱音による控えめな処理。
一方で2008年に聴いたブロムシュテット&N響、2023年PMF音楽祭のダウスゴーはコールス版のアナウンスだったがこのティンパニは採用せず。

アーノンクール&ウィーンフィル盤(2002)

マーラーの先駆け、或いは音楽史上最も恐ろしい瞬間

ティーレマンが映像対談の中でこの楽章全体の中で「治外法権的」な異質性があると語る練習番号O(355小節〜)を見たい。
音楽学者のJ=L・マイヤーは「音楽史上最も恐ろしい瞬間のひとつ」としたその箇所はホルンのゲシュタップが軋む行進曲的な楽想だ。

第1楽章353-358小節目

「マーラーを連想させる。ブルックナーがマーラーを先取りした感覚」とティーレマンが言うこの箇所は大野和士の「マーラーの先駆け」がここにきて符号する。ゲシュタップが表象する「死」その軋むサウンドと陰鬱な対位法が蠢く4/4拍子の「行進曲」
この「行進曲」の両端は2/2拍子アラ・ブレーヴェであり、そのテンポの転換に注目してみるとHIP系のボルトン、ヴェンツァーゴ、ノリントンは明確にその拍子の違いを示している。
ユニークなのはボルトンやノリントンはこの練習番号Oで大きなパウゼを入れた上で4つ振りらしい遅めな歩みに転換してこの陰鬱な曲調を強調するのだ。

ボルトン&ザルツブルク・モーツァルテウム管盤(2005)

終末的な「予告」

コーダ前に木管が奏でる物悲しいコラール・フレーズは未完のフィナーレ草稿で金管による力強いコラールとして再登場することを考えると、ブルックナーは既に4楽章も視野にした統一的な構想を描いていたことになる。

第1楽章509-511小節目

1楽章コーダは主調のニ短調に戻るが、この楽章に出てくる様々なフレーズが再集結する点は注目したい。1楽章冒頭で試みた断片的なフレーズの登場をここで再度試みながら、それらが一堂に集結する。
そして8番の1楽章に出てくるファンファーレ「死の告知」をキッカケにナポリ六度の和音も加わって不協和音が轟く。
最後もニ短調で終わらずにFが欠けた空虚五度で終結するという、虚無とも言えるその響き!
底知れぬ闇が口を開けたような音響、これは終末的な音楽なのだ。

第1楽章612-620小節目
第1楽章521-526小節目
第1楽章559-567小節目(終結)

不協和音の氾濫と調性が崩壊する寸前の果てしない転調、そして「死」を表象するゲシュタップやファンファーレ。1楽章ひとつとっても従来の彼の作品にはなかった破格な表現、凄まじい内的葛藤と相克が滲みでている。


次回その2は2楽章スケルツォへ

この項、了

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